間が空きましたが、7月下旬の弘前市石川地区の続き。
弘南鉄道大鰐線石川駅を基準にして南側の大仏公園、西(弘前市街地)側のJR奥羽本線石川駅方面に続いて、線路を渡らない北~東・大鰐町方向を最後に紹介。
大鰐線石川駅から北へ進み、押しボタン信号のある所で県道260号線へ出て右へ。
石川公民館、「大仏餅」のお菓子屋さんを過ぎると、道がカーブし、また押しボタン信号、そこで平川に架かる橋を渡る。前の押しボタン信号から200メートルほど。

「御幸橋」と表示板が出ていた。旧羽州街道だけに、なにか由緒があるのだろうか。
新しくはなさそうな橋で、歩道は線路がある上流側のみ。
上流側のたもと。奥に弘南鉄道大鰐線、清掃工場(中央)、大仏公園(右)
ガードレール(柵かな)がリンゴのデザインなのは、青森県ではよく見かける。赤と緑が多いようで、黄色いのは珍しいかもしれないけど。
橋の出入口というか道路との境目の「親柱」に注目。この形は…
モチーフは2つ
全体として青森県の形になっている。さらに、中央の陸奥湾がリンゴの形になっている。
親柱は4か所とも、高さが低い津軽半島側を内側(道路側)にしており、橋の外から見て左側は鏡像の青森県。
そういえば、竣工年などの表示板が見当たらなかったが、親柱の外側に付いていたのかもしれない。【2024年6月28日追記・2024年6月26日アップの「弘前経済新聞」サイトで、この親柱を取り上げたX(旧ツイッター)の投稿が話題になっていると取り上げていた。それによれば「1983(昭和58)年度に完成」。デザインの経緯は分からないとのこと。】
青森県でなければできない親柱だ。他の橋にもあるだろうか。あるとすれば、市町村道では意味が薄そうだから、県道かな。
橋の対岸も家が多い。駅側よりは小規模な集落のようだが、市立石川小学校と市立石川中学校はこちら岸。
旧道である県道と国道7号線の交点、東北自動車道大鰐弘前ICもある。国道には道の駅ひろさきもあり、弘南鉄道石川駅からは徒歩圏内。道の駅の裏は平川市との市境で、日帰り温泉「花の湯」もある。なお、国道や東北道は石川地区では平川を渡らない。
御幸橋を渡ると、道は大きくカーブしていて、見通しが悪い。県道41号線と合流する箇所(41号線終点)もあって、そこに信号機のない横断歩道があり、横断するにはちょっと怖い。少し先には横断歩道橋もあった。
小学校、中学校とも、橋の歩道とは逆側に位置するので、駅側の集落から登下校する児童生徒は、必ず2度、県道を横断しないといけない。学校側にも信号機を設置するとか、将来的には橋の下流側にも歩道を設置したほうがいいかもしれない。
ここを歩くのは、以前道の駅に来た時に続いて2度目。今回は目的地は違うものの、とりあえず同ルート。
県道にしては狭く交通量が少ない41号線へ左折し、すぐに右の市道へ。「石川小学校はこっち」の案内看板に従えばいい。家の間にリンゴ畑も見えてくる。そこにバス停。
「石川学校前」
前回から登場している、弘前~大鰐~碇ヶ関の路線のバス停ではない。そちらはずっと県道260号線を走り、歩道橋のところに「石川中学校前」というバス停があるようだ。
こっちは、1日3往復だけの「弘前~平賀線(大坊経由)」という路線用。ポールは、弘南バスお得意の片側のみの設置。
この路線、地図や全バス停名を見ても、僕の弘前の地理感覚では理解できない、複雑なルート。バスターミナル~松森町角~取上~門外は大鰐方面と同経路だけど、その先がちんぷんかんぷん。石川学校前の次の次のバス停「薬師堂北口」が終点。いったん弘前市から平川市平賀へ出て、再び弘前市(石川)へ戻ってくるルートらしい。石川地区~弘前バスターミナルの運賃では、大坊経由のほうが100円も高い。【大坊経由の路線は2018年9月で廃止され、予約式乗り合いタクシーになった】
小も中も付かないバス停名「石川学校」は、今の感覚では違和感。ただ、秋田でも、郊外ではたまにある命名。
小学校と中学校を一体化したともとらえられるが、それよりも、戦後に石川中学校ができる以前から存在した石川小学校を指して、単に「石川学校」としていたのではないだろうか。戦前を知る人は、そんな呼び方をすることがあったものだ。
バス停の先に、石川小学校。そこそこの規模で、古めの弘前市立学校らしい校舎。道路沿いに、
「二宮尊徳先生之像」薪を3束も背負っていてだいぶ多いような…
二宮金次郎像は、秋田市の学校では見たことがないが、弘前市内ではちらほら設置されているらしい。
この記事中ほどで大成小学校の石像を紹介している。大成小のものは新しそうな石像だったが、こちらは台座も含めて歴史がありそう。
台座裏側を見ると、「昭和十七年十二月八日」「寄附者 金崎清作」と彫られていた。
小学校に用があるわけでもなく、さらに進む。
ラーメンがおいしいらしいマルヨ食堂があって、ガソリンスタンドの角が国道7号線との交差点。水路が集まっていて、水が勢いよく流れている。
茂みの向こうが目的地
ガードレール沿いに細い道に入った所にある
円筒分水!
秋田市外旭川のものを紹介したことがあった、農業用水を一定の比率で配分する設備。
10年ほど前、円筒分水の存在を初めて知ったNHKBS「熱中時間 忙中"趣味"あり」で取り上げられたのが、弘前市石川のこの円筒分水だった。
外旭川の円筒分水を見たはいいけれど、他のものも見てみたいし、なじみのある弘前、しかもアクセスは悪くないから、行ってみたくて、大仏公園とともに今回訪れたのだった。
ここは「庄司川幹線水路分水工」という名称だそうで、Googleマップにも登録されている。
※以下、円筒分水の素人の感想です。
テレビで見た時は、もっと田舎というか奥地にあるようにも見えた気がするが、国道とガソリンスタンドのすぐそばとは意外。円筒分水より道路のほうが少し高い位置にあり、見下ろせるのはおもしろい。
サイズとしては、外旭川のよりは大きく、直径が1.5倍くらいか?? でもテレビで見た時よりは小さく感じたような気もした。円筒分水全体としては、中規模といったところなんだろうか。

