東名高速のアオリ運転で4名を死傷させた石橋和歩(26)の裁判が始まったそうなんだが
「被害者の話を聴いて涙を流した」とか報道されているけど そんなん演技じゃない証明ができんのかしら
演技じゃないとしても その場限りに哀しい気分になったからといって人間性の論証にゃならん
DV男が散々暴力を振るった後に脳内物質の相転移で急にやさしくなっても 暴力をやらなくなるわけじゃないのと一緒
裁判官のご機嫌取りが上手いかどうかで刑が重くなったり軽くなったりするのは合理的とは到底言えない
法廷で謝ったとか 外見的に「反省が見られる」なんてのは裁判官の主観に過ぎず 何の根拠や証明にもならない
刑法裁判ってのはそもそも合理性なんか何もないんだよね
死刑にするかどうかはどうでもいいから とにかく人格形成過程の解明分析をすべき
どういう育ち方したら 石橋和歩みたいな無責任で身勝手なバカになるのか 刑法とは別に徹底調査分析しないと 似たようなバカが際限なく出てくることになるし 予防にもならない
一人の重大なバカが露見した場合 その陰に無数のバカが隠れていることを前提にして 実際に誰かが被害を受ける前に治療しないと 危なくて街歩くことも出来やしない
おいら一人くらいなら社会的にはどうでもいいことだけど
子供を学校に通わせている親からみてもキチガイ予備軍が放置されているのはシャレにならない
◇追記:交際中の女性によると「トラブルのない日の方が少なかった」そうな そんな糞男となぜ交際を続けていたのか お前もアタマおかしいだろうとか思うんだが パトカー相手にまでアオリ運転をしていたこともあるという なんなんコイツ もう死刑でもなんでもいいから徹底した精密検証をしろよ もはや通り魔と一緒じゃねぇか
◇
弁護士が「運転中じゃないから危険運転致死傷罪にはならない」とか言っているけど 法廷弁護人ってどうにも弁護が困難な裁判だと 時折荒唐無稽な弁護を始めることがある
要するに 「こんな被告はもう弁護のしようがないので どうでもいいや」ってヤケクソな屁理屈を言い出すことがあるので そういうことなんじゃないかなと思っている
Ende;
「被害者の話を聴いて涙を流した」とか報道されているけど そんなん演技じゃない証明ができんのかしら
演技じゃないとしても その場限りに哀しい気分になったからといって人間性の論証にゃならん
DV男が散々暴力を振るった後に脳内物質の相転移で急にやさしくなっても 暴力をやらなくなるわけじゃないのと一緒
裁判官のご機嫌取りが上手いかどうかで刑が重くなったり軽くなったりするのは合理的とは到底言えない
法廷で謝ったとか 外見的に「反省が見られる」なんてのは裁判官の主観に過ぎず 何の根拠や証明にもならない
刑法裁判ってのはそもそも合理性なんか何もないんだよね
死刑にするかどうかはどうでもいいから とにかく人格形成過程の解明分析をすべき
どういう育ち方したら 石橋和歩みたいな無責任で身勝手なバカになるのか 刑法とは別に徹底調査分析しないと 似たようなバカが際限なく出てくることになるし 予防にもならない
一人の重大なバカが露見した場合 その陰に無数のバカが隠れていることを前提にして 実際に誰かが被害を受ける前に治療しないと 危なくて街歩くことも出来やしない
おいら一人くらいなら社会的にはどうでもいいことだけど
子供を学校に通わせている親からみてもキチガイ予備軍が放置されているのはシャレにならない
◇追記:交際中の女性によると「トラブルのない日の方が少なかった」そうな そんな糞男となぜ交際を続けていたのか お前もアタマおかしいだろうとか思うんだが パトカー相手にまでアオリ運転をしていたこともあるという なんなんコイツ もう死刑でもなんでもいいから徹底した精密検証をしろよ もはや通り魔と一緒じゃねぇか
◇
弁護士が「運転中じゃないから危険運転致死傷罪にはならない」とか言っているけど 法廷弁護人ってどうにも弁護が困難な裁判だと 時折荒唐無稽な弁護を始めることがある
要するに 「こんな被告はもう弁護のしようがないので どうでもいいや」ってヤケクソな屁理屈を言い出すことがあるので そういうことなんじゃないかなと思っている
Ende;
安全性に関わる研究のことを 失敗学や危険学って言うのね
なんで安全学って呼ばないのかっていうとね 安全を追求するために重要なのは 何が危険で何が失敗の原因なのかを詳しく解析することなのよ
あらゆる危険性を徹底排除してゆくことによって 安全性というのは高められる
