書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

リア充。

2011年05月20日 21時01分50秒 | 意識論関連
 時折ネット上で「リア充。」という言葉が出てくるので、ググってみたら「リアルが充実。」の略だとあった。

 充実といっても物質的充実と、精神的充実の二つが存在する。しかし、一般的な大衆観念的には「リアルが充実。」といえば物質的な充実のことを指すだろう。

 どんなに物質的充足を得ていても、精神的に満たされるとは限らない。

 物質的充実というものは、他人との比較においての羨望を促すため。一般大衆観念的にそれを「充実。」と形容する傾向がある。

 精神的充実を得られなければ、どんなに物質的に充実していても精神的には「餓え。」た状態のままであるため、公益倫理的な自律判断をする余裕がない傾向がある。

 独裁者達に見られる異常な権力への執着というものも、精神的充足が得られないことによる精神的「餓え。」によって生じるものである。物質的な充足は外見的には充足しているように思われがちで、他人から見れば羨ましがられるが。当人の精神的充足とは無関係なものなのである。

 精神的に充実していない者、精神的に「餓え。」ている者というのは。他人のことである公益倫理にまで意識が働く余裕がないのである。

 通り魔であろうと独裁者であろうと、その異常行動の根源は精神的な「餓え。」に起因するものであり。社会的地位や物質的充足とは無関係なのである。

 他人に迷惑をかける者というのは、他人の迷惑にまで気を配る余裕がないからであり。意識狭窄性の原因は精神的な「餓え。」、精神的な余裕の欠落によるものなのである。

 「リア充。」としての物質的充足を自慢する行為とは、「他人に。」物質的充実を自慢しなくてはいられないという自己自身の精神的「餓え。」による行動結果であり。その行為自体が精神的な充足の欠落を曝しているのである。

 精神的充実というものに他人との比較は原理的に不可能であり。比較に意味もなければ、比較する理由も存在しない。

 ヒトの生物学的な社会形成習性としての順位欲の表出として、「他人から見た、外見上の順位。」として物質的充実に執着するのである。

 また、大衆観念的には多数の大衆が望むことこそが、個人の望むものであるというアプリオリな思い込みによって多数決的に物質的充足だけが重要視されがちなのである。

 ヒトの習性として、物質的充足こそが本質的充足であると思いがちな傾向がある。

 本質的充足とは、あくまで精神的充足のことである。

 どんなに物質的充足をしていても、人は必ず死ぬ。死に臨して物質的充足は意味を成さない。棺桶に金を入れてもあの世にまでは持っていけないのである。

 しかし、精神的充足を持つ人であるならば、自己の生命財産、利権や地位を失うとしても公益倫理的な判断を自律的に行うことも可能となる。

 精神的充足というものは、自己自身が本質的自発的に自己存在を肯定する本質的「意思。」によって得られるものであり。それによって単なる物質的生存にこだわらない本質的自己存在価値として、公益倫理的な自律判断も可能になるのである。

 本質的「意思。」を持たないまま、単なる欲望、その場限りの気分的な安心だけを追求していれば、外見上の充足にばかり執着してしまい、結果的に自己の精神的充足を得ることが出来ずに、公益倫理的自律判断もできない「ヒト。」に成り下がるのである。

 本質的「意思。」とは、自発的な意識、自発的な「考え。」と同義であり。これによって論理的精密検証が確保でき、また、公益倫理的な自律判断も可能となるのである。

 「考え。」が伴わないから、「思い。」だけで行動が選択されてしまうことになり。気分だけが選択基準となってしまうのである。

 「気分=行動。」であるならば、それは大脳辺縁系に組み込まれた情動行動に操られるだけの、全く自由のない状態であり。何をしでかしたとしても、全ては既存在としての自己の「結果。」でしかないのである。犯罪者の多くに見られる「なぜ、そんなことをしたのかわからない。」とか「悪魔が乗り移った。」などというトンチンカンな言い訳の原因は。本質的には自己自身の意識的選択が行われていないからなのである。

 本質的自己の選択として、目的意識を持って行動選択していれば、こうしたトンチンカンな言い訳は出てこない。

 言い訳を全くしたがらない通り魔というのもいるが。無差別殺人という行動自体、全く目的の存在しないヒステリックな行動結果であり。論理的には全く説明ができないからこそ説明しないだけのことであって。トンチンカンであることは全く変わりはない。

 無差別殺人者に動機を聞いても無駄なのである。無差別であるという時点で論理的な理由などあるはずもなく、単なるヒステリックな感情による気分の結果として、選択「してしまった。」行動であるから。そこには当人の意識的「目的。」は最初から存在しないのである。

 本質的には「意識。」的に「目的。」選択は成されていないのである。

 だからといって死刑が正当化されるわけではない。むしろ、無差別殺人のような行動を採る程の無意識性の原因、本質的自己選択の欠落の原因を突き止め。再発防止に応用すべきなのである。

 無差別殺人犯に共感する者も多いという。こうした者は無差別殺人犯予備軍といっても過言ではない。「世の中が悪い。」と称して、理論的な原因究明を全く行わず、その場限りの気分的な誹謗中傷をするだけで。同じ観念を目先の多数で共有して気分的な安心のまどろみに浸っているだけのバカを放置しておいて良いわけがないのである。

 物質的充足の有無に関わらず、個人が自己自身の精神的充足としての純粋行為を持ち。自律的に公益性や倫理を重んじる本質的「意思。」「意識。」を持つようにすべきなのである。それが可能であるかとか、困難であるかどうかはどうでも良いことである。これはやらなければならないことであって、選択の余地など最初から存在しないからである。

