8月29日付秋田魁新報 経済面に「カオルサブレ、しと豆がき、秋田諸越 3商品、1か所で販売/秋田市 かおる堂本社に新店舗」という記事。
秋田市にある「かおる堂」、「杉山壽山堂」と、かおる堂のブランドである「一乃穂」の同系列3ブランドの商品を取り扱う直営(直売)店が、9月4日オープンする話。
見出しの「3商品、1か所で販売」は誤解を招きそうで、記事本文には「3ブランドの約50種類」を扱い「月300万円の売り上げを見込む」。
秋田運河近く、川尻の工業団地にあるかおる堂本社工場なので、誰でも気軽にという場所ではないけれど。
かおる堂のことは、春に記事にしていた。扇屋開運堂、秋田いなふく米菓も系列のはずだが、その2ブランドは扱わないということか。
杉山壽山堂公式ホームページの告知によれば、現在、同じ工業団地近くに別に壽山堂単独の直営店があるが、それは閉店するとのこと。
直営店の名前は「工場直営店 ポンドール」。
※「ポンパドール」ではなく、パが抜けた「ポンドール」です。
ポンドールについては、新聞記事本文で丁寧に説明されている。以下に抜粋。
つまり、「ポンドール」はかつてあった店名を復活させるもの。
「秋田名店街」は、「ファッションアベニューAD」(後に改称して「イーホテルショッピングモール」→単なる通り抜け通路→今はコロナのためホテル休業につき通路も閉鎖)の場所にあり、昭和後期の秋田市中心市街地のにぎわいの中核の1つであった。
記事でちょっと分かりづらいのが、初代ポンドールがいつまで存在したか。「41年ぶり」と「1985年」が出てきて一致しない。
名店街がなくなったのは1985年(これは確実)。仮にこの時までポンドールが営業を続けたのならば「35年ぶり」としないといけないと思う。仮にそれが正しければ、1979年はポンドール開店ということかもしれなくなる。
命名者だという東郷青児を調べると、1978年4月に亡くなっていた。つまり、1979年に開店だとすれば、その命名をしたとは考えにくい。
したがって、1979年にポンドールがなくなったということになろう。名店街から撤退したか、もしくは通常のかおる堂ブランドの店に変更したのだと思う。
「二〇世紀ひみつ基地」「朝刊の「Xmas ぬりえ」にワクワクした昭和30年代の師走(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-846.html)」によれば、1964年時点でポンドールが存在し、「「ポンドール」は「かおる堂」の洋菓子ブランドだった。」とのこと。名店街自体は1961年オープン。
昭和40年代まるまると、その前後それぞれ約5年、計20年くらい、初代ポンドールが存在したことになりそう。
かおる堂のブランドとしてポンドールがよみがえることになるが、その報道を見た瞬間、僕の記憶の中に埋もれていた「ポンドール」という言葉がよみがえった!(新聞の説明が丁寧なので、あまり悩まずによりはっきり記憶が呼び起こされた。)
僕がポンドールに覚えがあったのは、身内(ばあさん?)が話していたから。
(今回の新聞を読む前までは)どこかのお菓子屋を指して、そう呼んでいたという認識だった。名前だけで店の場所・風景、商品などは記憶になかった。
でも、ポンドールがなくなった1979年は、まだ2歳前後。さすがにリアルタイムでの話ではないだろう。
おそらく、うちの者は、ポンドールがなくなった後もしばらく、かおる堂(の洋菓子?)を指して、そう呼んでいたのではないだろうか。
名称が変わっても、ダイエー、ヨーカドー(秋田店)、ジャスコ、サティ、交通公社、ナショナル等々、以前の名前を使い続ける人がいるように。ただ、「かおる堂」だって知っていたはずだから、和/洋で呼び分けていたのか。
以前とは場所も扱い商品も変わる(かおる堂の洋菓子のロングセラーは、新旧ポンドールで販売される可能性はある)が、名前が復活したのは、ちょっとうれしい。「ポン“パ”ドール」と間違われないといいけれど。
7月に、かおる堂のお菓子をいただいて、懐かしくておいしそうだったので、写真を撮っていた。
フルーツカップ プリン・ア・ラ・モード(? とカップに書いてある)
ペラペラしたプラスチックカップに入った、プリン・ア・ラ・モード。
写真の通り、なんか生クリームが溶けて、プリンが埋もれて(沈下して?)いるように見え、見覚えがない形だった。買った後~もらう前の管理が悪かったのかも。冷やして食べたら、味に支障なく、記憶通りおいしかった。
【30日追記】イオン秋田中央店内のかおる堂の店をのぞいたら、大きさ形状は同じながら、柄が違う(オレンジ色系)フルーツカップが売られていた。上に載っているものはさほど違わなそうでクリームも口金で絞った模様など付いていなかったが、プリンは沈んでおらず突出していた。
喫茶店のとも、コンビニデザートとも違う。また、最近のおしゃれで高級なケーキ専門店では、こういう商品はなさそう。
スフレチーズケーキと同じく、昔からの、和洋兼業お菓子屋さんならではの商品。同じような容器に入った、あんみつ・みつまめも、(他店でも)わりとあるかも。
名店街のポンドールでも売られていたかもしれない。新しいポンドールでは、こういうケーキ類は売るのかな?
