書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

虚無とは怠惰への逃避である

2022年01月25日 16時09分30秒 | 意識論関連

ヒトは元々物事を一面的に単純化して判断する習性がある

ヒトは複雑なものを複雑なままに理解しようとはしたがらないものである

「これさえ喰っときゃ 寿命が何年延びる」だとか「〇〇ダイエット法」みたいに単純でバカみたいな方法論の方を信じたがる先天的習性がある

肥満を解消したいなら筋トレで基礎代謝を上げるとか バランスのとれた食事を摂るなどの生活習慣を改善するというマトモな医者が言うような真っ当な話は誰も信じたがらないし 信じていても面倒がってやらないものである

 

「欲望を満たすことはできるが 欲望そのものは欲することができない」

この話を挙げると 「自由意志なんて無いんだな」という短絡的帰結で思考停止に陥りたがるバカも出てくる

自分の遺伝子は自分で選択不可能であり その遺伝子によって作られた大脳辺縁系の構造も その構造によって発揮される欲望や情動も選択不可能である

それでは一体何が選択可能なのかと言えば 様々な欲望の中から最も合理性のある「目的」に則って欲望を選択することは可能である

欲望というのは祖先の生息環境における淘汰圧力の結果であって メスと出会ったらとにかくポコチンを挿入して中で何かを出したいという情動行動が促されるが これは別に「繁殖のため」に選択したものではない

メスと出会ったらポコチンを挿入してみたいという先天的情動行動をより強く持った個体の方が繁殖しやすく 遺伝子を遺し易いために 結果的に収斂した結果的情動行動に過ぎない

一人の配偶相手しか興味を持たない誠実なオスよりも 誰彼構わずヤリたがるオスの遺伝子の方が遺りやすいものであり 野生動物のオスの多くはひたすらヤリまくるものであり そういう収斂進化の結果的本能が原因である

集団強姦事件などでは 加害者は別に「自分の遺伝子を遺そう」などといった目的があるわけではなく 単に「かわいい」と主観的に思った女性を犯して先天的欲求を満たしているだけである

塩分や糖質や脂質の乏しい自然環境下においては より積極的に塩分や糖質や脂質を摂ろうとする先天的習性や情動を持った個体の方が生存に適したため ヒトもまた塩分や糖質や脂質を過剰摂取したがる習性が遺伝的に遺っているのであり これが生活習慣病の根源的原因である

誰も肥満になって生活習慣病になりたいわけではないのに 先天的な本能習性によって生活習慣病に陥ってしまうのである

後天的に「どうしたい」のかは遺伝的要素には影響を及ぼさないのであって ヒトという種の生物は 別に「人間性を高めたい」と思って進化したわけではないのである

 

ヒトは他人には人間性を求めるものである

だが 自分からは人間性を発揮しようとは「思わ」ないものでもある

他人に人間性を求める上においては 自らも人間性を担保しなければならないのは 社会人として当たり前の話なのだが ヒトの多くは「迷惑者はザラにいる」だとか「教科書に墨を塗らされた」だとか「自分の頭で考えるのは10年早い 教えたことを丸暗記しろと言われた」ことを事後正当化する形で主体的行動選択というものを放棄するようになる性質がある

マルクス:ガブリエルの主張も 要約すれば「現代社会が悪い」という「世間の所為」であって 自律というものを無視した寝言レベルの話に過ぎず そもそも「世界は存在しない」だとか「時間は無限に分割すればなくなる」などという荒唐無稽なオカルト話に帰結してしまうのも 主体的に物事を考えていないからであり それを鵜呑みにしているバカも同罪である

 

インドの一部の農村では 幼女強姦が横行しているために少女は健康を犠牲にしてでも水を飲まないようにしているという

扉も何もない肥溜めで用を足さなければならない貧しい農村では 一人で用を足そうものなら集団強姦されかねないため できるだけ尿が出ないように水や食べ物を控えているのだという

ヒトの男は幼い女性を犯したがるが 繁殖できる年齢に達していない幼女であっても むしろ「子供ができないから責任を負わなくて済む」とばかりに幼女を襲いたがる傾向があるのだが これは「本能的」には異常だとは言い切れない

ヒトは 他の猿人と比べて明らかに体毛が薄く 幼形成熟性が圧倒的に高いのは 実年齢が繁殖に適した年齢になっても見た目が幼い女性との交配をしたがる先天的習性を持った個体への収斂進化(配偶者選択)の結果であると言える

従って 実年齢が低い幼女を襲いたがるのは 「本能的」には必然的結果に過ぎない

つまり 先天的「本能的」には特に合理性も目的も存在していないのであって ヒトの幼形成熟化も結果に過ぎない

 

ミャンマー政府軍による民衆虐殺や弾圧も 兵隊の盲目的服従性によって促されているものであって 兵隊個人に合理的目的行動選択性がないからこそ 理不尽で非合理な暴力の暴走が引き起こされるのである