 刑法に基づく司法判決というものには、再発防止策の確立を行うための一切の構造が存在しない。ただ単に法手続き的に刑罰が確定するだけなのである。それで満足しているというのは、要するに国家権力に対する異常な信頼に由来する気分的満足でしかないのである。


 大抵の場合、個人的な純粋行為を持つ人の多くは他人の精神的な欠落には無関心で。一方純粋行為を持たず、自律判断のできない者の全ては本質的意識の重要性は認識不可能である。

 無意識的な者というのは「自分ができないことは、他人もできないものである。」という気分的な観念を無意識に持っているため。問題意識自体が全く存在しないのである。こうした観念というのは、「他人ができることを、自分ができないとは認めたくない。」という、無意識的な傲慢さに由来する。

 何の「考え。」もなしに、ただ「思い。」感情だけを主張するから傲慢なのである。「思い。」とは個人的な感情であり、極めて主観的な観念である。その観念を多数決的に共有して気分的に安心するから、何の「考え。」も働かないのである。



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スターリングエンジン。

2011年05月20日 15時01分49秒 | 日記
 スターリングエンジンの動作原理がどうしても理解できなかったんだけど、出力ピストンを
無くして単純化して考えたら理解できたので、説明図を書いてみた。


 説明になってるかな。

 言葉で説明すると、

 中のピストンが熱源側に移動することで内部の空気が冷却側に移動して冷却され収縮し。

 中のピストンが冷却側に移動することで内部の空気が熱源側に移動して熱せられ膨張する。

 その膨張圧縮をもう一つのピストンで動力として取り出して、ついでに内部のピストンを位相を90度ずらして連動させることによって、自動的に回り続ける。

 だから、中のピストンはスッカスカで密閉されていない。中のピストンがスチールウールだったり発泡スチロールだったりする理由は、空気が移動させられれば何でも構わないからなのです。

 「中のピストン。」ってのが「ディスプレーサ。」って呼ばれている。

 スターリングエンジンというのは、熱効率自体はディーゼルエンジンとさして変わらないらしいんですが、排熱でも何でも温度差さえあれば動くので、結果的にエコだってことらしいです。

 もっとわかりやすいサイトがありました。

 http://members.jcom.home.ne.jp/kobysh/stirling/stirlingIntro.html
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的外れな批判。

2011年05月19日 12時09分59秒 | 意識論関連
 「そんなことをして、何になる。」

 この言葉を言う人は多い。

 この場合における「何。」とは、目先の現実、すなはち「現状。」としての社会的評価報酬のことである。

 ノーベル賞などの業績を得た人の研究の多くは、その途中で社会的評価を得られないことは少なくなく、上記の言葉を浴びせられた人の話も多い。

 本当の意味における「現実的。」とは、単なる目先の現状への迎合のことを言うのではない。現状に甘んじるだけであればむしろ現実逃避に他ならない。

 日本人の多くは現状の社会や体制に対して無批判で迎合的なヒトが多く、新しく何かに挑戦することを諦めることによって精神の安定、大脳辺縁系の安息を得ようとする。

 自分の可能性を否定して、何もかも諦めてしまった者にとって。諦めずに挑戦し続ける人の存在が疎ましいので、「そんなことをして、何になる。」と否定しておきたいのである。

 他人の否定を行うことによって、自己肯定になるものだと勘違いしているのである。

 実際には何ら自己は肯定されていない。

 むしろ、自己自身の可能性を否定しているため、条件反射的に他人も否定しておかないと気分的に「嫌。」であるため。他人を批判する。

 動機が気分、感情であるために、その批判には論理的根拠が全く存在しない。

 こうした人間達同士で同じ観念を共有することで、彼らは更に気分的安心をするのである。

 これは秋葉原の通り魔の屁理屈人気の構造そのものである。


 何か新しいことを成し遂げるためには、その過程において評価報酬が得られないことは少なくない。養老孟司が「純粋行為を社会が認めないからだ。」などというのは、自分が虫取りに邁進する勇気がなかったことを正当化するための屁理屈である。養老はその一方で社会的評価のないことは意味がないとも言っており、理論的な整合性が崩壊しているのである。

 「現実を見ろ。」などと偉そうに他人を批判して怒り狂う。

 実際には「現状に迎合しろ。」と勧めているだけであって、現実からは逃避しているのである。

 ペテン師であっても社会的には成功する。その場限りの社会的成功にこそ意味がないのである。ナチスが政権を掌握したのも同じことである。

 目先の「エサ。」としての社会的成功、報酬というものを絶対基準にすれば。公益倫理的な自律判断などというものは原理的に不可能になる。

 同時に開拓精神、新しいことに挑戦する意欲も失われる。その結果、社会全体が萎縮してゆくことにもなるのである。現状に迎合していれば進歩がないのは必然だからだ。

 社会体制に間違いが存在しても、現状に迎合していれば改善することもなく崩壊するまで無為無策に陥るだけである。カルト状態集団の内部というのは常にそういうものである。



 他人の可能性を否定している暇があるのであれば、自分自身の可能性を開拓すべきなのである。

 それをやらないから「社会が悪い。」「他人が悪い。」とルサンチマン(怨恨)をぶちまけるだけの存在に成り下がるのである。

 それを目先の多数で共有して安心する。

 自分の言っていることが飲み屋の与太話に過ぎないことを、多くの人は意識から外し、目先の気分的安心を追求して強迫観念的に論理的根拠のない批判を繰り返す。

 バカというのはバカなので、バカの一つ覚えで同じ観念の中を堂々巡りすることしかできないのである。バカ同士で同じ観念を共有しておいて社会の諸問題が解決するわけがない。


