広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

市営バス方向幕・珍表示編

2013-01-29 20:49:41 | 秋田市営バス
間が開きましたが、秋田市営バスの方向幕(行き先表示)についての第3弾。
前(まえ)編横編に続いて、珍表示編。

●空白
まずは、この写真。
277号車(2001年3月)
「通町 寺内 将軍野」の後に空白がある。
「通町 寺内 将軍野    」
よく見れば、フロントガラス上部に「組合病院」という紙が掲出されているので、組合病院行きであることが分かる。

なぜ「通町 寺内 将軍野.組合病院」としなかったのか、なぜ空白ができたのか。

その説明には、まず、組合病院(JA秋田厚生連秋田組合総合病院)が土崎から飯島へ移転したのは2000年のことであり、将軍野線が組合病院に乗り入れるようになったのはその時からという事実を踏まえないといけない。
さらに、将軍野線の歴史を少しさかのぼらないといけない。
将軍野線は、秋田駅西口と秋田市北部の土崎港北や飯島地区南端を結ぶ路線。経由地と下りの終点は複数あり、共通するのは終点近くの将軍野地区の自衛隊入口交差点~将軍野踏切~自衛隊前の「自衛隊通り」を通ること。
現在は、秋田駅発には[通町・寺内経由 市民生協入口行き][県庁・寺内・サンパーク団地経由 組合病院行き][新国道・サンパーク団地経由 組合病院行き(1日1本だけ)]の3種類が存在する。

しかし以前は、経由地と行き先の組み合わせがもっと複雑だった。上の市営バスの写真の[通町経由 組合病院行き(サンパークは経由しなかったはず)]は、数年前まであったはずだが、なくなってしまったようだ。
さらに市営バス時代には、[通町経由 サンパーク行き(昭和50年代後半にはあった)]や[県庁経由 市民生協行き]などもあった。

さらにさらに[通町経由 飯島北行き]という系統もあった。市民生協の先、飯田街道の虎毛山踏切を渡って、旧国道の飯島方面のバス路線に合流する。
実は現在も、逆方向の飯島北発将軍野・通町経由秋田駅行きというのは平日に1本だけ存在する(130系統。飯島北7時28分発)。

その駅発通町経由飯島北行きは1996(平成8)年度までは存在しており、1998年度にはなくなって(市民生協止まりに短縮)になっている。(以前も書いたけれど、間の1997年度の時刻表が手元にないので不明)
1日1本だけの運行で、1988年度以降はずっと秋田駅前15時25分発だった。
その飯島北行きの行き先表示は「通町 寺内 将軍野.飯島」だった。1998年以降は、使わないコマになっていたことになる。


その後、2000年に組合病院が移転して、交通局で将軍野線系統のバス路線を開設することになった。
しかし、中央交通への路線移管は既に始まっていて先が見えていたし、そもそも新たに行き先表示を作成するのに費用がかかる。

そこで、使わなくなっていた「通町 寺内 将軍野.飯島」の「飯島」の部分を消して行き先表示ならぬ“経由地表示”にし、行き先の「組合病院」は紙で対応することにしたようだ。
「飯島」は刃物などで“削った”のか、アルコールか何かで“消した”のか分からないが、外部に発注しなくても、交通局内の作業で済ませられたのだろう。側面の表示も同様の対処がとられていたと考えられる。


なお、1度だけ、組合病院行きで、空白がなく幅いっぱいに「通町 寺内 将 軍 野」という新しそうな細丸ゴシック体のコマを出した組合病院行き(「組合病院」は同様に紙)を見たことがある。1989年度導入のいすゞ中型車(236~240号車のどれか)だったと思う。
「飯島」を消そうとして手が滑って幕を破いてしまったとかそんな理由で、やむを得ず新たな幕を発注したのかもしれない。



ほかの路線の側面の表示でも、同様に部分的な空白のあるコマが存在した。
135号車(2005年3月)
下りの神田笹岡線(現在は廃止・コミュニティバス化)の側面表示。
「天徳寺→笹岡入口→   →土崎駅」となっている。
神田笹岡線は、旧来の「笹岡線」を秋田駅まで延長する形で1988年に運行を開始した。当初は、サンパーク団地を経由していたが、上記の2000年の組合病院移転時からは、サンパークに替わって組合病院を経由するように変更された。

したがって、当初「サンパーク」と表示されていた部分を消したのだろう。
たしか正面にも「組合病院経由」とは掲出されていなかったはずなので、そういう意味では不親切な表示だ。


もう1つ。
斜めからの撮影ですが297号車(2002年3月)
今度は新屋西線の側面。「川尻→豊町→   →新屋」。
新屋西線経由の新屋高校行きや、県営住宅(栗田町)経由でも、同じ位置に空白があった。
 
「豊町」は省略されている。(ピンボケですみません。いずれも秋田八丈塗装の車両で2002年3月撮影)

上の写真の表示は、文字が正方形の古いタイプの側面表示。文字が縦長の新しい表示では、同じコマがこうなっていた。
車両不明(2002年2月)
「川尻→豊町→朝日町→新屋」。
したがって、「朝日町」があるものとない(空白の)ものが存在する。

長年、新屋西線をご利用の方なら、「朝日町」の有無の理由はお分かりでしょう。
それは、新屋西線が、昔は朝日町を通っていなかったから。というか朝日町を通る道路(都市計画道路新屋十軒町線の一部)が昔はなかったため。