外旭川のとは構造が違う。輪が1層多く、2番目の輪から3番目の枠へ、水が滝のように流れ落ちている(外旭川のは、流れ落ちず、壁に穴が開いていた)。
田植え時期ほどではないものの水を多く必要とする時期だったはずで、盛大に水が分配されていた。
知識がないので、念願かなって来たはいいけれど、落ち着けば感想はこの程度。でも来てよかった。外旭川同様、冬の水が少ない時に見れば、構造がよく分かるかもしれない。
円筒分水の横に石碑があった
「顕彰碑」「水ぬるむ 庄司川原に佇みて 君の偉業を まのあたり見る」
農村部ではたまに見かける、人物の功績を称える顕彰碑。
「田中弘氏」を称えるもので、「弘前市長 福士文知」と「平賀町(現・平川市) 成田??」の連名。福士弘前市長は、1976~1992年の在職。平賀町は「町長」ではない。
裏面は見ないでしまったので、建立年は未確認だが、ネット上には1989年との情報が。円筒分水より後に建てられたということのようだ。
田中弘氏が何者か知らないけれど、1人でこれを作ったとすれば、たしかに功績は偉大だ。
大坊経由弘前行きのマイクロバスが通過
道路の食堂とガソリンスタンドの間から円筒分水を見ると、水門の手すりに何かある。上の写真オレンジ色矢印部分。
逆さまの色あせた看板が
「うわあああああ」「おちると死にます。」「石川小学校PTA」「ここではあそばない。」とある。
円筒分水愛好家には有名な警告看板。このくらいインパクトがあったほうがいいのかもしれないけど、この状態では…
このシリーズの警告看板は弘南鉄道大鰐線石川駅にもあり、鉄道愛好家にも知られていた。今回撮影した写真で確認すると、
こちらは健在
駅舎からホームへの構内踏切の横に、きれいな状態であった。
「線路やホームでふざけていると、最悪の場合、死にます。」だそう。
JR石川駅にはあったかな? JRの設置許可が下りなかったりして…
弘南鉄道大鰐線石川駅からは1キロ、道の駅ひろさきからは400メートルと、アクセスがいい円筒分水。外旭川のようにクマが出没することもないだろう。落ちないように注意の上、興味のあるかたはどうぞ。
弘前市街地の話題は後日また。
弘南鉄道大鰐線石川駅を基準にして南側の大仏公園、西(弘前市街地)側のJR奥羽本線石川駅方面に続いて、線路を渡らない北~東・大鰐町方向を最後に紹介。
大鰐線石川駅から北へ進み、押しボタン信号のある所で県道260号線へ出て右へ。
石川公民館、「大仏餅」のお菓子屋さんを過ぎると、道がカーブし、また押しボタン信号、そこで平川に架かる橋を渡る。前の押しボタン信号から200メートルほど。

