2003年8月2日17時台に、秋田県大館市のJR大館駅周辺で撮影した写真を、少々ご覧いただきます。当時の大館を知るかた、よりは路線バスや信号機に興味のあるかたに懐かしい画像かもしれません。
21世紀の2003年=平成15年、そんなに昔ではない気もしていたけれど、18年も前。何より写真に写っているものは昭和のもので、やはり「昔」になってしまっていた。
当時どうして大館にいたかと言えば、日帰りで弘前ねぷたを見に行ったから。開始時刻頃に弘前に着く普通列車で行って、大館での待ち時間で駅周辺をぶらついた。ちなみに帰りは、当時運行されていた秋田に翌日1時過ぎに到着する臨時特急を利用。
当日は雨で、夏の17時にしては暗く、カメラ性能もあって写りは悪い。夜には上がって、ねぷたへの影響は少なかったようだ。
2013年も記事にしていたが、駅前から秋田県道21号を進み、貨物線として営業中(旅客は1994年まで。2009年完全廃止)だった小坂製錬(小坂鉄道)の踏切を渡れば、御成町二丁目の商店街。
「2丁目大通り」
1973年に設置(着工は1970年。一部サイトで1970年完成とあるのは誤り)され、2015年に撤去されたアーケード。※ここの南、長木川対岸(大町商店街?)では今も古くなったがアーケードがある。
ご多分に漏れず、今は寂れた通りで、当時もその傾向はあったのだろうが、煌々と蛍光灯が灯り、路上駐車もあって、にぎやかそう。
右奥には、2006年に閉店したジャスコ大館店(解体済みで更地。2016年の記事)も見える。
この写真を撮影したのは、アーケード街を撮りたかったからではない。先方の信号機を撮りたくて(だからアーケードも路駐もジャマだったのだけど、今思えば撮っておいて良かった)。
当時としても、また秋田県中央地域住民としても、貴重な信号機。歩行者用もそうではあるが(撮らないでしまったけど)、何よりも車両用信号機。
LED式・縦型がほとんどになった今では、電球式・横型だけでも珍しいが、それだけではない。鉄製ボディの、京三(きょうさん)製作所製という点で珍しい。
信号機の材質は、今はステンレスやアルミニウム。その前は樹脂(主にポリカーボネート)。さらにその前は鉄が、それぞれ主流だった。鉄製ボディの初期は、直方体の四角い箱だったが、その後角が取れて丸っこくなった。
秋田県警では、鉄製は1980年頃までの採用。それ以前に設置された信号機が、細々と21世紀まで残っていた。秋田市内では1972年より後の製造の日本信号製が2011年まで残っていた。
信号機のメーカーは大手3社以下複数あり、相互にOEM供給し合う製品もあるが、各社独自設計のものもある。鉄製時代は、大手3社それぞれで個性が強いデザインだった。
秋田県では、エリアによって信号機のメーカーに偏りがある。今も昔も、京三製作所製は大館周辺に多く、秋田市内にはかなり少ない。
というわけで、2000年代でも秋田県としてはレアでレトロな信号機が、大館の県道の商店街に残っていたのだった。
なお、この時点では、交わる市道側は縦型に交換されていたようだ。その後、アーケード撤去より前に、県道側も縦型に交換。その後さらにフラット型に交換。
車両用信号機のレンズ(点灯する部分)の直径は、25センチか30センチが原則。昔の秋田県警では、赤だけ30で黄と青は25というのも多かった。ここは、幹線道路ということかオール30センチ。
横型電球式のごく普通の信号機に見えるかもしれないが、いろいろと違うのです。
まずボディ色がほぼ白色。樹脂製以降はグレーが標準。これは他メーカーでも同じで、ペンキの色ということか。鉄製では、定期的に錆止め・再塗装が行われていた。フード(庇)の内側が黒でないのも、この時期の特徴。
ほかには、柱に取り付ける2本のアームのうち、下側が大きな弧を描いている。
今の信号機は、細い一直線の棒のようなスタイリッシュなアームもあるし、信号機本体とアームの組み合わせは自由で、途中で交換することもある。一方、昔の信号機は、本体とアームはセットが基本だったようで、メーカーによってアームのデザインも違っていた。
フードもメーカーや製造時期で違い、これは先が細くとがった「くちばし」のような形状。
