書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

「安心」というものの危険性

2022年01月07日 15時12分35秒 | 意識論関連

養老孟司はこう述べたことがあります

「怒り狂って怒鳴り散らしている時には 前頭葉なんぞ邪魔なだけだ」

一般の人はこの発言のどこに問題があるのかを認識することができません

「怒り狂って怒鳴り散らす」ことに合理性があるでしょうか?

合理性のない行動にとって「邪魔なもの」とは何でしょうか?

前頭葉は理性を司る領域ですから 養老孟司は「理性は邪魔だ」と述べたわけです

 

一般的には「怒り」も含めた主観的感情のことを「意識」だと認識している人が多数です

世間的には多数だと根拠もなく「常識」化されることになります

多数が「常識(正解データ)」として学習されることになるからです

 

振り込め詐欺師に騙される人というのは 「名義貸しは犯罪」だとか「還付を受けられなくる」などの恐怖心(情動)によって理性が働かなくなり 荒唐無稽な指示に従ってお金を振り込んだり 詐欺師の手先にお金を渡してしまうことになります

銀行のATMでお金を振込もうとしている人に対して 「騙されているのではないですか?」と尋ねると 中には「いや 絶対に騙されてなんかいない!」と頑なに拒否し 何が何でも振込もうとするケースがあります

酷い場合には「騙されていても良いから振り込ませてくれ!」などと訳のわからぬことを言い出す人もいるそうです

はて このように騙されて興奮状態の人において 「前頭葉(理性)なんぞ邪魔なだけだ」と言えるでしょうか?

 

一般的な大衆観念的には 情動は意識の本質だという解釈がされ また「常識」化されています

それなら詐欺に騙されている人にとっての情動行動は 本当にその人の目的意識に基づいた行動選択だと言えるでしょうか?

詐欺師の指示通りにお金を振り込んでしまえば 目先の恐怖心は解消するでしょう

「ああ これで名義貸しの罪からは逃れられた」とか「給付金や還付金を受け取ることができる」と安心満足することができるでしょう

ハンコを押した書類もない電話の口約束での「名義貸し」が有罪になることもありませんし

ATMでは還付金も給付金も受け取ることもできません 「振り込んでもらう」ことはありますが 役所の手続きは基本的に全て書類申請であって 役所がATMを操作するような指示をしてくることはありません

冷静に考えれば 最寄りの警察署に確認するとか 役所に確認するとか 親族に確認を取るとか ほんの数分で済む確認すらせずに詐欺師の言いうことを鵜呑みにしてしまうのは 情動によって理性が阻害されてしまうのが原因です

詐欺被害者の言い訳として「言葉遣いが丁寧だった」というものがあります

詐欺師が警察官とか裁判所を装う時に 「丁寧な言葉遣いをしない」とでも思っているんでしょうか これは主観的な「印象」によって客観性が阻害される一つの大きな要因です

 

多くの人にとって 養老孟司は嘘をついているようには見えないかも知れません

誰が嘘つきなのかは 外見的「印象」だけでは誰もわからないものであって 松沢哲郎が11億もの研究費不正流用をした嘘つきだったことも マスコミの誰も気付くことなどできなかったのです

ましてや「先天的本能習性から人間としての社会性を立証する」ことが原理的に不可能であることすらマスコミの誰も理解せず ただ「京都大学の発表なら正しいはずだ」という印象だけで「出来たら素晴らしいですね」などと鵜呑みにして賞賛しただけでした

 

ヒトは 一度信じた相手を疑うことを嫌います

既に信じた自分の頭の悪さまでをも認めなければならなくなるからです

詐欺師に騙されてお金を振り込んだ人は 「自分はバカだった」と嘆いて落ち込みます

気分的には落ち込むんですが 「なぜ騙されたんだろう」という原因や構造には興味がなく ただ気分的に後悔する以上のことを全くしないため 騙される人というのは何度でも騙されることになるのです

NHKでは週5で詐欺師の手口を紹介し続けていますが 一向に詐欺被害が減る気配がありません

原因は単純で 騙される人というのは自分の主観的「印象」こそが常に正しいという過信があるからです

自分の主観的「印象」が正しい判断しか促さないと「思って」いるからこそ 詐欺の手口がどういうものなのかを知ろうとも覚えようとも「思わない」ため いくら手口を紹介しても全く「心に響かない」のです

 

「心に響く」って 一体何でしょうか?

