実験の結果は、普通の平凡な市民が一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行うことを証明するもので、そのような現象をミルグラム効果とも言う。
出典:アイヒマン実験 -Wikipedia
ヒトという種の生物は 先天的に「一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行う」性質を持っている
「一定の条件下」で発揮される危険性を回避するために必要なのは 「一定の条件下」に左右されない自律的な社会的責任判断選択を行うことである
服従心理実験を読んだ者の中には 「それでも権威に服従しない社会は崩壊する」などと根拠も示さず決め付けた奴がいるのだが
驚いたことに大衆の大半はこうした「根拠のない決め付け」に何の疑いも持たずに鵜呑みにするのである
ヒトの大半は「根拠を伴った真実」かどうかには何の興味はなく 大衆観念に基づいた「信じたい話」ばかりを簡単に鵜呑みにする習性がある
養老孟司が「個性は身体」だから「安心して同じを求めれば良い」とそそのかしたが その「根拠」は 「だって皆さん同じを求めるでしょう」という「多数傾向」である
ヒトは多数を短絡的に正常だと勘違いする習性があり 多数こそが気分的に安心であるため 「多数=正常」だと思っておけば安心なため 多数大衆が安心する根拠のない観念や「常識」に寄り添った話の方を信じたがるものなのである
山極寿一の「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」という話も
リチャード:ドーキンスの「ヒトには先天的に人間性が組み込まれている可能性」という話も
松沢哲郎の「チンパンジーの行動習性から人間としての社会性を立証できるかも知れない」という話も
あくまで特定環境や条件下における都合の良い「こじつけ」に過ぎず 現実に起こっているヒトの残虐行為の反証には全くつながらず また 残虐行為の原因究明にも再発防止にも一切役に立たず
単に衆愚が「自分達ヒトは先天的に人間性が組み込まれている」と勝手に満足することができるために衆愚人気を得ているに過ぎず 何一つ科学的な論証として成立していないのである
それをNHKやマスコミは松沢哲郎の根拠のない予測に対する文化功労賞受賞に対し「立証できたら素晴らしいですね」などと賞賛したのである
国会原発事故調査委員会報告書において 畑村洋太郎が「最も根源的原因」として挙げたのは
「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」と結論づけている
スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験においても 被験者の結論は「自分自身で判断することの重要性」を説いている
ヒトという種の生物におけるバカが治らないのは 自分の主観的安心満足を短絡的に「正しい」とか「正常」だと信じこもうとする先天的習性が存在しているからである
ヒトは「信じたい話」だけを信じようとする
これは同時に主観的に気分が悪くなる嫌な話や怖い話を「信じたくない」ということでもある
「ヒトには先天的な人間としての欠陥が存在する」という話は気分が悪くなるので信じたがらないが
「ヒトには先天的に人間性が存在しているはずだ」という話は気分が良くなるので衆愚は喜んで飛びつくのである
衆愚に人気があれば書籍は売れるだろうし マスコミもバカしかいないので世間的成功や人気を短絡的に「評価」だと見なして鵜呑みにする
科学は多数決ではない
科学や哲学というのは論理客観的な根拠や証拠に基づいて論証されるべきものであって 多数人気や世間的成功や金儲け能力が科学的根拠には全くならない
「ハーメルンの笛吹き男」の話は実話であるという
ナチスもポルポトもミャンマー政府軍による民衆虐殺などの独裁も
東京電力福島第一原子力発電所における津波に対する脆弱性放置も
日本大学の組織腐敗や大企業における粉飾決算や検査データ改ざんなどの不祥事も
あらゆる「人災」の根源は「個人が自律的な社会的責任判断選択をしなかった」という無責任性によるものであり 「組織の利益を優先」するという主観的に気分が良くなる話の方だけを信じ込んで無意識に「ハーメルンの笛吹き男」に追従したのが 「最も根源的原因」なのである
