新しい元号は、国民の大きな期待と関心の中で「令和」が選定されました。
出典は元号では初めての我が国の国書の中からで、それも意外にも万葉集からでした。政府見解の発言から、今回は多分国書からとは思っていましたが。
しかも、それは「万葉集筑紫歌壇」と呼ばれる一群の中でも有名な「梅花宴」三十二首の序文から採られたと報じられました。
九州国立博物館に自分で運転して訪れる折には、大宰府インターで下りて、都府楼址は道順なのでよく立ち寄りしていました。このブログでも何度か取り上げた太宰府ゆかりの「梅花の宴」です。
奈良時代の神亀から天平にかけての数年間には、遠の朝廷(とおのみかど)と呼ばれた太宰府には、帥 大伴旅人を筆頭に、太宰少弐 小野 老、筑前国守 山上憶良、造観世音寺別当 沙弥満誓、大伴坂上郎女といった万葉集中屈指の歌人たちが在住していました。帥旅人の邸宅で催された梅花の宴ではこうした人々の歌が採録されています。序文はあの王羲之の「蘭亭の詩会」を思わせる格調高いものです。この元号採択という出来事が、国民歌集といわれ、昭和の大戦に出征した学徒たちの戦陣にも携行を許された万葉集でした。
これを機に万葉集への関心が高まることに期待しています。
筑紫の国の一隅に、昭和一桁に生まれ、平成、令和と三代の年号で生きることになり、最後が「令和」という筑紫ゆかりの年号となるめぐり合わせを喜んでいます。
註 令和の典拠 出典 万葉集巻五 梅花の歌三十二首併せて序
初春令月 気淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香
(初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き,蘭は珮後の香を薫らす)
三十二首の中から
春さればまづ咲く宿の梅の花独り見つつや春日暮さん 筑前守 山上大夫(山上憶良)
わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れくるかも 主人(大伴旅人)
出典は元号では初めての我が国の国書の中からで、それも意外にも万葉集からでした。政府見解の発言から、今回は多分国書からとは思っていましたが。
しかも、それは「万葉集筑紫歌壇」と呼ばれる一群の中でも有名な「梅花宴」三十二首の序文から採られたと報じられました。
九州国立博物館に自分で運転して訪れる折には、大宰府インターで下りて、都府楼址は道順なのでよく立ち寄りしていました。このブログでも何度か取り上げた太宰府ゆかりの「梅花の宴」です。
奈良時代の神亀から天平にかけての数年間には、遠の朝廷(とおのみかど)と呼ばれた太宰府には、帥 大伴旅人を筆頭に、太宰少弐 小野 老、筑前国守 山上憶良、造観世音寺別当 沙弥満誓、大伴坂上郎女といった万葉集中屈指の歌人たちが在住していました。帥旅人の邸宅で催された梅花の宴ではこうした人々の歌が採録されています。序文はあの王羲之の「蘭亭の詩会」を思わせる格調高いものです。この元号採択という出来事が、国民歌集といわれ、昭和の大戦に出征した学徒たちの戦陣にも携行を許された万葉集でした。
これを機に万葉集への関心が高まることに期待しています。
筑紫の国の一隅に、昭和一桁に生まれ、平成、令和と三代の年号で生きることになり、最後が「令和」という筑紫ゆかりの年号となるめぐり合わせを喜んでいます。
註 令和の典拠 出典 万葉集巻五 梅花の歌三十二首併せて序
初春令月 気淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香
(初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き,蘭は珮後の香を薫らす)
三十二首の中から
春さればまづ咲く宿の梅の花独り見つつや春日暮さん 筑前守 山上大夫(山上憶良)
わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れくるかも 主人(大伴旅人)
懐かしい 古典の名称に触れると 心中より 湧き上がるガッツで自然と本稿をアップされましたね。
ご家族+ご友人は さぞかし 安堵された事でしょう。”もう 心配ないね。新しい パソコンでもプレゼントしようかな?”
・・・なんて 会話が 聞こえてきそう。卒寿のお祝いを ご期待ください。
閑話休題
⓵ 天声人語 で 万葉集研究家の 中西先生の
活動が記されていました。
小中学生に 万葉集の楽しさを知ってもらうの
が目的とか。
② 昔 単身赴任中の同窓生を訪ねて
ゴルフを兼 ね 富山の高岡へ。
大伴家持が 駐在した場所と知る。当時の献立
が展示されていたが 貧相だった。
**無駄話はここまで
⓵ ”万葉集を味わう” と言うタイトルで 講師役? 4500首の中から 主宰が厳選されるベスト作品に易しく+楽しく 接するノーハウを・・・。
② 県の教育委員会も既に 計画着手、講師選考
と考えられるのでご指名が来るかもしれません。
** ②は時間がかかりそうなので 先ずは⓵ 近場の 高校か? 老人ホームか? そう、中西先生の小型版にチャレンジへ。
あれやこれや 他人事ながら 想像を膨らませる。楽しきや。
ps=タイトルは 俳優織本順吉の追悼番組よりパクり
タイトルから、三橋鷹女の「老いながら椿になって踊りけり」を思い出しました。
中西先生の小型版など、渚さんの飛躍は面白いですね。もはや老廃の出る幕なんぞござなく、憶良の「貧窮問答歌」や、旅人の一連の酒ほがいの歌に一人共鳴して愉しんでいます。
最近は漢詩の形式美を肯定して、昔は嫌った美辞麗句に見惚れるのも、老いた証拠でしょうね。
今は誰にはばかることもないので、好きな謡本を引っ張り出し、大きな声で謡ううち、本の中に挟まれたままの番組表などが出てきます。
古い舞台の記憶をなぞるのも楽しみになっています。