要するに「情動が動く」とか 「興味がわく」といったことを指します

「どうせ自分は騙されることなどないのだから 詐欺の手口なんかには興味を持っても仕方ない」と主観的に「思って」いるために NHKでいくら手口を説明しても聴く耳を持たないのです

 

自動車運転中であるにも関わらず飲酒をする時にも「前頭葉は邪魔なだけ」でしょう

万引き犯が万引をする時にも「前頭葉は邪魔なだけ」でしょう

幼女強姦をする時にも「前頭葉は邪魔なだけ」でしょう

そもそも全ての犯罪において理性なんて「邪魔なだけ」なんですよ

バカな「哲学者」は 「理性には利己的利益追求の側面があります」などと言い出しますが それじゃ何ですか「欲望や本能には利己的利益追求の側面が存在しない」とでも言うんでしょうかね

利己的利益追求というのは むしろ理性を欠いた欲望主体の行動選択であって その手段としての論理客観性は本質的には理性とは言えません

本当の理性というものは社会安全性や公平性にも配慮できる人間性であり 「個人が自律的な社会的責任を負うこと」ですから 理性に利己的利益追求性などないのです

 

 

唯脳論は「形」や「形式」しか扱いません 養老孟司は自分を「解剖学者なので形や形式しか扱えない」と称して外見的な「印象」や結果的構造しか扱っていないのです

「だって皆さん同じを求めるでしょ」などという多数の「結果(形式)」だけが唯脳論の論拠です

「人は今まで実証不能の観念を振り回し 他人に多大な迷惑をかけてきた」という「結果」に対し 養老は「人とはそういうものである」という「決め付け」を「考え」だと主張しました

ただの「結果」に過ぎない事実を挙げておいて それを「考え」だと主張したら それって本当に「考え」になるんでしょうかね?

「考え」だと言うのならば それは「論理的根拠」や「何かの応用性みたいなもの」があるんでしょうか?

ないですよね?

なぜヒトは実証不能の観念を振り回して他人に多大な迷惑をかけてしまうのか その原因究明と再発防止にまで「考え」が及んで はじめて「考え」だと言うことができるんですよ

養老の著作には そういった論理的根拠に基づいた「考え」がありません

フリードリヒ:ニーチェと同じ様に 単なる主観的印象による「決め付け」の羅列に過ぎないのです

ニーチェとか養老のような観念論の方が大衆には人気があります

具体的に論理客観的根拠を伴った論証ではないため 読み手が都合良く勝手な解釈をすることができるため 論理的に物事を考えない衆愚にとっては満足感とか納得感だけを与え むしろ思考停止に陥れてしまう危険性が 養老やニーチェの著作にはあるのです

 

 

 


Ende;

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嘘をつく者の「常識」

2022年01月07日 11時56分18秒 | 意識論関連

深層学習型ニューラルネットワークAIが 大量の「正解データ」からネコをネコだと認識できるようになるというのは 「ネコの抽象化」だと言えます

しかし 予め与えられている正解データが少ない場合には ネコをネコだと認識する能力は高くなりません

ヒトの乳幼児期では 小児科医からたくさんの予防接種をされたり 金属のヘラ状のものを舌に押し付けられたりするため 子供は小児科医に対する嫌悪感や恐怖感を経験的に「学習」してしまい 白衣を見ただけで泣き出したりすることがあります