参考までに、だいたい同世代だと思われる、秋田市の新国道「八橋大畑」にあった日本信号製。
(再掲)これはアームは無塗装、フード内側は黒
どちらも箱型だったボディが丸っこくなった最初のモデル。1970年代前半~中頃の製造ではないだろうか。
日本信号製は、いかめしい感じがするのに対し、京三製作所製は柔らかく見えないでしょうか。ボディの余白が少なく、相対的にレンズ部分の占める割合が多いようにも見える。
大館の信号機と同タイプの信号機が、秋田市内にあった記憶はない。しかし、同時期製と思われる、赤だけ30センチの信号機は少数存在した。新屋船場町の丁字路や、羽後銀行本店前の歩道橋(現・北都銀行本店前、歩道橋は撤去。歩道橋直付けでアームはなし)、そのほかにも多少あった(臨海バイパスの「川尻若葉町」もだったかな)はず。※県外で撮影した写真があるので、いつか。
それらは、オール30センチよりもさらに柔らかく愛嬌のある顔つきに感じられて、子ども心に好きだった。そして日本信号製は怖い印象で、しかも設置数が多くて嫌いだった。
撮影した2000年前後は、インターネットを使い、多くの趣味のサイトを見るようになった頃。信号機趣味のホームページもあり、この京三製作所製の古い丸型信号機に、愛好家によって愛称が付けられていることを知った。
愛称というのは、C57形蒸気機関車の「貴婦人」、ボーイング747の「ジャンボジェット」みたいなの。ジャンボは、当初ボーイング社は嫌悪感を示したそうだが、後に自らも使用。
上記の通り、ボディに対してレンズが多くを占め、さらにフード形状によってもレンズが目立ち、「目玉がぎょろっと」しているのをエイリアンにたとえて、「宇宙人」と呼ばれる。
一部サイトでは、特定のエイリアンのキャラクターと結びつけた命名だとか、25センチではなくオール30センチのみを指す名称とされているものもあるが、それらが合意形成されているのかは不明。
個人的には、宇宙人の名を知った時、実に的確なたとえだと感心した。25センチ版のほうがより宇宙人っぽく見える気もする。
印象的なデザインの信号機なのは間違いないようで、「ヒョロ」「笹かまぼこ」など別の愛称も付けられていたようだが、宇宙人が多数派。
ネットの普及で“用語が統一”されたこともあるだろうし、実物の信号機は撤去が進んで数が少なくなり(温暖な地域には、2021年でも多少現存するのでは?)、信号機愛好家でもなじみがない人が増えたこともあるだろう。
なお、名古屋の大須や宮城県などにある、4方向の信号機をまとめて吊り下げた集約灯器は、マスコミが「UFO」にたとえることもあるが、宇宙人信号とはメーカーやデザイン等の関係はない。
信号機はここまで。
次は大館駅前の秋北バスの一般路線バス。当時は、今より国際興業との結び付きが強かった関係で、車両はいすゞ製で統一されていた。
車体塗装は、この頃、赤とキャラメル色のような独自デザインから国際興業グループ共通塗装に代わりつつあった。しかし、2008年の創業65周年の復刻、さらに国際興業との関係が薄れたことにより、今は再び自社塗装が多数。当時は、減りつつある自社塗装の記録として撮影した。
秋田200か57。側面はラッピング
いすゞLV(LT?)キュービック。秋北バスとしては珍しくもなく、秋田市交通局でもおなじみの、カキッとした車体とフロントガラス1枚・オーバーラップワイパーが特徴の車。【24日補足・秋田中央交通は自社発注では1台もなく、2000年前後に中古で初登場。交通局譲渡車も加わってそこそこの勢力になったが、2020年で全廃。】
今ネットで調べても、この車の情報はほぼない。
秋田中央交通の「か66【26日補足・三平バスより先に1台だけ入った初のエルガミオ。今春廃車されたとのこと。】」は2000年導入だから、これもその頃の登録。ということは中古車、当時だから国際興業から来たのか。
秋田22い745
なんとも懐かしい“昔のバス”。昔とは1980年代中頃までの製造のこと。「スケルトンボディ」になる以前「モノコックボディ」という構造で、僕にはどれも同じに見えてしまう。幼かったことに加え、当時は同じ車種でも、車体を組み立てる(架装)メーカーが複数あって、それによってぱっと見では識別が難しかったことが理由。
