2013年度に撮って表紙用に用意しておきながら余ってしまい、出番のなかった写真をまとめてご紹介。
全部で4回分あります。
まずこの二枚は、10月の表紙に使った写真と同じ日に写したものですので、状況など詳しくはそちらを
参照してください。
写真上はまだ日の出前、肉眼では暗くてよくわからない中、ISO感度を上げて撮影したもの。
陰影がなく、メリハリにはかけるものの、その分、足元にうっすら積もった雪や、紅葉の色づき具合が
よくわかります。
写真下は日の出直後、なかなかいい色合いの光線が差して、緑岳のタスキがけの紅葉が真っ赤に
染まりました。ちょうどトムラウシ方面に雲がかかり、あまり広角では撮影できなかったのが残念でした。
【緑岳早朝撮影セッション(の続き)/2013.09.19撮影】
今から15~20年前くらいになりますかね、サントリーの「我ら、角瓶党」キャンペーン。
覚えているというか、言われて思い出された方もいらっしゃるのではないでしょうか。
写真の小冊子は、その時キャンペーン商品と一緒に送られてきたもので、四冊あることから、
少なくとも四回なにかしら品物が届いたのでしょう。こんなのがいまだに手元にある、自分の
物持ちのよさにも驚きますねえ。小冊子全般によくできていて、中でも片岡鶴太郎画伯が描く
表紙絵が気に入ったので残す気になったと思われます。酒井和歌子さん、変わらず「かわいい」
ですしね。それはさておき。
今回これを引っ張り出したのは、連続テレビ小説・マッサンの劇中、時々ウイスキーを「ウスケ」と
呼ぶシーンが出てきて、たしかこの冊子でウスケの話が出ていたなと思い出したからなんです。
当時一般的な日本人で、「ウイスキー」という舶来言葉を知っていたほうが珍しかったのかもしれません。
日本初のウイスキー蒸留所ができた山崎で、「ウスケという怪物が出る」という不穏なうわさが広がった
らしいんですね。
この小冊子では、「角瓶前夜」と題して、サントリーの創設者である鳥井信治郎氏(劇中では
鴨居欣次郎)の日本初のウイスキーをつくり、事業を軌道に乗せていくまでの苦労話、奮闘ぶりが
紹介されています。それによると、マッサンでは工場がようやく完成に漕ぎ着け、大きく前進した場面で
先週までの放映が終わっていますが、この先も前途洋々ではなさそうですよ。国産第一号の「白札」、
続いて発売したその普及版「赤札」がまったく売れず資金難に陥り、ついに1931年は「仕込み」を
まったくできなかったそうです。(1931年製は酒庫から永久に消失、永久欠番になっているとか)
マッサンは、連続テレビ小説至上、私が初めて全編通して視聴する記念すべき作品になるかもしれません。
これまでも、基本ほぼNHKしか見ない関係上、どの作品も部分的にはかじって見ているんですけどね。
近年では録画機の機能に頼ると勝手に記録してくれるので、見ようと思えば続けて見ることが出来たけど、
そこまでして見る習慣をつけなくてもと思っていたんですね。新聞小説と同じで、この手の続き物は、
見出したら続きが気になって、途中でやめるわけにいきませんわな。
しかしながらマッサンは、日頃お世話になっている「竹鶴」とか「角瓶」にかかわるお話だけに、見ないわけには
参りません。先の旅でも、野外ではカーナビで見てました。車のバッテリーにはだいぶ負担をかけたかも
しれないけどなあ。しかし前述の「~前夜」では、竹鶴正孝氏のことにはいっさい触れられていません。
のちライバル企業となるニッカウイスキーを創設するのですから、当然といえばそうかもしれませんが、
いったいどんなかたちで袂を分かつのか? この先、一番興味があるのがその点です。
*アブラムシとの戦いが続いています。いったんほぼ消滅させて、その後寒い日が続いたので、
「もう大丈夫かも」と高をくくっていたんです。しかし昨日久々にチェックしたら、勢いがぶり返していて、
がっくりしました。仮に成虫を退治しても、さらに小さな卵らしきものが大量に付着していて、
それから次々と孵化するものと思われます。ハクサイの芯とか、葉の筋の奥まったところなどは、
異常に退治しづらいですしね、弱りました。しかしこちらも意地になって、ふと気がつくと、何時間も
同じ姿勢で奮闘している自分に気づきます。もうギブアップ寸前なんですけどね。