江戸時代から城下のメインストリートとして栄えてきた、秋田市の「通町(とおりまち)」。
住居表示実施により、現在は保戸野通町と大町一丁目の境の道路になっているが、通称としての通町は、道路沿い両側。
「通町」の定義としては、狭義では通町橋を東端に、「せきや」近くの菊谷小路と交わる交差点まで300メートル。ちょうど県道233号と重なる(県道は北へ曲がる)。
広義では、そこから市道に変わって200メートル西、「大工町」だった部分も含めて、みその通りとの交差点(六道の辻)まで。これだと、保戸野通町・大町一丁目のエリアと一致する。
「通町通り」と呼ぶこともなくはないが、語呂がいまいち…
通町は、20年強前に道路拡幅が行われ(↑広義の区間)、風景が様変わりした。それに比べれば近年の変化は少ない。
ところが、気が付いたら、通町の“背景”が様変わりしていた。変わることは予測していたが、このように変わるとは予想外。
※変化前はあまりいい写真がありません。予測していたのならば撮っておけばよかったのに…
佐野薬局付近から東方向で比べる。
2013年3月
現在
通町橋の対岸は、変形十字路(四差路)なので突き当り。その向こうの“背景”が違っている。
以前は見えなかった、お寺の屋根に丸窓が開いたような独特の建物が見えるようになった。
丸窓越しに向こう側の丸窓も、上に駅前のアルスも見えている
千秋公園の下にある、前の秋田県立美術館・平野政吉美術館の建物である。
なぜ、旧美術館が見えるようになったか。
2013年の写真を拡大
秋田県民会館(上の写真で緑っぽい高い建物)と秋田和洋女子高等学校(手前のピンクがかった横長の建物)がなくなったから。
以前の繰り返しになるが、新しい文化施設(あきた芸術劇場)建設とその駐車場とするため、県民会館と隣接する高校が解体された。
県民会館は昨年までに解体済みで、今春、秋田令和高校となり近隣へ移転した和洋高校校舎の解体がされた今年夏(たぶん8月から)、県民会館向かいにある旧美術館が姿を現した。旧美術館敷地のメタセコイアの木も伐られてしまい、それも見通しを良くしたはず。
8月中旬。左側の校舎がまだ残っていた。屋根には芸術劇場工事のクレーンの影
たしかに、旧美術館と通町は道路・通町橋越しにほぼ一直線。佐野薬局付近までだと500メートルほど。
Googleマップ航空写真に加筆。左の黄色い★が佐野薬局付近
地面に高低差があり、建物もけっこう高かった県民会館、さらについたてのように横(南北)に長かった和洋が、見通しをさえぎっていたのだった。
航空写真の通り、旧美術館の屋根と通町の通りは、完全に直角な位置関係ではないから、通町でも場所によって見え方が変わる。
また、通町橋寄りでは近すぎて手前の建物に隠れるし、全体に南側・大町一丁目側では、南側の建物に隠れて見えない。
西に進んで、
せきや向かい・通町二区バス停付近
右が隠れる
ここから西・大工町側では、北側であってもほぼ見えなくなる。
今まで、旧美術館をこれほど「真横」からきれいに眺めることは、通町以外の場所でもできなかったと思う。
それに、芸術劇場ができると、再びさえぎられると思われる。あと何か月だろうか、限定の貴重な光景。
住居表示実施により、現在は保戸野通町と大町一丁目の境の道路になっているが、通称としての通町は、道路沿い両側。
「通町」の定義としては、狭義では通町橋を東端に、「せきや」近くの菊谷小路と交わる交差点まで300メートル。ちょうど県道233号と重なる(県道は北へ曲がる)。
広義では、そこから市道に変わって200メートル西、「大工町」だった部分も含めて、みその通りとの交差点(六道の辻)まで。これだと、保戸野通町・大町一丁目のエリアと一致する。
「通町通り」と呼ぶこともなくはないが、語呂がいまいち…
通町は、20年強前に道路拡幅が行われ(↑広義の区間)、風景が様変わりした。それに比べれば近年の変化は少ない。
ところが、気が付いたら、通町の“背景”が様変わりしていた。変わることは予測していたが、このように変わるとは予想外。
※変化前はあまりいい写真がありません。予測していたのならば撮っておけばよかったのに…
佐野薬局付近から東方向で比べる。
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通町橋の対岸は、変形十字路(四差路)なので突き当り。その向こうの“背景”が違っている。
以前は見えなかった、お寺の屋根に丸窓が開いたような独特の建物が見えるようになった。
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千秋公園の下にある、前の秋田県立美術館・平野政吉美術館の建物である。
メイン展示である「秋田の行事」を展示するために設計された、1967年から使われた建物。耐震性能や老朽化の対応をどうするかでモメて、美術館は2013年に広小路向かいの、日赤病院などの跡地「エリアなかいち」内に移転した。
その後、空いた旧美術館の建物をどうするかで、またモメた。移転前では、補修するのは現実的でないから、なかいちへ移転するという話だった。つまり解体されるはずだった。それがいつの間にか、旧美術館を補修して他用途に使うという話が強くなった。
結局、県から秋田市へ移管の上、2021年3月に「秋田市文化創造交流館(仮称)」としてオープンすることになり、現在、建物周辺(外構など)や内部の改装が施工中。
