コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

平戸オランダ商会2015・~長崎県平戸市大久保町

2016-01-16 05:31:53 | 洋館

2015年12月13日 長崎県

平戸オランダ商会2015

長崎県平戸市大久保町

平戸オランダ商館は、1609年に設立された東アジアにおける貿易拠点で、江戸時代初期の日本の対外政策を考える上で重要な存在でした。平戸では比較的自由な活動ができたため、商取引や日常生活で様々な交流が行われていました。しかし、進展する鎖国政策により、1641年に長崎出島への移転が命じられ、約33年の平戸時代は終焉を迎えます。復元された建物は、1639年に完成した巨大な石造倉庫であり、日本ではじめての洋風建造物です。屋根などは、一部日本建築の要素も感じられますが、約2万個もの砂岩切石や48cm角の大きさの柱などが使用され、外観や構造はオランダの建物に酷似しています。 ながさき旅ネット

 

▲平戸大橋

 ▲ 平戸城

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寺院と教会の見える風景2015~長崎県平戸市鏡川町

2016-01-15 05:38:48 | その他

2015年12月13日 長崎県

寺院と教会の見える風景2015

長崎県平戸市鏡川町

平戸ザビエル記念教会光明寺瑞雲寺が交差して見える、平戸を代表する風景。 平戸港を一望する勝尾岳では、カトリック教会の尖鋭な屋根と十字架、そして寺院の屋根瓦がひとつの風景となり、日本と西洋の文化を感じさせる平戸を代表する景観のひとつとなっている。 達人ナビ平戸

 

   

 

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幸橋(さいわいばし)2015~長崎県平戸市岩の上町

2016-01-14 05:58:40 | 

2015年12月13日 長崎県

幸橋(さいわいばし)2015

長崎県平戸市岩の上町

5代平戸藩主の命により1702年(元禄15)に築造された石造単アーチ橋(重要文化財)。オランダ商館建造に携わった日本人石工が、地元の石工たちに伝授した架橋技術で建設されたと伝えられるため、オランダ橋ともよばれている。もともと平戸城に入る門前橋としての役割があり、1984年(昭和59)に御門が復元され、現在では平戸のシンボル的存在となっている。 るるぶ.com

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生月島塩俵の断崖~長崎県平戸市生月町壱部

2016-01-13 06:41:45 | 自然

2015年12月13日 長崎県

生月島塩俵の断崖

長崎県平戸市生月町壱部

生月島西部の海岸線はほとんどが断崖ですが、中でもひときわ不思議な形をしているのが、この塩俵の断崖です。この奇岩は柱状節理といい、溶岩台地の上に玄武岩が重なり、垂直方向に亀裂が入って五~七角形の断面を作ることにより、柱がいくつも立っているような形になります。さらに南北に500m、高さ約20mの規模があり、その見事な景観は、長崎県新観光百選にも選ばれています。また、生月大橋付近から塩俵を結ぶ道路は「サンセットウェイ」と呼ばれ、東シナ海に沈む美しい夕陽を眺めながらドライブができる絶景ロードとして知られています。 ながさき旅ねっと

 

この辺りにはミサゴが生息しているとのこと

山の頂上に二羽の鳥を発見。トリミングしてみた

う~む これはミサゴなのか?

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生月大観音~長崎県平戸市生月町山田免

2016-01-12 06:12:43 | その他

2015年12月13日 長崎県

生月大観音

長崎県平戸市生月町山田免

舘浦漁港を見下ろす高台にたつ観音像は、ブロンズ像としては日本屈指の大きさを誇る。 【像高:18m、基壇:3m、重量:150t】 世界の平和と海難者および魚介類の霊を追悼し、漁船の航海の安全を祈念して昭和55年4月29日に建立されたものである。間近に見るととても大きい。額に光る真珠は直径2.5cmと立派だ。台座内部にも無料で入館することができ、10分の1の大きさの生月大魚籃観音をはじめ木彫りの観音像など70体が祭られている。  達人ナビ平戸

 

▲観音は何か手に持っている。観音様は、手に籠を持っていて籠の中から魚が飛び出しているとのこと。

 

▼ 生月大観音からの景観

▲生月大橋

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田平天主堂・~長崎県平戸市田平町小手田免

2016-01-11 06:26:36 | 神社・仏閣・教会

2015年12月13日 長崎県

田平天主堂

長崎県平戸市田平町小手田免

田平天主堂は、1886(明治19)年以降、ラゲ神父やド・ロ神父が買い取った土地に黒島、外海から移住した信徒によってはじまる。1918(大正7)年、信徒たちは、中田藤吉神父の奔走による寄付に助けられ、鉄川与助が設計・施工した最後の煉瓦造教会堂を建てた。 ながさき旅ネット 














