福岡市東区箱崎6丁目の九州大箱崎キャンパスで7日朝
に研究室を焼いた火災で、福岡東署は15日、焼け跡から
見つかった遺体は研究室に出入りしていた同区の職業不詳
の男性(46)と発表した。署によると、死因はやけどに
よる火傷死。男性が放火、自殺したとみて調べている。 -西日本新聞
↑この話に対して同情的な報道がやたらとされているんだけど オイラ的にはちょっと違和感がある
記事の中には以下の記述もある
男性と長年交流のあった元九大教授の木佐茂男弁護士は、男性の心中をこう推し量る。「彼は純粋
に研究する場が欲しかったはず。労働と研究の両立が困難で、思いあまったのかもしれない。(学舎
と)一緒に灰になってもいいと思っていたのではないか
「純粋に研究する場が欲しかった」のであれば どうして研究室を燃やしたりするのだろうか
NHKの番組では ラーメン屋の店員が長時間「話を聞いて欲しかったようだ」というインタビュー証言もあった
ラーメン屋の店員に愚痴っている暇があんのかと思うと そんなに純粋に研究していたとは言えないのではないか
本当に純粋に研究がしたいのであれば 別に大学の研究室でなければならない理由はない
ましてや憲法についての研究なら物理工学のように実証実験が必要なわけでもなく 研究室が必要であるとは言えないだろう
文献が必要なら図書館で済むのではなかろうか
生活に困窮したからというのであれば 一時的に労働に専念して生活の安定を図ってから再開すれば良いだろうし
評価されることに焦りすぎたからこそ放火という迷惑行為に走ったのではなかろうか
学術権威から認められないというケースは そんなに珍しいことではない アルベルト:アインシュタインも大学での職が得られずに特許局勤めで相対性理論を書いたという
爬虫類学者の加藤英明は 厳寒のウズベキスタンの砂漠の真ん中まで行って 日がな一日中穴掘りをし お目当てのオオグチトカゲを発見出来なくても「ここを掘った人は今まで誰もいないじゃないですか それだけで楽しい」と言っていた
昆虫の研究で有名なファーブルも 日がな一日中ミツバチの観察をしていたという
純粋に真理を知りたいと思う人であれば 無駄とも思える徒労をいくらでも重ねることが出来るものである
ノーベル賞受賞者の田中耕一も 上手くいかなかった実験であっても「このやり方では上手くいかないことがわかっただけでも意味がある」と述べていた
更に言えば ガリレオ:ガリレイが地動説を説いた時には火炙りにされかけた
遺伝子の研究で有名なメンデルも 生前は評価が全くなかったが 生涯を研究に捧げた
本当に純粋な真理を追求するということは 他人からの評価承認には一切依存してはならないのである
研究が他人から認められるかどうかに関わらず 自律的探究に人生を賭ける覚悟が必要である
覚悟というと大袈裟かも知れないが 要は「個人的に熱中出来る」からこそ 他人からの評価を後回しに出来るのである
「それなら研究職はブラック企業と一緒じゃないか」と思われるだろうが
そもそも研究というのはギャンブルである リターンが得られるかどうかが全くわからない映画制作みたいなもんで
「研究で食えない」ことを嘆いている暇があるなら 辞めちまえば良いのである
食えなくてもやる 身体がボロボロになってでもやる 上手くいかなくてもやり続ける それが「純粋な真理の追求」なのである
平凡な生活が欲しいのであれば 研究職などというギャンブルなどしなければ良いのである
平凡な生活を求めている凡人の「かわいそう」などという形容詞は 研究職にはあてはまらない なぜなら本人が主体的に好きでやらせて貰うのが研究職だからである
研究職というのは何を研究するのかを自分で決められるものであって 一般の職種のように仕事が割り当てられているわけではない
それとも何か? 競馬でスッカラカンになった奴を「かわいそう」などと言えるのだろうか
競馬でなくてもスポーツ競技で成績が上がらなくてもそれは自己責任