「御幸橋」と表示板が出ていた。旧羽州街道だけに、なにか由緒があるのだろうか。
新しくはなさそうな橋で、歩道は線路がある上流側のみ。

ガードレール(柵かな)がリンゴのデザインなのは、青森県ではよく見かける。赤と緑が多いようで、黄色いのは珍しいかもしれないけど。
橋の出入口というか道路との境目の「親柱」に注目。この形は…

全体として青森県の形になっている。さらに、中央の陸奥湾がリンゴの形になっている。
親柱は4か所とも、高さが低い津軽半島側を内側(道路側)にしており、橋の外から見て左側は鏡像の青森県。
そういえば、竣工年などの表示板が見当たらなかったが、親柱の外側に付いていたのかもしれない。【2024年6月28日追記・2024年6月26日アップの「弘前経済新聞」サイトで、この親柱を取り上げたX(旧ツイッター)の投稿が話題になっていると取り上げていた。それによれば「1983(昭和58)年度に完成」。デザインの経緯は分からないとのこと。】
青森県でなければできない親柱だ。他の橋にもあるだろうか。あるとすれば、市町村道では意味が薄そうだから、県道かな。
橋の対岸も家が多い。駅側よりは小規模な集落のようだが、市立石川小学校と市立石川中学校はこちら岸。
旧道である県道と国道7号線の交点、東北自動車道大鰐弘前ICもある。国道には道の駅ひろさきもあり、弘南鉄道石川駅からは徒歩圏内。道の駅の裏は平川市との市境で、日帰り温泉「花の湯」もある。なお、国道や東北道は石川地区では平川を渡らない。
御幸橋を渡ると、道は大きくカーブしていて、見通しが悪い。県道41号線と合流する箇所(41号線終点)もあって、そこに信号機のない横断歩道があり、横断するにはちょっと怖い。少し先には横断歩道橋もあった。
小学校、中学校とも、橋の歩道とは逆側に位置するので、駅側の集落から登下校する児童生徒は、必ず2度、県道を横断しないといけない。学校側にも信号機を設置するとか、将来的には橋の下流側にも歩道を設置したほうがいいかもしれない。
ここを歩くのは、以前道の駅に来た時に続いて2度目。今回は目的地は違うものの、とりあえず同ルート。
県道にしては狭く交通量が少ない41号線へ左折し、すぐに右の市道へ。「石川小学校はこっち」の案内看板に従えばいい。家の間にリンゴ畑も見えてくる。そこにバス停。

前回から登場している、弘前~大鰐~碇ヶ関の路線のバス停ではない。そちらはずっと県道260号線を走り、歩道橋のところに「石川中学校前」というバス停があるようだ。
こっちは、1日3往復だけの「弘前~平賀線(大坊経由)」という路線用。ポールは、弘南バスお得意の片側のみの設置。
この路線、地図や全バス停名を見ても、僕の弘前の地理感覚では理解できない、複雑なルート。バスターミナル~松森町角~取上~門外は大鰐方面と同経路だけど、その先がちんぷんかんぷん。石川学校前の次の次のバス停「薬師堂北口」が終点。いったん弘前市から平川市平賀へ出て、再び弘前市(石川)へ戻ってくるルートらしい。石川地区~弘前バスターミナルの運賃では、大坊経由のほうが100円も高い。【大坊経由の路線は2018年9月で廃止され、予約式乗り合いタクシーになった】
小も中も付かないバス停名「石川学校」は、今の感覚では違和感。ただ、秋田でも、郊外ではたまにある命名。
小学校と中学校を一体化したともとらえられるが、それよりも、戦後に石川中学校ができる以前から存在した石川小学校を指して、単に「石川学校」としていたのではないだろうか。戦前を知る人は、そんな呼び方をすることがあったものだ。
バス停の先に、石川小学校。そこそこの規模で、古めの弘前市立学校らしい校舎。道路沿いに、

二宮金次郎像は、秋田市の学校では見たことがないが、弘前市内ではちらほら設置されているらしい。
この記事中ほどで大成小学校の石像を紹介している。大成小のものは新しそうな石像だったが、こちらは台座も含めて歴史がありそう。
台座裏側を見ると、「昭和十七年十二月八日」「寄附者 金崎清作」と彫られていた。
小学校に用があるわけでもなく、さらに進む。
ラーメンがおいしいらしいマルヨ食堂があって、ガソリンスタンドの角が国道7号線との交差点。水路が集まっていて、水が勢いよく流れている。



秋田市外旭川のものを紹介したことがあった、農業用水を一定の比率で配分する設備。
10年ほど前、円筒分水の存在を初めて知ったNHKBS「熱中時間 忙中"趣味"あり」で取り上げられたのが、弘前市石川のこの円筒分水だった。
外旭川の円筒分水を見たはいいけれど、他のものも見てみたいし、なじみのある弘前、しかもアクセスは悪くないから、行ってみたくて、大仏公園とともに今回訪れたのだった。
ここは「庄司川幹線水路分水工」という名称だそうで、Googleマップにも登録されている。
※以下、円筒分水の素人の感想です。
テレビで見た時は、もっと田舎というか奥地にあるようにも見えた気がするが、国道とガソリンスタンドのすぐそばとは意外。円筒分水より道路のほうが少し高い位置にあり、見下ろせるのはおもしろい。
サイズとしては、外旭川のよりは大きく、直径が1.5倍くらいか?? でもテレビで見た時よりは小さく感じたような気もした。円筒分水全体としては、中規模といったところなんだろうか。

外旭川のとは構造が違う。輪が1層多く、2番目の輪から3番目の枠へ、水が滝のように流れ落ちている(外旭川のは、流れ落ちず、壁に穴が開いていた)。
田植え時期ほどではないものの水を多く必要とする時期だったはずで、盛大に水が分配されていた。
知識がないので、念願かなって来たはいいけれど、落ち着けば感想はこの程度。でも来てよかった。外旭川同様、冬の水が少ない時に見れば、構造がよく分かるかもしれない。


農村部ではたまに見かける、人物の功績を称える顕彰碑。
「田中弘氏」を称えるもので、「弘前市長 福士文知」と「平賀町(現・平川市) 成田??」の連名。福士弘前市長は、1976~1992年の在職。平賀町は「町長」ではない。
裏面は見ないでしまったので、建立年は未確認だが、ネット上には1989年との情報が。円筒分水より後に建てられたということのようだ。
田中弘氏が何者か知らないけれど、1人でこれを作ったとすれば、たしかに功績は偉大だ。

道路の食堂とガソリンスタンドの間から円筒分水を見ると、水門の手すりに何かある。上の写真オレンジ色矢印部分。

「うわあああああ」「おちると死にます。」「石川小学校PTA」「ここではあそばない。」とある。
円筒分水愛好家には有名な警告看板。このくらいインパクトがあったほうがいいのかもしれないけど、この状態では…
このシリーズの警告看板は弘南鉄道大鰐線石川駅にもあり、鉄道愛好家にも知られていた。今回撮影した写真で確認すると、

駅舎からホームへの構内踏切の横に、きれいな状態であった。
「線路やホームでふざけていると、最悪の場合、死にます。」だそう。
JR石川駅にはあったかな? JRの設置許可が下りなかったりして…
弘南鉄道大鰐線石川駅からは1キロ、道の駅ひろさきからは400メートルと、アクセスがいい円筒分水。外旭川のようにクマが出没することもないだろう。落ちないように注意の上、興味のあるかたはどうぞ。
弘前市街地の話題は後日また。