兵隊にとっては軍隊の中では上官という「怖い」相手に逆らわずに ほとんど非武装の「怖くない」民衆への暴力を 統率協調的に仲間同士で安心して行うことができる

日本大学や京都大学霊長類研究所による組織腐敗も それを傍観放置した職員達の無意識性が引き起こしたものであり 決してミャンマー人固有の現象ではないのである

こうした行動にも 合理性のある主体的な目的行動選択は存在しておらず 「怖い」かどうかという主観的(本能的)な感覚による結果的行動しかしていないのであり 幼女強姦と同じでヒトの先天的本能習性によって促される無意識な行動である

たとえどんなに強い情動(欲望)が伴っていても むしろ強い情動(欲望)こそが合理的目的意識を阻害する最大の原因なのである

「置かれた環境が悪い」というのは言い訳言い逃れ取り繕いはぐらかしにしかならない 環境依存的であるからこそ自律的な社会的責任判断選択を放棄しているのであって むしろこうした言い逃れを鵜呑みにすることこそがバカになる最も近道なのである

 

欲望そのものを欲することはできないので 幼女の姿を模したポリスチレン製の人形に萌へてしまうこともある

ポリスチレン製の人形なら何をしようが人畜無害であるが 欲望自体は何の合理性もなく ただの「悪趣味」でしかないし 実際の幼女に良からぬことをしたいと「思う」ことにも意味はない

しかし 実際に強姦被害に遭った女性が長年に渡って精神的苦痛や社会生活に支障をきたしている事実に基づいて行動選択すれば 幼女強姦なんぞしてはいけないことは明らかである

そんな社会に持続可能性も公平性もあったものではなく 到底「人間社会」として機能しなくなることくらいは余程のバカでなければ「知っている」はずである

私は酒が飲めないし 脳を麻痺させたいとも思わないので 酔っぱらい運転をするバカの気持ちはわからないのだが 酔っぱらい運転事故で亡くなった被害者遺族への配慮ができれば酔っぱらい運転なんぞできないはずである

にも関わらず運転中に飲酒をするのは 欲望を選択できていないからである

 

東大刺傷事件の17歳も 世間的評価への欲求が満たされないことへの不満が暴発したのであって 本来主体的に何かをしたかったわけではないからこそ 世間的評価以外の何も価値を「感じ」られなかったことが原因である

インド人が二桁の掛け算ができて IT技能が高い傾向があるとしても 女性差別が酷いのは バラモンだかヒンズーだかのカースト序列が「文化」と称した因習化しているからであろう

東大刺傷事件の17歳が通っていた高校の見解では 「孤立が良くなかった」などと解釈しているが 無差別傷害事件というのはコロナ禍固有の現象ではなく むしろ昔からあったものであって 解釈として何の合理的根拠もない勝手な決め付けであって 一種の慣習的な「因習」的解釈に他ならない

「ヒトは多数他人との関係性の中で人間性を育む」という観念は それが単に主観的に安心満足だから「信じたい」だけであって 合理的根拠に基づいた真実の論証ではない

東京電力福島第一原子力発電所において 「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかった」最大の原因こそが むしろ「社内の多数他人との関係性の中」で作り出された「組織の体質」が原因である

インドで幼女強姦が日常化しているのも 既存の社会環境を「常識(正解データ)」として「学習」する形で「多数他人との関係性の中」において醸成されているからである

深層学習型ニューラルネットワークAIが 多数のヘイトスピーチを「学習」する形で「常識(正解データ)」としてヘイトに同調したことは AIはTwitter上の世間的「常識」に迎合しただけであって目的意識がないからである

 

「人はいままで実証不能の観念を振り回し 他人に多大な迷惑をかけてきた」ことに対し 養老孟司は「人とはそういうものであると私は考える」と述べたが 「人はいままで実証不能の観念を振り回し 他人に多大な迷惑をかけてきた」のはただの結果的事実に過ぎず これは「考え」ではないのだが 養老の著作を読んだ大半の衆愚はそれすら気付かずに鵜呑みにし 何の疑問も持たない

「人はいままで実証不能の観念を振り回し 他人に多大な迷惑をかけてきた」という結果的事実を踏まえて その原因を究明して再発防止の対策にまで言及してこその「考え」である

養老は「実証と観念を結合する」などと称して 「実証という名の神が許さない」などという訳のわからぬ屁理屈をでっち上げ 外見的形式(パターン)だけを「同じ」だと称して何かを論証したかのように言っているが 実証は「神」ではなく 単なる客観的事実(真理・真実)を挙げているに過ぎず 別に「許す 許さない」の問題ではない

現在の自然環境が破壊されてしまえば人類の存続も危ぶまれるというのは 別にヒトが絶滅しても実証が「許さない」わけではなく 「自然環境が破壊されればヒトも絶滅する」という客観的事実を提示しているに過ぎない