 
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

田平天主堂の内部撮影は禁止。以下の写真は「あじこじ九州」より転写
 
 
 
 
 
 
 
 
2016-01-11 06:26:36
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宮城2015

2016-01-10 06:24:16 | 旅行

2015年11月21日 宮城県

宮城2015

今回は宮城県内のお城や街並みをメインに巡りました。初めは大崎神社から

※ JR国見駅(仙山線)から徒歩で大崎神社へ

▲ 大崎神社

※ 大崎神社からタクシーで仙台城跡(青葉城跡)へ

▲ 広瀬川

▲ 街中で見つけた伊達氏の家紋

※ タクシーで仙台駅へ
 

▲仙台駅

仙台駅前の様子・・・けやき並木
 

※ JR東北本線で国府多賀城駅へ 

▲国府多賀城駅

※多賀城跡へはこの駅から徒歩で

▲外郭南門跡

▼多賀城碑

 ▼ 政庁跡

※ 国府多賀城駅から大河原駅へ
 

▲ JR大河原駅

※ 村田(重要伝統的建造物群保存地区)へはこの駅からタクシーで

※JR大河原駅からJR白石駅へ

▲JR白石駅

※ 白石城へはこの駅から徒歩で

▼白石城

▼ 明神社

 ▼ 片倉家中武家屋敷
 

 

▼ 壽丸(ますまる)屋敷

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白石の町並み~宮城県白石市

2016-01-09 06:27:31 | 町並み

2015年11月21日 宮城県

白石の町並み

宮城県白石市

白石市は、東京から東北新幹線で約2時間の宮城蔵王の玄関口です。市内には小原温泉、鎌先温泉があり、名所・旧跡も多く点在しています。街中には、堀割・水路があり、商家の蔵が点在するなど城下町らしい趣がみられ、1995年には白石城が城下町のシンボルとして復元されています。 遊湯詩的より

白石駅 JR東北本線:宮城県白石市沢目

片倉家の家紋:上り散ら藤と井筒
 

 

▼白石城
 

▼ 明神社

神明社は片倉小十郎の居城であった白石城址に隣接し、白石市内氏子地域の方をはじめ白石市内外の方々より崇敬され親しまれております。 明神社ホームページより
 

▼ 片倉家中武家屋敷

 

ふれあいの館

 

▼ 蔵王酒造(蔵王酒造展示館)

☆☆☆☆☆☆
    

▼ 壽丸(ますまる)屋敷:宮城県白石市中町

壽丸屋敷は紙問屋や雑貨商などを営んでいた豪商・渡辺家の町屋建築です。土蔵造の店蔵は明治中期、母屋と金庫蔵は大正12年(1923)に建てられました。2階建て、切妻平入り、瓦葺の建物で、棟瓦の高さや鬼瓦の大きさなどから、かなりの豪商だったと考えられます。洋風建築の要素も取り入れ、和洋折衷の造りが特徴です。 白石・丸森おでかけガイド

 

  

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白石(しろいし)駅~宮城県白石市沢目

2016-01-09 06:25:31 | 鉄道・駅

2015年11月21日 宮城県

白石(しろいし)駅 JR東北本線

宮城県白石市沢目

片倉家の家紋:上り散ら藤と井筒

▼ 駅構内の油庫 

この赤煉瓦の建物は明治二十年十二月十五日、白石駅がこの地に営業開始とともに灯火類の油を収納する油庫として建築されました  東北本線白石駅開業時に建設された唯一駅構内に残る貴重な建物です

 

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片倉家中武家屋敷~宮城県白石市西益岡町

2016-01-08 06:22:36 | 建築物(洋館以外)

2015年11月21日 宮城県

片倉家中武家屋敷

宮城県白石市西益岡町

白石城主片倉家の家臣小関家の屋敷で、享保15年(1730)の建築であることが確認されています。平成3年に白石市に母屋、門、塀が寄贈されたのを機に創建当時の姿に復原され、平成5年には宮城県指定文化財となっています。屋敷は白石城の北、沢端川沿いの鬱蒼とした庭木に囲まれた場所に建っています。白石市ホームページ

  

  

 