 優先順位が気分的な感情で選択されていること自体が社会的負荷につながることを、多くのヒトは認識することができないのである。

 自分の個人的に好きな純粋行為は人畜無害だが、そうした純粋行為を放棄して論理的根拠のない批判ばかりしている者こそが社会にとって有害なのである。

 「俺の脳みそが気持ち良くないのは、環境が悪いからだ。」

 本来、自分の脳みそがどうしたら気持ち良くなるのかなどというのは、個人が自発的に探し出すべきものなのである。それを私は「ケツの穴の具合。」と形容する。

 自分のケツの穴をどの程度の力で拭いたら良いのかは「自分で拭いてみるしかない。」のである。自分のケツの穴であるから、他人のケツの穴をいくら批判しても無駄なのである。

 頭部結合双生児でもなければ、他人との脳神経回路の接続など存在しない。従って「俺の脳みそ。」云々というのは自己自身でなんとかしなくてはならないものなのである。

 酔っ払いの「ケツの穴の具合。」なんぞ知ったことではない。

 飲み屋で他人の悪口を共有して盛り上がっていれば、その場限りには大脳辺縁系が楽になれるであろう。それ自体が現実逃避であることすら忘れて目先のバカ同士で観念を共有しているのは簡単である。

 「ヒトとはそういうものである。」からだ。

 それが生物学的社会形成習性というものの正体である。


 批判精神は大切であるが、論理的な精密検証性に基づかない観念を振り回してはならない。それは何も「考え。」ていないということであるからだ。

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カーソルが逃げる。

2011年05月18日 20時18分04秒 | 日記
 東芝アンドロイド端末AZ/05Mでgooブログを書いていると、カーソルの位置があらぬ場所に飛ぶ時がある。

 タッチパッドを使って長い文章とかの末尾にカーソルを合わせて、確かにカーソルが点滅しているにも関わらず、書き込むと文頭にカーソルが飛んでしまったりする。

 そのあとタッチパッドを使ってカーソルを再び文末に合わせても、書きはじめるとカーソルが文頭に飛ぶ。

 何回やっても飛ぶ。

 ムカつく。

 なんだこいつ。

 面倒臭いんだけどカーソルキーで文末までカーソルを移動させれば書けるんだけど、分量が多いとすごく面倒臭い。カーソルが文末を超えるとまたやり直しになったりする。

 東芝アンドロイドAZ/05Mというのはタッチパッド関連のトラブルが結構ある。AndroidOS自体がタッチパッドを想定していない仕様なのかもしれない。多少値段が高くなってもタッチパネル式にした方が無難かも知れない。

 最近バッテリーの容量が随分減った気がする。どう考えても7時間なんて動いてない。バッテリーっていうのは保障対象ではないのでバッテリーが劣化したら買わないといけない。

 憂鬱。

 悪いとこばかりじゃないんだけどね。悪いところは目につくのよね。
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スチレンモノマー。

2011年05月18日 11時26分47秒 | 日記
 以前、スチレンモノマーの小分け販売が見つからないって書いたことがあるんだけど。最近見つかったのでリンク先を掲載しときます。

http://www.paint-works.net/under/putty/0165729.htm

 こちらのサイトによると、ラッカー溶剤との混合によって発火すると書いてありました。

 実はスチレンモノマーが入手出来なかったときにポリパテにラッカー薄め液を混ぜたことがありました。そのときは発火しなかったんですが、物性は劣化するので使い物にはなりませんでした。他にもアクリル溶剤(おそらくイソプロピルアルコール)を混ぜたこともあり、こちらも発火はしませんでしたが物性は劣化するのでダメでした。

 基本、「混ぜるな危険。」ということです。

 スチレンモノマーというのはポリパテとか使うときにあると便利な溶剤のようなものです。極めて引火性が高く、30度以上になる場所には保管しないで下さい。

 また、発癌性が疑われているので換気にも注意して下さい。気体を環境中に放出しても分解性が高いのであまり問題はないらしいのですが、下水に流すのは危険なのでやめましょう。

 とにかく危険物なので取り扱いには充分注意して下さい。

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消えたメイラーデーモン。

2011年05月17日 13時57分47秒 | 日記
 とある人にメールを送ったんだけど、メイラーデーモンから英文メッセージが送られてきたので、送り直したら。いつの間にか受信トレイからメイラーデーモンからのメールが消えていた。

 メイラーデーモンというのは、もしかすると送信出来なかったことを送信元に通知した後でも送信しようとはしていて。その後に送信できると通知メールを勝手に削除したりするのだろうか。

 時折サイトからのメールとかも重複して送られてくることがあるのだけど、こうしたメイラーデーモンの挙動に惑わされているのかも知れない。

 まあ、送られているならいいんだけどね。

 何となく気持ち悪いのよね。



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久保田競。

2011年05月17日 09時16分10秒 | 意識論関連
 久保田競(くぼた きそう)というのは京都大学の脳科学研究者で、「クボタ式。」とか言われる幼児教育で有名になったクボタカヨコの旦那だそうである。

 結論からいうと、クボタ式は基本的に「猿まわし。」である。

 親にとって扱いやすい、従順な子供にするには便利な方法であろうが。これを「才能教育。」と定義するのはおかしな話である。

 この夫妻の息子が東大に行ったというのだが、東大に入ること自体が「才能。」だなどとはいうことができない。そもそも学力学歴社会的成功自体は本質的な知能とは無関係な基準であることを忘れてはならない。

 クボタ式などの教室というのは、その教室の指導者が作り出す「空気。」によって、子供の意識を過剰に整理してしまうことによる集中力の増強であり。これはカルト宗教におけるセミナーや、押し売りセミナーなどの「空気。」と非常に類似した意識狭窄を促すものである。