自業自得というものであろう
Ende;
に研究室を焼いた火災で、福岡東署は15日、焼け跡から
見つかった遺体は研究室に出入りしていた同区の職業不詳
の男性(46)と発表した。署によると、死因はやけどに
よる火傷死。男性が放火、自殺したとみて調べている。 -西日本新聞
↑この話に対して同情的な報道がやたらとされているんだけど オイラ的にはちょっと違和感がある
記事の中には以下の記述もある
男性と長年交流のあった元九大教授の木佐茂男弁護士は、男性の心中をこう推し量る。「彼は純粋
に研究する場が欲しかったはず。労働と研究の両立が困難で、思いあまったのかもしれない。(学舎
と)一緒に灰になってもいいと思っていたのではないか
「純粋に研究する場が欲しかった」のであれば どうして研究室を燃やしたりするのだろうか
NHKの番組では ラーメン屋の店員が長時間「話を聞いて欲しかったようだ」というインタビュー証言もあった
ラーメン屋の店員に愚痴っている暇があんのかと思うと そんなに純粋に研究していたとは言えないのではないか
本当に純粋に研究がしたいのであれば 別に大学の研究室でなければならない理由はない
ましてや憲法についての研究なら物理工学のように実証実験が必要なわけでもなく 研究室が必要であるとは言えないだろう
文献が必要なら図書館で済むのではなかろうか
生活に困窮したからというのであれば 一時的に労働に専念して生活の安定を図ってから再開すれば良いだろうし
評価されることに焦りすぎたからこそ放火という迷惑行為に走ったのではなかろうか
学術権威から認められないというケースは そんなに珍しいことではない アルベルト:アインシュタインも大学での職が得られずに特許局勤めで相対性理論を書いたという
爬虫類学者の加藤英明は 厳寒のウズベキスタンの砂漠の真ん中まで行って 日がな一日中穴掘りをし お目当てのオオグチトカゲを発見出来なくても「ここを掘った人は今まで誰もいないじゃないですか それだけで楽しい」と言っていた
昆虫の研究で有名なファーブルも 日がな一日中ミツバチの観察をしていたという
純粋に真理を知りたいと思う人であれば 無駄とも思える徒労をいくらでも重ねることが出来るものである
ノーベル賞受賞者の田中耕一も 上手くいかなかった実験であっても「このやり方では上手くいかないことがわかっただけでも意味がある」と述べていた
更に言えば ガリレオ:ガリレイが地動説を説いた時には火炙りにされかけた
遺伝子の研究で有名なメンデルも 生前は評価が全くなかったが 生涯を研究に捧げた
本当に純粋な真理を追求するということは 他人からの評価承認には一切依存してはならないのである
研究が他人から認められるかどうかに関わらず 自律的探究に人生を賭ける覚悟が必要である
覚悟というと大袈裟かも知れないが 要は「個人的に熱中出来る」からこそ 他人からの評価を後回しに出来るのである
「それなら研究職はブラック企業と一緒じゃないか」と思われるだろうが
そもそも研究というのはギャンブルである リターンが得られるかどうかが全くわからない映画制作みたいなもんで
「研究で食えない」ことを嘆いている暇があるなら 辞めちまえば良いのである
食えなくてもやる 身体がボロボロになってでもやる 上手くいかなくてもやり続ける それが「純粋な真理の追求」なのである
平凡な生活が欲しいのであれば 研究職などというギャンブルなどしなければ良いのである
平凡な生活を求めている凡人の「かわいそう」などという形容詞は 研究職にはあてはまらない なぜなら本人が主体的に好きでやらせて貰うのが研究職だからである
研究職というのは何を研究するのかを自分で決められるものであって 一般の職種のように仕事が割り当てられているわけではない
それとも何か? 競馬でスッカラカンになった奴を「かわいそう」などと言えるのだろうか
競馬でなくてもスポーツ競技で成績が上がらなくてもそれは自己責任
自業自得というものであろう
Ende;