書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

認知の脆弱性

2021年09月30日 22時13分48秒 | 意識論関連

たいていの人間は「あんなものに騙されるのは不注意な人だけ」「自分は絶対に引っかからない」といった謎の自信を持っているが、これこそがヒトの「認知の脆弱性」である。どれだけ知識が豊富で賢い人間であっても、認知の隙を突いたトリックには騙される可能性があるだろう。

 読書猿

 出典:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77295

 

⇨ と 読書猿は主張している

たいていのヒトが持つ「謎の自信」というのは 先天的な正常性バイアスが原因であり これは東日本大震災の津波避難が遅れた大きな要因の一つとも言われている

では 読書猿が主張するような方法論によってデマや嘘が見抜けるかと言えば

残念ながらできない

実際に読書猿が主張する「知識のエコシステム」だの「認知的ワクチン」も全部デマなのだが 読書猿に心酔して好きになっている愛読者達は 「よもや読書猿が嘘をつくわけがない」と思い込んでいるために 読書猿が主張する嘘やデマだけは何の検証もせずに簡単に鵜呑みにするのである

ヒトという種の生物は 主観的に好きになった相手の言うことは「信じたい」というバイアスが働き 好きになった相手の言っている内容について客観的に論理検証することをしなくなる習性がある

マイケル:サンデルの人気も 養老孟司の人気も その内容に論理的齟齬があっても誰も気にもとめなくなることで 大衆の人気だけが暴走を始めてしまい その多数決だけで信憑性の保証かなにかと勘違いするようになるのである

サンデルの講義はオウム真理教教祖麻原彰晃の説法と共通する部分があり 悩ましい命題を提供して聴講者を気分的に悩ましい気分にさせることで あたかも物事を深く考えたかのような錯覚に陥れ その錯覚によって聴講者は「自分はとても頭を使ったから 頭が良くなった」と錯覚し 「頭を良くしてくれた教祖様」を好きになり心酔し盲目的に何でも唯々諾々と鵜呑みにするようになるのである

学校で教えていることが「認知的ワクチン」として機能しないからこそ 東大医学部の学生が地下鉄に毒ガスを撒き散らしたのであって 「知識のエコシステム」などという概念も論理的には成立しないのである

 

同じヒトでありながら 自発的に内容の真偽を検証するかどうかの違いが どうして生じるのか

教え込まれた内容に間違いがあっても大多数のヒトが気付かないのはなぜなのか

それは 自分の主観的な気分感情が 自分の意識の本質だと勘違いしているからである

自分が気分良くなりさえすれば それが正しいと判断してしまい 気分が悪くなる話には耳を貸さなくなる

ヒトとは そういう先天的な思考バイアス上の欠陥を持っているのである

こうした先天的バイアスに惑わされないようにするためには 自己の主観的感情や好き嫌いや価値観や常識を疑う必要がある

「本当かなぁ?」という 素朴な疑問を棄てないことである ヒトは素朴に感じた疑問を「とるに足らないもの」だと思い 多数や権威による評価さえあれば それだけで「疑う余地はない」ことだと思ってしまうものなのである

だから簡単に嘘やデマを信じ込んでしまうのである

自己の主観的感覚を疑うというのは 決して気分が良いことだとは限らない むしろ気分が悪くなる場合の方が多いものである

だから自分の感情(主観)は一旦棚上げにしておいて 客観的に論理検証すれば 真偽を見分けることも可能となるのである

振り込め詐欺師の手口は 被害者の主観的感情を利用することで 「恐怖」や「焦り」といった主観的情動を煽ることで冷静な判断力を剥ぎ取り 嘘がバレないうちに金をまきあげるのである

「これさえやっときゃ 全ては解決」という 短絡的で安易な解決策を提示することによって ヒトは簡単に嘘でもデマでも信じ込むようになるのである

実証不能の「認知的ワクチン」だとか言っておけば 「騙されないためには学校で教えている内容さえ学べば良いんだな」という短絡的解釈によって信じ込み 「認知的ワクチン」自体が嘘であることには誰も気付かなくなるのである

「知識のエコシステム」に則って 知識の「量」さえ獲得しておけば 地位身分が高くなって他人よりも裕福で幸福な人生を歩めるものだと勝手に解釈し その利己的利益欲しさに何の疑いも持たなくなるのである

 

知識というもの 学問というものは 本来社会持続可能性や安全性のために使うべきものであって 金儲けや世間的成功や人気取りなどの利己的利益のためのものではない

ところが衆愚というのは 地位身分が上がりさえすれば自分の利益になりそうな話にばかり意識を奪われ 学問というものの「本当の目的」を忘れてデマや嘘でも何の疑いも持たずに鵜呑みにしてバカになる