白衣というのは医師以外でも着用することがあり 栄養士であっても幼児は白衣を見て泣き出すこともあります これはまだ栄養士と医師の違いを識別するための経験(正解データ)が少ないために 「白衣=医師」という短絡的抽象化しか「学習」されていないためだと言えます

 

オオスカシバという昆虫がいまして これは蛾の一種で 毒針どころか噛み付く顎すら持たず もっぱらストロー状の口で花の蜜を吸うだけの人畜無害な昆虫です

これ とても大きくて 透明な翅で高速に羽ばたきホバリングができる上に 色も派手な黄色であるため 知らない人がみたら大型のスズメバチのようなものではないかと恐怖を抱くことがあります

ヒトの認知機能としては AIとは異なり一度オオスカシバとオオスズメバチの相違点を認識すれば オオスカシバを見ても恐怖は感じなくなりますが

AIの場合は大量の「正解データ」を与えないとオオスカシバをオオスカシバだとは認識(抽象化)はできません

 

幼児が栄養士の白衣を怖がり泣き出した場合に 「この人はお医者さんではない」と教えても 白衣に対する観念的(抽象的)恐怖の方が先行してしまい泣き止んでくれないことがあります

ヒトであっても幼児期には論理客観性が充分に発達していないために 主観的感情や抽象的観念が先行して泣くわけです

しかし ある程度の年齢にまで育つと 白衣に対して反射的な恐怖心によって泣き出したりはしなくなります

泣き出さなくなる理由としては 一つは「危害を加えられるのではなくて 病気が悪くならないように治療してくれているのだ」と客観的に理解することで恐怖心を抑えることが出来る

もう一つの理由は 「みんなが泣いていないのに 自分だけが泣いているのは恥ずかしい」というピアプレッシャー(同調圧力)から恐怖心を抑圧するという要素もあります

 

大人になっても ワクチン接種で注射針を刺される恐怖心というものはあるもので 接種を受ける人は大抵注射針を刺されるところから目をそむけて見ないようにすることが多いようです

最近の注射針というのは 本当はさして痛みはないのですが 視覚情報というのはヒトの感覚入力で大きな要素を占めているため 刺されるところを注視してしまうと 本当はそんなに痛くもないのに反射的に無駄な力が入ってしまうため 針を刺されるところは見ないようにしておいた方が安全でもあります

 

何の話だっけ?

ああ 恐怖対象の抽象化の話だった

寒すぎて記憶がとぶわ

指も動かないし

 

子供が「勉強ってしなくちゃいけないの?」と嫌がるのは

実は学校の授業が退屈で面白くないからであって 学校の授業に対する苦痛を学習することで勉強が嫌いになってしまうからなんですね

でも 本当は知りたいことを知ることというのは楽しいことであって 学んでできることが増えると人生はより楽しいものになるわけです

人というのは望んでいないことを強要されると楽しいとは感じないものであり 望んだことが得られると楽しいと感じるものなのです

 

学力成績を高めるための「手段」の一つとして 他人との成績競争を煽る手口があります

他人と比べて成績が低いことに対し 「恥ずかしい」という恐怖心を煽ることによって強迫観念的に勉強をさせる手法です

成績が上がると大人から誉められます

誉められると嬉しいのですが 勉強自体は望んではいないので 誉められることが動機で学習しているだけなので 教えられたことを教えられた通りに覚えてできるようになること以外には自発的興味が育ちません

チンパンジーの瞬間記憶能力実験と一緒で エサと引き換えにタッチパネルを操作しているだけであって 別にチンパンジーはタッチパネルを操作したいわけではないので エサが得られなくなれば一切興味を持たなくなります

人が社会に出て 様々な問題に直面した場合 教えられたことをただ鵜呑みにしていただけでは未知の問題解決能力は発揮することが出来ず そもそも問題自体を発見することすらできません

それこそ 間違ったことを教えられても 教えられた内容が間違っていることにすら気付くことはできないのは 学ぶということに対する主体性とか自発性が無いのが原因です

自発的に楽しいと思ってやっていることは 他人からの評価や報酬とは無関係に 純粋に個人的楽しみとして脳内麻薬の自給自足ができるため 集中力も高いために教師などから無理やり教え込まれずとも勝手に学んで能力を高めることができます