だから危険を学ぶ 失敗から学ぶ
意識とは何かを知るためにおいても同じことが言える
意識とは何かを追求するためには 意識ではないものが何かを徹底追求することによって 本当の意識が何かを知ることが出来るわけよ
だから 意識論って言いながらも無意識とは何か 愚かとは何かを論じているわけ
愚かさが何かを知って 初めて本当の知能になる
意識とは何かを追求する学問に名前をつけるとしたら 無意識学とか愚学って呼んだ方が良いのかも知れない
自分の頭の悪さがどういうものなのかを知ることによって 頭が悪い失敗を回避出来るようになる それが結果的に本質的な知能向上になる
単に「皆が言っているから」とか 「権威にそう教えられたから」といったことを 何ら自分では論理的に検証することもなく鵜呑みにしていると 真実を見失うことになる
本庶祐 佑が「教科書を疑え」って言ってたけど 教科書に書いてあることをただ漫然と鵜呑みにしているだけでは本当に頭が良くなったことにはならない
本当に頭の良いエリートの学生だというのであれば 教授の間違いを指摘するくらいの能力がなければならない
自主的 主体的に真理を追求していないからこそ 自律的な論理検証性も働かないバカが増えてしまうことになる
そして 困ったことにバカ同士で話を丸め 「誉められないと やる気が起きないじゃありませんか」などというバカの観念を共有して気分的に安心満足することで 自分達の頭の悪さを認識しようともしなくなる
目先のバカの多数派に流され 自律的に何も考えない状態は「頭が良い」と言えますか 言えませんよね どんなにクイズの正解率が高くても 学力偏差値が高くても 自分の主体的考えがないならただのバカなんですよ
自律の源は主体性です 主体的に物事を考えてこその目的意識ですから 「死にたくない」だとか「金にならない」だとか「世間や権威から承認されない」といった環境依存的な気分感情に無意識に流されるのは 全て主体性の欠如が原因なのです
あらゆる「人災」というのは ヒトの無責任さが作り出すものです
最初っからどうにも回避不可能性が証明されていれば これは「人災」としては扱われることはありません
トロッコ問題的な条件下において 死んだ人数で倫理や正義が立証されることはありません そこには正義も倫理も最初から存在してなどいないからです
他人の無責任さによって危険性が放置されて誰かが死ななければならない状況下において 自分の選択で死ぬ人数が変わるとしても そこに選択責任なんぞありゃしないんですよ
どんなに「悩んで」も 提示された条件の範囲に倫理が存在しないことが指摘出来ない時点で 本当は何も「考え」てなんかいないんですよ
でも マイケル:サンデルの講義を受けた学生達も テレビで見ていた視聴者の誰一人として 「そこに倫理なんぞ存在しないぞ」なんて言い出さない
それは サンデルによって促された命題によって「悩ましい気分」を促されたために それを短絡的に「何かを深く考えた」と錯覚し 「自分は頭が良くなった」と勝手に錯覚することでサンデルを好きになり 何の疑いも持たなくなっていることで余計何も「考え」なくなる
これが洗脳の基本構造です
実は オウム真理教の教祖も似たような手法を用いていました 答えの出しようもない命題を与えておいて「皆さんご自分で考えてみて下さい」なんてね
構造原理的に解答の出しようのない命題であっても 出題された命題自体が構造原理的に意味がないことには誰も気付かない習性があるんです
ジャレド:ダイアモンドも同じです 遺伝的進化の話とは無関係な「スペイン人がインカを滅ぼした」話をひけらかしておいて 結局「関係がありません」という結論でしょ 本人が「関係がありません」って正直に言っているにも関わらず 読者や視聴者は何か意味のあることのように錯覚しているんですよ ピュリッツア賞なんてのはその程度のもんなんです
何ら論理的には意味がない話であっても ヒトの多くは大量の情報を聞かされると情報の内容を理解するだけで意味があると勝手に勘違いして何かを考えたかのような錯覚に陥る習性があります
これって振り込め詐欺も使う手口です
「皆さんも考えてみて下さい」なんて「頼む」のも ベンジャミン:フランクリン効果を期待しているのかも知れませんよ
逆に オイラみたいに最初から「それはお前がバカだから騙されてるだけじゃねぇか」なんて言うと 自分の頭の悪さを自覚しなければならず 反射的拒絶反応によって論理的根拠もなく否定的思考バイアスが働くのかも知れません