これは、キュービックの1世代前のいすゞ車。1980年~1984年と短期間のモデルだったとのこと。架装は川崎車体(KAWASAKI COACH。後にIK COACH、いすゞバス製造を経て、今もいすゞのバスを製造するJ-BUSに変遷)だから、これが当時のいすゞの純正ボディ。
その頃の秋田市営バスのいすゞ車は、富士重工と北村製作所の架装が多く、川崎架装の車もあったが少数派だったようで、そのせいかなじみが薄い顔。【24日訂正・川崎架装車は台数としては一定数あって、富士重工よりは多かったか? ともかく、キュービックのような抜きん出た個性や存在感はなかったと思う。】
この車は国際興業の中古らしい。秋田市営バス最後となった1996年度の導入車両のナンバーが780番台だから、その直前の移籍。
以前、2002年の弘前のバスを紹介したことがあった。その中に、これと同世代の三菱の通称「ブルドッグ」もまだ走っていた。
秋田市営バスではモノコックボディのバスは、1999年度頃までに廃車済みだったはずだが、地域によってはまだ普通に走っていた。それが21世紀初めという時代だった。
最後に、秋北バスの2台の行き先表示(方向幕)について。
57号車「羽立経由 弥助」は、昔の方向幕で一般的なモリサワの丸ゴシック体。745号車「新沢(?)経由 大館鳳鳴高校前」は、細身のナールっぽい書体。
そして、どちらも幕の枠に対して、中央にちまっと文字が書かれ、上下左右とも余白ができてしまっている。後に他社同様枠いっぱいに表示されるようになったが、当時の秋北バスではわりと見られたはず。
どうしてこんな書きかたなのか。
昔存在した、枠が小さい表示機用の幕を使い回せるよう共通化したのかと思うが、違いそう。小型幕は左右の幅が狭いから、これほど左右の余白があってはセットできないだろうし、逆に小型幕を使い回したら、幅が足りずに左右に中の蛍光灯が見えるはずだし、自動停止のバーコードのセンサーも働かないはずだし、上下のコマの文字が出てしまうかもしれない。
幕に文字を印刷する時の費用や作業の都合上、文字の部分だけ小型幕用のものを使い回しているのではないだろうか。
また、文字の上下の余白は、前や次のコマの余白と共通して使えそうなので、方向幕の総延長が節約できるメリットもあるかも。
大館以外の2000年代の写真など、またいつか。
21世紀の2003年=平成15年、そんなに昔ではない気もしていたけれど、18年も前。何より写真に写っているものは昭和のもので、やはり「昔」になってしまっていた。
当時どうして大館にいたかと言えば、日帰りで弘前ねぷたを見に行ったから。開始時刻頃に弘前に着く普通列車で行って、大館での待ち時間で駅周辺をぶらついた。ちなみに帰りは、当時運行されていた秋田に翌日1時過ぎに到着する臨時特急を利用。
当日は雨で、夏の17時にしては暗く、カメラ性能もあって写りは悪い。夜には上がって、ねぷたへの影響は少なかったようだ。
2013年も記事にしていたが、駅前から秋田県道21号を進み、貨物線として営業中(旅客は1994年まで。2009年完全廃止)だった小坂製錬(小坂鉄道)の踏切を渡れば、御成町二丁目の商店街。
「2丁目大通り」
1973年に設置(着工は1970年。一部サイトで1970年完成とあるのは誤り)され、2015年に撤去されたアーケード。※ここの南、長木川対岸(大町商店街?)では今も古くなったがアーケードがある。
ご多分に漏れず、今は寂れた通りで、当時もその傾向はあったのだろうが、煌々と蛍光灯が灯り、路上駐車もあって、にぎやかそう。
右奥には、2006年に閉店したジャスコ大館店(解体済みで更地。2016年の記事)も見える。
この写真を撮影したのは、アーケード街を撮りたかったからではない。先方の信号機を撮りたくて(だからアーケードも路駐もジャマだったのだけど、今思えば撮っておいて良かった)。
当時としても、また秋田県中央地域住民としても、貴重な信号機。歩行者用もそうではあるが(撮らないでしまったけど)、何よりも車両用信号機。
LED式・縦型がほとんどになった今では、電球式・横型だけでも珍しいが、それだけではない。鉄製ボディの、京三(きょうさん)製作所製という点で珍しい。