自発的意欲を発揮できる 個人的な興味のある事柄さえ発見できれば 大人がいちいち教え込まなくても勝手に学んで様々な知識や能力を獲得することができるのです

生徒本人が興味のないことを無理やり教えこもうとするから「何でこんな簡単なことができないんだ!」と 教師の方も理不尽な感情に苛まされてしまうことに陥るのです

どんなに簡単なことであっても 当人に興味がなければ意欲なんかわきません

逆に当人に興味があれば意欲的に勝手に物事を学び 高い能力を獲得することも可能になるのです

生徒が何に興味を持つのかは 生徒それぞれ全く異なるものであって 従来の学校の勉強のように一律に同じことを教え込もうとしても興味にバラつきが出るのは必然というものです

当人の主体的興味を入り口に学習させておけば 既存の学力基準に基づいた成績に偏りはあったとしても 能力の総体としては高めることが可能になります

イジメなんぞに邁進してしまうのは 子供の人生がつまらなくて「暇」だからイジメなんぞに囚われてしまう

主体的に楽しいと思えることがあれば イジメなんぞやっている暇はなくなります

人生がつまらないから イジメくらいしか楽しみが見い出せずに中毒になって 標的の子を自殺に追い込むまで暴走的に過激化してしまうことに陥る

自分では歯止めが効かないのは そもそも自発的にイジメをやりたくてやっているのではなく 「他にないから」という消極的な理由でイジメ以外に楽しみがないから自分で自分の行動をそもそも選択していないのが原因なのです

イジメ以外に何の楽しみも見いだせないように追い詰められてイジメに「逃げて」いるだけだから 自分で自分の行動が自由に選択できない

テレビ朝日で放送している「博士ちゃん」達というのは やりたいことや知りたいことが無数にあるので イジメなんぞしている暇がありません

そういう主体的に人生を楽しめる能力を獲得させられれば 自ずとイジメはなくなります

そもそも既存の学力成績というのは 入学試験以外では何の役にも立ちません それは学力偏差値の高い東大医学部の学生がテロをやらかすことからも明らかです

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」を学生の大半が鵜呑みにして何の疑いも持たないのも 自分の頭で物事を考え検証する能力が身についていないのが原因です

NHKの番組制作者達も さぞかし学力偏差値が高い人達によって制作されているはずですが 「子宮内膜を厚くすることを考えた」だとか「マントヒヒが存続のために工夫した」などといった あたかも遺伝的進化に「考え」や「目的」が介在しているかのような説明を平気でやらかすのも 自分の頭で物事を考えていないのが原因です

 

最近では 「何も教えない塾」というのも出てきていて 調べ方とか方法論だけをアドバイスして 実際に子供が知りたいことは子供自身に勝手にやらせておくという 主体性任せの塾もあるそうです

いうなれば「博士ちゃん」の量産みたいなものだと言えるでしょう

それはそれでとても良いことなのですが

逆に「良くないこと」が何なのかも明らかになっているわけです

それが生徒の主体性を無視して 「同じ」基準だけで順位序列をつけて評価するという手法です

養老孟司は「個性は身体」と称して 「安心して同じを追求すれば良い」と言い出し その論拠が「だって皆さん同じを求めるでしょ」という多数大衆の観念が基準です

そもそも「安心して」という主観的気分の話であって 論理客観的根拠に基づいた話ではないのです

大衆は多数派に迎合同調し 多数派が認証した「権威」肩書を持った相手に服従忖度して気に入られておけば安心することができるため 養老孟司は東京大学名誉教授という肩書を利用して大衆が気分的に安心できるように誘導する話を陳列して人気を集めたのです