【30日追記】ポンドールの名付け親である東郷青児は、かおる堂の包装紙もデザインしたらしい。ピンクと水色が並んだ曲線で囲まれた中に、頭に果物籠(?)を載せた、青い服の女性をささっとかいたようなもの。昔のかおる堂の包装といえばそれだった。
現在は、秋田名物などを描いた別の包装紙もあるが、並行して東郷青児のものも使い続けていて、店舗や商品で使い分けているらしい。
【2021年5月1日画像追加・追記】
2021年3月のフルーツカップ。容器は春仕様、やはりちょっと沈下ぎみ?
2021年5月1日の新聞広告には「母の日バージョン」が掲載。カップの柄と、プリンにピックがささる程度の違いのようで、税込み367円。
「おかげ様でフルーツカップは愛されて49年になりました。ロングセラー商品です。」「誕生49年」とあるので、1972年頃の発売開始なのだった。
秋田市にある「かおる堂」、「杉山壽山堂」と、かおる堂のブランドである「一乃穂」の同系列3ブランドの商品を取り扱う直営(直売)店が、9月4日オープンする話。
見出しの「3商品、1か所で販売」は誤解を招きそうで、記事本文には「3ブランドの約50種類」を扱い「月300万円の売り上げを見込む」。
秋田運河近く、川尻の工業団地にあるかおる堂本社工場なので、誰でも気軽にという場所ではないけれど。
かおる堂のことは、春に記事にしていた。扇屋開運堂、秋田いなふく米菓も系列のはずだが、その2ブランドは扱わないということか。
杉山壽山堂公式ホームページの告知によれば、現在、同じ工業団地近くに別に壽山堂単独の直営店があるが、それは閉店するとのこと。
直営店の名前は「工場直営店 ポンドール」。
※「ポンパドール」ではなく、パが抜けた「ポンドール」です。
ポンドールについては、新聞記事本文で丁寧に説明されている。以下に抜粋。
「かおる堂が店名に「ポンドール」を使うのは41年ぶり。」
「1985年に閉鎖された大町のアーケード街「秋田名店街」に同名の菓子店を出していた。」
「フランス語で「金の架け橋」を意味する。」
「県内で初めて洋菓子専門店として商標登録をした店名」
創業者と親交があった「画家の東郷青児が名付けた」
「1985年に閉鎖された大町のアーケード街「秋田名店街」に同名の菓子店を出していた。」
「フランス語で「金の架け橋」を意味する。」
「県内で初めて洋菓子専門店として商標登録をした店名」
創業者と親交があった「画家の東郷青児が名付けた」
つまり、「ポンドール」はかつてあった店名を復活させるもの。
「秋田名店街」は、「ファッションアベニューAD」(後に改称して「イーホテルショッピングモール」→単なる通り抜け通路→今はコロナのためホテル休業につき通路も閉鎖)の場所にあり、昭和後期の秋田市中心市街地のにぎわいの中核の1つであった。
記事でちょっと分かりづらいのが、初代ポンドールがいつまで存在したか。「41年ぶり」と「1985年」が出てきて一致しない。
名店街がなくなったのは1985年(これは確実)。仮にこの時までポンドールが営業を続けたのならば「35年ぶり」としないといけないと思う。仮にそれが正しければ、1979年はポンドール開店ということかもしれなくなる。
命名者だという東郷青児を調べると、1978年4月に亡くなっていた。つまり、1979年に開店だとすれば、その命名をしたとは考えにくい。
したがって、1979年にポンドールがなくなったということになろう。名店街から撤退したか、もしくは通常のかおる堂ブランドの店に変更したのだと思う。
「二〇世紀ひみつ基地」「朝刊の「Xmas ぬりえ」にワクワクした昭和30年代の師走(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-846.html)」によれば、1964年時点でポンドールが存在し、「「ポンドール」は「かおる堂」の洋菓子ブランドだった。」とのこと。名店街自体は1961年オープン。