集団組織の中で個人が自律的な責任判断を負わなかったことに対して 衆愚は「頭(トップ・責任者)が悪い」だとか「組織の体質が悪い」と称し あたかも組織を構成している個人には何の責任もないかのような「解釈」をこじつけて「納得」したような錯覚に陥り
頭(トップ・責任者)だけに報復的懲罰を与える司法制度上の「判決」を短絡的に「解決」だとみなして終わりにし 具体的実効性のある論理客観的な原因究明や再発防止策が一切されなくとも 誰も何も問題だとは「思って」いないのである
通り魔を何人死刑にしても通り魔事件はなくならない
にも関わらず 衆愚は刑法上の刑罰を「解決」だとみなして具体的実効性のある再発防止が一切されないことに対して何も問題だとは思わず
何人被害者が出ようとも「他人事」扱いして傍観放置する
「だって法律で決まっている」というのは言い逃れに過ぎない
何せこの国は民主主義制度を導入しているので 国民の半数以上が声を上げれば法律や制度は変えることができるからである
「責任を取る」と言うと 衆愚観念的には「役職を辞任する」だとか懲罰的な「処分」のことだと勘違いしているが
「ポカミス」の場合にはミスの再発防止こそが最も重要であり 「作為的悪事」に関しては「どうして無責任な行動を取るような人物に育なったのか」についての原因究明をすることが最も重要であり
このどちらにも処分や懲罰は意味を為さない
私は刑法廃止論者であるが 刑法という不毛な制度を廃止するためには再発防止を優先することである
犯罪者の根源的原因や再発防止策も確立していないのに いきなり刑法をなくしてしまえば自律のないバカは「何をしても主観的に怖くない」と称して「やりたい放題」になってしまうのは必然である
だからといってこのまま「刑法判決で解決」だと傍観放置しておいても通り魔事件などの自暴自棄な犯罪に対する再発防止には全くならないのである
それによって被害が再発した場合にも 大多数の傍観沈黙者達は「多数であれば責任が薄まる」という「錯覚」によって「自分には何の判断責任もない」と安心満足するだけである
こうした「意識」こそが「無意識」というものである
学校でのイジメを8割の傍観者が放置するのと同じように 圧倒的多数の無責任によってあらゆる問題は放置温存されてしまうのである
人間としての「意識」とは 「本当の目的」とは何なのかを識別認識する能力のことであって 「大多数だから安心だわ」という主観の多数決に溺れて満足することではない
「幸福」とは 要するに脳内麻薬である
ヒトが麻薬中毒になるのは 元々ヒトは脳内麻薬中毒によって行動を促される先天的仕組みが脳に存在しているためである
残虐な少年ゲリラというのは ゲリラ社会の中で育つことによって 残虐性こそが「常識(正常・正解データ)」だと学習してしまった結果である
ヒトは 自分の「常識」にとって都合の良い話ばかりを信用することで満足するように出来ている
「正義」も同様で 既存の「常識」に基づいた懲罰的暴力による快楽を満足させることこそが「解決」だという錯覚が ヒトには先天的に存在しているためである
警察や司法制度は犯罪者に罰を与えることで「解決」だとみなし
犯罪者は国家権力や多数世間に対する方向性のない「報復」として無責任な行動を採るのである
現代社会は完全ではない
完全ではないからといって全否定するべきものではなく 欠陥(問題)を見つけ出し 論理客観的な原因究明によって再発防止改善を地道に積み重ねる丁寧さによって 社会は少しずつ良くなってきたのである
ヒトというのは「0か100か」という短絡的判断をしがちな習性があり 「多数派に迎合同調忖度服従するか 全否定するか」のどちらかに偏った観念に安易に陥る傾向がある
社会の欠陥(問題)に対して「刑法罰で解決だ」といった短絡的な国家権力への服従忖度迎合同調か 逆に全否定して社会的な責任を一切負わなくなるか そのどちらも無責任であることに違いはない
「絶望して自己自身であろうと欲する絶望」も「絶望して自己自身であろうと欲さない絶望」*のどちらにも合理性はない
*:セーレン:キェルケゴール「死に至る病」
「真理(本当のこと)」とは 先天的な情動という無意識に惑わされることなく 論理客観的根拠に基づいて識別されるべきものである
「だって皆さん同じを求めるでしょう」だとか「ヒトとはそういうものであると私は考える」などといった根拠のない話を鵜呑みにせず 自分の頭で「本当に求めている社会の在り方」に基づいた行動判断をしなければならない
そうでなければ「人間としての意識」としては脳は機能しないからである
Ende;