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明神社~宮城県白石市益岡町

2016-01-07 06:25:35 | 神社・仏閣・教会

2015年11月21日 宮城県 

明神社

宮城県白石市益岡町

神明社は片倉小十郎の居城であった白石城址に隣接し、白石市内氏子地域の方をはじめ白石市内外の方々より崇敬され親しまれております。 明神社ホームページより

 

 

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白石城~宮城県白石市益岡町

2016-01-06 06:32:52 | その他の城

2015年11月21日 宮城県

白石城

宮城県白石市益岡町

後三年の役(1083~1087年)で戦功を成した刈田左兵衛尉経元が白石の地を賜り、刈田氏と称してここに築城したのが始まりといわれています。その後白石氏などの支配後、伊達氏の勢力下に入ったものの、天正十九年(1591年)豊臣秀吉は、この地方を没収し、会津若松城とともに蒲生氏郷に与えました。蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成は、白石城を改修し城主となりました。慶長三年(1598年)上杉領となるや上杉氏家臣海甘糟備後守は白石城の再構築を行い居城しました。慶長五年(1600年)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となって、石川大和昭光が一時城主となりました。その後、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となり、城下町として栄えました。
木造建築による完全復元天守として、平成七年三月に白石城が復元されました。白石市観光協会

▲井戸屋形

▲大手二門
  

 ▲本丸御殿跡

 

 

▲大手二門(天守閣最上部より)

▲本丸御殿跡(天守閣最上部より)
   

▲本丸井戸

▼鐘堂と鐘
 

白石城鐘堂は、その脇に物日(祝いの日)に片倉家の白地黒鐘の大馬じるし、三階黒鳥毛などが立てられたと伝えられるが、発掘調査の結果等により、三階櫓(天守)東側のこの突出平場に建っていたと考えられる。 もとの鐘は文正元年(1466)に鋳造されて、伊達郡東昌寺にあった。東昌寺は伊達家四世政依が弘安年中(1278~88)に建立した寺で現在仙台市に移っている。何時の時代にか白石城に入って、非常の際に撞き鳴らされていた。また毎年七月、城回りの土手と堀の清掃の時には、この鐘を鳴らした。朝八時に七つ撞いて仕事を始め、九時に五つ、十時に三つで終わる。侍と城下にいる足軽、その他扶持を受けている者が総出で堀払いをした。長年使用したため、ひびが入ったので、寛文元年(1661)、片倉三代景長が仙台の鋳物師早山彌五助に命じて再鋳した。それが戊辰戦争後、明治三年(1870)白石城払い下げの時、ゆかりを知って伊達郡桑折町の傳来寺で買い求め、その由来を新たに記して使用していた。太平洋戦争中、古鐘であるといって保存させたので供出をまぬがれて傳来寺境内に現存している。  説明板より

 

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村田(重要伝統的建造物群保存地区)~宮城県柴田郡村田町村田

2016-01-05 06:20:26 | 重要伝統的建造物群保存地区

2015年11月21日 宮城県

村田の街並み 重要伝統的建造物群保存地区

宮城県柴田郡村田町村田

仙台と山形を結ぶ街道の分岐点として、商都の賑わいをみせた「村田」。村田商人は、伊達藩が栽培を奨励した紅花や藍を仙南地方で買い集め、江戸や上方へ運ぶ商取引を行っていました。当時の栄華を伝える豪勢な店蔵が、今も町の中心部に残っています。重厚な店蔵と門が一対となり、連続する景観が印象的で村田の特色といわれています。通りの両側には短冊形の地割りが整然と並び、江戸時代の「町人地」の姿を今に留めています。また、建築様式のみならず、江戸時代に活躍した村田商人の「紅花商い」を通じて、都から様々な文化がもたらされました。  村田町ホームページ

村田商人会記念館

村田商人「やましょう」は、江戸後期から昭和の初期にかけて紅花の取引をはじめ、生糸、綿糸、農産物、味噌醤油醸造販売業などを商いとした町有数の豪商として知られていました。記念館は、往時の面影が残る家並みが連なる表通り(蔵の町並み)にあり、歴史的文化価値の高い建築物で、建物に付随する表門は、薬医門と言って非常に珍しいとされ「やましょう」邸のシンボルでもあります。離れ座敷は、名曲「影を慕いて」の作曲者・古賀政男氏も宿泊したことがあります。  村田町ホームページ

 

 

  

   

  

 

