広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

あやめ団子その後/千秋の鐘

2019-10-27 00:18:09 | 秋田の季節・風景
秋田市中心部、久保田城跡・千秋公園から2つ。

千秋トンネルや御隅櫓がある園内北西。その二の丸の階層にあるあやめ園の所に、「あやめだんご(あやめ茶屋/茶屋あやめ)」があった。
その名の通り元々はだんご屋、後に山菜料理店になるも、現在は空き家で不動産会社の管理下にあったようだ。秋田市の公園整備計画では移転なども検討されていた。
そんなことを今年8月にまとめていた

秋晴れで紅葉も始まったので、久々に訪れた。やはり気持ち良かったけれど、
あやめだんごがない!!
建物がすっかり解体され、更地に砂利を敷く作業が行われていた。斜面の際スレスレで、横に長い建物だったことが分かる。

やっぱりこうなったか。砂利を敷いているけど、どう使うのだろう。※続きはこちら


2つ目。千秋公園に「鐘(時鐘)」があるのは、どのくらいの人がご存知だろうか。
お寺の鐘と同タイプのゴーンと鳴る釣り鐘が園内にあり、毎日7時に7回、21時に9回の定時(終戦記念日等や除夜の鐘も)に撞(つ)かれている。
古くからの秋田市民には「(千秋)公園の鐘」で通じるし、音に親しんでいる人も少なくないと思うが、もしかしたら千秋公園の中の「どこ」に鐘があるかを知らない人もいるかもしれない。まったく知らない人は、音を聞いてもどこかのお寺の鐘と勘違いしているかもしれない(近くにお寺はないけど)。

僕は千秋公園の鐘の“可聴エリア”で育ったので、なじみがある。
旭北寺町などのお寺では、定時に鐘が鳴っているのかどうか定かではないが、我が家には聞こえることはなく、鐘といえば千秋公園かアニメ「一休さん」のオープニングであった。(音色は違うけどいくつかの教会や修道院の鐘は聞こえる。)
今は家の気密性(あるいは他の建物などの影響も?)が上がって、毎日聞くことはできないが、窓を開けたり外出したりしている時に、たまに耳にして、ああそうだったなと改めて存在を意識するものであった。

秋田市公園課ホームページと県立図書館の魁見出し検索によれば、
「寛永16年(1639年)、二代藩主佐竹義隆」が二の丸(現在と別の場所)に設置したのが始まりとされる。
「明治25年(1892年)現在の位置に建設」。
1943年に戦争の金属供出でなくなり、戦後すぐ1948年に「平和の鐘」として復活するも、1968年に「鐘楼(当時木造)の老朽化等の理由により廃止」。
その後、市民から復活の要望や募金(300万円?)があり、1973年(定時の鐘は1974年元日からとの情報も)に愛称「千秋の鐘」として復活したのが現在に続いている。
「家臣・吉敷家の末裔」が現在まで代々鐘を撞いている(鐘守)。
といったもの。

今の鐘が4代目らしい。1968年に廃止、1973年に募金で復活した時に、鐘が吊るされる鐘楼(鐘つき堂)は新しくなったわけだが、鐘自体はどうなんだろう。1968年のを再利用したのか、鐘も処分してしまって新しくしたのか。【末尾の追記参照】
愛称だという「千秋の鐘」は、少なくとも僕が知るここ30年以上の間では、ほぼまったく使われていない。上記の通り「公園の鐘」だ。

10月25日付 秋田魁新報 秋田市地域面の「秋田市広報板」に、建設部公園課からこんな告知が。
「千秋公園の時鐘を一時休止します」
掲載日の25日から、定時の鐘が鳴らなくなったという。
「除夜の鐘は実施」し、「再開する際は改めてお知らせ」する。

今のところ、秋田市のホームページ等にもなく、ここだけの情報と思われる。
まあ、今どき時鐘がなくて困る人もほぼいないだろうし、そういう人がいたとしてもネットで告知しても届かないでしょう。


今回公園へ上がったのは、鐘がどうなったのか気になって、確かめる目的もあった。
鐘楼の場所は、二の丸の南西角。公園管理事務所の隣。【30日補足・メインルートから外れた目立たない場所だから、市民でも知らない人がいることだろう。】
あやめ園側から

近づいて事務所前から。左に曲がると秋田舞妓の「松下」~二の丸広場
鐘楼は2階建て相当の高さで、階段で上る。階段の上り口に施錠された扉があるので、一般人は上がれないが、たしか除夜の鐘の時に行けば撞かせてもらえるはずだから、大みそかだけは入れそう。
鐘楼の裏側にも道(径)があり、知る人ぞ知る(?)下へ下りられる階段につながる。

