書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

「正解データ」と「学習」

2022年01月05日 21時47分01秒 | 意識論関連

一般には「AIは考えて答えを出している」と勘違いしているようだが

AIというのは多数決的に「○○らしい答え」に同調迎合するだけであって 物事を論理客観的に「考え」て割り出しているわけではない

現在の深層学習型ニューラルネットワークAIというのは大量の正解データを「学習」させておくことで 「ネコらしさが何%」といった傾向性を抽出するだけであって ヘイトスピーチだらけのTweetを正解データとして「学習」させればヘイトスピーチに同調するようにもなるのである

 

「学習」させている「正解データ」とは AIの学習環境・生育環境のことだと言える

養老孟司が「私は教科書に墨を塗らされた」という生育環境の中で育つことで 平気で支離滅裂な嘘を言い出すようになることも いわば養老にとっての「正解データ」を学習した結果であり 養老は主体的に論理客観的根拠のある「考え」に基づいた理論を主張しているわけではない

宮台真司が教師から「自分で考えるのは10年早い 丸暗記しろ」と言われたことを「学習」する形で「連鎖」するのも同じことである

認知的不協和を解消する形で自分の生育学習環境を事後正当化したがることによって 理不尽な因習は「連鎖」するのであり これは生物の脳を模倣したニューラルネットワークAIの「学習」過程の結果と同じものである

虐待されて育った人が 自分の子供に対しても虐待を「連鎖」してしまうのは 虐待環境こそを「正常(正解データ)」として学習してしまった結果である

これはイジメや差別においても同様であり イジメや差別のある環境で育つことによってイジメや差別があることが「正常(正解)」だと学習してしまうことで問題意識を喪失してしまうのである

 

ある企業において 採用にAIを用いた事例において その企業の過去の採用事例を「正解データ」として学習された結果 過去に女性の採用が少なかったことから女性に対して採用確率を下げるバイアスが働いてしまっていたことが明らかになり AI採用を急遽とりやめるという事態になったという

深層学習型ニューラルネットワークAIというものは 生物の脳を模倣したものであり 学習(生育)環境に適応する形で多数を「正解(正常)」として認識するようになるのである

シエラレオネの少年ゲリラが「妊婦を殺害して胎児の性別で賭博をする」という残虐な行為をするようになったのも ゲリラ社会集団の中で育つことで 残虐行為を「正常(正解)」として認識するよう学習した結果である

学術権威の言っている内容を鵜呑みにし 主体的に論理検証することを多くのヒトがしなくなるのも 生育環境において権威を疑わないように「学習」してしまった結果であり

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「悟性」だの「純粋統覚」だの「絶対に知覚することの出来ない叡智界」だのといった実証不能の謎の観念であっても 誰も疑わずに鵜呑みにしてしまい

また 学術権威の肩書を持った生物学者による遺伝的進化における「典型的な間違い」についても誰も何も疑うことなく鵜呑みにし 何とも「思わ」ないのである

 


思うか思わないかは主観である

論理客観的には遺伝的進化に意図目的戦略「考え」に基づいた選択可能性など介在する余地は一切存在しないのであり 論理的間違いを間違いだと「思わ」ないかどうかは科学的に正しいかどうかとは無関係である

深層学習型ニューラルネットワークAIのようにヒトの平均的な錯覚や誤謬を「正解データ」として学習してしまっていれば 科学的真実(本当のこと)と嘘や間違いは主観的には区別できなくなるのである

主観によって促される間違いや錯覚を 間違いだと識別するために必要なのは論理客観的検証性であり これこそが人間としての意識の本質である

 

 


Ende;

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「嘘」と「間違い」の相違点

2022年01月05日 15時54分18秒 | 意識論関連

養老孟司はこう述べたことがある

「私は30年も安月給で働いたんですよ そこには意味があったんだ そう思わなきゃやってられないでしょうが」と

養老は親の言いなりに医者になることを強要されたが 「臨床が怖い」からと言って解剖学を選んだ(逃げた)ものの あくまで消極的選択でしかなかったために 望んでもいない大学勤めを事後正当化(認知的不協和を解消)する形で「そこには意味があったんだ」ということにしておかなければ気分的に「やってられない」と述べているのである

 

好きなことをするには学びが必要だが それは決して「やらなくてはいけない」ものではなく むしろ主体的に好きなことを楽しむための学びというものは率先して「やりたい」と思うものであって 「義務教育」の主旨とは「子供が学びたいことを学べるようにしなくてはならない大人側の義務」なのである

ところが 養老孟司は「読み書きソロバン」だとか「個性は身体だから安心して同じを求めれば良い」などという支離滅裂で意味不明な教育方針を主張しており 全くもって子供の主体性を重要視しない発言を散々繰り返してきたのだが 対談相手が落合陽一というリベラル派だと急に発言内容が一転し 話を丸めて迎合するのである

