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敦賀港駅ランプ小屋(赤煉瓦)~福井県敦賀市金ケ崎町

2014-06-15 14:01:41 | 洋館

2014年4月30日 【北陸から若狭へ2014】 福井県

敦賀港駅ランプ小屋(赤煉瓦)

福井県敦賀市金ケ崎町 

敦賀港駅は当初金ヶ崎駅と呼ばれていました。明治末期から昭和初期にかけて欧亜国際列車が運行され、ここからウラジオストク航路に乗り継ぎ、遥か欧州を目指す人や荷物で賑わっていた場所です。ランプ小屋は、列車の灯火に使用されるカンテラの燃料を保管する油庫として、かつては主要な駅に一般的に存在したものです。しかし光源が電灯に変わるなどして、その用途が消滅すると、駅の増改築などで急速にその姿を消していきました。ランプ小屋は1882年(明治15年)頃に建てられました。近代のコンクリートブロックやスレート造のものとは違い、丁寧に積み上げられたレンガや開口部のアーチなどは、独特の趣があります。そのレンガには、ところどころに四角い小さな文字が刻まれています。これはレンガを作った職人のサインのようなものです。漫遊敦賀より

 

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▲白石駅(宮城県)構内の油庫 

 

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金ケ崎城跡(金ヶ崎山)~福井県敦賀市金ヶ崎町

2014-06-15 06:03:32 | その他の城

2014年4月30日 福井県 早朝

金ケ崎城跡 (金ヶ崎山)

 福井県敦賀市金ヶ崎町

敦賀湾を一望する小高い山、そこに『金ヶ崎城跡』があります。延元元年(1336年)恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場です。戦いは激しさを極め、尊良親王ら300人は籠城から半年後、城に火を放ち自害しました。中腹の金崎宮には、その両親王が祀られています。また、この地には戦国時代の「つはものども」の気迫を今に伝える、数々の逸話も残っています。 ―時は元亀元(1570)年4月。朝倉義景討伐を企てた織田信長が越前に攻め入ろうとしたその時、近江浅井氏裏切りの報が。窮地に陥った信長だったが、金ヶ崎城でしんがりを努めた木下籐吉郎(豊臣秀吉)の活躍で、無事帰京できたという― 姉川の合戦で、浅井・朝倉連合軍を敗った信長。そして、その信を受け天下取りの道を進んだ秀吉。さらに、秀吉のしんがりを助け、後に謝意を受けた徳川家康…金ヶ崎城をめぐる出来事は、それぞれの武将にとって天下取りへの転換点となっているのです。敦賀観光案内サイトより

以前ここにお城があったことはこの石碑でわかるが今はなにもありません!

▲金崎宮

▲敦賀港

▲敦賀湾

月見御殿(南北朝時代の金ヶ崎城の本丸跡)より

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