2015年12月13日 長崎県
大浦天主堂2015 国宝
長崎県長崎市南山手町
幕末の開国にともなって造成された長崎居留地の中に、在留外国人のために建設した中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の国内現存最古の教会堂です。聖堂内を飾るステンドグラスには、約100年前のものもあります。直前に列聖されたばかりの「日本二十六聖殉教者」に捧げられました。西坂の丘で殉教した二十六聖人へ祈りを捧げるために建てられたため、正面は西坂の丘に向けられています。設計指導者はフランス人宣教師のフューレ、プティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。元治元年(1864)末に竣工し、翌年2月に祝別されました。この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない劇的な「信徒発見」の舞台となりました。明治8年(1875)と同12年(1879)の増改築により、平面形式と外観デザインも変容し、外壁も木造から煉瓦造に変更されましたが、内部空間の主要部には創建当初の姿が温存されています。また1933(昭和8)年に国宝となるが原爆で被害を受け、1953(昭和28)年、日本最古の教会堂として国宝に再度指定されました。 ながさき旅ネット
▲ 旧羅典神学校 重要文化財
明治6年(1873)明治政府のキリスト教禁教令廃止を契機に、大浦天主堂のプティジャン神父はラテン神学校設立を計画し、明治8年(1875)に完成した。大正15年(1926)浦上神学校ができるまでは、神学校の校舎兼宿舎として使用された。その後司祭館や集会所にも使用され、昭和になって1階の間仕切(まじきり)を撤去して広い部屋をつくり、更に3階を改造して学生の寝室とした。設計はド・ロ神父。構造は木骨煉瓦(れんが)造で、骨組を木造にし壁に煉瓦を積む特殊なものであるが、ド・ロ神父は建築技術に造詣が深く、その設計監督した建物は極めて堅牢であるのが特徴である。大浦天主堂内司祭館・出津教会等、数多くの建物を遺している。 長崎市ホームページ
▼内部の様子:内部は撮影禁止!「大浦天主堂物語」より転写
cosmophantom