本丸への階段から
昔の魁によれば、この鐘楼の計画段階では「展望台」として使うことも想定していたらしい。それを踏まえた設計のように見えなくもないけど、本丸と高さはあまり変わらないし、木が茂って眺めは良くない。
縦長というかちょっとスリムな鐘かな
45年経つこの鐘楼も、老朽化しているという話を聞いたことがあった。
今回休止された報を知り、建物もしくは鐘に不具合が出たのかと思ったが、除夜の鐘は撞くのだからそれはない。
次に、何らかの工事をすることになって立ち入りできなくなるのかとも思ったが、とりあえず現段階ではその気配はなし。まあ昨日の今日だから、週明けに動きが出るかもしれない。
あとは鐘守さんの事情か。【末尾の追記参照】
今年で380年の歴史がある鐘がどうなるか。

大坂の下、市立中央図書館明徳館前から
木々の葉が茂っている時は、公園の外側から鐘楼は見えない(どこかピンポイントで見えるかも??)。葉が落ちると、上の写真のアングルでもよく見えるはず。いちばん奥・内堀の向こうの上付近。

【30日追記】10月30日のNHK秋田放送の報道(他社では未報道の模様)で、理由や今後が判明した。
休止理由は「人手の確保が難しくなり」
そこで「秋田市は、来年4月から自動で鐘をつく機械を導入することを決めました。」。
「およそ150万円をかけて改修工事を行う予定で、改修費用には市民からの寄付も活用」し、11月から12月27日まで寄付を受け付けるとのこと。
なお、報道では「千秋の鐘」の表現はなし、「時鐘」の語を用い、「ときがね」と読んでいた。時鐘は「じしょう」だと思っていたが、日本語としては「ときがね」でもどちらでもいいようだ。「ときがね」はNHKの判断なのか、秋田市の公式な呼称なのかは不明。【30日補足】秋田市ホームページに情報が掲載され「千秋公園の時鐘(ときがね)改修に係る寄附金を募ります」となっており、正式に「ときがね」のようだ。寄附については、申込書を書いて提出しないといけない。募金箱に小銭を入れるように気軽にはできないみたいだ。【11月1日補足・11月1日付「広報あきたNo.1948」に掲載され、やはり「ときがね」とふりがな。こちらには「千秋の鐘」の名も出ている。】

鐘守さんの事情かなと思っていたが、やはりそうだった。だったら、自動鐘撞き装置導入も…などと妄想していたが、それが現実になり、急に話が進んだのはびっくり。
秋田市が導入しようとしているのは、おそらく撞木を自動で動かして鐘を鳴らす、「自動鐘撞装置」「自動鐘撞機」「全自動撞木」などと呼ばれるものだろう。川越市の「時の鐘」では1975年から導入されているそうで、2007年時点では全国で約1600の寺院で導入されているという情報もあった。

江戸時代ならいざしらず、400年近く、365日毎朝・毎夜、雨の日も雪の日も上り下りして鐘を撞くというのは、大変な苦労だったことだろう。鐘守さん大変おつかれさまでした。

【31日追記】10月30日付 秋田魁新報 社会面でけっこう大きく取り上げられた。「時鐘守り 刻んだ210年/千秋の鐘(秋田市)/突き手引退、来春自動化」との見出し。ここでは「時鐘「千秋の鐘」」と表記し、1973年に募集で決まったことも言及。
吉敷さんは「よしき」と読み、家訓は「鐘は手でなく、心で突くもの」。
経緯は詳しく書いていないが「1809(文化6)年から吉敷家が鐘守りを務めてきた。」→藩政時代よりも明治以降のほうが長かったことになる。よくぞここまで続けたものだ。
吉敷家7代目当主の女性が約10年前に亡くなった後は、その夫(76)が「ほぼ1人で鳴らしていた」。「数年前から「突き続けるのは難しい」と市に相談があり、今年9月に「辞めたい」と申し出があった」。
最後・24日21時の鐘撞きの様子が写真入りで伝えられていて、家族ぐるみで付き合いがあった人が立ち会ったとのこと。

「戦時中の金属回収で小坂銅山に運ばれ溶解されたが、」終戦後の市民の要望で1948年に「市内の林金属工作所が鋳造して市へ寄贈」。
その時の鐘のサイズ(高さ2.15m、重さ2.5t)が出ているが、秋田市の今回の募金資料のデータ(重さは2.437tと表記。その他口径1.24m、厚さ13cm)と一致する。したがって、1973年に鐘楼が新しくなった時は、鐘そのものは以前のものを再設置したと考えられる。
自動化後も、定時以外の終戦記念日などは市職員や関係団体が手動で撞くとのこと。

