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秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

ひなん場所

2014-05-19 23:30:51 | 秋田のいろいろ
災害などが発生した地域の人たちが、体育館みたいな所に寝転がったりして、「住民は不安な一夜を過ごしています」などと報道されることがある。
多くの秋田市民は、幸いにもそうした経験がない。仮に自分の住んでいる地域で何かあった時、どこへ避難すればいいか、把握しているだろうか。

(再掲)秋田公立美術大学(美短から名称部分を修正。厳密には大学のグラウンドを指定している)
秋田市では、「ここは火事・地震のときの ひなん場所」という看板(表示板)が、学校や公園などに立っているのをよく見かける。
※秋田市では「標識」と呼んでいるようですが、道路標識と紛らわしいので、以下「表示板」とします。

じゃあ、何かあったらここへ来れば一夜を明かせるのか?
というわけではない。
僕は最近まで知らなかったのだけど、(おそらく全国どこの自治体でも)自治体が指定するものには、「避難場所」と「避難所」があり、両者は異なるものだった。

避難場所」とは、災害発生時に身を守るために一時的に避難する場所。学校のグラウンドや公園など、屋外の広い場所が指定されるようだ。
さらに避難場所は「一時避難場所」と「広域避難場所」に分けられ、状況によって(火災の延焼など)一時避難場所に避難していた人たちが広域避難場所へ移る。
【20日追記】静岡県や大阪府の市町村に多いようだが、避難場所のことを「避難地」と呼称する自治体もある(静岡は県としても)。
「学区」と「校区」のような呼び方の地域差なのだろうか。避難“場所”よりは避難“地”のほうが、直感的な気がしていいかもしれない。

避難所」は、一定期間避難生活(寝泊まり)する場所のこと。体育館や公民館のような建物が指定される。したがって、夜間などは施錠されているので、災害発生後すぐに使えるわけではない。「収容避難場所」とも呼ぶようだ。


秋田市総務部防災安全対策課ホームページによれば、秋田市では避難場所130か所(そのうち5か所が広域避難場所にも指定)、避難所144か所が指定されている。
避難所は浜田小を除くすべての公立小中学校(秋大附属小・中も含む)のほか、公私立高校・大学、市の各コミュニティーセンターや閉校した学校の建物等。ホームページには、面積から算出したと思われる、施設別の収容能力人員も記載。少ない所では各コミセンの50人程度から、一般的規模の小学校で300~400人、多い方は秋田商業高校1250人、明桜高校1616人までさまざま。

避難場所は学校のグラウンド、避難所は学校の体育館が指定されることがあるから、その場合は「避難場所と避難所が同じ場所」と認識しても間違いではないが、公園とコミセンなど異なる場所の場合も多い。
いざという時に間違わないよう、まずは両者の違いを認識して、自宅や職場近くのそれぞれを把握しておくべきだろう。
※ただし、秋田市が作成した一部ハザードマップにおいて両者が同じマークで記されたり、ホームページにおいては区別はされているものの違いについての説明がなかったりと、行政側でも紛らわしさを助長してしまっている現状もある。


秋田市の場合、避難場所には冒頭のような表示板が設置されるが、避難所には何も設置されない。(その都度開設する/しないを判断するからだろうか?)
※その表示板では、「○○○小学校のグラウンド」が避難場所であっても、「○○○小学校」までしか表示されないルールで、その点でも避難所と混同を助長している。
また、例えば弘前市では、避難場所であっても特に表示板はなかったはずで、表示方法は自治体の裁量なのだろう。


東日本大震災後、秋田市ではさらに別の避難する場所もできた。「津波避難ビル」と「津波避難場所」である。
その名の通り、津波から逃れる場所。津波による浸水想定区域内にある、丈夫で高い建物(官民問わないが、入口を夜間・休日でも開放できる等条件がある)が津波避難ビル、高い位置にあるグラウンドや駐車場が津波避難場所に指定されている。(浸水想定エリア外には存在しない)
津波避難ビルも津波避難場所も、一時避難場所の派生と考えられるだろう。一時避難場所と津波避難場所が重複して指定されている箇所も多い。

現段階で津波避難ビルは36か所、津波避難場所は45か所。津波避難ビルは壁面などに表示板が、津波避難場所には次のような表示板が昨年度末頃から設置されている。
従来からの避難場所と兼ねている津波避難場所は、
土崎南小学校(例によって実際にはグラウンドが指定されている。以下同じ)
従来の表示板の盤面を更新して対応。
「ここは津波・地震・火事のときの ひなん場所」と書かれ(火事と地震が入れ替わっている)、左右にそれぞれのピクトグラムが表示されている。

一方、津波専用の避難場所には、
イオン土崎港店 敷地
従来はなかったから新設されたのだろう。サイズは一般の避難場所と同じで、白地に「津波ひなん場所」と書かれる。場所の英語表示はない。
海抜も表示板内に書かれているが、これは避難場所の表示板でも一部では見られる方式。

津波専用避難場所は表示板がとても目立つが、兼用の表示板は従来と同じ色使いだから、遠くから見た時に分かりにくいと思う。ピクトグラムの背景だけでも白くするとかできなかったのだろうか。


