書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

〇学問の目的。

2018年12月02日 14時11分31秒 | 意識論関連
評価承認欲求中毒患者ってのは他人から評価されることだけで頭がいっぱいなので

他人よりも自分の方が優れていることを主張したがる結果 順位序列に異常執着することになる

学問というものは 本来純粋に「本当のことを知りたい」という欲求に基づいて行われるものであるべきなのだが

学力成績を絶対的価値か何かと勘違いしているから 科学が宗教やイデオロギーのように絶対化してしまうことにもなる

別に学力成績が高いからといって偉いわけではない それは大企業の社長や大臣でありさえすれば人間として優れていることの証明にはならないのと同じである

学問というのは 世間的成功を目的としてやるものではなく あくまで純粋な好奇心に基づき学び考えることで 結果的に社会的に役立つ真理の追求にもつながることがあるから意味があるんであって

他人と比較して己の優位性を自慢するために学問があるわけではない ましてやクイズの正解率なんぞ社会的には糞の役にも立たない大衆迎合でしかないのである

本庶佑が「教科書を疑え」と述べたが 学力成績を絶対的価値だと錯覚していれば 教科書を疑うことなど絶対にしないであろう それがダメなのである

学力成績だけを目的にしていれば これは教科書こそが聖書聖典と一緒で疑ったりすれば呪いや祟りで命を落とかのような強迫観念に囚われているので 教科書は絶対になってしまう

この時点で科学が宗教やイデオロギーに変貌しているのである

学校で教わることというのは あくまでこれから自分で新しい発見や発明をするための基礎を学んでいるだけであって 学校というのはその手段であって目的ではない

ところが 現在の資本主義制度下においては 学力成績こそが人間としての価値であるかのように扱われているために 自発的に何も考えたことのないバカ共は他人との比較こそが人間性の論証だと勝手に勘違いしたがるのである

「天は人の上に人を作らず」(ユキチだっけか?)

「天って何だよ」というツッコミもあるんだが 学問というのは他人と自分との順位序列を目的としたものではないという最も根源的な目的意識が欠如しているのである

本来学問というのは「誰も不幸にならない社会を作りたい」という願いのための真理の追求であって「俺様の方が優れている」ことを証明するためのものではない

その部分を根本的に勘違い錯覚しているバカが多すぎる

こうした頭の悪さというのは 親がバカだと子供にも連鎖して歯止めが効かなくなる

こうした観点から考えると 教科書を疑う前に自分の目的意識や親の頭を疑うことが先なんだろうな



Ende;
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