 指導者によって、幼児生徒の多くが促された行動によって。「それができないと、恥ずかしい。」といった雰囲気を作りだし。一種の強迫観念的な「空気。」によって盲目性を作り出すことによって、特定の能力機能ばかりを無意識的に学習させてしまうものである。

 クボタ式が促す内容には、一部理論的根拠のあるものもないわけではないが。クボタ式の教室に関しては、大衆観念的な大衆迎合的才能教育論に基づいた、極めて一面的なインスタント「能力。」開発でしかなく、子供の個性をないがしろにした「生産。」方法である。

 「子供が扱いやすくなった。」というのは、親の方の基準であって、「扱いやすい=知能。」というのは極めて短絡的で、主観的、非論理的な大衆的観念に過ぎない。

 先天的な多動性障害とか、注意欠陥障害などの症状を持つ子供の場合であれば、感情を制御するための一面的効果があるのは確かであろうが。逆立ち歩きや瞬間記憶をさせて「才能だ。」とか言っているのはトンデモない才能教育論である。

 瞬間記憶や速読を身に付けた人物が、ノーベル賞受賞者に多いとかいう知見は一切ない。むしろ記憶コンテストの類に熱中する人間の多くは他人との競争、他人からの評価につられた無意識的な条件反射的な行動、意識しか働いておらず、結構「イタい。(+。+)」人が少なくない。

 久保田競の理論の中にはミラーニューロンを鍛える的な内容もあるが。ミラーニューロンというのは無意識機能であり、条件反射的な脳機能であることは言うまでもなく。これはアイヒマン実験における条件反射的な服従の原因ともなりうる無意識的条件反射行動を促すものでもある。

 ワーキングメモり云々の話においても、結局は「何に使うか。」が問題であって。どんなにワーキングメモりが優れていようとも、公益倫理的な自律判断ができずに振り込め詐欺能力に使ってしまっていては、本質的には知能でもなんでもなく。むしろバカとしか言いようがない。

 特定機能、特定能力がどんなに優れていようとも、それ自体は「道具。」でしかない。いかなる「道具。」であっても、使い方次第であることは言うまでもなかろう。

 コミニュケーション能力と称して、相手の感情をコントロールできる能力であっても、詐欺ペテンに使ってしまっていては人間としては出来損ないとしか言いようがない。

 久保田競は、基本的にEQについての反論も、またMI理論に対する反論もしておらず。何ら深い理論的考察が行われていないまま才能教育論を展開しており。極めて大衆迎合的である。従って大衆の多くが疑問を持たないのは、むしろ必然である。


 多動性障害とか注意欠陥障害などの症状を持った子供に対し、一時的、或は方便的な感情制御を身に付けさせるためには効果があるとは言うことができるが。あくまで効果が出るまでの短時間だけに限定すべきであり、特定の「凄い能力。」を発揮したからといって、調子に乗ってクボタ式に任せきりにしておくのは危険である。

 取り立てて扱い難くない子供の場合にクボタ式を採用するのは、むしろ子供の意識狭窄を促す可能性が高いので、むしろ受けさせない方がよろしい。

 子供、特に幼児期というのは周囲の環境に対しての依存性が高い。大人に従わなければ生きていけない存在であるから当然のことである。それを「利用。」する形で特定能力の学習をさせるというのは、子供に対する一種の虐待ですらある。

 戸塚ヨットスクールなども、いうなればクボタ式の延長線上にある指導法である。生徒の多くが服従するような環境を作り出すことによって、強制的、強迫観念的に服従させる「手法。」であり、インスタントに従順性を作り出す方法論である。

 生物学的な社会形成習性というものは、幼児期における親への服従意識が根本にある。それを強化するような教育法というものを盲目的に信用するのは間違いである。


 アインシュタインが懸念した「従順な臣民。」というものを、一般大衆は人畜無害なものであると勘違いし。むしろ権威への服従こそが社会を安定させるものであると錯覚する。多くのヒトは権威に服従していることの方が気分的に楽で安心だからである。


 「私にとって、最悪だと思われるのは学校が主として恐怖、力、人口的な権威という方法を用いることです。そのような扱いは、生徒の健全な情緒、誠実さ、自信を破壊します。それが作り出すのは従順な臣民です。」
ーーアリス:カラプリス著 林一訳「アインシュタインは語る。」(大月書店刊)より。


 従順な臣民とはどのような人物か。

 それはナチス政権に迎合して600万人以上のユダヤ人を死体に変換する計画書を作成するような人物である。

 アインシュタインはそれを「最悪。」と形容していることを忘れてはならない。

 親にとって扱いやすい子供に育てることが必ずしも本質的知能を育むことにはつながらない。服従している親自体が無意識的でバカなら、そんなバカに対して盲目的に服従している子供もバカでしかないのである。

 子供のことをどうにかする前に、親自身、大人自身が自分の本質的意識とは何かを認識するのが先決である。

 根本が間違っているのに枝葉だけ取り繕っていたのでは全く無意味である。

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クリック反応速度について。

2011年05月16日 23時55分46秒 | ネタ帳
 コンピュータディスプレイ上の仮想ボタンの類ってあるでしょ、あれをクリックしたときのクリック判定が、タッチパネルの場合不安定になって、一瞬のうちに何度もクリックしたかのような判定をしてしまって異常動作することがたまにある。

 数十分の一秒とかに数回のクリックを、人間の指で意図的にできるわけがないので、信号としてあまりに短時間に何回も入ってきた場合には、判定として一回だけに丸めるような動作をすべきだと思う。

 キーボードとかでも、キーを一回押したはずなのに、複数回分押されたことになっていることが時折ある。指先のほんのわずかな振動とかが、スイッチの接触の時に発生すると一瞬の内に複数回連打したことになってしまうのである。

