書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

バカの構造

2021年09月09日 22時42分59秒 | 意識論関連

公の教育の意義を認知的ワクチンと考えると、学校で何かを教えなくてもいいという主張は、もうそんな伝染病なんてないのだからワクチンを打つ必要はないというのと似ています。

読書猿

 

⇨現状における公の教育というのは 学科ごとに点数をつけて順位序列を生徒になすりつけ 競争原理を用いて教育者の「成績」を上げることが目的であり 「認知的ワクチン」としての機能は一切ない

事実 東京大学医学部の学生が毒ガステロをやらかしており 「イスラム国」の幹部にも 通り魔の類いも学力偏差値が高い傾向性が見られ 学力偏差値というものは「認知的ワクチン」の機能は全くないのである

高学力な大学生であっても 一般教養と称してプラトンだのニーチェだのカントを教え込まれても それらに論理的根拠が伴わない似非哲学に過ぎないことには誰も気づかないのであり 到底認知的ワクチンとして学力成績が意味を為さないことは明白である

進化生物学上の誤謬である「進化万能論に基づいた合目的性」の論証や 「生存戦略」といった概念が科学的には根拠が伴わないことにも誰も気づかないし 考えようともしない

 

認知機能の向上効果のないものを「認知的ワクチン」だと信じ込んで安心満足することによって むしろ誰も教え込まれた内容に疑問も持たず 何の批判精神も発揮せずに呆然と鵜呑みにする頭の悪さの原因でもある

うまれつき文字を読むことが苦手な子供であろうとも 発話言語が苦手な子供であっても 一辺倒に同じ能力評価をする現在の公的教育というのは 極めて機械手続き的な評価しかせず 個々の生徒の個性を蔑ろにする非人間的な面が非常に強く 個々の生徒の長所を伸ばすことになっておらず 社会効率的にも無駄が多いのである

公の教育における評価基準では 本質的な知能としての「間違いに気付く」能力の評価にはならず どんなに学力成績が高くてもバカは治らず 根拠のない認知的「伝染病」のでっちあげで無用な恐怖を煽り 学力成績への盲目的信頼によって自身の学力ビジネスに取り込もうとする読書猿のデマであり 洗脳である

 

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」が似非哲学であることは 本論以外で論じられたことはない

チャールズ:ダーウィンの「種の起源」における進化論では 合目的的進化や生存戦略など存在していないことは 論理的に考えれば本来誰でも解るはずであるにも関わらず 100年以上も生物学者のほぼ全員が曲解していたのであり 更科功による「はぐらかし」に対しても 私以外は誰も気付くことはないのである

それで どうして「公の教育が認知的ワクチンだ」などと言えるのであろうか

ハーバード大学の学生たちであっても マイケル:サンデルの講義における「トロッコ問題」には 実際には倫理の話が含まれていないことにも誰も気づかないのである

マルクス:ガブリエルだの養老孟司などというのは論外である この社会のほぼ全員がオカルトと科学や哲学との区別がつかないバカしかいないのは 公の教育というものが認知機能の向上には役に立たないことを意味するのである

教育というものがシステム化され過ぎてしまったことによって あまりに機械手続き的に単一の基準だけでしか評価されなくなることで 人間本来の認知能力としての「気付き」が一切養われないという重大な欠陥が放置されているのである

 

教え込まれた内容を 教え込まれた通りに再現できれば 今の教育制度上のビジネスにおいては成績評価にはなるが 教え込まれた内容に間違いがあっても誰も認識することができないという 根源的な認知機能の欠落については私以外ほとんど誰も言及しないのである

その結果 高校の校則で「下着の色まで指定される」などというバカげた「教育」を漫然と続けてきたのである

下着の色を規則で規定して 一体どうやって確認するつもりであろうか 女生徒のスカートをめくって「お前のパンツは何色だ」と確かめるつもりであろうか

キチガイだろ

荒唐無稽な規則に誰も異論を唱えず傍観放置してきた頭の悪さは 公の教育では全く改善されることはなく むしろ唯々諾々と鵜呑みにする日和見主義を醸成するばかりである

 

養老孟司や読書猿というのは 論理客観的根拠に基づいた話をしているわけではなく 「根拠のない勝手な線引き」や「観念的決め付け」の羅列によって大衆観念に迎合して人気取りをしているだけであり

大衆人気はあっても内容の多くは嘘やデマである

一体何だ? 「知識のエコシステム」って

にも関わらず 世の中の誰も養老孟司や読書猿の言っていることの論理整合性や論理的飛躍については指摘できないのである

バカなんじゃん

なぜマルクス:ガブリエルを「新時代の哲学」だと言われて鵜呑みにした?