それは まるで芸人の宇治原ナントカ君が「俺は頭が良いんじゃぁ!」と怒鳴って開き直っている心理状態と同じじゃありゃしませんかと
バカの難治性というのは バカというのは自律的には何も論理検証出来ず 主観的気分感情が優先してしまうのが原因です
経済心理学において「ヒトは長く続くことは 永遠に続くと錯覚する」と言われています
長い間自分では何も論理検証せずに鵜呑みにしていた話に対しては ヒトは論理反証を条件反射的に拒絶する習性があるのです
長い間 クイズの正解率の高さを誉められ続けることによって それが永遠に続くものだと宇治原ナントカ君は思っていた だから論理反証を条件反射的に拒絶するようになる
これは 宗教家が実証不能の神を論理否定されることに対する拒絶反応と一緒で 中毒の禁断症状のようなものでしかありません
当人的には死ぬ程嫌で マジで死ぬかのような恐怖心を抱くのかも知れませんけど それこそが錯覚妄想に過ぎないのです
「実証不能の神なくしては生きられない程弱いものである」ことの論理的証明なんかないんですよ
それは強迫観念が生み出した幻でしかないのです
Ende;
なんで安全学って呼ばないのかっていうとね 安全を追求するために重要なのは 何が危険で何が失敗の原因なのかを詳しく解析することなのよ
あらゆる危険性を徹底排除してゆくことによって 安全性というのは高められる
だから危険を学ぶ 失敗から学ぶ
意識とは何かを知るためにおいても同じことが言える
意識とは何かを追求するためには 意識ではないものが何かを徹底追求することによって 本当の意識が何かを知ることが出来るわけよ
だから 意識論って言いながらも無意識とは何か 愚かとは何かを論じているわけ
愚かさが何かを知って 初めて本当の知能になる
意識とは何かを追求する学問に名前をつけるとしたら 無意識学とか愚学って呼んだ方が良いのかも知れない
自分の頭の悪さがどういうものなのかを知ることによって 頭が悪い失敗を回避出来るようになる それが結果的に本質的な知能向上になる
単に「皆が言っているから」とか 「権威にそう教えられたから」といったことを 何ら自分では論理的に検証することもなく鵜呑みにしていると 真実を見失うことになる
本庶
本当に頭の良いエリートの学生だというのであれば 教授の間違いを指摘するくらいの能力がなければならない
自主的 主体的に真理を追求していないからこそ 自律的な論理検証性も働かないバカが増えてしまうことになる
そして 困ったことにバカ同士で話を丸め 「誉められないと やる気が起きないじゃありませんか」などというバカの観念を共有して気分的に安心満足することで 自分達の頭の悪さを認識しようともしなくなる
目先のバカの多数派に流され 自律的に何も考えない状態は「頭が良い」と言えますか 言えませんよね どんなにクイズの正解率が高くても 学力偏差値が高くても 自分の主体的考えがないならただのバカなんですよ
自律の源は主体性です 主体的に物事を考えてこその目的意識ですから 「死にたくない」だとか「金にならない」だとか「世間や権威から承認されない」といった環境依存的な気分感情に無意識に流されるのは 全て主体性の欠如が原因なのです
あらゆる「人災」というのは ヒトの無責任さが作り出すものです
最初っからどうにも回避不可能性が証明されていれば これは「人災」としては扱われることはありません
トロッコ問題的な条件下において 死んだ人数で倫理や正義が立証されることはありません そこには正義も倫理も最初から存在してなどいないからです
他人の無責任さによって危険性が放置されて誰かが死ななければならない状況下において 自分の選択で死ぬ人数が変わるとしても そこに選択責任なんぞありゃしないんですよ
どんなに「悩んで」も 提示された条件の範囲に倫理が存在しないことが指摘出来ない時点で 本当は何も「考え」てなんかいないんですよ
でも マイケル:サンデルの講義を受けた学生達も テレビで見ていた視聴者の誰一人として 「そこに倫理なんぞ存在しないぞ」なんて言い出さない
それは サンデルによって促された命題によって「悩ましい気分」を促されたために それを短絡的に「何かを深く考えた」と錯覚し 「自分は頭が良くなった」と勝手に錯覚することでサンデルを好きになり 何の疑いも持たなくなっていることで余計何も「考え」なくなる
これが洗脳の基本構造です