養老というのは相手に合わせて発言内容が二転三転する無責任な日和見主義者であり 発言内容には何ら責任を負うつもりがないペテン師である

「私は教科書に墨を塗らされた」といった屁理屈も 要するに自分の奴隷根性を事後正当化するためのものであって それが正しいのかどうかの「考え」も判断も一切せずに漫然とその場限りに相手と話を丸めて善人ぶっているだけのペテン師である

「スルメ見て イカがわかるか」と問われて「悔しい」と言い出したのも 結局は自発的にスルメ(死体)を見ていたわけではないからこそ 他人から「イカ(生体)がわかるか」と言われて悔しがるのである

自発的にスルメ(死体解剖)を選んでいれば 別に「イカ(生体)のことがわかるか」と問われても「悔しい」という感情は出てこない

なぜ「悔しい」と思ったのかと言えば 他人との比較競争的「勝ち負け」において「負けた」感を感じたからに過ぎない

個人が主体的に没頭している内容であれば 別に他人との比較競争をする必要はなく 純粋に邁進しておけば良い話であり たとえ世間的評価が得られなくても「諦める」という選択肢は出てこない

他人との比較に惑わされるのは 本質的な主体性がないからであり 他人からの評価承認にしか価値を見いだせないからである

近年は主体性を重んじる教育が重要視されてきたため 養老は迎合同調する形でリベラル派の落合陽一の前では主体性を重要視する必要性を説くものの 実際には養老というのは「だって皆さん同じを求めるでしょ」などと称して「個性は身体だから安心して同じを求めれば良い」などという多数派同調を散々正当化していたのである

 

主体的に人生を楽しめる純粋行為を知らない者の場合 他人との比較による「勝ち負け」にしか人生の意味を見出すことができないため 世間的に成功できなければ自暴自棄になって方向性のない社会への報復に駆られ 逆に養老のように世間的に成功しても結局は「私のような人間が 生きて ここにいて 相済みません」などという卑屈な感情論(実証不能の観念)を振り回して支離滅裂な無責任発言を繰り返すのである

衆愚はこれを「謙虚」だと勝手に勘違いしているが 通り魔の自暴自棄まで「謙虚」だと言うわけにはいかないのである

年柄年中嘘ばかりをついているから自己肯定感が薄くなるのであって 正直に誠実に真実を追求していれば「私のような人間が 生きて ここにいて 相済みません」などという観念は他人に主張するべきものではない

結局は 自発的純粋行為に価値を見いだせない者は他人からの評価承認欲求中毒に陥る他なく 評価承認欲求中毒者というのは主体性がないため自律もなく 世間的に成功しようがしまいが自律的な社会的責任判断選択には興味を持たないのである

 

養老は大学教員時代にハワイの大学から昆虫の研究者として誘われたことがあったというが これを「世間が許さなかった」と称して諦めている

これもまた 「世間が悪い」という奴隷根性による社会に対する方向性のない怨恨であり 言っている内容は「自暴自棄な通り魔」とさしたる違いはない

養老の著作の内容のほとんどは 「世間」という多数に同調迎合してきた人生を正当化する形で服従忖度することを「学習」することを他人にも強要するための論理的根拠のない主観的観念を正当化する内容であって これが同じ様に主体性のない衆愚にとって気分的安心満足感を与えることで人気を得たに他ならない

 


 ◇

もしかすると落合陽一は年齢が若いから養老の支離滅裂な言説による衆愚迎合人気を集めた著作を読んだことがないのかも知れない

厄介なことに養老は退官後に大好きな昆虫の研究に没頭し始めており 主体的純粋行為「も」大切だとは認識はしているのだが 一貫した論理的「考え」があるわけではないので話の内容に論理整合性はなく あくまでその場限りに相手に合わせて話を丸めるだけの「積極的同調者」に徹しているのであって いくら衆愚人気があると言っても発言内容には何の論理的根拠も伴っておらず 発言内容に責任を負うつもりもない

だから「私は教科書に墨を塗らされた」などという理不尽な過去を正当化したがるのである

 

人間としての目的意識に基づけば 過去に不理不尽な扱いを受けた経験から 「次世代には理不尽な経験をさせたくない」という目的意識に基づいた行動選択をすべきであって

養老のような無責任なバカは自分が受けた理不尽な扱いを平気で他人にも「連鎖」して平気で嘘をつくのである

養老の世代には特異に偏見が激しい傾向が見られるという研究報告もある

太平洋戦争と終戦による激しい教育現場の混乱の中で育った養老世代には 特有の思考の混乱による認知的な障害のようなものがあるのかも知れない

だからといって相手に合わせて支離滅裂で無責任な「その場限りの同調迎合」が許されるわけではない

発言内容に論理整合性がないというのは どちらかで「嘘をついている」のである

それは一貫して「間違っている」のとは明らかに異なるものである

 

 

Ende;

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異物混入事案

2022年01月05日 13時23分39秒 | 意識論関連

ヒトは怖い相手には逆らいたくないものである

イジメにせよ日大の組織腐敗にせよ東電原発における危険性放置にせよ 権力や暴力を振りかざす怖い相手に対して ヒトは服従忖度しておいた方が主観的に安心であるため 多数が気分的安心を求めることによって組織腐敗は助長されるのである