そうした客観的事実に基づいた予測に対し ヒトがどのような行動選択をするのかは実証科学は神のようには指し示さない

直近目先の欲望を満たすことに囚われて環境破壊によって絶滅しても それは「結果」であって 「許す 許さない」の問題ではないのである

ただ 自然環境が破壊されて困るのはヒトである

困りたいのか 困りたくないのか それは選択可能であり 実証的事実を踏まえてどう用いるのかはヒトの人間性の問題である

「神がいないのであれば 何をしても許される」というのであれば 自然環境を破壊し尽くして自分達が困るとしても「許される」ことになるのであり 「許す 許さない」は結局どうでも良い話である

 


犯罪者を「許した」からといって何かが解決するわけではない

情状酌量の余地があるかどうかは 判事の主観的印象による判定であって 強盗殺人犯に対して死刑を赦して懲役25年の刑に服役させても 出所後すぐに殺人を犯すこともある

強盗殺人犯が謝罪して被害者が赦しても それは強盗殺人の原因究明や再発防止には何の影響も及ぼさない

「許す 許さない」といった主観的感情論を あたかも合理的「解決」であるかのように扱うから 具体的実効性のある対策につながらないのである

 

幼女強姦をするような奴というのは いくら刑事罰で服役させても治らない

それは麻薬中毒やギャンブル中毒や万引中毒と一緒で 本能的な欲望による中毒症状であるため 幼女強姦魔は幼女強姦以外の何も人生に価値をみいだすことができない「病気」である

「取り憑かれている」奴には それ以外が何も見えていないのである

東大刺傷事件の17歳も 典型的な世間的評価承認欲求の中毒症状であって 「一体何のために東大入って医者になるのか」という主体性がゴッソリ欠落している

特定の価値観に囚われることなく 自分の人生全体において 本当に自分が望んでいる人生(目的)がどのようなものなのかを見極める客観性が人間としては必要なのである

 

学習塾の講義のような授業をユーチューブで無料配信している人に対して 「学問を汚すな」などと訳のわからぬ誹謗中傷をしてきたバカがいたが

何のことはない受験産業の利権関係者が利益に反することから根拠のない誹謗中傷をしているに過ぎない

なぜ学問が無料ではいけないのか その根拠が全くないのである

授業料を支払って大学の授業を受けていれば 授業内容に疑義があっても修士単位を与える教師に学生が批判しにくいのは当たり前の話であり 授業内容は本来ユーチューブでも公開して一般からの批判も受け付けるべきである

生物学における遺伝的進化に対する「典型的な間違い」や 哲学界における具体的客観的合理性がない議論が傍観放置され続けているのも 学部の閉鎖性や権威主義による盲目性が原因であって いわば合法的 脱法的な組織腐敗状態でもある

マスコミもバカが大半であるため 「チンパンジーの行動習性から人間としての社会性を立証できるかも知れない(松沢哲郎)」などという論理的根拠の全くないデマ予測を鵜呑みにし 「できたら素晴らしいですね」などと形容するだけで何の批判精神もないバカばっかりである

1960年代に既にスタンレー:ミルグラムによって ヒトという種の生物の危険性が「立証」されているにも関わらず リチャード:ドーキンスのお伽話を鵜呑みにする形で「先天的人間性」などというファンタジーを鵜呑みにしているというのは 「信じたい話」だけを信じようとする衆愚による実証不能の観念を振り回しに他ならない

ヒトという種の生物に先天的な人間性が組み込まれているというのであれば 国民を虐殺したミャンマー政府軍兵士や香港武装警察官を鋼鉄とポリカーボネートの檻に詰め込んで 彼らが一体どのような行動習性を発揮したら 既に行われた残虐行為の反証になると言うのであろうか

そんな立証は絶対に不可能である

「この世に絶対はない」と称して不可能性の反証にはならない なぜなら既に行われた残虐行為は永久に取り返しがつかない「客観的事実」だからである

 

養老孟司は9.11のテロを「さざ波」だと形容した 人類の歴史全体から見れば 数千人の人が亡くなる紛争くらいは珍しいものではないが 多数だから「正常」だとか「当たり前」だとか「常識」として取り扱って傍観放置していたのでは あらゆる「人災」の再発防止は意味がなくなるのである

犯罪も事故も完全に撲滅することは「難しい」ことは確かであるが 「できそうにないことは やらない方が良い(フリードリヒ:ニーチェ)」と称して傍観放置しておいた方が気分的には楽であろう

虚無主義などというのは 要するに精神的怠惰への逃避であって 主観的にやりたくないこと考えたくないことを拒絶するための「言い逃れ」でしかないのである

「言い逃れ」を主観的に「カッコイイ」だとか「センター性がある」などと称して多数人気を集めても それは衆愚迎合という他はない

「信念は真理の最大の敵だ」などと称して 論理客観的根拠のない妄想に基づいた洗脳状態であろうとも 人道的見地から選択された行動であろうと混同し 何の信念も持たないことを自慢できると「思って」いるバカは多いものである

多数の力には勝てないが 勝てないからといって「抗わない」という選択は私にはない

玉川徹がエスカレータで「どかない」のと同じである

野垂れ死にしようが何だろうが どのみち誰もが必ず死ぬのであって 「抗わなければ永遠に生きられる」わけではないのである

 

 


Ende;

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