 キーボードに慣れた人だとキーを押す時に叩くようなキーの押し方をすることで、こうした一種の「接触不良。」を回避するように身体的に無意識に行っている人もいる。実は私がそう。だから私のタイピングって結構うるさい。

 キーをそっと優しく静かに押すと、スイッチの接触が不安定になることに対する強迫観念によって、無意識的にキーを押す力が強くなってしまうのである。

 コンピュータ類だったらOSとかに組み込んでおくべき汎用機能であるはずなので、ゲームとかで同じキーを異常連打するような場合以外は1/10秒以下の連打判定は一回と判定するようにして欲しい。短いかな、でもタイピングの場合は結構短時間に連打することもあるから調整できるようにしておけばいいのかも知れない。

 「良い。」と入力する時は「いい」と連打するからある程度の高速連打は無視されると面倒だな。漢字変換確定とかでもスペースキーを連打する。状況に応じて判定できれば良いのだが、学習機能を導入すると良いかも知れない。

 意図しない連打であれば、バックデリートで消してしまうことになるわけだから、消さずにそのまま打ち進めている連打は正しく連打と学習させれば良いのではないか。

 バックデリートで消した漢字変換とかも学習してくれると有り難いんだけどな。今の人口知能学習の場合、間違った変換でも一度確定してしまうと何度も変換してしまうようになってしまい、結局普段使わない変換候補が常に出てくるようになったりする。

 間違った変換候補ならバックデリートで消しているんだから、消していることを認識して消された変換候補は順位を下げるとかの工夫が欲しい。


 漢字変換関係だと、東芝アンドロイド端末に使われている日本語変換システムFSKARANというのが、予測候補というのを沢山だしてくる割に、必要な候補が全く出て来ないというじれったい動作を結構する。

 キーボードのない仮想キーボード入力の場合なら、より少ない入力で予測候補を出すのは便利なのかも知れないが。おいらのアンドロイド端末にはキーボードがついているので予測候補とか要らない。というか入力の拡張予測は鬱陶しい。

 タッチパネルだったら候補が沢山出てきてもタッチ一発で選択できるけど。キーで選択する場合にはカーソルキーを連打して選択しなくてはならず、これが結構厄介。

 アンドロイドOSでキーボードがついている端末って、もしかして東芝dynabookAZだけなのかな。スレートPCでも外付けキーボードを使う場合には、拡張予測候補は鬱陶しいはずなので、予測候補をするしないを切り替えられると良いな。富士通さん頑張ってね。





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Power assist。

2011年05月16日 22時26分32秒 | ネタ帳
 電動アシスト自転車というのはある。でもブレーキはアシストしていない。

 自動車の場合ブレーキアシストというのはあるらしいんだけど、電動アシスト自転車の場合はブレーキアシストというのはない。回生発電機能のある電動アシスト自転車の場合は、一応25km/h以下ならブレーキアシストみたいにはなる。

 自転車の場合、あんまり強力なブレーキをかけると危険なのかも知れないが、充分な電力源があるなら、アンチロックブレーキとセットでブレーキアシストをしてもいいのではないだろうか。

 オートバイの場合、ステアリングダンパーというのがあるが、これも自転車にはないな。あるのかな、あったとしても一般向けのものではなさそうだな。

 自転車ネタだと、対向車に対する前照灯の防眩。いわゆる「ロービームライト。」というのもない。市街地ではあまり問題にはならないのだが、荒川河川敷とか夜中暗闇になる所では電動アシスト自転車が向かいから来ると、眩しくて何にも見えなくなってしまって恐いことがある。自動車のロービームライトというのは、壁とかに投影するとわかるのだけど、水平から上には光がほとんど行かないようにできている。それを自転車も採用して欲しい。

 オランダとかでは自転車は右左折停止を手信号で合図することが義務付けられているらしいのだが。走行中に片手手放し運転になるので方向指示器やブレーキランプを法制化すればいいのではないか。どのみち前照灯は必要なんだから、そうした保安機器を義務化してもよいのではないか。法制化すれば動作信頼性も保障されることになるし、新規マーケットも開拓されるはずなので、悪い影響は少ないと思う。

 前照灯で思い出したんだけど、自転車の電装系というのは故障保障の対象外なんだそうである。だから発電器が不良品で、買ってすぐにライトが点かなくなっても保障はしなくても良いらしい。メーカーによっては自主的に保障してくれるところもあるらしいのだが、法律的にはしなくても構わないので、買ったお店に持って行っても直してくれない。

 そんな法律で無灯火がなくなるわけがないのだが、誰かが手抜きをしているとしか思えない。法手続きというものは極めて機械的なものなので、あらゆる問題に対してその都度条文を決めておかないと対処というものができない。

 まるでコンピュータプログラミングみたいである。コンピュータとか役人というのはバカなので、懇切丁寧に、噛んで含めるように詳細に教え込まないと何もできないのである。それこそ一文字間違えただけで簡単に暴走したりフリーズしたりするので厄介である。

 法律というものの不自由さというのは、こうした役人のバカさに由来するものなのである。役人の全員がバカだとは言わないが、一般企業のような淘汰を経ていない分、バカでも保存される率は高いため、バカが多い傾向はある。

 市民の為になることをしてもしなくても、評価収入には影響しないので、責任を負わないように、事なかれ的な無為無策でいた方が保身になるからである。

 途中から意識論関連の話になっちゃったけど、忘れないうちに書いておくことにする。

 役人特有の「縦割り行政。」というものも、結局は生物学的な社会形成習性としての服従本能によって、年功序列的な体制維持体質によって生ずるものなのである。上司の顔色だけ窺っておけば気分的に安心なので、それ以外の人間の意見は聞く耳を持たない。上という縦からの意見には忠誠忠実であるが、それ以外の横のつながりには気分的な充足が得られないので、イヌの社会形成と一緒で他のグループとは縄張り争いをするのである。

