未だに何か「義務教育」というものの意味を激しく勘違いしている人が多いみたいだけど
「教育の義務」っていうのは「子供を強制的に学校に通わせること」じゃないからね
あくまで「子供が学ぼうとすることを親大人が制限してはいけない」って意味なので 子供がイジメで吐いたり過呼吸になってるのに無理に通わせる必要ないからね
だからネット上だけで学べるように教育サイトみたいのを作ってやれば学校に行かなくても学べるんであって 既にボランティアでYouTubeで講義している人とかいるじゃん そういう人達を連携させる仕組みは公的にお金かけても良いと思う
集団で同じことを強要しても人間性が養われるわけではないので 集団に馴染めない子は馴染めないなりの学び方があって良いはず
「他の子と違う」ことに対しての根拠のない強迫観念は捨てた方が良い
ヨシタケシンスケさんとか読んだ方が良いと思うぞ
「本当の目的」を忘れてしまったら社会は破綻する
「本当の意識」というものが何なのかを忘れていて「本当の目的」が判るわけがないからな
やれダイバーシティだ多様性重視だと性的趣向だけ多様性を主張しておいて 学校では「同じ 同じ」を強要してたんじゃ意味がわからん
何で学習内容だけは多様性とか自主性を重視しないんだ
どこの馬の骨がでっちあげた基準か知らないが 文部省のカリキュラムなんぞ人間性が育つ保証なんぞ何もないぞ
ヒトという種の生物というのは 先天的に「同じ」ことに安心満足する性質があって これが逆に個性とか多様性を差別排除する民族浄化バイアスとしても働く性質がある
自然界ではそれが「生存に適していた」という結果だけであって ヒトの本能習性的には平等とか公平性が発揮される構造は存在しないのである
日本に50年以上住んでいると 肌の黒い人見ると一瞬ビックリしてしまうことがあるが 最近の若い子だと学校のクラスに黒人の子が普通にいたりするので驚いたりはしないらしい
要は慣れの問題であって 大坂なおみをテレビで見慣れてしまえば肌の色とか気にならなくなってくる
これは 逆に言うと 肌の色が濃い人を見慣れていないからこそ反射的に「ビックリ」してしまうだけであって その主観的感覚には合理的な論理客観的根拠はなにもなく ただ慣れていないから「ビックリした」に過ぎない
主観的感覚には「慣れ」というものがあって これは個人的な好き嫌いの元にもなるのだが 個人的好き嫌いには公共性はないことは当たり前の話なのだが バカだと自分の個人的好き嫌いだけで差別排除が始まってしまうのである
バカの原因は「自分の頭で冷静に論理客観的に考えない」からである
とある狭い道路で 時間帯によって歩行者がごった返していて自動車が物凄いゆっくりしか通れないことがあるのだが これに腹を立ててエンジンを空吹かしして煽るバカがいる
自動車だって渋滞するこたあるのに なんで歩行者が渋滞したら腹立てんだと おかしいだろ 自動車が渋滞しているからといって腹立てて煽り運転しないのと同様に 歩行者が渋滞してたらゆっくりと徐行するのが当たり前というものである
そもそもエンジン空吹かしして煽るなんてのは言語道断であって どんなに理不尽な妨害をされても煽り運転をして良い理由にはならん
そんなこと いちいち私が言わなくても自分の頭で考えりゃわかるだろ
「考えてない」から「バカ」なんだよ
根拠のない「普通」とか「常識」に基づいて行動するから 合理性のない行動に陥るのである
「普通はすんなり通れる」なんてのは勝手な観念であって「普通じゃない道路」があっても何の不思議もありゃしない
通りづらい道があるなら迂回するとか それでもダメなら諦めるて徐行するしかないだろうよ
「普通は 普通は」だの「同じ 同じ」だの そんな観念要らん
鉄道が遅延したからといって駅員に詰め寄るバカもいるが 事故とか故障で動かなくなることだってあるもんだ
「いつもは時間通りに到着できる」からといって 常に同じサービスが提供されるわけではない
日光いろは坂のサルに餌を与えてしまうと 餌がもらえなくなると怒り狂って略奪を始めてしまうという
最初から餌なんぞ与えなければ そんなことにはならないのである
「いつも提供されている」からといって たまたま提供されなくなった途端に怒り狂うというのは 脳がサルと同じレベルしか働いていないからである
たまたまスーパーのレジ担当者が足りなくてもレジ待ちの列が長くなっているからといって腹を立てるバカもいる
腹を立てたら早く列が解消するわけでもなければ 腹を立てる程急いでいるわけでもなかろう
そんなことで怒っている奴に限って 酒飲んで酔っ払っているか クソゲーに邁進しているかクソ漫画読んでるだけの暇人なんだよ
そうやって自己肯定感を喪失して 益々バカになる
バカは中毒性が激しく 難治性が酷いのである
どうにもなんねぇよ(個人の感想です)
Ende;