信号機の材質は、今はステンレスやアルミニウム。その前は樹脂(主にポリカーボネート)。さらにその前は鉄が、それぞれ主流だった。鉄製ボディの初期は、直方体の四角い箱だったが、その後角が取れて丸っこくなった。
秋田県警では、鉄製は1980年頃までの採用。それ以前に設置された信号機が、細々と21世紀まで残っていた。秋田市内では1972年より後の製造の日本信号製が2011年まで残っていた。
信号機のメーカーは大手3社以下複数あり、相互にOEM供給し合う製品もあるが、各社独自設計のものもある。鉄製時代は、大手3社それぞれで個性が強いデザインだった。
秋田県では、エリアによって信号機のメーカーに偏りがある。今も昔も、京三製作所製は大館周辺に多く、秋田市内にはかなり少ない。
というわけで、2000年代でも秋田県としてはレアでレトロな信号機が、大館の県道の商店街に残っていたのだった。
なお、この時点では、交わる市道側は縦型に交換されていたようだ。その後、アーケード撤去より前に、県道側も縦型に交換。その後さらにフラット型に交換。
車両用信号機のレンズ(点灯する部分)の直径は、25センチか30センチが原則。昔の秋田県警では、赤だけ30で黄と青は25というのも多かった。ここは、幹線道路ということかオール30センチ。
横型電球式のごく普通の信号機に見えるかもしれないが、いろいろと違うのです。
まずボディ色がほぼ白色。樹脂製以降はグレーが標準。これは他メーカーでも同じで、ペンキの色ということか。鉄製では、定期的に錆止め・再塗装が行われていた。フード(庇)の内側が黒でないのも、この時期の特徴。
ほかには、柱に取り付ける2本のアームのうち、下側が大きな弧を描いている。
今の信号機は、細い一直線の棒のようなスタイリッシュなアームもあるし、信号機本体とアームの組み合わせは自由で、途中で交換することもある。一方、昔の信号機は、本体とアームはセットが基本だったようで、メーカーによってアームのデザインも違っていた。
フードもメーカーや製造時期で違い、これは先が細くとがった「くちばし」のような形状。
参考までに、だいたい同世代だと思われる、秋田市の新国道「八橋大畑」にあった日本信号製。
(再掲)これはアームは無塗装、フード内側は黒
どちらも箱型だったボディが丸っこくなった最初のモデル。1970年代前半~中頃の製造ではないだろうか。
日本信号製は、いかめしい感じがするのに対し、京三製作所製は柔らかく見えないでしょうか。ボディの余白が少なく、相対的にレンズ部分の占める割合が多いようにも見える。
大館の信号機と同タイプの信号機が、秋田市内にあった記憶はない。しかし、同時期製と思われる、赤だけ30センチの信号機は少数存在した。新屋船場町の丁字路や、羽後銀行本店前の歩道橋(現・北都銀行本店前、歩道橋は撤去。歩道橋直付けでアームはなし)、そのほかにも多少あった(臨海バイパスの「川尻若葉町」もだったかな)はず。※県外で撮影した写真があるので、いつか。
それらは、オール30センチよりもさらに柔らかく愛嬌のある顔つきに感じられて、子ども心に好きだった。そして日本信号製は怖い印象で、しかも設置数が多くて嫌いだった。
撮影した2000年前後は、インターネットを使い、多くの趣味のサイトを見るようになった頃。信号機趣味のホームページもあり、この京三製作所製の古い丸型信号機に、愛好家によって愛称が付けられていることを知った。
愛称というのは、C57形蒸気機関車の「貴婦人」、ボーイング747の「ジャンボジェット」みたいなの。ジャンボは、当初ボーイング社は嫌悪感を示したそうだが、後に自らも使用。
上記の通り、ボディに対してレンズが多くを占め、さらにフード形状によってもレンズが目立ち、「目玉がぎょろっと」しているのをエイリアンにたとえて、「宇宙人」と呼ばれる。
一部サイトでは、特定のエイリアンのキャラクターと結びつけた命名だとか、25センチではなくオール30センチのみを指す名称とされているものもあるが、それらが合意形成されているのかは不明。
個人的には、宇宙人の名を知った時、実に的確なたとえだと感心した。25センチ版のほうがより宇宙人っぽく見える気もする。
