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秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

大住団地線

2011-12-30 23:20:20 | 秋田市営バス
久しぶりに仁井田字大野の続きで、この記事で終わりです。書いているうちに秋田市営バスの歴史のような内容になったので、市営バスカテゴリーに入れておきます。
※仁井田の前回の記事一連の最初の記事

前回は、路線バス「大野線」の終点「大野四区」から北西へ300メートルほど進むと、農村(っぽい)風景が一変して新興住宅地の街並みに出た。
市立大住小学校のすぐ南西(間に田んぼがある)で、雄物川の堤防(茨島・大住アンパスの通り)やJR羽越本線からは、共に300メートル前後。
住所としては、線路側の一部が2001年に住居表示が行われた「牛島南二丁目」で、それ以外が「仁井田字西潟敷」「牛島字東潟敷」。(牛島南二丁目は、かつては牛島字西潟敷、牛島字東潟敷、仁井田字西潟敷だった)
ここは仁井田地区と牛島地区の境目であり、昔は東西の「潟敷」に分かれていたようだ。「潟」とは、以前触れた「大野潟」のことだろう。

古くないほぼ同サイズの戸建住宅がびっしりと並ぶここは、「大住ニュータウンみなみ野」と呼ばれる住宅地。(明確な範囲は分かりません。ちなみに、雄物川側のアンパスの通り沿いは「第二みなみ野」と呼ぶらしく、所在地は仁井田字新中島)
僕がここが「みなみ野」という名であることを知ったのは、1993年。しかし当時は、「みなみ野団地」という名称だと思っていて、アパートみたいな集合住宅をイメージしていた。
アパート風でなく戸建住宅の集合を「団地」と呼ぶのは、あまり一般的ではないような気もするが、このような意味で使うこともあるにはある。

おそらく、「大住ニュータウンみなみ野」というのは、不動産会社が分譲地に付けた愛称なのだろう。
では、「みなみ野団地」は誰が付けたのか?
おそらく、当時の秋田市交通局だと思う。1993年春に大住団地線を延長した際、「大住団地(みなみ野団地)線」と名付けたのが最初だと思う。
秋田市交通局は、実際の正式名称をちょっといじってバス停名や路線名にする場合が少なくなかったフシがあり、他にも旭野団地、栗田県営住宅、酒造センター辺りなどが該当しそう。

大住団地線は2001年度から中央交通に移管され、現在は「大住・みなみ野団地線」と呼んでいるようだ。
この路線は、現在は秋田駅西口と牛島西四丁目を結んでいる(平日の1往復は駅に寄らず県庁経由大川反車庫発着)のだが、牛島側での経路や終点の変遷を見ると、興味深いものがある。
まずは、現在の路線図をご覧ください。
赤い線が前回まで紹介した「大野線」、青い線が「大住・みなみ野団地線」。バス停はすべて記載。(一部地図からはみ出ていたり、元市営バスの路線だった大住線の方を赤い線にした方がいいですが、前回の使い回しなので…)
※大住・みなみ野団地線は、2017年10月に有楽町~大住団地入口間の経路が変わり、旧道~二ツ屋下丁~南高校前を通らなくなりました(大住団地入口以降は変更なし)。さらに2019年4月からは末端の2停留所が廃止(移動)され短縮されました。以下は経路変更前・初回アップ時の情報をそのまま残しています。
国土交通省国土地理院「電子国土Webシステム」より抜粋・加筆
秋田駅から有楽町・牛島を通って来た大住団地線は、「二ツ屋下丁」通過後、国道13号線に合流する「二ツ屋」三叉路を急角度に曲がって13号線へ出て、秋田市中心部へ戻るかのようなコースをたどる。
この“逆走”区間は、県立秋田南高校の前を通って、次の「大住入口」交差点までの400メートルほどで、バス停は「南高校前」1つだけ。しかし、南高校前は、卸センター入口(柳原)経由御野場団地線も通るので、両者で上りと下りのバス停位置が入れ替わっているという、少しややこしいことになる。

