広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

1995年11月23日

2015-11-23 17:57:21 | 昔のこと
【2017年12月25日・カテゴリーを「機械モノ」から「昔のこと」へ変更】
1995年は、阪神・淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件という、2つの大きな国内の出来事があった。
同じ年、もう1つの出来事があり、それは時代の大きな変化のきっかけであったと思う。日本でそれがあったのが、ちょうど20年前の今日、11月23日、勤労感謝の日の木曜日であった。

1995年は僕が大学に入った年。
その日の青森県弘前市は、寒い朝だったのを覚えている。
祝日だからゆっくり起きてストーブを点けて、テレビを点けると、朝のワイドショー(TBS「モーニングEye」とか)やニュースでは、秋葉原などの店に行列をなし、“水色の箱”を買い求める人たちの模様が伝えられていた。

気象庁の観測データによれば、1995年11月23日の弘前市の最低気温は0.6度、最高気温10.8度(この年、気温が10度を越えた最後の日であった)。朝はくもりで、午後から夜にかけて時々雨で計13ミリ。
弘前で最低気温の平年値が0度台になるのは11月中旬からだが、この年は初旬から0度前後の日が多く、寒い11月だったようだ。
秋田市は最低気温1.9度、最高気温13.1度で、時折雷を伴う天候だったとのこと。
ちなみに、今年2015年は反対に暖かめで推移して、やっと寒くなってきた。今日11月23日(16時現在)は、弘前市は最低1.7度、最高4.7度、秋田市は最低3.6度、最高7.3度、くもりのち小雨。

水色の箱は、マイクロソフトのパソコン用オペレーティングシステム(OS)「Windows95」日本版。この日、発売された。
ただ、僕を含む多くの一般人は、ウインドウズなるものが何モノか、ほとんど理解していなかったことだろう。

当時は、多くの一般人にとって、パソコンは使う機会がなく、名前や存在は知っていても特殊な業種・業務やマニアックな人が使う装置と認識されていたはず。
マウスで操作できるOSとしては、MacOSが既にあったが高価で用途(業種)は限られていたし、1つ前のバージョンの「Windows3.1」もあまり普及していなかった(マウスなしでも操作できたそうだ)。
当時は、「日本語ワードプロセッサ(ワープロ専用機)」は一般向けにかなり普及しており、ワープロとパソコンの違いが分からなかったり、パソコンなどなくてもワープロで充分と思っていたかもしれない。

僕を含めてそういう人たちは、Windowsを求める行列を、どこか冷めた目で見ていたかもしれない。それまでも、ドラクエなどゲームソフト発売日には同じような光景が報道されてはいたから、それと同じような。
一方で、「なんだかよく分からないけど、これからはウインドウズの時代だ」というブームの波も押し寄せてきた。中には、パソコンを持っていないけれど、ソフトが入った箱だけ買って飾っておくという人もいたとかいないとか。


その後、報道や宣伝で徐々にパソコンの、Windowsの何たるかが知られるようになり、やがてそれらで実現される「マルチメディア」や「インターネット」もブームになり、製品が普及していった。

ユーキャン新語・流行語大賞では、1995年のトップテンに「インターネット」が入っているものの、「Windows」や「マルチメディア」は前後の年も含めて入ったことがないようだ。てっきりランクインしていたと思っていた。
Windows発売の11月23日だと、日程的に流行語には遅くて分が悪い。それより先にインターネットという言葉は流行っていたのだろうか? 時系列がよく分からない。(Windows発売→インターネット&マルチメディアブームの順だと思っていた)


実際に1995年の発売直後からWindows95やインターネットを使っていた人は、そう多くないだろう。
広く認知され始めたのが1995年であり、それから3~5年かけて、実物が広まっていたと思う。

それが今や、ネットやコンピュータは暮らしに欠かせないものになってしまった。
20年前には、20年後にこうなっていることは、一般人には予想できなかった。

当時は「家電の街」だった秋葉原も、コンピュータ、オタク文化、サブカルチャーの街という顔を持つようになった。【12月11日追記】フジテレビ「タモリのボキャブラ天国」(1992~2008年)で「♪くもりガラスの向こうは“家電の街”」というのがあったのは、1995年より前か。
当のWindowsパソコンも、ブラウン管ディスプレイ、スクロールホイールがないボール式のマウス、フロッピーディスク、容量の少ないハードディスク、NEC製(PC-98)とそれ以外のメーカー製(PC/AT互換機)でWindowsの製品や仕様が違ったこと、などなど隔世の感。
【2019年5月31日追記】ソフトウェアは、2000年代にはダウンロードで購入することも当たり前になり、実体を購入するにしてもCD-ROMよりDVDに入っていることが多くなったかも。しかし、Windows95では、ダウンロードなど考えられない時代で、CD-ROM版とフロッピーディスク版の提供だった。フロッピーはインストール途中で何度も入れ替えが必要だったはず。



