広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

大町から魁が消える

2017-01-19 23:11:32 | 秋田のいろいろ
以前から何度か触れているが、秋田魁新報社の本社は、かつては大町一丁目・大町通り沿いにあった。通町の丁字路と二丁目の秋田ニューシティ(ダイエー)の間、現在、商業施設「サン・パティオ大町」がある場所。【20日追記】サンパティオだけでなく、その裏手の土地も本社の一部だった。
魁は1994年に現在の山王臨海町へ移転し、その跡にサンパティオが建ったわけだが、そのニューシティ寄り(南側)には魁本社時代からの3階建ての建物が残り、引き続き魁の所有となっていたようだ。住所は大町一丁目2番6号。
その建物には系列のさきがけカルチャースクール(現・秋田カルチャースクール)が入っていたがいつの間にかなくなり、チケット販売窓口や系列企業のオフィス、貸ダンススタジオや(趣味の発表会などの)貸会場、魁と直接関係ない組織のオフィスが入居していたこともあったようだ。近年は「さきがけ大町センター」という名だった。
「さきがけ大町センター」
昨年末、12月18日付秋田魁新報社会面に、こんな告知が掲載された。
「さきがけ大町センター22日で閉館/ご利用ありがとうございました」
多くの人はこの建物に用はないし、前を通っても掲示などに注意を払っていなかったものの、わずか4日後の閉館とは唐突。

それによれば、この建物は1980年に旧社屋の別館として建設、本社移転後は「さきがけカルチャースクール大町校」になり、2005年から読者サービスの拠点「さきがけ大町センター」という経歴。
「チケット販売などの業務」は2016年6月にエリアなかいちにできた「さきがけニュースカフェ」へ移転したことと、「建物の老朽化で大規模な修繕が必要になったこともあり、閉館することになりました。」としている。
入居していた派遣会社「さきがけプラスA」と保険会社「さきがけサービス」は、年明けから臨海の本社内へ移転。
左隣がサンパティオ、突き当りが通町
サンパティオの位置にあった旧社屋(本館ってことでしょうね)は、1930(昭和5)【22日訂正・コメント欄も参照】1931(昭和6)年築の鉄筋コンクリート造3階建てだったそう。ネット上に写真などは見当たらないし、僕の記憶もかすかなものだが、薄緑色のような、それなりに風格やデザイン性を持つ建物だった。後の大町センターである別館は、その本館と違和感なく一体化していたと思う。壁面の「魁」マークは本社時代からあったのかもしれない。
大町センター閉館により、大町から魁が完全に撤退することになるのだろう。
かつては印刷も大町でやっていたらしく、裏側の川反通り側から大きなロール紙が搬入されるのを見たのも思い出。

年が明けた現時点でも、「さきがけ大町センター」の看板と壁面の「魁」マークはそのまま。しかし、横の駐車場は閉鎖され、玄関前の雪に足跡はない日も多く、空き家になったようだ。
※掲載写真は複数の日に分けて撮影しているので、積雪量はまちまちです。
正面から
「魁」マークの下に、道路に面した横に長いガラス窓がある。
反射して見えづらいですが
これは、当日の秋田魁新報を張り出す掲示板。本社があった時代から昨年末まで、おそらく毎日(休刊日を除く)欠かさず掲出されていたが、閉館以降は新聞は張られていない。足を止めて新聞を読む人がたまに見受けられたが、もちろん、それもなくなった。

この掲示板自体も、道路と掲示板の間に立つ柵も、子どもの頃から変わっていないはず。
多くの新聞社の本社や支局の前にはあるものだけど、ここのはずいぶん横に長いし、本社でなくなっても律儀に張り続けられていたのは珍しいかも。

この建物がどうなるか、どうするかは分からない。
ところで、この裏では、地元主導による新しい商業施設の計画がある。昨年末の報道(左記リンク先末尾に追記)では、2019年には完成するとのこと。【20日追記】この土地もかつては本社の一角だったはず。
(再掲)裏の川反通りから。「魁」とあるのが大町センター
商業施設の予定地のまさに真裏だから、大町センターを解体して、ここも商業施設の一部に…とかなるのかもしれない。そうすれば、大町通りや既存商業施設とスムーズに行き来できそう。大町センターと予定地の間には段差がある(予定地のほうが低い)けど、なんとかなりそうだし。
奥の駐車場が予定地。その向こうが旭川と中央警察署

※この後、2017年2月中に、掲示板部分のひさしが壊され、外周に足場が組まれ(魁マークは確認できた限りそのまま)、3月に入る頃から本格的な解体工事が始まった
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする