2018年9月に起きた東海道新幹線無差別殺傷事件の小島一朗は「社会に恨みがあった」と述べているという
社会という茫漠とした対象に向かって恨みを持つというのはなぜか
それは 社会という茫漠とした対象に対して盲目的信頼を勝手に抱いていたからであろう
社会というのは混沌である
だから糞野郎もいれば 聖人みたいな人もいる
何も考えずに無責任なことしか言わないバカもいれば 深い考えに基づいて言う人もいる
誰の言っていることが本当に正しいのかを 自律的に論理検証し 自己の純粋な好奇心に従い主体的に選択していれば 「社会に対する恨み」などというのは出てこない
なぜなら 自分で主体的に選択したことが上手くいかなくても それは「自分のせい」だったり「運が悪かった」程度の話で済むからだ
ところが 主体的に選択せず 世間の多数や 多数が認証した権威の命令にただ服従迎合しているだけだからこそ 「社会に対する恨み」につながってしまうのである
世間の多数派に迎合し ただ漫然と目先の権威に服従しているだけであれば 思ったように世間的に評価承認が得られないと 「悪いのは社会だ」という茫漠とした合理性のない恨みを抱くことになるのである
世間的評価や成功というものは 人間としての価値とは無関係である ナチズムに反対して命を落としてでも正しいことを貫くのが本当の人間性であり 世間的評価や成功を得ようとしている時点で 既に「アメとムチ」の「アメ」欲しさに自発的に選んでいない「ムチ」を無為に受け入れ続けていたという自発性の欠落の証明でもある
純粋に自発的に選択したことであれば 世間的評価などあろうがなかろうが関係がない
爬虫類学者の加藤英明のように 他人から見れば過酷で危険な行為であっても 加藤本人的には「好きだからやっている」ことであって 別に世間的評価などなくても危険で過酷なことを積極的にやろうとするのである
権威に対して忠誠忠実であることを 大衆観念的には「素直」だと形容するが 権威に対して従順なだけなら自律的な社会的責任判断はしなくても良いのである
それは ナチスのアウシュビッツ ユダヤ人絶滅収容所の吏官アドルフ:アイヒマンの政権に対する「真面目さ」や「従順さ」と同じものである
目先の多数派や権威を盲目的に信頼し 自分が所属する集団組織からの評価承認ばかりを求めているからこそ 自律的には社会的責任判断を放棄するようになるのである
それは 物理学者のアルベルト:アインシュタインが懸念した「従順な臣民」である
「従順な臣民」という言葉に対して 大衆の多くは「権威に逆らわない小市民」のような印象を持つであろうが これは大間違いで 権威からの評価や承認が得られない場合にはナチスやISILやオウム真理教のようなカルト集団へと簡単に傾倒し 平気で人を殺すことが出来るのである
通り魔の類は特定の集団組織 宗教やイデオロギーには拠らないが そもそも個人的に「社会に対する恨み」を解消するために特定の集団組織に便乗しているのがテロリズムなだけであって 単独犯行であっても構造は同じである
Ende;
社会という茫漠とした対象に向かって恨みを持つというのはなぜか
それは 社会という茫漠とした対象に対して盲目的信頼を勝手に抱いていたからであろう
社会というのは混沌である
だから糞野郎もいれば 聖人みたいな人もいる
何も考えずに無責任なことしか言わないバカもいれば 深い考えに基づいて言う人もいる
誰の言っていることが本当に正しいのかを 自律的に論理検証し 自己の純粋な好奇心に従い主体的に選択していれば 「社会に対する恨み」などというのは出てこない
なぜなら 自分で主体的に選択したことが上手くいかなくても それは「自分のせい」だったり「運が悪かった」程度の話で済むからだ
ところが 主体的に選択せず 世間の多数や 多数が認証した権威の命令にただ服従迎合しているだけだからこそ 「社会に対する恨み」につながってしまうのである
世間の多数派に迎合し ただ漫然と目先の権威に服従しているだけであれば 思ったように世間的に評価承認が得られないと 「悪いのは社会だ」という茫漠とした合理性のない恨みを抱くことになるのである
世間的評価や成功というものは 人間としての価値とは無関係である ナチズムに反対して命を落としてでも正しいことを貫くのが本当の人間性であり 世間的評価や成功を得ようとしている時点で 既に「アメとムチ」の「アメ」欲しさに自発的に選んでいない「ムチ」を無為に受け入れ続けていたという自発性の欠落の証明でもある
純粋に自発的に選択したことであれば 世間的評価などあろうがなかろうが関係がない
爬虫類学者の加藤英明のように 他人から見れば過酷で危険な行為であっても 加藤本人的には「好きだからやっている」ことであって 別に世間的評価などなくても危険で過酷なことを積極的にやろうとするのである
権威に対して忠誠忠実であることを 大衆観念的には「素直」だと形容するが 権威に対して従順なだけなら自律的な社会的責任判断はしなくても良いのである
それは ナチスのアウシュビッツ ユダヤ人絶滅収容所の吏官アドルフ:アイヒマンの政権に対する「真面目さ」や「従順さ」と同じものである
目先の多数派や権威を盲目的に信頼し 自分が所属する集団組織からの評価承認ばかりを求めているからこそ 自律的には社会的責任判断を放棄するようになるのである
それは 物理学者のアルベルト:アインシュタインが懸念した「従順な臣民」である
「従順な臣民」という言葉に対して 大衆の多くは「権威に逆らわない小市民」のような印象を持つであろうが これは大間違いで 権威からの評価や承認が得られない場合にはナチスやISILやオウム真理教のようなカルト集団へと簡単に傾倒し 平気で人を殺すことが出来るのである
通り魔の類は特定の集団組織 宗教やイデオロギーには拠らないが そもそも個人的に「社会に対する恨み」を解消するために特定の集団組織に便乗しているのがテロリズムなだけであって 単独犯行であっても構造は同じである
Ende;