もう1つ。
八橋運動公園
上に「ここの地面は海抜3メートル」とある。これを見れば「たった3メートルの場所が津波避難場所なの?」と不安になるかもしれない。

実は、津波避難場所としての八橋運動公園は海抜16メートル。階段を上がった丘の上。
3メートルというのは、「この表示板が立っている場所」の海抜であり、表示板は避難場所の丘の下に立っているのだ。分かりづらい。(だからといって上に立てるわけにもいかないけど)
おそらくこの上が津波避難場所
しかも、表示板と16メートルの丘までは離れていて、そこまでの誘導がない。非常時に初めてここに来た人は、避難場所までたどり着けない恐れがある。
※八橋運動公園は浸水想定エリアの端っこ。だから、丘に登るよりは、内陸の市役所方向へ避難したほうが無難かもしれないが、そういう情報も現地では分からない。

八橋運動公園に限らず、津波以外の避難場所でも同様なのだが、この表示板には他にも難があると思う。
まず、表示板は、基本的に各避難場所に付き1枚で、道路沿いに設置されるようだ。(美大は遊歩道上なのが例外的)
学校のグラウンドの場合、グラウンドの入口にはあっても、学校の正門にはなかったりするし、あの広い千秋公園でも1枚(脳研向かいのバス駐車場)しかない。
さらに、上記の八橋運動公園では、運動公園そのもの、陸上競技場、野球場など公園内で複数箇所が避難場所に指定されている。その違いや位置関係も、表示板では分からない。
初めて訪れた場所で避難が必要な災害に遭遇してしまう人だっているのだから、誰でも避難場所に避難できてこそ、表示板だろう。



さて、ここで避難場所(津波以外)の表示板そのものについて。
現行の秋田市の表示板は、サイズ、ピクトグラムや文字を入れる幅が厳密に指定されている。
盤面は1メートル×2メートルちょうど。ピクトグラムは75センチ四方、脚を入れた地面から最上部の高さは2メートル90センチなど。

その一方、特に指定されていない点もあって、それは発注ごと(請け負った業者次第)に異なってしまっている。(些細な点だから別にいいのですが)
ざっと見たところ、最多数派は、冒頭の写真の美大のタイプ。

以下、多い順に、
山王中学校

川尻小学校
違いがお分かりでしょうか?(盤面の色合いも微妙に異なるようだけど、それは別として)

文字の書体が違うのです。英字もだいぶ違うけれど、ここは日本語で。「き」や「な」が識別しやすい。
最多数派は、モリサワの「新ゴ」というフォント。表示類ではよく用いられる。
2006年に設置されたものがこれだったし、最新の津波避難場所の表示板も、一部太さは違うがいずれも新ゴ。

山王中のは、パソコンや今はサザエさんの次回予告などでも見られる、「平成角ゴシック体」だろう。表示用としてはどうだろうか。

川尻小のは、「ここは火事・地震のときの」と「ひなん場所」で書体が違う。
「ここは~」は新ゴだが、「ひなん場所」はそうでない一般的なゴシック体だ。しかも縦に圧縮してある(長体)。やはりモリサワ製っぽく「中ゴシックBBB」あたりか。


そして、今のところ1つしか発見できていない、レア物。
健康広場・第2球技場
2012年10月撮影のGoogleストリートビューで既にこれになっていた。

何よりも、ピクトグラムが左右が反転した鏡像になってしまっている。鏡像であっても、ピクトグラムとしては問題はないようだが、なんでそうしたんだ?

さらにこのフォントが珍しい。
直線的な「こ」、「は」の1画目のはね具合、「き」のカーブ、「な」の3画目から4画目へのつながり方などにクセがある角ゴシック体なのだが、どこのメーカーの何という書体か分からない。
【2021年3月12日追記】視覚デザイン研究所というメーカーの「V7ゴ」もしくは「VDL V7ゴシック」というフォントのようだ。入手は難しくはないようだが、レアではある。


発注の仕様書を見てみると、図面はパソコン標準搭載のMSゴシックなどで作っているが、文面では「ゴシック体」ということすら指定されていないようだ。
だから、受注した業者が明朝体ならまだしもPOP体や江戸文字で表示板を作ってしまっても、文句は言えないのかもしれない。



ところで、今の避難場所の表示板になる前の表示板って、ご記憶でしょうか。
1991年12月20日「広報あきた」1229号より
大人と子ども(?)の2人が走っているイラストが強く印象に残っている。色合いは今より薄く黄緑(秋田市の色の若草色?)だった。
「ここは火事・地震のときの ひなん場所」の文面は今と同じだが、文字は手書きで表示板自体が横長。

国際標準のピクトグラムを採用するために、今の表示板に変更したのだろう。
広報によれば1991年にはまだ旧タイプだ。一方、1998年に設置した旨が記載されている現行表示板が存在するから、少なくとも一部は15年以上前には変わっていたことになる。
※旧看板はこの記事末尾も参照

2020年度には、表示板のデザインと内容が新しくなり、「避難場所」と漢字表記・ふりがな付きとなった。。
コメント (6)
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