霜月に入り、カレンダーも薄くなってしまった日々をいとおしみながら過ごしています。
今年は88歳、米寿の誕生月なので思いがけなく行政やその他の公的機関からもお祝金が届けられて驚いています。私の本音は「おめでとうございます」と記されていても、世にはばかって生きているようで、「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしています。」と心のうちで呟いています。「90歳何がめでたい」と開き直れる気力も持ち合わせず、多くの人手を借りて成り立っている今の暮しで、どこか居心地悪く、中途半端のめでたさです。
一日の十三夜は、やっと晴天が戻ってきた日々で、先月の十五夜よりも美しいお月様を拝めて、今年は形見月にならずに済みました。文化の日や古典の日とやらも挟む教育文化週間のようですから、十三夜について調べてみました。
中国伝来の十五夜と違って十三夜をめでる習慣は我が国独自のもののようです。お供えのススキも穂がまさに稲穂状ですし、(所によっては本物の稲穂をお供えするところもあるとか)団子の数も13個でいいようです。
ところで琳派おたくの私は、今年も月を扇面に捉えようと四苦八苦しました。頭に去来していたのは漱石の句「張り交ぜの屏風に鳴くやきりぎりす」と蓼太の句「わが影の壁にしむ夜やきりぎりす」です。その摸索した足跡の楽屋裏を落款も押せないものも含めて何枚か選んで足跡を留めます。