 自律的に卑怯ではない行動を選択しなければ、それは人間として出来損ないなのであるが、そうした自律的判断というものを一切行えない、或は社会環境だの制度の問題であるかのごとく話を逸らすのが典型的なバカの論理である。養老孟司が良く言う「世間が悪い。社会制度が悪い。」という話は、全て公益倫理的な自律判断の欠落に由来するバカ特有の言い逃れであり、その構造は「通り魔の論理。」と同じものなのである。

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ジオラマ効果、ミニチュア効果。

2011年05月16日 16時14分04秒 | 写真
 ジオラマ効果とかミニチュア効果と呼ばれる写真加工処理のソフトウエアを自作したことがあるんですが、開発環境が古くてWin95用のアプリケーションしかコンパイルできず、また、ネット自体が今年の2月から始めたばかりで、配布するには何をどうすればいいのかさっぱりわからないため、死蔵しています。

 一般的にはコンピュータでのボカシ処理には正規分布が用いられるのですが、これは写真用レンズにおけるアウトフォーカスとは異なります。

 私の作ったソフトウエアでは、ボケの輪郭を円形にし、なをかつ輝度に応じた重み付けを行うことにより、写真用レンズのボケを再現しました。画素の明るい部分に重み付けをすることによって、夜景における明かりなどがキラキラと輝いている状態を再現することができます。

 ボケに円形などの輪郭のハッキリした形状を用いると、そのままでは輪郭部分にジャギーが発生してしまうために、高密度計算によるアンチエイリアス処理が必要となるため、デジタルカメラ本体内部で処理を行うのが困難であり、実装できないらしく、カメラメーカー各社は興味を示しません。

 また、カメラ実装のアルゴリズムの場合。キヤノンやオリンパスはボケの大きさがリニアに増加する本来の処理を行っていますが、NコンやPンタックスの場合は一定以上はボケない手抜き処理をしており、手抜き感抜群の仕上がりとなっています。「どうせ素人にはわからないだろう。」的なユーザーをバカにした開発思想が見えています。「処理速度を優先した。」などというのは言い訳にもならないでしょう。実際キヤノンやオリンパスは実装しているのですから(◇追記:EOS M10では手抜き処理に変更されてしまっている 画素数が大き過ぎて処理が重くなってしまったためではなかろか)。おそらくファームウエアの書き換えによって既存機種においても変更可能なはずですから、是非改善してもらいたいものです。

 *画像はクリックすると拡大表示します。




 アンチエイリアス処理を行うことによって、円形以外のボケ形状を実装することも可能となります。

 厳密には、絞りの部分に星型マスクを組み込むと、ピントの合った部分を境にボケの形状が反転します。




 ディスプレイ輝度を上げてもらうと綺麗に見えると思います。線路の写真などでは、バラスト(砂利)のわずかな輝き感も再現することができます。


 追記:「ジオラマ効果。」とかでググると、結構上位に入るんだけど。使いたいと思った人がいたらメーカーとかに要望するとか、賛同コメントするとか、何かアクションしてくれないと何にも進まないんだけど。gooのコメント欄って面倒臭いのかな。

 何年か前にこのネタを女子カメラ編集部に送ったら、知らない間にゲームの広告に使われてしまっていて、問い合わせたら「知らない。」の一言でごまかされてしまった。確か「A列車。」とかいうゲームだったかな。

 そのうち誰かが作ったiPhoneアプリで人気が出て、おいらはおいてきぼり。誰を信用したらいいのかね。最初からネット上で公開できればよかったんだけど、そん時はネットやってなかったのよね。

 処理が重たいからPC用のアプリは公開したいんだけど、どうすればいいのかわらない。

 ソネットブログの同じページだと毎月400PVくらいはあるらしいんだけど、これはネット上では「ない。」のと同じなのかな。



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九重橋から南方向。

2011年05月15日 13時56分45秒 | 日記
 江東区新砂の運河の終端にある「九重橋」から撮影。


 IT関係の展示会の帰り道に撮影しました。この後荒川河川敷で雨に降られました。




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サイエンスアプリ。

2011年05月14日 23時32分55秒 | ネタ帳
 クソゲーとかヒマゲーではなくて、科学計算に基づいたアプリケーションとかあったら面白くて、科学離れを止める社会的な功績もあるんじゃないかな。

 二重振り子のアプリって既にあるのかな。アポフィジスの場合は計算量が莫大だからスマートフォンでは難しいだろうけど、ジュリア集合とかだけならリアルタイム計算とかできるんじゃないかな。

 天体ナビゲーターとかなら既に一般化されてるし、元素周期表を図鑑にした電子書籍とかも有名だよね。

 野鳥図鑑とかを動画で作ったり、早川いくを著の「へんないきもの。」を電子書籍にしても面白そう。

 科学って本当は面白がることから始まるんだけど。日本の教育の場合、精神論的に苦痛を味わうことが「偉い。」とされるマゾヒスティックな観念を振り回すのが大好きなので、勉強というものが面白がってはいけないことのようにされている。

 だから学校の教科書というのはつまらない。

 教科書の内容というのは、学力試験の基準に基づいて決められているので、好奇心というよりは成績得点に対する反射的な意欲しか促さない。

 その結果、自分が何をしていれば楽しいのかもわからなくなってしまう。

 従って、クソゲーだのパチンコだのばっかりにハマって、一向に精神は満たされない。


 砂漠とかでよく見る三日月型の砂丘を「バルハン砂丘。」って呼ぶらしいんだけど、それが火星探索衛星からの画像に見つかったらしい。こういうことって大学とかでないと教えてくれないけど、本当は小学生とかに教えたら興味持ってくれるはず。