実は オウム真理教の教祖も似たような手法を用いていました 答えの出しようもない命題を与えておいて「皆さんご自分で考えてみて下さい」なんてね
構造原理的に解答の出しようのない命題であっても 出題された命題自体が構造原理的に意味がないことには誰も気付かない習性があるんです
ジャレド:ダイアモンドも同じです 遺伝的進化の話とは無関係な「スペイン人がインカを滅ぼした」話をひけらかしておいて 結局「関係がありません」という結論でしょ 本人が「関係がありません」って正直に言っているにも関わらず 読者や視聴者は何か意味のあることのように錯覚しているんですよ ピュリッツア賞なんてのはその程度のもんなんです
何ら論理的には意味がない話であっても ヒトの多くは大量の情報を聞かされると情報の内容を理解するだけで意味があると勝手に勘違いして何かを考えたかのような錯覚に陥る習性があります
これって振り込め詐欺も使う手口です
「皆さんも考えてみて下さい」なんて「頼む」のも ベンジャミン:フランクリン効果を期待しているのかも知れませんよ
逆に オイラみたいに最初から「それはお前がバカだから騙されてるだけじゃねぇか」なんて言うと 自分の頭の悪さを自覚しなければならず 反射的拒絶反応によって論理的根拠もなく否定的思考バイアスが働くのかも知れません
それは まるで芸人の宇治原ナントカ君が「俺は頭が良いんじゃぁ!」と怒鳴って開き直っている心理状態と同じじゃありゃしませんかと
バカの難治性というのは バカというのは自律的には何も論理検証出来ず 主観的気分感情が優先してしまうのが原因です
経済心理学において「ヒトは長く続くことは 永遠に続くと錯覚する」と言われています
長い間自分では何も論理検証せずに鵜呑みにしていた話に対しては ヒトは論理反証を条件反射的に拒絶する習性があるのです
長い間 クイズの正解率の高さを誉められ続けることによって それが永遠に続くものだと宇治原ナントカ君は思っていた だから論理反証を条件反射的に拒絶するようになる
これは 宗教家が実証不能の神を論理否定されることに対する拒絶反応と一緒で 中毒の禁断症状のようなものでしかありません
当人的には死ぬ程嫌で マジで死ぬかのような恐怖心を抱くのかも知れませんけど それこそが錯覚妄想に過ぎないのです
「実証不能の神なくしては生きられない程弱いものである」ことの論理的証明なんかないんですよ
それは強迫観念が生み出した幻でしかないのです
Ende;
渋谷のハロウィーンで泥酔して軽トラ横転させたバカ容疑者4人逮捕
世田谷区の会社員 糀原翔大(20)
目黒区の美容師 國分陸央(20)
川崎市高津区の建設作業員 黒木裕太(27)
山梨県富士吉田市の建設業 川村祟彰(22)
おいらは刑法廃止論者だけど
情報公開とはまた別の話
どうしてこういう無責任なバカに育ったのか その原因を家庭や学校での教育環境まで含めて全て明らかにすることで再発防止につながる重要な情報となる それこそが本当の意味での社会的償いとなる
刑罰なんぞ糞の役にも立ちゃせん
Ende;
世田谷区の会社員 糀原翔大(20)
目黒区の美容師 國分陸央(20)
川崎市高津区の建設作業員 黒木裕太(27)
山梨県富士吉田市の建設業 川村祟彰(22)
おいらは刑法廃止論者だけど
情報公開とはまた別の話
どうしてこういう無責任なバカに育ったのか その原因を家庭や学校での教育環境まで含めて全て明らかにすることで再発防止につながる重要な情報となる それこそが本当の意味での社会的償いとなる
刑罰なんぞ糞の役にも立ちゃせん
Ende;
科学に玄人も素人もありません
真理 すなはち「本当のところ どうなのよ」を考える上において 玄人だから常に正しいという論理的証明なんぞありません
有名大学の教授だからといって科学的に常に正しいことを言っているとは限らない
養老孟司みたいに東京大学名誉教授なんて肩書があっても非科学的オカルト観念で人気取りしかしないこともあるし
大多数の生物学者達のように生物進化があたかも目的意図に基づいて合理的に選択されたかのように言い張り続けることもある
山極寿一が言っている「人類の0.2%しか戦争をしていないことに気付けば戦争はなくなる」なんて話にも 科学的根拠が全くありません
戦争というのは重大事象です 一つの重大事象の陰には無数の小さな事象が隠れていると考えるのが危険学者の基本です
