少年が通う高校のコメント(16日):「『密』を作るなという社会風潮のなかで、個々の生徒が分断され、そのなかで孤立感を深めている生徒が存在しているのかもしれません。今回の事件も、事件に関わった本校生徒の身勝手な言動は、孤立感にさいなまれて自分しか見えていない状況のなかで引き起こされたものと思われます」
⇨東大刺傷事件を引き起こした17歳のような無差別暴力事件というものは 別にコロナ禍特有のものではなく 旧来からから幾度も繰り返されているものである
孤立(孤独)というものは 逆に「自分を見つめ直す」良い機会にもなり得るものであって 孤立自体が悪いわけではない
武道家が修行で山籠りをするのも 「自分を見つめ直す」ためのものであって むしろ周囲の親や大人が無神経な根拠のない「常識」をなりつけることによって人格が破壊されてしまうのである
そもそも「自律」とは「他人に頼らない判断能力」を指すのである
生徒同士が分断されているかどうかも 結局はクソDQNがクソDQN同士で共感共鳴するからこそ集団心理によって暴走族などというクソしょうもない行動を採る大きな要因になるのであって マトモな生徒との関係性が構築できるかどうかも本人の「意思」や「運」次第でもある
少年が通う高校の職員は「孤立感にさいなまれて自分しか見えていない状況」などという解釈をしているが こうした「解釈」には根拠がなく 単に客観性が働いていないから欲望のままに支離滅裂な行動を引き起こしているのである
大衆観念的には 自分の先天的本能欲望こそが意識の本質で 多数の他人によって構成されている「世間」に迎合することで人間性が形成されているという「解釈」をしたがるが これが根本的に大間違いなのである
人間性の本質は「個人が自律的な社会的責任を負うこと」であって 周囲の多数に流されることは人間性ではない
東電や日大の組織腐敗も 組織の利益を優先することによって個人が自律的な社会的責任を負わなくなった原因であって 多数他人で人間性が左右されているからこそ「自律」が働かなくなるのである
評価承認欲求中毒者の場合 自分の頭で物事を検証判断することをせず 世間一般的な「常識」でさえあれば主観的に安心満足して鵜呑みにして疑うことをしないものである
生物学上の遺伝的進化における「典型的な間違い」が放置され 優生学に対する論理反証が一向に周知訂正されないのも
哲学界においてイマヌエル:カントの「純粋理性批判」における実証不能の謎の「叡智界」に客観的根拠がないのに誰も指摘訂正しないのも それらが世間多数による「常識(正解データ)」として学習されてしまっているからである
ちょっと自分の頭で考えればわかるようなことでさえ 学力が高いだけの「インテリ」は誰も考えずに鵜呑みにし 多数の誰も間違いに気付かないことで主観的に安心満足してしまう
ヒトという種の生物には こうした認知的欠陥が先天的に存在しているからであり 「自分の常識」を疑う客観性がないから間違った解釈にも何の疑いも持たなくなるのである
「自分が本当は何をしたいのか」を見極めるために必要なのは 主体的な意思である
そもそも「自律的な社会的責任判断」というものは 主体性や自主性の中で育まれるものであって 多数他人に迎合し 権威に服従忖度することで発揮されるような環境依存的なものではない
世間が「特攻隊は英霊だ」という「常識」に囚われていれば ヒトは簡単に合理性のない自爆攻撃もできるようになるものであり その一方で終戦によってその「常識」が覆れば「世間が悪い」と称して「荒れる」のである
主観的に「誉められたい」「評価されたい」といった多数他人からの「根拠のない常識」的動機によってそそのかされた行動だからこそ主体性が欠けており 奴隷根性に基づく報復感情によって暴力的に「荒れる」という行動にしかならないのである
これはそもそも主体性がないから「世間が悪い」という理屈になるのであって 戦争そのものに反対した「政治犯」達は英霊扱いされず むしろ「裏切り者」扱いしかされないものである
なぜ「自分が見えなくなるのか」
それは 世間の「常識」的価値観に漫然と無意識に流されているからであり 主体的な「目的意識」が働かなくなることによって ひたすら先天的情動バイアスのままに行動を促されるだけに陥るからである
これは 自分の情動を意識の本質だと勘違いしていることが根本にある
私であっても主観的に殴りたい奴などいくらでもいる しかし 私は殴っても問題が解決しないことを客観的に理解しているからこそ こうして面倒臭い説明に毎日のように時間を割いているのである
現代社会においても不条理や非合理はたくさんある だからこそ社会問題が山積しているのであって それらの問題の根源を論理客観的に解明し 再発防止や改善策に応用することによって 世の中の不条理や非合理は一つづつ解決してゆくのである
いくら説明しても理解できないバカなら 殴って恐怖で威圧しておけば簡単に服従忖度するようになるものである
犯罪者は刑務所の中では刑務官に服従するようにはなるものの 実際には半数は再犯する事実からも そうした服従性は「その場限り」の暫定的なものに過ぎない
北欧の「リゾート刑務所」における再犯率低下という「立証」的事実は 犯罪者というのは自分を見失っているからこそ人間性をも見失っていることを示しているのであり 「罰で解決」というのは主観的な「印象」による錯覚に過ぎないのである
「一人も取り残さない」というのであれば 犯罪者も然りである
だが それは「加害者だけを擁護する」ことなどではなく むしろ加害者がどのような過ちを犯したのかについての詳細な分析検証や徹底した原因究明によって得られた知見を 再発防止のために周知徹底することが必要である
ヒトが犯した過ちであれば 誰が犯してもおかしくはない 「間違えないヒトなどいない」という観点に立脚すれば 「懲罰で解決」などという主観的満足安心で片付けられるものではないことは明らかである