 「子供には難しい。」とかって、親大人の方が勝手に決め付けるのは。それを成績試験とかで均一性を求めることが難しいだけであって、個人である子供の主体性というものを重要視するなら、不均一な成績であることには何の問題もありはしないんだけどね。

 子供っていうのは工業製品じゃないから、他の子供と違うのは当たり前のこと。どれだけ違うかこそが個性のはずなのに、学力成績だけは均一性を求めようとしてしまう。

 平均と違うことへの強迫観念的な拒絶反応というのが、ヒトという種の生物には存在する。

 「はずかしい。」とか「格好悪い。」なんていうのは、こうした多数他人との比較による観念的な恐怖心が作り出す感情に過ぎない。

 気分だとか感情に流されていて、論理的思考なんか養われるわけがないのである。そりゃ科学離れも起こるわさ。



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シリコンゴムに蒸着メッキ。

2011年05月14日 22時21分38秒 | ネタ帳
 スマートフォン&モバイルEXPOの中に、携帯端末とかを入れておくシリコンゴム製のケースが出品されていたんだけど、シリコンゴムなのに真空蒸着メッキが施されていて、うにゃうにゃと軟式なのにピカピカのメッキ仕上げになっている。

 シリコンゴムっていうのは、「ブリード。」という油の浸みだしが起こるため、今までは塗装するということは一切できなかった。

 株式会社ヒートマシンサービスという会社の技術だそうです。

 塩化ビニールとかでメッキ処理されたのは見たことあったけど、シリコンゴムみたいに成型された軟式素材にメッキされているのは初めて見た。

 でも普通の一般人には、その凄さが伝わらないらしく、「ピカピカしたゴム。」程度の認識だったみたいで、みんなリアクションは薄かった。

 もったいないな。

 今の時代に育った人達っていうのは、凄いことが当たり前の環境で育って来ちゃっているから、凄いことに麻痺しているのかも知れない。

 「ふぅーん。」って感じ。

 シリコンゴムがメッキされているのって凄いんだよ。みんなわかってる?。

 この会社はメッキだけじゃなくて、見る角度によって色が変化する偏光塗料とかもシリコンゴムに塗装していた。

 一体成型でバッグとかポーチを作ったら面白いんじゃないかな。デザインが肝になるんだろうけど、かなり突拍子もないデザインの方がウケそうな気がする。流行りのキットソンとかにデザインさせたら面白いかもしれない。きっと損はしないと思う。(だじゃれでーす。)

 何か大きな製品とかをメッキ仕上げにしたら面白いのかな。自転車のタイヤとか。サドルとか、ハンドルバーとか。自転車は結構今流行りだからね。

 プラスチックフレームの眼鏡で、グニャグニャに曲げても大丈夫なやつとかあるでしょ。あれにメッキとかできたら面白いのかな。

 一眼レフカメラのレンズに使われている、ピントリングやズームリング部分のゴムとかをボディカラーとコーディネートしても面白いかも。ペンタックスの一眼レフとかでも、レンズやグリップのゴム部分は相変わらず艶消し仕上げだから、単純に交換用ゴムリングとかを商品化することも可能だと思う。

 あと何だろう、靴底とか。財布とか、また思い付いたら書き込みます。でわまた。
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組み込みCPU。

2011年05月14日 20時23分46秒 | ネタ帳
 ルネサスという自動車の電子制御機器とか作っている会社が組み込み用コンピュータキットというのを出品していた。それがなんだか凄くって、パソコンのCPUを使って同じ処理をさせると計算速度で15倍、消費電力で1/50だとか書いてある。

 んじゃ、パソコンのCPUって、どんだけ無能なんだって思ったんだけど、浮動少数コプロセッサとかは無いから、パソコンとは同じ仕事ができるわけではないらしい。

 でも凄い。

 パソコンで絵とか書くとき、ブラシによっては動作が非常に遅くなることがあるから、お絵描きに特化した専用の処理装置とか商品化したら売れそうな気もする。PCで絵を書く人って結構多いんじゃないかな。

 あと3Dのレンダリングとかも専用に特化した装置があると需要があるかも。

 Apophsisなどのレンダリングにも使えるかも。

 8ビット演算ユニットが256個入っているそうで、PCIExpressとかいうカードスロットに挿して使うらしい。

 汎用的なお絵かき動作を組み込みCPUにやらせてしまえば、PCのCPUのクロックパルスは落としておいて省電力高速描画ができるんじゃないかな。

 これからはお絵かきソフトっていうのは描画専用のハードウェアとセット販売されるようになるかも。

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株式会社 石井表記。

2011年05月14日 15時18分26秒 | ネタ帳
 今回もネタではなくて、感想みたいなものです。

 石井表記さんという会社のブースはスマートフォン&モバイルEXPOの方ではなくて、同時開催の組込みシステム開発技術展の方に出展していたブースなんですが。これが結構面白かった。「今日イチ」って感じです。

 スマートフォンとかで、表示されたボタンを押した瞬間にクリック感をバイブレーター機能で再現するというのがあるでしょ。あれを開発した会社なんだそうです。

 そのアイデアを更に発展させて、タッチパネルを押し込んだ感触までも再現したものを展示していました。

 普通のタッチパネルの場合、わずかに触れただけでも反応してしまったり、あるいはいくら押しても反応したのかどうかがわからない場合がある。ボタンが反応したことを知らせるために発信音を鳴らすものがあるけど、騒音下では聞こえないこともある。それを解消するために、ある程度の力で押し込んだ時に、あたかも本当にタッチパネルが凹んだかのような感触をピエゾ素子を使って再現しているとのこと。