小さな事象を軽視しているから重大事象に発展するまで放置してしまうことになるのであって 重大事象が少ないことだけを論拠に あたかも簡単に重大事象がなくなると言い出すのは あまりに軽率軽薄であり 到底科学者としての責任感に欠けた発言だと言えます
それとも何ですか ブラック企業の従業員の自殺率が低ければ それだけで自殺がなくなるとでも言うんでしょうか
原発事故だって同じでしょ 運転時間に対しての重大トラブルの割合だけを取り上げたらきっと小さな割合になるんでしょうよ
滅多に起きない事象であるというだけで どうして「なくなる」なんて言えるんでしょうね 山極は科学で飯を喰っていながら 科学的真理の追求においてはド素人以下なんですよ
一体どういう論理的根拠に基づいて「戦争はなくなる」なんて断言出来るんでしょうね
論理科学的根拠もない話でありながら 何となく気分的に安心満足出来るような話を 大衆マスコミは簡単に鵜呑みにしたがります
その方が簡単に金が儲かるからでしょう
みのもんた的に「これさえ喰っときゃ 寿命が何年延びる」的な安易簡単軽薄軽率な決め付けを提示しておけば 大多数の大衆マスコミは簡単に鵜呑みにして満足する
大多数の大衆は 振り込め詐欺に騙される前からマスコミに騙されているんですよ
Ende;
真理 すなはち「本当のところ どうなのよ」を考える上において 玄人だから常に正しいという論理的証明なんぞありません
有名大学の教授だからといって科学的に常に正しいことを言っているとは限らない
養老孟司みたいに東京大学名誉教授なんて肩書があっても非科学的オカルト観念で人気取りしかしないこともあるし
大多数の生物学者達のように生物進化があたかも目的意図に基づいて合理的に選択されたかのように言い張り続けることもある
山極寿一が言っている「人類の0.2%しか戦争をしていないことに気付けば戦争はなくなる」なんて話にも 科学的根拠が全くありません
戦争というのは重大事象です 一つの重大事象の陰には無数の小さな事象が隠れていると考えるのが危険学者の基本です
小さな事象を軽視しているから重大事象に発展するまで放置してしまうことになるのであって 重大事象が少ないことだけを論拠に あたかも簡単に重大事象がなくなると言い出すのは あまりに軽率軽薄であり 到底科学者としての責任感に欠けた発言だと言えます
それとも何ですか ブラック企業の従業員の自殺率が低ければ それだけで自殺がなくなるとでも言うんでしょうか
原発事故だって同じでしょ 運転時間に対しての重大トラブルの割合だけを取り上げたらきっと小さな割合になるんでしょうよ
滅多に起きない事象であるというだけで どうして「なくなる」なんて言えるんでしょうね 山極は科学で飯を喰っていながら 科学的真理の追求においてはド素人以下なんですよ
一体どういう論理的根拠に基づいて「戦争はなくなる」なんて断言出来るんでしょうね
論理科学的根拠もない話でありながら 何となく気分的に安心満足出来るような話を 大衆マスコミは簡単に鵜呑みにしたがります
その方が簡単に金が儲かるからでしょう
みのもんた的に「これさえ喰っときゃ 寿命が何年延びる」的な安易簡単軽薄軽率な決め付けを提示しておけば 大多数の大衆マスコミは簡単に鵜呑みにして満足する
大多数の大衆は 振り込め詐欺に騙される前からマスコミに騙されているんですよ
Ende;
人はなぜか、自分が助けた相手に好意を持つという。
自分のことを嫌っている相手にお金や物を借りなどの頼みごとをするとで、自分のことを好きになってくれるという心理的効果が生じるという。
(中略)
人に手を貸したとき、その人に費やした自分のエネルギーや時間を正当化しようという心理が働く。自分の敵を助けたとあっては具合が悪い。
これを心理学用語で認知的不協和と言うのだが、そのために心はその人を仲間というカテゴリーに区分するのである。
ベンジャミン・フランクリン効果 -カラパイア
これって結婚詐欺とか振り込め詐欺でも働く心理バイアスかもかも
Ende;
自分のことを嫌っている相手にお金や物を借りなどの頼みごとをするとで、自分のことを好きになってくれるという心理的効果が生じるという。
(中略)
人に手を貸したとき、その人に費やした自分のエネルギーや時間を正当化しようという心理が働く。自分の敵を助けたとあっては具合が悪い。
これを心理学用語で認知的不協和と言うのだが、そのために心はその人を仲間というカテゴリーに区分するのである。
ベンジャミン・フランクリン効果 -カラパイア
これって結婚詐欺とか振り込め詐欺でも働く心理バイアスかもかも
Ende;