そりゃ必然的に毒ガステロで「人類の救済だ」というトンチンカンな話を鵜呑みにするようにもなるわな

だってバカなんだもの

 

 

東京大学教授の柳川範之(経済学)は読書猿のことを「著者の知識が圧倒的」と評価しているが 知識の「量」をいくら自慢しても 言っている内容に論理整合性が欠落していたり 嘘やデマが混入していたのでは話にならない

京大学長が「ヒトには先天的に人間性ガー」的な非科学的デマを流布することもあり 決して学術権威だからといって言っている内容が全て正しい保証があるわけではない

株式会社ライプニッツ代表 山口 周 が主観的に「面白い」と思ったからといって 読書猿の言っている内容が論理客観的に正しいことの論拠にもならない

物事の真偽というものは 主観的に「面白い」かどうかとは無関係なのである

 

 

Ende;

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著しいバカが発生する温床

2021年09月30日 14時19分19秒 | 意識論関連

私自身もスーパーに勤めていたことがありますが、会計前に食べてしまう困った客なんて、ざらにいるんです。コロッケを買って、その場で食べて空の袋だけで会計しようとするおじいちゃんとかね(笑)。でも、それで警察を呼ぶなんてことはなかったです。ここまでの騒ぎになったのは、動画に残していたことと、悪いイメージがあったからでしょう

 -へずまりゅう

 

⇨「困った客なんて、ざらにいる」からといって 自分が困ったことをしても良い理由には全くならない

困った客」だと認識しているのであれば それは「悪いこと」であるとも認識しているのであって 「ざらにいる」ことを根拠に自己の迷惑行為を正当化することはできないのである

 

「だって 皆が」とは 多数派同調バイアスに過ぎず それは主観的に安心なだけであって 論理客観的な安全性の根拠には全くならない

どんなにたくさんの迷惑行為を枚挙しても 迷惑行為が「普通」で「常識」的で「間違っていない」ことの論証にはならない

それは自身の幼稚性を自慢しているようなものであり 言語道断である

 

バカ特有の屁理屈の形式は 基本的に「他人が悪いから」という環境依存的な責任転嫁である

オウム真理教においても 通り魔の屁理屈においても 暴走族や振り込め詐欺集団においても その行動の論拠は「社会が悪い」というものであり 「俺が悪いことをするのは 社会が悪いからだ」というすり替え論法に過ぎず 何ら論理的根拠にはなっていないのである

確かに社会には様々な問題があるのは確かで 不公平や理不尽な格差というものが存在してはいるものの だからといって自分の迷惑行為を正当化できるわけではない

むしろ 自分から率先して「正しい」行動を主体的に選択してこその「人間性」というものである

 

ヒトが陥りやすい傾向性を抽出してきて「人間的」などと形容することを文科系の大衆やマスコミは平気でするが

ヒトの傾向性から導き出せるのは「ヒト性」だけであって ヒトの傾向性をどんなに枚挙しても人間性や倫理の論証には全くならない

 

「まちがったっていいじゃないかにんげんだもの」と みつを的な話で気分的に安心満足することを人間性だと勘違いするのは

気分的安心満足という個人の主観を 自分の意識の本質だと勘違いしているからである

「まちがって」いるなら「良い」わけがない 当たり前の話である

間違えて 間違えを改めないことこそが 本当の間違いなのである

だが ヒトは間違える生き物である ヒトという種の生物には工業製品のような品質保証がどこにもない

自分の先天的欠陥は自分で選んではいないのだが 自分の先天的欠陥に由来する間違いを正当化することはできない

「俺が600万のユダヤ人殺害計画書を書いたのは ナチス政権が悪いからだ」という屁理屈は通用しないのである

「俺が原発の津波に対する脆弱性を放置したのは 東電という会社の体質が悪いからだ」という屁理屈も通用しない

ならば 間違えた者に懲罰を与えることよりも 同じヒトである以上は同じような間違いに陥る可能性が存在するという前提において どうやったら間違えずに済むようにできるのかを考え工夫することの方が より効果的 実効的 合理的に間違いを減らすことができるのである

 

ヒトは間違えた者に対して暴力排除的差別をすることで正義を振りかざそうとする習性がある

正義を振りかざしておけば自分が正当化できると勘違いしているからである

「自分だけは絶対に間違えない」と そう思い込むからこそ違法な「私刑」も平気でやらかすようになる

私刑を行う奴も「ざらにいる」ものである 「ざらにいる」からといって正当化することはできない そんな言うまでもないことすら気が付かないというのは 何も自分では「考えて」いないからである

