雀の手箱

折々の記録と墨彩画

秋の気配

2009年09月06日 | すずめの百踊り
 尾花の揺れに秋を感じていますが気温は相変わらずの31度。それでも朝夕の肌に感じる風の気配は、先月のものとは異なってきました。
 夕刻、郵便を出しに出かけた折、雲ひとつない空には満月が懸かっていました。

 広く知られた牧水の歌
   白玉の 歯にしみ通る 秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり
   かたはらに秋ぐさの花かたるらく ほろびしものはなつかしきかな
を思う季節の到来です。

 こよなく酒を愛した牧水も、醸造を家業とする家に生まれた白秋も九州の人です。
 この季節は酒の詩人達を思い浮かべますが、どういう巡り会わせか、私のブログを訪問される方たちは、おなじ遺伝子を持つはらからは別にして、お酒を嗜まない人が多いようです。でも、お酒の楽しみは飲むことだけにあるのではありません。詩歌に歌われ、カクテルストーリーに描写されるその楽しみを読むことで、害のない喜びを味わうことができます。
 勿論、飲酒運転などは論外です。これは酒の罪ではなく、お酒への冒涜、飲む人の罪です。

   得歓当作楽  歓を得なば当に楽しみを作すべく
   斗酒聚比隣  斗酒もて比隣を聚めん
   盛年不重来  盛年 重ねては来たらず
   一日難再晨  一日 再び晨なり難し
   及時当勉励  時に及んで当に勉励すべし
   歳月不待人  歳月 人を待たず
             (陶淵明『雑詩十二首』其一からの抜粋)

 人生のはかなさを説き、時に及んで行楽すべしとうたうこの詩は、陶淵明の詩の中でも有名で、特に最後の四句は切り離されて人口に膾炙してきましたが、意味は、儒教道徳の影響で転用されて、歳月は人を待たないから、寸刻を惜しんで勉強すべしというふうに、曲解して教訓に利用されることが多かったようです。ここで成人向けに正解も理解しておきたいものです。
 原文に即していうなら、“盛りの年は二度とはない、今日という日は再びは来ない、時に及んでまさに行楽を楽しもう、歳月は人を待ってはくれないのだ”です。

 今時、近隣の人を集めての酒盛りなど考えられません。私の好みはやはり牧水流で、ゆっくり、自分の適量を静かに、秋の夜長を虫の音をBGMにと・・・。

 秋の楽しみのもう一つは、絵画展の企画のよいものが多いことです。門司の出光美術館でも、4日から「琳派と江戸絵画 ―宗達・光琳・抱一を中心に―」と題した展覧会がはじまりました。やはり、私にとっては「秋は琳派」です。展示替えで、会期の後半に見たいものが集中しているようですが、近いので前半も出かけるつもりです。

画像は酒井抱一 十二ヶ月花鳥図より。

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2 コメント

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カクテルストーリー ()
2009-09-07 12:43:52
 描写される楽しみを読んだだけでも酔ってしまいます。飲めないと、人生の大半を損したようでくやしい。 お酒を通して広がるせかいは いかばかり。人生をも深く味わうのでしょう。

 歳月不待人… 存命の喜び、日々に楽しまざらんや。 旅人の十三首も読みました。
 いっそ酒壺になってお酒に染みていたかった… ああ、もうフラフラですが、吾亦紅がそよいでいます。桔梗も木槿も鶉も確かに見えました。ありがとうございます。 千鳥足にて ピョンぴょんピョン・・・ 琳派と江戸絵画も楽しみですね。
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吾亦紅 (ふくら雀)
2009-09-07 20:43:49
事もあろうに、わが福岡県では警察官が、そして県職員が飲酒運転で不祥事を頻発しては新聞で取り上げられています。愛飲家の風上にも置けぬ輩と腹を立てています。

酒壺の傍にいるだけで吾亦紅と顔を赤くした蛙さん。旅人の憂愁の深さはよくご理解で。
ところでこの絵、もしかして其一の代作?おおらかな徒弟制度ですから、もしやと想像が膨らみます。
芙蓉も酔芙蓉で、夕方見ると赤く変わっていたりして・・・・

酒飲みは李白でしょう。酔って水に映る月を捉えようとして落ちて溺死したという伝説も、その生涯に相応しいですね。白髪三千丈の国はスケールが違いますね。これからは冷酒よりお燗をしたほうが・・・楽しい季節です。

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