ヒトは哺乳類であるため 初期的には全て子供であり 子供は親には逆らわずに服従忖度する習性がある

親に服従忖度しない子供は親から見放されるため 服従忖度する習性を持った個体への収斂進化の結果である

決して「生きるために服従忖度する本能を選択した」わけではなく 「服従忖度したがる習性を持った個体への収斂の結果」である

 

ヒトは所詮動物であるため 主観的(本能的)に安心できる行動が促されるように出来ている

これは同時に怖いことを避けるように出来ているということでもある

学級内でイジメが発生した場合 自分が標的にされる恐怖から イジメに反対することを多くの生徒はしなくなる

傍観者は学級内で8割とも言われている

誰も「怖いこと」はしたくないのである

イジメが発生していても 日和見的に傍観放置しておいた方が自分には危害が及ばないという利己的選択によってイジメは傍観放置されることになる

 

では 2割のイジメ首謀者と共謀者がなぜイジメを行うのかと言えば 特定の「勝てそうな弱い相手」を統率協調的に攻撃することが「楽しい(快楽)」だからである

元々ヒトは 狩猟採集生活に適応進化した生物であり イヌなどの「社会性(先天的本能としての封建的序列による服従統率協調行動習性)」によって過酷な自然界での生存競争に勝ち抜いてきた生物であり 集団で統率的に特定の「獲物(標的)」を攻撃することが本能的快楽として組み込まれているためである

暴動暴徒などに見られる「集団心理」とは 目先の多数が暴力破壊をし始めると 暴力破壊が「許される」という感覚(錯覚)が働くことで 後先考えずに暴動に加わる習性がヒトにはあるからだ

 

学級内で仲の良い数人が 「標的」となる個人を攻撃し始めた場合 「数人」であっても標的とされた個人の方が不利になるため 不利な標的を守ろうとして自分が標的にされることを怖れてイジメを傍観放置するか 若しくは加害者側に同調迎合しておいた方が安心で有利な立場を得られる

被害者にされないために最も簡単な選択は 加害者に回ることである

すると 標的に対しての攻撃競争原理が働き イジメ集団の内部において より暴力的な攻撃を行うことこそが集団内部での「評価」軸になってしまうことになり より一層イジメは暴走過激化が促されることになるのである

ナチス政権でも日大の組織腐敗でも構造は同じである

ミャンマー軍事政権による民衆弾圧も同じ構造である

軍隊を構成する兵隊個人には 自主性や主体性を発揮することは許されず ただ機械条件反射的に上官の命令に唯々諾々と服従するように「訓練」されているため 合理性のない理不尽な民衆虐殺命令であっても唯々諾々と服従するのである

 

ヒトは 勝てそうな強い集団に属していた方が安心できるため 勝てそうな目先の多数派側につくか 或いは傍観放置して日和見に徹するかしかしたがらないものである

生物学界内部においても 遺伝的進化における「典型的な間違い」がいつまでも通用してしまっているのは 間違っている権威が多数であるため 間違っている側に阿(おもね)ることで組織内部での地位権益や組織自体の保守温存に適しているからである

本来生物学界とは利害関係のないNHKなどのマスメディアまでが遺伝的進化における「典型的な間違い」の温存に加担しているのは NHKには論理客観的に内容を理解できないバカしかいないため 学術権威の多数決だけで「科学的な裏を取った」と勝手に勘違い錯覚しているからである

科学というのは多数決ではない

あくまで論理客観的根拠に基づいて洗練される必要があるのだが ヒトの多くは権威肩書に服従忖度して盲目的に鵜呑みにしておいても自分には責任がないと「思って」安心しているため この主観的安心を安全性か何かと勝手に勘違いしているから生物学界の組織腐敗が全く解消されないのである

遺伝的進化における「典型的な間違い」が放置されていても 多くのヒトは組織腐敗だとは「思って」いないらしいが 科学的根拠のない誤謬が蔓延していて「科学」を名乗っていれば詐欺である

NHKは「ジェンダーサイエンス」の中で「子宮内膜を厚くすることを考えた」と説明しており これは科学的根拠のない「典型的な間違い」であり 訂正しなければならないはずのものだが 一向に訂正するつもりがないようである

にも関わらず受信料だけは徴収し続けるというのは詐欺と同じである

水道に異物毒物を混入させておいて水道料金を徴収するのと同じことであり 許されるべきことではない

 

 

 


*:阿(おもね)る:ご機嫌をとってその人の気に入られるようにする。媚びへつらう。追従(ついしょう)する。

「追従」と書いて「ついしょう」と読む場合には 「おべっかをつかう」という意味になり 「ついじゅう」と読んだ場合には「ついて行くこと。また、他人などの言う事なす事に(そのまま)従うこと。」という意味になるらしい

知らんけど

そもそも「ついしょう」なんて言い回し誰もせんやろ

伝わらない言葉は言葉として役に立たない

「なう」が死語なら「ついしょう」なんぞ化石やろ

 

 

Ende;

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