国道が猿田川を渡る手前、スーパーマーケット「ナイス仁井田店」がある「大住入口」丁字路交差点を左折。(上の地図ではみ出た部分)
ナイス仁井田店。奥の左右が国道で、左がローソンと猿田川
ナイス仁井田店は、前身の「フードセンター」当時からの建物で、昭和の趣がある小型店舗。ナイスの中では最古の店だろう。
ここからは他路線が通らない大住団地線単独のコースで、再び狭い道になる。
左手(ナイスの裏)には、住宅や秋田南高校の脇が見える
秋田南高校の校地のうち、この付近は1994年度までは「秋田県教育センター」だった。教育センターが潟上市天王へ移転して秋田県総合教育センターとなり、1997年の南高校の校舎改築の際、同校の校地が広がった形。
住所はこの辺りまでが「仁井田緑町」で、以降は「大住」になる。そこのバス停が「大住団地入口」。
大住団地入口バス停付近に、小さな郵便局がある。
「大住簡易郵便局」
簡易局にしては本格的な構えのようにも見えるが、ATMはない。
そういえば、この一帯には郵便局もゆうちょATMも極めて少ない。
【1月1日追記】コメントをいただいて思い出した。以前、ここは酒屋だった。酒屋が廃業後、大住団地バス停そばにあった郵便局が移転して来たとのこと。

郵便局差の先も道は狭いが、700メートルほどに渡ってほぼ一直線。「大住二丁目」「大住三丁目」の2つの停留所がある。
沿道は戸建ての住宅があり、裏側には集合住宅形式の県営大野住宅や雇用促進住宅仁井田宿舎がある。昭和40~50年代に開発されたらしい。
大住を行く大住団地線
バス通りは商店街にもなっており、それなりにお店がある。1983年に設立された「大住地区商工振興会」には、現在42店舗が加盟している。
大住二丁目バス停付近
秋田らしく美容室のほか、クリーニング店、医院が多い感じだが、秋田銀行大住支店、弁当屋などもあり、広小路なんかより商店街の体をなしているとも言えそう。幼稚園もある。
大住三丁目
大住三丁目付近になると、住宅がメイン。

そして、やや広い道と交わり、住宅街が途切れる。
広い道は新しい道で、左折すると「あきたこまち誕生の地」碑・「小中島入口」バス停方面。そして向こうの広大な空き地が、秋田県農業試験場跡地。住所も再び「仁井田(字小中島)」になる。※関連記事
先にさらに細い道が続いているが、それは試験場跡を抜けて大野へ至る。
バスは右折。
右(国道・大住三丁目方向)から来て奥へ右折
曲がってすぐが、「大住団地」バス停。
右は住宅地、左は試験場跡
住宅地と試験場との境、大住地区の端である「大住団地」は、上記の通り1992年度までは、大住団地線の全便が折り返していた。
この先も含めて他の停留所のバス停のポールは、表示板部分がリニューアルされているが、なぜか大住団地だけは上下とも手書き文字の古いまま。(運行会社名部分は書き換えられているが、消えている)
「大住団地」以外の文字が見えるような… どこかの使い回しか?
かつてはここで折り返していたということは、方向転換や待機する「回転地」があったはず。
僕の記憶によれば、その場所がたぶん今も残っている。
先ほどの交差点。奥が大野、バスは後ろから右へ
交差点の東側(上の写真正面)に、ちょっとした空き地があり、それが回転地だったと記憶している。
現在は、上の写真の通り、舗装されて電話ボックスがあり、何台かの車が停まっていた。どういう位置づけのスペースなのか?

大住団地を過ぎたバスは、右手に大住の住宅、左に試験場跡を見て、200メートルほど進む。その末端が「大住小学校入口」バス停。
(今までと逆向きで)右が試験場跡地。大住小学校はこの左後方
「入口」といっても、市立大住小学校までは100メートルも離れてはいない。でも、「小学校前」っていうほど前でもない。
道は田んぼに突き当たる。バスは左折してすぐに右折。
突き当り。右奥が大住小
150メートルほど、田んぼの向こうに小学校や住宅を眺めて進む。
試験場跡とは異なり今も耕作されているので、四季折々の田んぼの光景を見られる。冬は吹雪くし、通学路なのに幅員が充分でないので、注意。

やがて左にカーブし、道幅が広くなり、突如、新しい住宅地に入り込む。
ここからが「大住ニュータウンみなみ野」。500メートルほど直進。

写真がないですが、ニュータウン最初のバス停が「みなみ野入口」。次が、
大住コミュニティセンター入口
1994年4月開館の秋田市大住地区コミュニティセンターは住宅地の奥にあり、バス停から120メートルほど離れている。
上の写真の通り、バス停の表示が変わっていて、小さな文字で「みなみ野団地」という“サブタイトル”が付いている。
「大住・みなみ野団地線」という割には、ズバリ「みなみ野団地」というバス停はないことになるが、上記の通り、みなみ野への延伸が1993年度、コミセン開館が1994年度なので、1993年度の1年間だけは「みなみ野団地」というバス停名だったことになる。
広報あきた1274号1993年3月20日より
大住団地線延伸を伝える秋田市の広報紙でも、このバス停が「みなみ野団地」になっている。
ちなみに、二ツ屋福島線の今の「南部公民館前」は当時は「牛島東六丁目」というバス停名だったようだ。

