縁のなかった葵祭を遂に見ることができました。王朝時代、単に祭りといえばこの葵祭を意味し、源氏物語での六条御息所と葵上の車争いの場面は画題や能であまりに有名ですが、兼好法師も繰り返し取り上げています。
奈良の妹にすすめられるまま、思い腰をあげて薫風の京都を目指しました。今回はあるじのほうが珍しく乗り気で雅の祭を見たいと言い出しました。
昼過ぎ京都について、上賀茂神社のほうが幾らか人が少ないだろうという妹の情報でしたが、一応駅の観光案内所に立ち寄り、情報を集めて、まっすぐ上賀茂へと向いました。3時半ごろ到着予定というのに境内はすでに大勢の見物客で、2時半から後は、二の鳥居の内には入れないというので、「ならの小川」の畔を清流に沿って歩き、百人一首の”みそぎぞ夏のしるしなりけり“の家隆卿の歌碑を確かめ、今日は近づくことができないお社を遠くから拝し、社家のあたりを散策、まだ十分残っていた桟敷席を購入して腰掛けて到着を待ちました。
祭りは予想通りの動く王朝絵巻で、一の鳥居の外で騎乗の人も下乗、斎王代も輿から降りて歩くことになるので、目の前を五衣裳唐衣(十二単)の上に小忌衣オミゴロモを付け、垂髪には、金属の心葉飾り、額の両側には“日蔭の糸”を垂らして、静々と通過してゆくのを拝見します。女の童たちの色とりどりの衣装もあいらしく斎王代の裳裾を掲げて進みます。采女、命婦、楽器を奏しながら進む楽人のうち、琴も歩きながら奏されるのは驚きでした。冠にかざすフタバアオイはこの時刻になると強い日差しに萎れています。
行列の最高位である、勅使の近衛中将が、背筋をすっきり伸ばして、黒の束帯、銀の魚袋をつけ、太刀を佩き、裾を長く引く姿も大宮人のいにしえを髣髴させます。夢の絵巻は1時間半に亘り途切れることなく繰りひろげられました。
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1、2枚目の写真は妹の撮影
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祭りの周辺の画像3枚、クリックで。
上賀茂神社「ならの小川」・「風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりけり」藤原家隆・神社に奉仕する社家は御神灯を吊るして。