ヒトは多数他人と違うことに恐怖を感じます

同調圧力というのは 自分が他人と「同じ」であることに対する主観的安心感から 他人に対しても「同じ」であることを強要することで生ずる多様性を許容しない観念であり 客観的合理性がありません

「博士ちゃん」的に個人の主体性を重んじた教育を受けて育てば 他人との興味や能力の違いを許容する寛容さを持つことができるので 同調圧力に屈したり 他人に同調圧力を加えたりはしなくなるのです

養老孟司が「教科書に墨を塗らされた」と称して支離滅裂な嘘をつきつづけるのは 養老が主体性を重んじた育て方をされなかったことで他人の主体性や個性を認めたがらない認知的な偏りが「学習」されてしまっているからです

教え込まれた内容が ある日突然「なかったこと」にされるという理不尽で衝撃的出来事によって 「世の中誰も責任なんか取らないんだな」という無責任性を「学習」する形で養老は嘘つきになったと言えるのです

それは シエラレオネの少年ゲリラと同じで 残虐な環境で育つと残虐性が「常識(正常)」だと学習するのと同様

生育環境が嘘だらけだと嘘つきこそが「常識(正常)」として学習してしまった結果だと言えるのです

生育環境が無責任な嘘つきだらけだと 嘘をつくことが平気になってしまう

それは 虐待をされて育った人が虐待を連鎖するのと同じで 合理性がない不条理で理不尽な扱いを次世代に「連鎖」する形で認知上の偏りとして「学習」してしまった結果なのです

それは Microsoft社のTwitterAIが ツイッター上のヘイトスピーチを正解データとして深層「学習」する形でヘイトスピーチに同調し始めたのと同じで 主体的な「考え(論理客観的検証性)」という人間としての意識の本質が働いていないのが原因です

 

「自分が散々騙されてきたのに 何で俺だけが他人に正直に本当のことだけしか言わなきゃいけないんだ」という価値観のバイアスが 論理客観性を阻害することで 嘘つきは嘘つきになるのです

嘘をつくことが論理客観的に合理的かどうかは 嘘つきにとってどうでも良いことです

なぜなら 嘘をつくことは嘘つきにとって「正常(常識)」だからです

嘘によって社会全体の損失になるとしても 嘘つきにとっては責任意識というものがありませんから どうでも良いのです

嘘をついて利益になるなら平気で嘘をつきますし 既得権を保守するためにも嘘はバレなければ構わない

 

私は50代ですが 同年代から上の殺人犯が非常に多いのは 私の世代の生育環境に起因する要素が大きいんだと思います

私の世代では 暴力威圧的な人物の方が「カッコイイ」とみなされ イジメられている「標的」は惨めな「カッコ悪い」というレッテルを貼られていました

これは男女共にです

私は衝動殺人型なので イジメられても大抵は我慢していたのですが ある日堪忍袋の緒が切れ ブチギレてイジメ首謀者をボコボコにしてチョークスリーパーで「落とし」てやったことがありまして それ以降皆の私への扱いが急に変わったんですよ

急に「カッコイイ」という扱いになった

こういう環境を そのまま「学習」してしまうと 「暴力威圧的なことこそが有利で正しい」という価値観に陥るのでしょうが 私は「何だコイツら」という不信感しか持ちませんでした

暴力威圧的な相手を「カッコイイ」とみなす「常識」を 鵜呑みにはできなかった

そういうことを「学習」する能力が 私にはなかった

記憶力が良くて学力成績が高い人というのは おそらく多数世間的な「常識」を簡単に鵜呑みにして「学習」することができるんだと思います

だから「学力成績=知能」や「世間的成功や人気取り=頭が良い」という方程式解釈も鵜呑みにできる

その短絡的解釈には論理客観的根拠が伴っていないとしても 多数という「みんな」がそう思っている「常識」は疑うことをむしろ避けようとするようにもなる

そうやって根拠のない常識に則った因習的制度やルールが温存されていることに「安心」してしまい 問題解決能力を喪失する原因となる

 

 

 

 

 


Ende;

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