前回、大野四区から歩いてきた時に出たのがこの付近。

以後、写真はないですが、道路は右にカーブして、小さな「古川」を渡り、国道以来久々の信号機付き交差点へ。
直進すれば雄物川堤防沿いの茨島・大住アンパスの通りへ出るが、バスは右折。
あと300メートルほどで終点で、曲がってすぐ「西潟敷」バス停。雰囲気は変わるが、引き続き住宅街。
上の広報の図でも分かる通り、みなみ野延伸当初は、ここが終点だった。いつの間にか(移管前か後か不明)、さらに1つ先の「牛島西四丁目」が終点になっていた。
牛島西四丁目には回転地があるが西潟敷にはおそらくない。昔は近くの路上で方向転換していたのかもしれない。(憶測です)

牛島西四丁目の200メートルほど先がJR羽越本線のアンダーパス「牛島西アンパス」。※この記事の下の方
線路を潜れば茨島や卸町へ行くことができるが、牛島西アンパスは高さ制限3.0メートルなので、バスが通ることはできなさそう。

以上、大住団地線のルートをざっとたどりました。
秋田駅西口(~二丁目橋)から各バス停までの運賃は、
(二ツ屋上丁~)南高校前まで300円、大住団地まで330円、大住コミセンまで370円、牛島西四丁目まで390円。
ちなみに大野線の大野四区までは390円。


ここで、広報あきたのバックナンバーなどから、二ツ屋・大住方面の秋田市営バスの歴史を振り返ってみる。※市営バスだけで、中央交通については不明
・1962(昭和37)年2月 羽後牛島駅止まりの「牛島線」の一部を二ツ屋まで延長して「牛島二ツ屋線」運行開始(44往復。他に山王・県庁経由も毎時1本あったらしい)
→羽後牛島駅止まりのバス路線は現存しない。二ツ屋線については以下で徐々に
・1962(昭和37)年4月 県立秋田南高校開校
→南高校は二ツ屋下丁が実質的な最寄りバス停なので、二ツ屋延伸は通学対策もあったのかもしれない
・1968(昭和43)年12月 牛島ニツ屋線のうち22往復を仁井田上丁まで延長して運行
→現存しない路線だが、御野場団地線の原型だろうか?
・(参考)1971(昭和46)年11月 茨島環状線(茨島・牛島環状線)運行開始【2024年9月28日追記・1958年から存在したような情報もあるが、詳細不明。また、茨島環状線は2016年に卸町経由に再編され、2024年で廃止。】
→環状線は現在は牛島東一丁目の秋田銀行前で曲がってしまう(線路を渡らない)が、当時はその道路がなかったので、二ツ屋下丁まで来て、大住団地線のように南高前へ折り返して国道を戻っていた(踏切と跨線橋で線路を2度渡る)。
・1972(昭和47)年12月 二ツ屋線を延長して「大野団地線」運行開始
→これが大住団地線の誕生か。当時は「大住」という地名がまだ存在しなかったわけだが、農業試験場の敷地を挟んで終点が相対する、中央交通「大野線」に対抗するため「“大野”団地線」としたのだろうか?
この場所を「大野」と呼ぶのは、浦安にある東京ディズニーランドみたいに若干ズレているような気もする。しかし、県営住宅の名称や、大住に近い仁井田字西潟敷の私立「大野保育園」(1977年開園)の名称からしても、この辺も「大野」と呼ぶことに一定のコンセンサスが得られていたのかもしれない。
現在みなみ野に立つ電柱。電線は「大住ニュータウン線」で電話線は「大野西」。大野と大住が交錯する
・1976(昭和51)年3月 「ニツ屋線 秋田駅~ニツ屋下丁」「仁井田線 秋田駅~仁井田」「大野団地線 秋田駅~大野団地」などでワンマン運転開始
→この時点で、二ツ屋線とその派生路線の計3路線が走っていたことになる
・1976年(昭和51)年4月 住居表示実施で「大住」という地名が誕生
・1976年(昭和51)年11月 広報あきた684号に掲載された運賃表によれば、
初乗り60円!(元画像が不鮮明です)
運賃表が合体していることからも、当時は仁井田線と大野団地線が二ツ屋線の派生系統として一体的にとらえられていたことがうかがえる。(新屋線とそれを延長した新屋高校線・大森山公園線みたいな関係か)
仁井田線は「仁井田中丁」を通り「仁井田横丁」が終点。
大野団地線は「大野郵便局前」が終点。
→やはり「仁井田線」とは御野場団地線の原型なのか。「仁井田中丁」は国道13号線のバス停で、現在の御野場団地線も通る。「仁井田横丁」は国道上の「四ツ小屋入口」交差点付近。御野場団地線はその直前で曲がって御野場へ向かっている。
→現在は「大野郵便局」という郵便局自体存在しない。運賃表の位置からすると、現在の大住団地バス停に相当しそうだ。もしかして大住簡易郵便局が、別の名前で別の場所にあったのだろうか。【1月1日追記】コメントや上記の通り、わりと最近まで回転地近くに郵便局があったとのこと。
・1979(昭和54)年4月 広報の市営バス沿線風景を紹介する連載で「ニツ屋仁井田線」が紹介される
「国道十三号線を通り、(中略)御野場団地まで運行されている路線です」とされている一方、「仁井田終点」とも記載。
→これまでの「仁井田」が実は御野場団地のことだったのか、あるいは今の御野場団地とは違う位置なのかは不明だが、いつの間にか御野場方面へ路線が延びている。
・1980(昭和55)年7月 「大野団地線」を「牛島大住線」に名称変更
→この時、交通局庁舎が保戸野から臨海へ移転している
当時の記事を見る限り「大住“団地”線」ではないが、この時点で、僕も記憶している牛島・仁井田方面のバス路線網が確立されたと言えそうだ。(結局、御野場団地線がいつからそう呼ばれたかは分からなかった)