昭和40年代まるまると、その前後それぞれ約5年、計20年くらい、初代ポンドールが存在したことになりそう。
かおる堂のブランドとしてポンドールがよみがえることになるが、その報道を見た瞬間、僕の記憶の中に埋もれていた「ポンドール」という言葉がよみがえった!(新聞の説明が丁寧なので、あまり悩まずによりはっきり記憶が呼び起こされた。)
僕がポンドールに覚えがあったのは、身内(ばあさん?)が話していたから。
(今回の新聞を読む前までは)どこかのお菓子屋を指して、そう呼んでいたという認識だった。名前だけで店の場所・風景、商品などは記憶になかった。
でも、ポンドールがなくなった1979年は、まだ2歳前後。さすがにリアルタイムでの話ではないだろう。
おそらく、うちの者は、ポンドールがなくなった後もしばらく、かおる堂(の洋菓子?)を指して、そう呼んでいたのではないだろうか。
名称が変わっても、ダイエー、ヨーカドー(秋田店)、ジャスコ、サティ、交通公社、ナショナル等々、以前の名前を使い続ける人がいるように。ただ、「かおる堂」だって知っていたはずだから、和/洋で呼び分けていたのか。
以前とは場所も扱い商品も変わる(かおる堂の洋菓子のロングセラーは、新旧ポンドールで販売される可能性はある)が、名前が復活したのは、ちょっとうれしい。「ポン“パ”ドール」と間違われないといいけれど。
7月に、かおる堂のお菓子をいただいて、懐かしくておいしそうだったので、写真を撮っていた。
フルーツカップ プリン・ア・ラ・モード(? とカップに書いてある)
ペラペラしたプラスチックカップに入った、プリン・ア・ラ・モード。
写真の通り、なんか生クリームが溶けて、プリンが埋もれて(沈下して?)いるように見え、見覚えがない形だった。買った後~もらう前の管理が悪かったのかも。冷やして食べたら、味に支障なく、記憶通りおいしかった。
【30日追記】イオン秋田中央店内のかおる堂の店をのぞいたら、大きさ形状は同じながら、柄が違う(オレンジ色系)フルーツカップが売られていた。上に載っているものはさほど違わなそうでクリームも口金で絞った模様など付いていなかったが、プリンは沈んでおらず突出していた。
喫茶店のとも、コンビニデザートとも違う。また、最近のおしゃれで高級なケーキ専門店では、こういう商品はなさそう。
スフレチーズケーキと同じく、昔からの、和洋兼業お菓子屋さんならではの商品。同じような容器に入った、あんみつ・みつまめも、(他店でも)わりとあるかも。
名店街のポンドールでも売られていたかもしれない。新しいポンドールでは、こういうケーキ類は売るのかな?
【30日追記】ポンドールの名付け親である東郷青児は、かおる堂の包装紙もデザインしたらしい。ピンクと水色が並んだ曲線で囲まれた中に、頭に果物籠(?)を載せた、青い服の女性をささっとかいたようなもの。昔のかおる堂の包装といえばそれだった。
現在は、秋田名物などを描いた別の包装紙もあるが、並行して東郷青児のものも使い続けていて、店舗や商品で使い分けているらしい。
【2021年5月1日画像追加・追記】
2021年3月のフルーツカップ。容器は春仕様、やはりちょっと沈下ぎみ?
2021年5月1日の新聞広告には「母の日バージョン」が掲載。カップの柄と、プリンにピックがささる程度の違いのようで、税込み367円。
「おかげ様でフルーツカップは愛されて49年になりました。ロングセラー商品です。」「誕生49年」とあるので、1972年頃の発売開始なのだった。
総理大臣のお祝い菓子を作ってるそうで、平日のコロナ禍なのにかなり来たそうです。
景気に早速貢献してくれた?
かおる堂の上生菓子は、アマビエに比べると作るのが簡単そうに見えましたが、そうでもないらしく1日50個限定だとか。
東京では、国会土産の総理大臣まんじゅうの企画が報道されていましたが、ぜんぜん似てないお顔。
秋田の各社・各店のほうが、実物に似せようという努力が感じられます。