印象的なデザインの信号機なのは間違いないようで、「ヒョロ」「笹かまぼこ」など別の愛称も付けられていたようだが、宇宙人が多数派。
ネットの普及で“用語が統一”されたこともあるだろうし、実物の信号機は撤去が進んで数が少なくなり(温暖な地域には、2021年でも多少現存するのでは?)、信号機愛好家でもなじみがない人が増えたこともあるだろう。
なお、名古屋の大須や宮城県などにある、4方向の信号機をまとめて吊り下げた集約灯器は、マスコミが「UFO」にたとえることもあるが、宇宙人信号とはメーカーやデザイン等の関係はない。
信号機はここまで。
次は大館駅前の秋北バスの一般路線バス。当時は、今より国際興業との結び付きが強かった関係で、車両はいすゞ製で統一されていた。
車体塗装は、この頃、赤とキャラメル色のような独自デザインから国際興業グループ共通塗装に代わりつつあった。しかし、2008年の創業65周年の復刻、さらに国際興業との関係が薄れたことにより、今は再び自社塗装が多数。当時は、減りつつある自社塗装の記録として撮影した。
秋田200か57。側面はラッピング
いすゞLV(LT?)キュービック。秋北バスとしては珍しくもなく、秋田市交通局でもおなじみの、カキッとした車体とフロントガラス1枚・オーバーラップワイパーが特徴の車。【24日補足・秋田中央交通は自社発注では1台もなく、2000年前後に中古で初登場。交通局譲渡車も加わってそこそこの勢力になったが、2020年で全廃。】
今ネットで調べても、この車の情報はほぼない。
秋田中央交通の「か66【26日補足・三平バスより先に1台だけ入った初のエルガミオ。今春廃車されたとのこと。】」は2000年導入だから、これもその頃の登録。ということは中古車、当時だから国際興業から来たのか。
秋田22い745
なんとも懐かしい“昔のバス”。昔とは1980年代中頃までの製造のこと。「スケルトンボディ」になる以前「モノコックボディ」という構造で、僕にはどれも同じに見えてしまう。幼かったことに加え、当時は同じ車種でも、車体を組み立てる(架装)メーカーが複数あって、それによってぱっと見では識別が難しかったことが理由。
これは、キュービックの1世代前のいすゞ車。1980年~1984年と短期間のモデルだったとのこと。架装は川崎車体(KAWASAKI COACH。後にIK COACH、いすゞバス製造を経て、今もいすゞのバスを製造するJ-BUSに変遷)だから、これが当時のいすゞの純正ボディ。
その頃の秋田市営バスのいすゞ車は、富士重工と北村製作所の架装が多く、川崎架装の車もあったが
この車は国際興業の中古らしい。秋田市営バス最後となった1996年度の導入車両のナンバーが780番台だから、その直前の移籍。
以前、2002年の弘前のバスを紹介したことがあった。その中に、これと同世代の三菱の通称「ブルドッグ」もまだ走っていた。
秋田市営バスではモノコックボディのバスは、1999年度頃までに廃車済みだったはずだが、地域によってはまだ普通に走っていた。それが21世紀初めという時代だった。
最後に、秋北バスの2台の行き先表示(方向幕)について。
57号車「羽立経由 弥助」は、昔の方向幕で一般的なモリサワの丸ゴシック体。745号車「新沢(?)経由 大館鳳鳴高校前」は、細身のナールっぽい書体。
そして、どちらも幕の枠に対して、中央にちまっと文字が書かれ、上下左右とも余白ができてしまっている。後に他社同様枠いっぱいに表示されるようになったが、当時の秋北バスではわりと見られたはず。
どうしてこんな書きかたなのか。
昔存在した、枠が小さい表示機用の幕を使い回せるよう共通化したのかと思うが、違いそう。小型幕は左右の幅が狭いから、これほど左右の余白があってはセットできないだろうし、逆に小型幕を使い回したら、幅が足りずに左右に中の蛍光灯が見えるはずだし、自動停止のバーコードのセンサーも働かないはずだし、上下のコマの文字が出てしまうかもしれない。
幕に文字を印刷する時の費用や作業の都合上、文字の部分だけ小型幕用のものを使い回しているのではないだろうか。
また、文字の上下の余白は、前や次のコマの余白と共通して使えそうなので、方向幕の総延長が節約できるメリットもあるかも。
大館以外の2000年代の写真など、またいつか。