「学校の勉強は認知的ワクチンだ」などというデマを鵜呑みにし 学力成績さえ高ければ人間としての価値になるという大衆観念に基づいた根拠のない「常識」によって バカな親大人は頭ごなしに「勉強しろ」としか言わなくなるのである
学力偏差値という特定の評価基準を あたかも絶対的な人間の価値であるかのように錯覚することで 「学歴=就職に有利=年収が高い=偉い=賢い」という結果的方程式(デファクトスタンダード)に基づいて あたかも「学力=頭が良い」という根拠のない「常識」を「正解データ」として刷り込み学習され 何の疑いも持たなくなっている頭の悪さを認識しないからこそ バカの一つ覚えみたいに「勉強しろ」としか言わなくなるのである
学力評価というものを抽象化された脳への報酬として刷り込まれることによって 学力成績が上がることだけが人間しての評価の価値基準だといった「常識(正解データ)」だけに意識を奪われてしまうことによって 個人の主体的意思や目的意識を見失い ただひたすらに先天的情動バイアスのままに行動するようになるから無差別暴力へと駆り立てられてしまうのである
ヒトの先天的情動には合理性などない
繁殖能力すら持たない幼女強姦が起きるのも ヒトが進化する過程において幼形成熟性への収斂の結果に過ぎず 合理性は何もないのである
ヒトが権威と見なした相手に服従し ミャンマー軍兵士のように民衆虐殺に暴走するのも ヒトがヒトにまで進化する過程における生存競争バイアスの名残りに他ならない
環境資源の限られた自然界においては殺し合いによって勝ち抜いた方が生き残る そうした「結果」が現存生物種における先天的習性として組み込まれており ヒトも基本的に同じ行動バイアスを持っているからこそ 非合理で不条理な暴力破壊が繰り返されるのである
自然環境下においては ただ環境資源を独占するだけでは「繁殖を継続」することはできず 環境との調和性も必要とはなるものの 決して個体種自体が「環境と調和しよう」として調和しているわけではなく あくまで結果的に環境調和性を持っていた個体種への収斂進化の結果でしかない
遺伝的進化というものは そのプロセス過程において方向性のない「変異」が引き起こすものであって 結果的に「繁殖を継続」に成功した個体種への収斂進化の結果以上の意味など存在しないのである
生物学者達はやたらと「自然は美しい」だの「偉大」だのと主観的「印象」操作ばかりをしたがるが 自然環境を保全しなければならないのは論理客観的事実に基づいた行動選択であって 個人的主観は関係がない
生物学者共は あたかも「自分は自然を美しく偉大なものだと思っているから 人間として優秀だ」とでも勝手に妄想しているのであろうか それは傲慢というものである
主観的に「虫が嫌い」な人もいるだろうし 家の周囲や畑に蔓延(はびこ)る雑草に悩まされている人もいるであろう
農家の最大の「敵」は害虫である だからといって殺虫剤を撒き散らして生態系を破壊してしまえば むしろ農作物を生産する上で逆効果になる客観的事実に基づいて共存する方法論を導き出し続けているのである
害虫を殲滅駆逐してしまえば 害虫の天敵まで失うことになり 強い殺虫剤を使えば使うほど耐性を持った害虫を作り出し 結果的に雑草以外何も生産できない土地になってしまうのである
それは個人の主観的な好き嫌いや「印象」とは関係がない 客観的事実である
現在地球上ではヒトはホモ・サピエンス以外はほとんど現存していないが かつては数百万年に渡って存続していた別のヒト科生物もいたと言われている
明らかに持続不可能な文明社会を作り出し 未だに殺し合いを「解決」だと勘違いしている現代人に 「先天的な人間性」が組み込まれている根拠など何もないのである
地球上に80億も異常繁殖することで環境資源を食い尽くし暴走破綻破壊への一途を辿っている「ヒト」は 生物としても人間としても欠陥品であることに間違いはない
先天的本能習性の暴走に歯止めをかける理性なくして人類に未来などないのである
ヒトという種の生物が 他の野生動物と比べた際の優位性とは あくまで客観的に何が真実なのかを論理的に検証して見極められること「も」可能だという点である
大脳辺縁系によって促される先天的本能習性に意味や意識が存在するのではなく 様々な本能や価値観の中から統合的に最も重要な優先事項を見極めるために必要なのが 論理客観性(理性)であり それこそが「人間としての意識の本質」なのである
何が真実なのかを見極められないことには 人間性など発揮できるわけがない
カルト宗教だのデマや嘘や科学的誤謬を信じていて人間性を発揮することなどできないのである
「信じたい」という主観的欲求そのものに依存している中毒性によって 自分の頭で物事を考え判断することを拒絶するのであり
主観的に「信じたくない」かどうかを物事の判断基準に混入させるから 真実が見えなくなるのである
やれ「巨人の肩の上」だとか称して謙遜じみたことでも言っていれば満足なのだろうが
「巨人」だと主観的に「思って」いる相手が本当に「巨人」なのかどうかも見極められていないのに どうして「巨人の肩の上」から物事を見極められていると思っているのであろうか
イマヌエル:カントだのフリードリヒ:ニーチェだのフランシス:ゴルトンなどを「巨人」だと勘違いしているバカだからこそ バカげた非合理な過ちが何度も繰り返すのであって それはむしろ「凡人の穴の中」から世界を見ているに過ぎない
大多数を占める「凡人の穴の中」の方が居心地は良かろう 「進化によってヒトには先天的人間性が組み込まれているから 安心して主観的「印象」に基づいて判断しておけば自動的自然に人間として行動できる」とでも思っておけば満足であろう
それこそが「落とし穴」の正体である
Ende;