「究極の納豆」との表示に、納豆をお土産として数種類購入。帰宅後食べてみたところ、なるほど美味い!原料の大豆は北海道産。なお、納豆はここ村田の特産品ではありません。念のため

 

 

ここのアクセスは非常に悪い!最寄り駅(大河原駅)からタクシーを利用した。バスの運行便数は極めて少なく、運良くバスに乗れた場合は「村田中央」で下車すると良い。

 

 

▲大川原駅:JR東北線
 

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多賀城跡(100名城)~宮城県多賀城市市川

2016-01-04 06:52:02 | 100名城

2015年11月21日 宮城県

多賀城跡 100名城

宮城県多賀城市市川

多賀城は神亀元年(じんきがんねん)(724)に大野東人(おおの あずまひと)によって創建され、陸奥国府(むつこくふ)と鎮守府(ちんじゅふ)が置かれました。約900メートル四方という広大な城内の中央には、重要な政務や儀式を行う政庁がありました。発掘調査成果をもとに環境整備が行われており、平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに日本三大史跡に数えられています。 多賀城市観光協会

▼外郭南門跡 

南門は多賀城政庁から約380m南に立地していました。発掘調査の結果、門は高さ13.5mの重層門であったと推定されます。この門と築地塀は、780年の伊治公呰麻呂(これはりのきみあざまろ)の乱で焼失しています。多賀城市観光協会

  

▲外郭南門跡と示された碑

▲南門跡

▲築地跡

▼多賀城碑 重要文化財 

那須国造碑(栃木県)、多胡碑(群馬県)とともに日本三古碑の一つに数えられる奈良時代の古碑。
多賀城南門近く、覆屋に守られて立っています。高さ196センチ、幅92センチの碑面には、平城京や各国境からの距離、多賀城の創建や修造について141文字でつづられています。歌枕の「壷碑」とも呼ばれ、江戸時代には松尾芭蕉が訪れ、対面した感激を『奥の細道』に記しています。多賀城市観光協会

 

多賀城碑は、多賀城南門近くにある小さな堂の中に立っています。この碑は、高さ196cm、最大幅92cmの砂岩で、碑面をほぼ真西に向け立てられています。碑面には141字の文字が彫り込まれています。中央上部に「西」の一字があり、その下には140字が11行に配されています。碑文は、前半には京(=奈良の平城京)、蝦夷国(えみしのくに)(=東北地方北半)、常陸国(ひたちのくに)(=茨城県)、下野国(しもつけのくに)(=栃木県)、靺鞨国(まつかつのくに)(=中国東北部)から多賀城までの距離が記されています。後半には、多賀城が神亀元年(724)大野朝臣東人(おおののあそんあずまひと)によって設置されたこと、天平宝字(てんぴょうほうじ)6年(762)藤原恵美朝臣朝狩(ふじわらのえみのあそんあさかり)によって改修されたことが記されています。最後に天平宝字6年12月1日と碑の建立年月日が刻まれています。この碑は「壺碑(つぼのいしぶみ)」とも呼ばれ、江戸時代初めの発見当初から歌枕「壺碑」と結びついて広く世に知られていました。松尾芭蕉も旅の途中にこの碑を訪れ、深い感動をもって対面した様子が「おくのほそ道」に記されています。多賀城碑は、群馬県の多胡碑(たごひ)、栃木県の那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)とともに日本三古碑のひとつに数えられており、平成10年6月30日に国の重要文化財(古文書)に指定されました。多賀城市の文化財より

 ▼政庁跡

政庁跡へ続く階段

 

 

▲東南建物跡

▲東翼廊跡

▲南門跡

▲西翼廊跡
 

▲西南建物跡
 

▲正面が正殿跡

石敷広場跡
  

▲正殿跡

 

▲正殿跡へ続く道と階段
 

▼館前遺跡

国府多賀城駅前の小高い丘に立地しています。発掘調査の結果、国司の館跡とみられる四面庇付建物跡を主屋とする建物群6棟が発見され、1980年に特別史跡に追加指定を受けました。多賀城市観光協会

 ▼国府多賀城駅:JR東北本線

多賀城跡へはこの駅から徒歩で

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国府多賀城駅(JR東北本線)~宮城県多賀城市浮島

2016-01-04 06:51:02 | 鉄道・駅

2015年11月21日 宮城県

国府多賀城駅 (JR東北本線)

宮城県多賀城市浮島

駅前には何も無い・・・・・

▲東北歴史博物館

ホームからは茅葺き屋根の建物が見える。とても気になるがスルー。

 

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