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長崎市南山手町2015(重要伝統的構造物群保存地区)~長崎県

2016-01-20 06:02:55 | 重要伝統的建造物群保存地区

2015年12月13日 長崎県

長崎市南山手町2015 重要伝統的構造物群保存地区

長崎市南山手地区は、 東山手と同じ居留地であって、主として住宅地として使われていた区域であり、 長崎湾を見下ろす眺望の良い丘の上に位置している。保存地区の範囲は、丘陵の南山手町の大部分と、海岸寄りの小曽根、松が枝町を一部含む区域である。南山手の北寄りには、大浦天主堂、旧羅典(らてん)神学校があり、その南には、幕末から明治にかけての洋風住宅として、 旧グラバー住宅をはじめ、旧リンガー(弟)住宅、旧オルト住宅が現存しており、 松が枝町では、旧香港上海銀行長崎支店や旧長崎税関下り松派出所などが港に面して建ち、いずれも国宝や重要文化財に指定されている。地区の中心から南側は、現在でも静かな住宅地で、 明治時代初期から中期にかけての洋風住宅建築が比較的良好に残っている。長崎市南山手の町並みは、 居留地の地割を示す歴史的風致とともに、初期の洋風住宅群などをよく残しており、価値が高い。 長崎市ホームページより

信徒発見のレリーフ :大浦天主堂そばに設置されている

 

▲大浦天主堂

▼ 自由亭

 「自由亭」は、江戸時代の終わり頃、日本人シェフによる初めての西洋レストランとして、伊良林(いらばやし)の神社前にオープンしました。主人の草野丈吉は出島のオランダ人のもとで修行し、オランダ公使デヴィットにかわいがられ、大いに料理の腕を上げたと言われています。 当時の自由亭のメニューには、ビフテキやカレーライス、コーヒー、スポンジケーキなどがあったようで、「料金は一人前三朱、6人以上お断り、前日に予約すること」という記録が残っています。三朱は今の1万3千円くらい。電話もない時代に前日に予約するのは大変なことだったと思います。 自由亭は大いに繁盛し、1879年には市内の馬町(うままち)に進出すると同時に、建物も現在のものに新築。長崎一のレストランとして、元アメリカ大統領、グランド将軍をはじめとした各国の賓客が次々と訪れるようになりました。当時のメニューには「カーァヒイ(コーヒー)、カアレイ(カレー)、ゼリターツ(ゼリータルト)などと記されています。この建物は検事正官舎として使われていましたが、昭和49年グラバー園に移築復元されました。 グラバー園ホームページより

 

 

▲ 蝶々夫人を演じる三浦環の像
 

 旧グラバー住宅
 

▼グラバー邸より
 

▼ 旧リンガー邸
  

長崎伝統芸能館

 

▲長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館

 ▲ 長崎市べっ甲工芸館(旧長崎税関下り松派出所) 重要文化財

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