書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○猿レベル。

2018年12月18日 11時27分26秒 | 意識論関連
スピノザが「完全な能動(自律)は有り得ない」と述べたことに対して伊集院光はこれを「優しさ」などと形容した

これは単なる怠惰である

完全な自律は困難であるからこそ 自律は意識可能な限りに追求しなければならないのであって 「無理そうだから 中途半端でも良いんだ」と解釈しているからこそ気分的に安心して「優しさ」などと形容するのである

それとも何か? 原発の津波に対する脆弱性を放置したことにおいても責任の全てを東電の組織体質に丸投げして個人には一切の責任がないとでも言えるのか?

そもそも組織体質というのは組織を形成する個人の多数派によって形作られるものであって 個人の自律を環境依存で放棄して良いという話には全くならないのである

伊集院光のような薄っぺらで気分優先な解釈のことを文科系大衆観念と言うのである

それは平たく言えば「バカの解釈」に過ぎない



エスカレーター歩行の件で日本人が如何に自律がないかが鮮明になったと言える

列車に乗り遅れるというのであれば早めに家を出れば良いだけの話であって

他人の安全性を脅かしてまで自分の怠惰を正当化するというのであれば もはや自分の安全性も他人から脅かされても文句は言えない立場ということになるのである

もはや考えが浅過ぎて話にならない

オイラはエスカレーターの中央に立って乗ることがあるが そうすると後ろから歩いて来た男に「左に寄れ」などと言われることがある

エスカレーターというのは構造的に一つのステップに一人で乗る場合には重量配分の関係で中央に立つのが理想とされているからであって そもそもエスカレーターというのは歩いて乗るものではない

歩くスペースがあるなら安全に配慮しながら追い越しても構わないとは思うが 「歩けて当然」という態度は傲慢としか言いようがない

自動車の運転においても 道路工事や路上駐車などで道が狭くすれ違いが難しくなっている状況で 対向車が無理に突っ込んで来て逆にゆっくりとしか進めなくなる場合というのがある

相手が通り過ぎるまでちょっと待てばスムーズに通れるにも関わらず 待つという我慢を自律的に出来ないバカが多過ぎて殺意しかわかない

お恥ずかしい話ではあるのだが 実は兄がそういう運転をしていたことがあったので「お前はバカか!」と怒鳴り散らしてやめさせたことがある

「日本人は規則は守るがマナーはない」という話を聞いたことがあるが 規則というのは他人から強制されているものであり マナーというのは自主的に行うものである つまり 日本人には自律がないということなのである

「エスカレーターを歩かないと電車に乗り遅れる」というのであれば その分早めに家を出れば良いだけの話であって 他人の安全を蔑ろにしてまで自分の怠惰を主張するというのはバカとしか言いようがない

急いでいるのは急いでいる方の勝手であって 急いでいる人を優先してあげるのはあくまで配慮であって 急いでいるからといって他人を退かす権利があるわけではない

まるで日光いろは坂の猿に「餌を与えたら狂暴になった」のと同じようなもので 他人の配慮を権利か何かと勝手に勘違いしているのは 脳が猿レベルであると言える

何でもかんでも規則で強制しないと何も自律的には考えないバカしかいなければ 封建的独裁社会にしかならないのは当然の話である

民主主義というのは民衆の意識や深い考えに基づいて初めて機能するものであって バカしかいなけりゃバカ主義にしかならん

「今までずっとそうだった」ことがやめられないというのは ただの中毒でしかない 脳の先天的性質を自律的に制御出来ないから猿レベルの話を平気でするようになるのである

おそらく こういった因習の類を鵜呑みにしているようなバカであれば 学力成績やクイズの正解率や年収を知能の本質だと短絡的に鵜呑みにしているバカが多いのであろう

多数派にバッシングされるまでやめられないというのは 自律がないからであり 逆に言えば多数派からバカにされることを恐れて自律的に真理を追求しないのも自律の欠如が原因である



Ende;
コメント
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