以降は、保存してある市営バス時刻表から。(時刻表の画像をアップすれば説得力がありますが省略させてもらいます。見間違いがあるかもしれません)
・1988(昭和63)年春 大住団地線は毎時2本運行。全停留所掲載の冊子時刻表では現「大住二丁目」が「仁井田ストアー」となっている。
二ツ屋線は毎時3本運行。うち基本系統は「二ツ屋下丁」発着で毎時2本。残り1本が「福島下丁」発着(=二ツ屋下丁は通らない)。(他に南高校発着便も)

・1989(平成1)年春 この改正からダイヤが「平日土曜」と「日曜祝日」の2本立てとなる。※当時は週休2日制ではなく、土曜日も平日扱い。学校の下校時刻の関係などで、土曜運休/土曜のみ運行というダイヤもあった。
平日の二ツ屋発着がごく若干減ったが、まだ福島下丁便がサブ扱い。しかしながら日曜日は全便が福島下丁発着となる。

・1990(平成2)年12月(同年春の時刻表がないため不明) 二ツ屋線の基本系統が「福島下丁」発着になり正副が逆転。従来の二ツ屋下丁便に相当する系統は、平日昼間を中心に毎時1本程度の運行。
その二ツ屋下丁方面系統は、なぜか「午前中は(二ツ屋下丁の次の)大野口発着で土曜日も運行」「午後は二ツ屋下丁発着で土曜日運休」というパターン。(夕方や夜間は例外あり)下りの行先表示はどちらも「牛島・二ツ屋」だった。
ダイヤは秋田駅を毎時45分に出発し、折り返して大野口/二ツ屋下丁を毎時07分発。したがって大野口発の便では、二ツ屋下丁発よりも、以降のバス停の通過時刻が若干(たしか1分)繰り下がっていた。
僕は、この当時の大野口/二ツ屋下丁発の上りバスを何度か利用した経験がある。実は、直前に御野場団地線(毎時53分始発)があり、二ツ屋下丁で毎時00分発だったと思う。つまり大野口/二ツ屋下丁発は、御野場発の7~8分間隔後を続行する短区間路線なので、いつもガラガラだった。
疑問だったのは、どこで方向転換していたのかということ。二ツ屋下丁にも大野口にも回転地はない。二ツ屋下丁行きのバスは、一度国道の方に出ていって数分後に戻ってきていた。おそらく、大野口発着便と同じ場所で方向転換していたのだろう。ひょっとして、国道の路上でぐいーんと回転していたのか?
大野口/二ツ屋下丁発着のバスは、そもそもの存在意義と、大野口発着と二ツ屋下丁発着があることの意味、どこで方向転換しているかと、謎の多い路線だった。
【2012年3月18日追記】この記事にいただいたコメント方向転換の場所が判明した。大野口停留所の先にある、13号線から旧道が再度分岐する「切上」の三叉路で行なっていたという。国道から左側の旧道に入っていく道に、再度国道へ戻る右折車線が設けてあり(現在もある)、それを使ったそうだ。ほぼバスの方向転換のためだけに設けられた車線ということのようだ。