元々は新屋西線は全部、現在の船場町経由川尻割山線や臨海経由新屋西線と同じく、豊町(別の場所)-割山町-船場町という1本東側の旧道が経路だった。
1992年4月1日から、今の豊町-朝日町-松美ガ丘南町-秋銀割山支店前-勝平消防出張所前に変わっている。(道路は少し前に開通しており、前年11月~2月に下水道工事のため迂回したことがあった)

つまり、空白部分には、以前は「船場町」と表示されていて、それが経路変更時に消されたと考えられる。「朝日町」と表示されている幕は、幕自体が経路変更後に新しく作られたはず。
なお、交通局から中央交通へ譲渡された大型バスの中には、一昨年頃まで市営バス時代の方向幕をそのまま使用していたものが何台かあったので、空白付きのコマが移管後もそのまま使われていたことになる。

2019年の中央交通でも、同様の手法が取られていた。


●書き換え
上記の通り、組合病院移転時には、市営バスの既存路線の経路変更があったが、ほかには土崎駅前と病院を往復する路線が新設された。いちおう神田線の派生扱い。
「土崎駅」という表示は以前からあったようで(浜ナシ山線用とか?)それを使ったが、将軍野線同様、肝心の「組合病院」の表示はなかった。どうしていたか?

紙を掲出することで対応していた時期や車両があった。
逆光ですが組合病院行き130号車(2002年9月)
最初の将軍野線と同じ「組合病院」という紙を出している。方向幕の「土崎駅」表示は逆向きなので不適切で、本来は無表示(白幕)にすべきだろう。

ところが、最後のほうでは、こんな組合病院行きの表示が見られた。
267号車(2003年10月)
いちおう「組合病院」という表示だけど、見るからにヘン!
「組合病院」ではあるけれど…
「組合」と「病院」で書体が違う。
「組合」は異様に太く、その配置がズレたり傾いたりしている。

おそらく、手作業で「組合」を書き足したのだろう。では、「病院」のほうは?

たぶんこれの使い回しかも(138号車。2002年3月)
市営バスでは「日赤病院」というコマがあった。当初は、秋田駅東口から日赤病院へ向かう路線用のコマ。日赤は1998年に現在地に移転したので、その時に作られた。
2001年に日赤行きのメインの系統が中央交通へ移管(その時に日赤折り返しがなくなり、全便御所野まで延長)したものの、移管が後回しになった横森経由日赤行きや写真の「新屋日赤線」で、細々と使用していたようだ。

新屋日赤線は、当時は秋田駅東口-日赤病院-御野場-秋田南大橋-新屋案内所という路線。だから、「日赤病院」という行き先を出すのは適切ではないとも思える。しかし、幕を新設する余裕がない中、直行の秋田駅行き(新屋線など)との混同を避け、日赤方面方面に向かうことを強調するために使っていたのだろう。(移管後の2010年4月に日赤-新屋間に短縮)
新屋日赤線は2002年春に中央交通に移管されたので、この時をもって市営バスでは「日赤病院」のコマを使わなくなった。
そこで、それを有効活用すべく、「日赤」を消して手書きで「組合」を入れ、「病院」は消さずに活かしたのではないだろうか。


以上のように、方向幕というものは、「手作業で消したり書き換えたり」ということができるらしい。全国的に他の鉄道会社やバス会社でも、行われていた手法のようだ。例:東急の「二子玉川園」駅が「二子玉川」に改称された際、「園」だけを消した
書き換えができるのだったら、将軍野線や朝日町でもそれをやってほしかったと思うが、台数の多さによる手間とその経由地の表示が重要性かどうか考慮などをして、空白のままでいいということにしたのだろうか。


●完全手書き?
134号車(2002年7月)
市営バス最後の路線の1つであった、泉秋操線(現・泉ハイタウン線)の側面表示。
3文字以下の経由地が縦長の文字の、新しいタイプの表示だが、よく見ると、なんかおかしい。(肉眼だともっとはっきり分かったのですが…)
特に「上」とか「田」とか
文字のラインが、ぷるぷる震えているような、にじんでいるような、一直線ではないのだ。

正方形文字の旧タイプでも、
 
131号車(2006年3月)と273号車(2002年4月)

泉秋操線の運行開始は1992年春で、市営バスの中では最も末期に新設された路線。
どんな技法を使ったのか知らないが、経費節約のために、一から全部手書きで幕を作成したのだろうか。
当時は、150台程度にこのコマがセットされていたはずだし、秋田駅行きの上り分も必要。相当な手間じゃないだろうか。業者に作ってもらったほうがよかったような…
【2018年11月29日訂正】この路線では、秋田駅行きは専用のコマではなく、側面も含めて経由地なしの「秋田駅」のみの汎用のコマを使っていた。単独経路なので経由地表示が不要ということもあるが、上り分の作成を省いたのではないだろうか。
正面表示もちょっと傾いていて手書きっぽく見えなくもないような??(131号車・2005年9月)
今となっては謎です。
【2014年9月27日追記】いただいたコメントにより、上の写真の131号車の泉秋操線・上りの表示が、別の意味で珍表示であることが分かった。(まったく気付かなかった)
多くのバス会社で同様かと思うが、正面の行き先表示では、表示内でより左・より上に表記される地名が始発地に近く、下・右ほど終着地に近いルールがある。現代の日本語の横書き文としては自然。
上りの泉秋操線では、2段の青文字の上段が「通町」、下段が「泉道田」でなければならず、他の車両ではそうなっているものもある。しかし、写真の131号車では、入れ替わって「泉道田/通町」となっている。(以上追記)


現在主流のLED表示では簡単にデータが更新できるから、このようなあからさまな書き換えはあり得ない。方向幕ならではの“楽しみ”だった。
方向幕の書体について
コメント (8)
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