「世界は存在しない」だとか「時間は無限に分割すればなくなる」などという話をなぜ傍観放置した?

 

ヒトというのは先天的にバカなのであって 「ワクチンさえ打っときゃバカにならない」ような簡単なものではなく

むしろ日常の生活習慣として常に注意深く自らの頭の悪さに基づいた検証(考え)が必要なのである

バカは「認知的ワクチンさえ打っておけば 頭が良くなってバカにはならないし洗脳されることもデマや嘘も全て見抜くことができるようになるんだな」と 読書猿のそそのかしを鵜呑みにするのである

それで満足する

 

 

 


Ende;

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糞DQNの構造

2021年09月09日 17時06分40秒 | 意識論関連

糞DQNっていうのは 他人に迷惑をかけることによって その場限りに自分が優位に立ったかのような錯覚によって満足しようとする

決して「自らを高めよう」などとは少しも「思わ」ないのだ

「自らを高めよう」とする意思 それが自己肯定感の源であって 大坂なおみは自信がないからこそ過酷な練習にも取り組んできたのである

根拠のない自信に溺れているバカは 他人を蹴落とすことしか頭にない

他人を蹴落とすことでしか 脳が快楽を感じなくなっている中毒症状である

故に糞DQNは攻撃的なのである

大坂なおみが自分を見失っているのは 糞みたいなマスコミの攻撃に感化されたためである

糞DQNは 他人を貶めるため 貶められた人までをも糞DQNへと引きずり込む

そして 「俺と同じじゃねぇか」などという糞DQNの正義を正当化するのである

ヒトの暗黒面というのは 動物的な習性によるものであり 決して理性や主体性にあるのではない

野獣のように目先の情動のままに行動していれば 脳は何の葛藤も苦悩も抱かず 目先の快楽だけを満たして精神的怠惰に陥る

ヒトは 主観的に気持ち良いことを 短絡的に「正しいこと」だと錯覚するため 物事を深く考える理性や自己客観性など働かせない方が楽なのである

ヒトとは そういう残念な生き物なのである

ヒトは 別に「人間になる」ことを目的に進化したわけではない

たまたま人間としての社会的行動選択も可能になっただけのことである

可能ではあるものの 多くのヒトは環境や状況に左右され 簡単に人間としての社会的倫理を喪失するものでもあり

自分が置かれた環境や状況に左右されることなく自律的に物事を検証し 行動選択することで人間性を喪失せずに済むことも可能となる

そのために必要なのは 自分の主観的な感情や根拠のない常識や形式因習に惑わされないことである

既に存在している自己の主観が自己の本質なのではなく

現時点において論理客観的に検証し 判断選択することにおいて本質的自己が論証可能なのであり

既存の自己の本能や価値観に無意識に流されているからこそ 本質的な意識が働かずに間違った行動に陥るのである

虐待を繰り返す親が 本当は望んでもいない虐待に陥るのと同じように ヒトは誰しもが目先の感情によって本当は望んでもいない判断や行動や選択に陥るものなのである

決して虐待を連鎖する親だけが特別に異常なのではなく ヒト全般に見られる脳の先天的欠陥として 真実を見誤るものなのである

何が本当に自分が求めているものなのか それを慎重に 注意深く 冷静に見極める自己客観性を持つことによって 本当は求めていない結果に陥る危険性を回避することが可能となるのである

 

糞DQNとて 本当は「嫌われ者になりたい」わけではなく

他人を貶めることでしか満足する方法ことが見えなくなっているから 迷惑行為を脱することが出来なくなっているのであり

そういう哀れな「病人」なのである

 

 

Ende;

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