実は僕は、Windows95を使った経験は、ほとんどない。
大学の教養必修科目「情報処理(演習)」では、「UNIX」を使わされ、ほとんど得るものがなかった。(教室・台数の都合もあり、学部ごとに一律かつ強制的にWindowsかUNIXかが割り振られて指定された【25日追記・実際にはUNIXが必須なのは理工学系の一部学科のみだと思われるし、当時の学生のスキルからしても、UNIXを基礎的な必修科目でいきなり学ぶことは、無意味とまでは言わないが、回りくどい学習方法だったと思えてならない。】)
大学の総合情報処理センターのWindows機もしばらくは3.1で、1998年度になって95の次バージョンのWindows98で更新された。(見た目や操作は95と98はほとんど差がない)※当時のプリンターのことを中心に関連記事
僕が初めてWindowsに触れた=パソコンの何たるかを初体験したのは、1997年度。実験のデータ処理のため表計算ソフトの使い方を習って、ついでにホームページも閲覧した。情報処理センターのパソコンを使ったから、Windows3.1が初めて使うWindowsだった。
ちなみに、Webブラウザは今はなき「ネットスケープナビゲーター」(通称ネスケ。当時は有料ソフトだった?)、しかも英語版。僕はそれで慣れてしまって、インターネットエクスプローラーにはどうもなじめず、今もネスケの後継であるFirefoxを愛用している。【12月6日追記】同様の経緯で、ワープロソフトはマイクロソフトWord派。一太郎はイマイチ使いこなせない。
【29日追記】僕はワープロ専用機は既に使っていたので、キーボードや漢字変換は新たに覚える必要はなかった。だから、新たに習得しなければならなかったのは、マウスの扱い方や「ファイル」の概念(階層構造など)、そして表計算ソフトはまったく新しいものとして触れることになった。
【12月4日追記】大学の情報処理センターのパソコンが更新された際には、特に説明会や資料配布などはなかったので、僕は独学というか試行錯誤しながら、初めてWindows98を操作した。あまり困った記憶もないが、フリーズしやすいのには手を焼いた。昨今のWindows NT系はもちろん、以前のWindows3.1よりも頻繁で、アプリケーションソフトが固まると、OSを巻き込んでしまい、強制再起動せざるを得ないことが多かった。
【12月7日追記】「このプログラムは不正な処理を行ったので強制終了します」という傲慢かつ意味不明なエラーメッセージとともに、アプリケーションが強制終了したのも、Windows95~98頃か。※「不正な処理」を行ったのは「プログラム(アプリケーションソフト)が」なのだが、「ユーザー自身が不正な処理(=やってはいけない操作)をした」と誤解してしまい、戸惑う人がいたようだ。
【12月6日追記】ネット接続や画像処理は別として、ワープロソフトや表計算ソフト程度を扱うのなら、Windows3.1は比較的安定しており、処理速度もそれなりだったと記憶している。その用途なら、2015年時点の最新OSよりもある意味快適に使えたかもしれない。
※オフィスソフト、エクセルとワードについて、関係があるかもしれない、静岡のビルの話

僕は、ちょうど大人になる頃にパソコンやネットと出会った。
「子ども時代にパソコンやネットがあることを知らない」と同時に、「大人の社会にパソコンやネットがなかった頃を知らない」わけで、その境目の世代なんだろう。
今にして思えば、大学生の頃はネットもなくてどうやって時間をつぶしていたんだろう。そんなに本を読んだりしたわけでもなかったし…



ついでに、ほかの各分野で1995年にあった出来事を、分かった範囲で列挙してみる。
※詳しくは各自調べてください。間違いがあったらすみません。
・公立学校の土曜休みが、1992年9月からの毎月第2に加え、4月から第4土曜日にも拡大。(2002年度から毎週土曜に)
・製造物責任法施行
・日持ちする食品が「製造日表示」から「賞味期限表示」へ

・ミリオンセラーCD多数。小室ファミリーブームに。他にEAST END×YURI、「ズルい女」「ら・ら・ら」「TOMORROW」等。

・青森では城ヶ倉大橋、イオン下田ショッピングセンター(現・イオンモール下田)、秋田では秋田サティ(現・イオン秋田中央店)の開業・開通。【24日追記】秋田公立美術工芸短期大学開学も1995年(2013年に4年制化されて秋田公立美術大学に)。

・発売開始商品 ロッテ紗々、カルビーじゃがりこ、グリコ熟カレー、カゴメ野菜生活100
・ナイキ「エアマックス」ブーム
・カルピス紙容器登場(従来はガラス瓶。紙容器は2012年にプラ容器化されて廃止)
・ソフィーの世界、Xファイル、セアカゴケグモ、「芸能人は歯が命」
・中谷美紀が伊藤園「おーいお茶」のCMに起用(現在も継続。今年、音の商標として登録?)

あれから20年。
コメント (4)
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