 物理的にはタチパネルは一切凹んでいないんだそうなんだけど、何度押しても凹んだ感触があるので面白がって押しまくってしまった。

 家庭の壁とかに付いている照明とかのスイッチというのは、何気なく操作しているけれど、なんとなく無意識にその感触を脳の体性感覚野が「知って。」いるらしく。スイッチの内部に組み込まれたバネの振動とかを再現すると、まるで本当にスイッチが動いたような錯覚を生じてしまうらしい。

 スマートフォンの場合はピエゾ素子ではなくて、マイクロモーターを使ったバイブレーターを応用しているだけなので、あまり細かい感触の再現はできないらしい。でもそのうちピエゾ素子を内蔵したスマートフォンも出てくるかも知れない。画面をなでると凸凹しているような錯覚とかも作れるかも知れない。あ、ネタが出てきた。もう開発できてるかな。

 この振動液晶パネルは言葉で説明してもあんまり面白くないから、社長さんの玄関のインターフォンとかに採用して欲しいな。そうすればピンポンダッシュが激増して楽しい。(あかんやろ。)

 でも、展示会でこのパネルを触った人達は、技術的な意味を理解していたのかどうかが疑わしい、もしかすると本当にパネルが凹んでいたと認識していた人も少なくないのではないだろうか。「へぇー、軟式液晶パネルなんだー。」って。

 何せ再現しているのが普及している安物のスイッチなので、あまり高度なハイテクであるとすら認識していない可能性もある。説明をきちんと書いておかないと損しているかも。



 この会社の製品は、他にも「変な」ものがあって、メッキフィルムみたいなものにエッチングのような加工が施してあるので、何だろうとか思って見ていたら、「それは印刷なんです。」との説明を受けて、「中にもっと面白いものがあります。」と案内されて入ったら、メッキフィルムに部品の表面テクスチャを印刷再現したものがあって、その下にそのフィルムと同じ質感の立体的なものが展示してあって、その下にプラスチックの成型完成品が展示してある。

 言葉で説明してもわからないだろうな。何せ目の前で見ていても何のことだかわからなかったくらいだから。

 自動車の室内部品とかで、メッキ部品とか透明部品とか、複数の部品を組み合わせたものがあるんだけど、普通はメッキ部品とか透明部品は別々に成型して組み合わせているものを、ここの成型技術では一発で成型してしまうのだという。

 やっぱり伝わらないだろうな。

 パンフレットをもらったんだけど、この技術だけは薄緑色の紙にモノクロコピー印刷されたパンフレットしか入っていなかった。

 石井表記さんのHPを見ても、この成型技術についてはまだ掲載されていなかった。

 透明だろうと磨きだしメッキ仕上げだろうと、艶消しメッキ仕上げだろうと、艶消し黒仕上げだろうとなんだろうと、とにかく一発で表面加工が済んでしまう成型技術なのである。

 薄いフィルムとかを任意の形状に成型するのに、バキュームフォームっていう成型方法があるんだけど、一般的にはブリスターパックとか、タミヤのラジコンカーのポリカーボネートボディとかがこの成型方法で作られている。ところが石井表記さんの場合、この成型方法を発展させて、真空ー1気圧ではなくて逆の面から100気圧もかけて成型するとのこと、なんでそんなに高圧なのかというと、フィルムをほとんど熱することなく成型しちゃうので、精度が非常に高いらしいのである。

 実は以前の仕事でアクリル板にアルミを蒸着した板を熱して曲げたことがあるんだけど、アクリルを軟化点まで熱すると艶が失われて鏡ではなくなってしまったことがある。結局曲げてから蒸着したんだけど。表面のテクスチャを維持したまま成型できるのというのは温度管理が絶妙なんだろうと思う。

 今回はオートマチック自動車のセレクターのカバーを展示していたので、いうなれば複数の部品で構成していた部品の置き換え、イミテーション的な使い方としてしか使われていなかったけれど、うまくデザインすれば今までにないビックリするようなデザインでも再現可能になるかも知れない。

 デザイナーとかが理解できるようなわかりやすい説明を載せれば結構面白いことができそうなので、早く画像とかもついた説明ページを作って欲しいな。現物のカラー写真とかがないと説明しきれない。目の前で見ていても理解するのに数分間要したくらいだもの。まるで手品である。デザイナーさんの方も思いきったデザインを提案してみたら良いと思う、ここの社長さんは気さくな人なので、現在できない技術であっても新たに開発してくれるかもしれない。



 石井表記さんへのジャンプです。でわまた。

 ◆追記:石井表記さんのページのどこを見ても100気圧成型技術についての説明が見つからない。

 なぜ?。子会社さんだったのかな。確かに展示会では見たのに。

 田宮模型のラジコンカーのボディって、ポリカーボネートのバキュームフォームなんだけど、展示会で見た技術で成型したら、凄く精密なボディが出来そうだなーって思ったんだけど。

 これは田宮製のフィアット チィンクエチェントの写真。写真で見ると結構リアルっぽいんだけど、実際にはメッキ部分は絵が描いてあるのでメッキではないし。塗装を裏からしなくてはならないので、どうしても質感が変。しかも普通のバキュームフォームだからディテールはダルい。


 田宮のRCカーって、ボディ上面に留めピンが出ちゃっていて、リアルさに欠けるので、何か他の固定方法を考えれば超リアルボディとか出来そうなんだけどな。

 ベントレーのスポーツカーのボディとかあったら欲しいな。
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