玉川徹がエスカレーターで「どかない」と言ったことに対し 衆愚は「冷静ではない」などという評価をする
衆愚は 「どけどけ」とばかりに無理やり追い抜いてくる危険で理不尽な行動を採る「怖い相手」に逆らわない自分の卑屈さを正当化したいがために 合理性のある「正しい行動」の方を「冷静ではない」ことにしておきたいのである
キレやすい「怖い相手」に逆らうと面倒なことになることは確かだが 面倒なことを避けてしまうことが人間として正しい行動であることの論拠にはならない
「ならぬものは ならぬ」と 悪いことに対して断固として対抗する意思や信念は 人間として必要である
何の信念も持たずにのらりくらりと嫌なことから逃げ出すとか 主観的に嫌いな相手を攻撃して満足するとか そういった衆愚特有の幼稚な行動を促す話の方が多数人気を得るのは必然ではあるが 正当なわけでも 人間として「正しい」わけでもない
自分が卑屈にも「怖い相手」に逆らわずに迎合し 危険で理不尽な行為を傍観放置することを正当化せんがために 「どかない」という正しい選択を主張した玉川の方を「冷静ではない」などと称して否定しておきたいのである
それをSNS上のエコーチェンバーで共鳴させておけば 気分的には安心して正しい行動選択を否定しておくことも可能になる
それは主観的には「安心」であろうが 社会安全性や公平性の観点からは全く非合理なものである
東京電力社内において 原発の津波に対する脆弱性を放置しておいた方が これからも自分が社内で働き続ける上において「安心」できたからこそ 原発の危険性は放置されたのである
日大の組織腐敗が放置され続けたのも 理事達という「怖い相手」に服従迎合している方が気分的に「安心」だったからこそ組織腐敗が温存され むしろ そういった卑屈な卑怯者の数の論理によって組織腐敗は助長されたのである
ヒトという種の生物は 自分にとって都合の良い行動の方を「正しい行動」「賢い行動」だと勝手に決め付けておいた方が安心満足なため 安心満足という主観によって身勝手な行動を正当化しようとするのである
それは極めて必然的なヒトの習性であるが これはあくまで「ヒトという種の生物の先天的な結果」でしかない
ヒトという種の生物が自律的な社会的責任判断よりも利己的判断の方を優先する傾向を利用すれば あたかも利己的判断こそが正しくて正常で「常識」的であるかのような錯覚に陥れることは簡単である
暴走族や暴力団同士が共鳴するのも 東電が原発の危険性を放置したのも 日大の組織腐敗も 全ては主観的な「安心」によって作り出されるものである
ヒトは物事を論理客観的に深く考えて 本当に正しい行動選択が何なのかを見極めようとはせずに
短絡的に都合の良い身勝手な判断だけで物事を判断するバカである
危険性を放置しておけば損害になるにも関わらず 目先の安心感を優先する形であらゆる悪事は傍観放置しようとするのがヒトである
それは かつて祖先が置かれた生息環境においては個体の生存にとって有利だったために起きた収斂進化の結果であって どんなに多数の身勝手さを陳列枚挙しても人間として「正常」な判断であることの論証にはならない
Ende;