 

へずまりゅうの行動の屁理屈というものは 要は「自分が生きるため」という利己的目的に基づいたものである

ナチスの吏官も 東電原発安全担当者も 「自分や自分の家族が生きるため」に有利で安心な行動を優先したからこそ 社会安全性や持続可能性を蔑ろにしたのである

「生存自体に意味はない」とは そういうことである

個人が特定環境社会において生存にとって有利な行動選択をしたからといって それがむしろ国際社会全体における安全性や持続可能性において有害な行動になることは珍しいことではない

衆愚から人気を得られる話に同調し 金儲けに成功することは簡単であろう だが 嘘やデマで大衆を騙してしまえば社会を崩壊破綻にしか導かない

 


一部には「決め付けをする人は疑え」という話があるが 基本的にヒトが説明する論説は全て決め付けに基づいているのであって むしろ「かもしれません」的な根拠のあやふやな説明しかしていないのに「実害があります」などと宣言している時点で嘘なのである

嘘か 真実か それは論理客観的に考えればわかる話である

読書猿だの更科功は「かもしれません」的なあやふやな説明しかしていないにも関わらず 衆愚は簡単に鵜呑みにして疑うことを全くしない

ヒトという種の生物は 自分が主観的に気分の良くなる話を真実だと錯覚する習性がある

そういう先天的欠陥が存在しているのである

だからへずまりゅうみたいな「著しいバカ」も発生することがある

「著しいバカ」をただ糾弾するのではなく むしろ「他人のフリ見て我がフリ直せ」と言うように 「自分もバカげた間違いに陥るかもしれない」という前提で自らを律するための教訓として捉えることの方が重要なのである

「自分だけは絶対に大丈夫だ」とでも思っておけば安心満足なのはわかっている だがその安心満足こそが精神の怠慢を促し へずまりゅうのような著しいバカが発生する根源的原因なのである

へずまりゅうのような「著しいバカ」というのは 衆愚の多数が温床となっているのであって 大多数の頭の悪さによって「著しいバカ」は発生するのである

 

 


Ende;

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訓練された無能

2021年09月30日 11時07分46秒 | 意識論関連

 マックス・ウェーバーは、自らが提唱した「官僚制」に於いて、「官僚制とは規則による機械的システム」であり最も合理的な組織だと述べている。

 

 規則を守れば誰が行っても予定された結果が出て合理的、かつ、結果、プロセスが予測出来る(計算可能性)としている。

 

 しかし、予定されざる結果(逆機能)も発生した。(参考だが、現在では「官僚制」とはこの“逆機能”のイメージで捉えられている。)

 

 その“逆機能”の一つが「訓練された無能」だ。

 

 その他の“逆機能”として、「最低許容行動」(これだけやっていればよいという考え)、「目標置換」(規則を守ることが目標となってしまう現象)、「個人的成長の否定」(スペシャリストが養成出来る反面、このマイナス効果も発生する。) 等々がある。

 

 出典:https://blog.goo.ne.jp/4456hs/e/4ab79cb1a32f4aa3e972b63364afad0a


⇨警察官が取り締まりによる点数稼ぎを目的にしてしまい 事故や犯罪の撲滅にとって非合理な行動を採るようになることもある

機械手続き的制度においては 「許可なく薪ストーブの灰を売ったら書類送検」になったり 実害が予測できても被害が出るまで関与できないといった非合理な対応に陥る原因となる

それを「最も合理的」だと主張しているマックス:ウェーバーは自らの傲慢さや頭の悪さを自覚していない

武田砂鉄はギュスターヴ:ル:ボンの解説において ル:ボンの論説には弱点もあることを指摘している

読んだ内容に酔いしれ ただ漫然と鵜呑みにするのではなく どこかに弱点や間違いが存在していないか ちゃんと自分の頭で検証して判断する必要がある

だから「自律」が重要だと言っているのである

嘘やデマや間違いを認識できないということは 何も考えていないバカに過ぎないのである

バカの意識は人間としての意識としては機能しない

「どうせ俺はバカだから」と 安っぽい絶望で満足することも簡単であるし 「自分はバカだ」と嘆いて落ち込むのも簡単である

ヒトとは そういう簡単なことしかできないバカなのである




Ende;

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個性を排除したがる人々

2021年09月30日 10時18分17秒 | 日記

ダイバーシティが大事とか言っている割には小室さんの髪型をいじりまくるヤカラってどうなんだと

小室さんがどんな髪型したって誰にも迷惑かからんだろよ

言っている内容に合理性が伴ってないだろ

くそしょうもない

 

Ende;

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