かなり特徴的な建物であり、価値がありそうなのは否定しない(そのわりには、県外から来た人などは安藤忠雄の現・美術館の建物のほうに惹かれるようだが)。文化創造交流館とやらが、市街地の活性化にはなるかもしれない。
ただ、歴史ある建物を次々と壊す秋田において、どうしてこれだけがこんなに大事に残されるのか、大金をかけてまで残す価値があったのか、そもそも美術館を移転する必要があったのか、いろいろと考えてしまう。
その後、空いた旧美術館の建物をどうするかで、またモメた。移転前では、補修するのは現実的でないから、なかいちへ移転するという話だった。つまり解体されるはずだった。それがいつの間にか、旧美術館を補修して他用途に使うという話が強くなった。
結局、県から秋田市へ移管の上、2021年3月に「秋田市文化創造交流館(仮称)」としてオープンすることになり、現在、建物周辺(外構など)や内部の改装が施工中。
かなり特徴的な建物であり、価値がありそうなのは否定しない(そのわりには、県外から来た人などは安藤忠雄の現・美術館の建物のほうに惹かれるようだが)。文化創造交流館とやらが、市街地の活性化にはなるかもしれない。
ただ、歴史ある建物を次々と壊す秋田において、どうしてこれだけがこんなに大事に残されるのか、大金をかけてまで残す価値があったのか、そもそも美術館を移転する必要があったのか、いろいろと考えてしまう。
なぜ、旧美術館が見えるようになったか。
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秋田県民会館(上の写真で緑っぽい高い建物)と秋田和洋女子高等学校(手前のピンクがかった横長の建物)がなくなったから。
以前の繰り返しになるが、新しい文化施設(あきた芸術劇場)建設とその駐車場とするため、県民会館と隣接する高校が解体された。
県民会館は昨年までに解体済みで、今春、秋田令和高校となり近隣へ移転した和洋高校校舎の解体がされた今年夏(たぶん8月から)、県民会館向かいにある旧美術館が姿を現した。旧美術館敷地のメタセコイアの木も伐られてしまい、それも見通しを良くしたはず。
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たしかに、旧美術館と通町は道路・通町橋越しにほぼ一直線。佐野薬局付近までだと500メートルほど。
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地面に高低差があり、建物もけっこう高かった県民会館、さらについたてのように横(南北)に長かった和洋が、見通しをさえぎっていたのだった。
航空写真の通り、旧美術館の屋根と通町の通りは、完全に直角な位置関係ではないから、通町でも場所によって見え方が変わる。
また、通町橋寄りでは近すぎて手前の建物に隠れるし、全体に南側・大町一丁目側では、南側の建物に隠れて見えない。
西に進んで、
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ここから西・大工町側では、北側であってもほぼ見えなくなる。
今まで、旧美術館をこれほど「真横」からきれいに眺めることは、通町以外の場所でもできなかったと思う。
それに、芸術劇場ができると、再びさえぎられると思われる。あと何か月だろうか、限定の貴重な光景。
今のコレのみ。
湯沢や本荘や横手などの再開発フォーマットが似ていていいエポックなんでしょうか。
実際そこらは衰退した感がない。
商店街再開発といえば大曲の花火通りも再開発が進んでました。
対面通行にでもするのか。
話は変わりますが、福島と徳島で老舗デパートが潰れました。
福島は福島市として、徳島は県でデパートがきえました。
秋田はあの体たらくとはいえ木内やなんだかんだつよい西武があり、まさか2つあります。
竹村、JC、ユニオン、サンエーなどが潰れてて、ここもならやばいかも。
はたまた木内はあの体たらくだからこそなんでしょうか。
前にあった山王の三越みたいに。
「雑然とした」というより「狭い」通りだったと思います。適当な写真が発掘できれば、いつか…
通町は商店街や各店舗ががんばっていることもあるでしょう。秋田市では五丁目橋西の横町の拡幅・対面通行化が予定されていますが、どうなるやら。
すでに函館の棒二森屋、山形の大沼などもなくなっています。
西武そごう全体が不振の中、西武秋田店が残っているのが、むしろ不思議です。
木内は、我が道を行くという感じでしょう。ただ、コロナを理由に長期休業中で、この先どうなるか見通せません。
通町の交差点は基本的に直角に交わっていますが、菊谷小路の交差点だけは少し道が歪んでいて、何でだろうとずっと思っていました。
あの場所は、市道側の融雪装置のヒートポンプ吸排気口だそう(https://blog.goo.ne.jp/taic02/e/9f014f6da898f103c3a9274e13b91915)ですので、その工事かと推測します。
あの交差点の南北の道は、もともとは城下町防御のため、一直線でなく交わるカギ型だったのを、20年前の拡張時に南側を手前でカーブさせて、普通の十字路に変えたわけです。
拡張前は、今工事している部分が道路で、今道路の部分は豆腐屋さんや生鮮品やお菓子など売る食料品店などがありました。
ここも歩道がとても狭く、個人的には思い出がある場所です。
何処もやっても・やらなくとも商売上手いところは残ってるようです。
きれいになったけど、気がつけば店はないというのでは、悲しいものです。