・1993(平成5)年春 この改正から、土曜日も休日ダイヤとなった(学校はまだ第2土曜だけが休みだった)
大住団地線がみなみ野団地(西潟敷)まで延長。ただし、全便ではなく半数(毎時1本)だけで、残りは従来通り大住団地線発着。行き先表示はどちらも「牛島・大住」を使用し、西潟敷行きは「みなみ野」という紙を前に掲出していた。
また、福島下丁発着の二ツ屋線が末端で環状運行するようになる。

・1994(平成6)年春 二ツ屋線の大野口/二ツ屋下丁発着系統が廃止
32年に渡って存在した二ツ屋下丁発着系統がなくなり、二ツ屋線は福島下丁行き(正確には南部公民館前=牛島東六丁目行き)とわずかな南高校発着の2系統に。【牛島経由南高校発着系統は2014年で廃止。】
二ツ屋福島線の242号車
・1996(平成8)年春 大住団地線がすべてみなみ野団地発着に。本数は毎時2本のまま。おそらくこの時点で「みなみ野」の紙掲出をやめて、「牛島・大住」での運行に戻ったと考えられる。それが中央交通へ移管されさらにLED化され、今年9月まで使われていたことになる。
・2001(平成13)年春 牛島方面の市営バス路線が秋田中央交通へ移管
【31日追記】記憶にある限りでは、市営バス時代の二ツ屋・大住・御野場各線とも中型バスでの運行で、大型バスが使用されたことはないはず(おそらくワンマン化以降は)。全営業所で分担して担当していた模様。
中央交通移管後も中型バスでの運行。当初は秋田東営業所が担当していたが、今年春の統合後は秋田営業所が担当(車両はかつて東に所属していたものがメイン)。

牛島駅→二ツ屋→大住/御野場と路線が延伸されたことから仁井田・大住地区の発展が見て取れる変遷ではないだろうか。
一方、今年秋からは大住団地線、二ツ屋福島線とも減便され、特に二ツ屋線はかつては毎時3本もあったとは信じられないような過疎ダイヤになってしまった。(市営バス時代が供給過剰ではあったが)


最後に、大住団地線の経路を考えると、かなり遠回りしている。
途中の牛島地区での乗降と運行開始当初の道路事情や上記の経緯(二ツ屋線が延長された)を踏まえると、昔はそれでよかったのだろう。
しかし、現在の終点の牛島西四丁目は、感覚としては茨島とか卸町経由で秋田市中心部へ行きたくなる場所。この辺りの皆さんは、牛島経由のバスでは秋田市中心部や秋田駅前との行き来に時間がかかりすぎると思っているかもしれない。
そして、昨年、羽越本線を潜る市道「茨島・大住アンパス」が開通した。アンパス周辺は道が広く、路線バス空白域でもあるので、ここを走る「新・みなみ野団地線」が設定できないだろうか。
秋田駅から新屋線・茨島環状線の経路で旧7号線・秋田大橋まで来て東へ曲がるルートでもいいかもしれないが、それよりも有楽町・イオン秋田中央店前から直進、卸町・茨島の生協前の市道を抜け、堤防に突き当たって東へ曲がりアンパスへつながるルートが最短だろう。つまり、「有楽町・卸センター前・卸町・茨島七丁目・アンパス経由」となる。

地図上で秋田駅西口から牛島西四丁目までの距離を測定してみた。
現在の大住団地線の牛島・南高校前・大住経由では7.3キロ。一方、卸町・アンパス経由なら5.7キロと1.6キロ短縮される。
これは秋田駅西口から有楽町バス停付近までの距離に相当する。仮に卸町・アンパス経由のバス路線ができて、駅からみなみ野周辺までバスに乗れば、時間が短縮されるほか、現行より50円は運賃が安くなるかもしれない。
みなみ野からさらに逆方向に進んで大住・南高校方面、あるいは堤防沿いをさらに進んで大野・御野場方面など、新たな路線・経路も考えられる。公共交通の便が悪かった地域の需要掘り起こしや既存路線の渋滞や積雪による遅延の緩和になるかもしれない。
前も書いたけれど、秋田市内の路線バスは「現状のバス路線網を維持する」のでは既に無理があり、「新しい道路や生活の変化に対応した抜本的な路線網の見直し」こそ必要だと思う。

※その後、2015年10月の牛島方面のバスの状況
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