日本ではあまりイスラム教徒がいないこともあって 観念的な恐怖心を抱きがちではあるが
イスラム教では民族宗派によらず平等や弱者救済を勧め
不労所得を禁じ 金利のないイスラム銀行を提案しており
また 実際のムスリムの大半は客人をもてなし 対話によって調停することを厭わないオープンな人々である
キリスト生誕教会はムスリム(パレスチナ人)によって運営管理されている
「ムスリムは唯一絶対のアッラーを信じなければならない」とは書いてあるが 「ムスリム以外までアッラーを信じさせなければならない」とは書いておらず 「異教徒を差別迫害しろ」ともどこにも書いておらず むしろ異教徒との「平等」や「平和」を説いている
「平和を乱す者には武器を持って戦え」とあるが 基本的には「平和を愛せ」とある
そりゃ誰だって暴漢に襲われたら反撃することもあるわけで 至極当たり前の話である
一体どう解釈したら暴力過激思想になるのか さっぱり理解できない
頭の悪いバカがイスラム教を勝手に捻じ曲げて解釈をするとテロリストになるのであって これは別にイスラム教に限ったことでも何でもない
如何なる宗教やイデオロギーであっても 基本は平和と安全と平等であって 通底する主旨に違いなどない
ところが ヒトという種の生物は先天的に平等が嫌いで 順位序列による差別をしなければいられない先天的習性というものがあるため 暴力を用いて人々を服従させて統率しようとしたがるのである
こうした主旨を逸脱した戒律や法律の機械手続き的な運用性の害というものは 日本の警察でも見られるものであり 宗教の場合はどうしても盲目性が強く出るため「戒律さえ守らせれば 全ては解決」という短絡的発想に陥りやすい傾向がある
これは宗派やイデオロギーによらず あらゆるヒトの社会において見られる「人間としての欠陥」であり 「子供は学校でイジメを始める」ものであり SNS上ではマイクロソフト社のTwitterAIが深層学習してしまうほどのヘイトスピーチが溢れかえっているのである
まず 第一に重要なのは 弱者を暴力で抑えこもうとする卑劣な行為をやめることである
これは国家権力を用いた刑法罰も例外ではない
人間としての社会的責任を負うことを全くしたがらないバカというのは時折いるが バカがなぜバカになるのか その原因を徹底的に究明し 再発防止につなげることが被害を減らす上において最も合理的で実効性が高い
バカを殴っても 結局殴っている方までバカになっているのでは本末転倒である
世の中には間違った制度や手続きというのはあるものの だからといって暴力で制度や手続きが改善されるというものではない
社会構造上の不公平があるならば それは構造的な欠陥を論理的に導き出し 地道に丹念に修正改善し続けてゆく必要がある それでこそ「文明」社会の意義である
平和を乱す「悪魔(人間としての欠陥)」とは ヒトの先天的本能習性の中にあるのであって キリストやムハンマドが望んだ「主旨(本当の目的)」を 多くの有神論者達は忘れているから 何かにつけて暴力で解決しようとするのである
イスラエルの兵隊でも 大半は「パレスチナの赤ん坊が丸焦げになること」は望んでなどいないはずである
600万人のユダヤ人殺害計画書を作成したナチスの官吏であっても 屍体を直視することは嫌ったという
にも関わらず暴力破壊で解決しようとするのは 自分で物事を考え 検証するという「人間としての意識」が働いていないからである
個人的に嫌いかどうかで物事の正義を振り回しては 相手の個人的な嫌いに基づいた正義も正当化しなくてはならなくなる
それだと相互の個人的好き嫌いだけで「正義」のぶつかり合いにしかならない
中東由来の一神教の有神論者達に欠けているのは キリストやムハンマドが望んだ「本当の目的」を忘れていることである
一体何の目的のために戦っているのか それを忘れて「戦い」という「手段」を目的だと勘違いしているから 暴力の応酬が終わらないのである
何が「本当の目的」なのか それを見極めるのは論理客観性である
Ende;