【11月10日追記】11月10日付 朝日新聞 秋田版で報道。
なお、鐘を撞くことを、魁は「突く」、NHKサイトは「つく」と表記していた。朝日では「鐘のつき手」「鐘つき」と名詞ではひらがな表記だが、動詞としては「鐘を打つ」と言い換えているようだ。奥が深い。※当ブログでは「撞く」としています。
やめたいと申し出を受けて秋田市では「人力による鐘つきを継続するため、いくつかの業者に打診した。しかし、いずれも「短期なら可能だが、365日ずっと続けるのは無理」と断られた。」ため、自動化に踏み切ったそうだ。業者ってどういう業種の業者なのか知らないけれど、150万+電気代なら、人力より安くのでは?
寄付受け付け初日の1日には「2件の申し出があった。」。
また、魁の記事では、江戸時代は「時計坊主」という役職がいたことが出ていたが、鐘撞きや吉敷家とのつながりがよく理解できなかった。朝日でも触れられているが「この(注・時計坊主の)任を担ったのが、常陸から佐竹家とともに秋田に移ってきた吉敷家」とあり、時計坊主=鐘撞き業務=吉敷家ということのようだ(それ以前など他の時計坊主も存在した可能性はある)。

【2020年4月6日追記】新年度から自動化されて稼働再開。撞木も新しくなったせいか、自動化のせいか、以前と若干音色が違って聞こえる気がしなくもない。
2020年4月6日付 秋田魁新報 秋田市地域面によれば、
4月1日から従来どおり7時と21時。各回ごとの鐘は50秒間隔=実際に聞いてみると、以前より間隔が長くなった気がする。
装置は「寄付金75万円を含め、152万円をかけて設置」。募金は「市内外から36件」。

【2022年12月30日追記・自動化後の除夜の鐘について】2022年末は、除夜の鐘も自動対応。公園課サイトには「鐘楼施設の老朽化のため、自動鐘つき機により行います。例年実施していた一般の方を対象とした鐘つきは、安全面を考慮し実施しませんので、ご理解をお願いします。」。
【2022年12月31日追記・↑その原因】31日付秋田魁新報地域面によれば「今年夏ごろに屋根裏のコンクリートが剥離しているのが見つかり」その安全確保のため、一般参加を取りやめた。また、「市は鐘楼の建て替えを検討」。

【2024年8月25日追記】2023年度に鐘楼の改築(建て替え)工事が、同じ場所で行われた。

コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ガムの捨て方の新語? | トップ | 崖下の研究室 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (FMEN)
2019-10-27 23:39:53
これははじめてです。
なんか洋風のベルは警察の裏の教会から流れてくるのをきいたことがありますが。
返信する
Unknown (antaka)
2019-10-28 11:48:36
我が家も可聴エリアですが、鐘楼については、朝7時に係りの人が登る際、通りすがりの近所の子たちが一緒に登っていくのをみたことがあります。
事情はわかりませんが、仮に鐘守さんの都合だとすれば、なかなか再開しなさそうです。
返信する
コメントありがとうございます (taic02)
2019-10-29 00:33:41
>FMENさん
鳴る時間が早いのと遅いのですからね、聞くチャンスは限られます。
ほかにも、保戸野の聖園の修道院と聖使幼稚園の教会にも鐘があります。風向き等で聞こえたり聞こえなかったりですが、それぞれ音色や鳴らし方が違って識別できます。

>antakaさん
鐘守さん同伴ならということでしょう。終戦記念日には、事前に申し込んだ高校生だったかが鳴らしたこともありました。
ほぼ400年かつ毎日、同じ家が鐘を撞き続けているのはすごいことですが、苦労がしのばれます。川越の時の鐘などは自動鐘撞き装置があるそうですし、寂しいけれどいっそ鐘自体なくても、とかいろいろ考え方があるでしょうが、難しいですね。見守るしかないでしょう。
返信する
8月15日 (FMEN)
2024-08-22 21:42:48
終戦記念日、人力鐘つきが復活しました。
昨年は鐘楼工事、その前は老朽やコロナで鳴らせなかったらしいのですが今年春に完成したためとのこと。
ただ特別に開けただけだから次は来年8/15や3/11、大晦日(またぐ1/1は能登復興祈願をかねて)でしょうか。
返信する
鐘楼改築 (taic02)
2024-08-25 20:42:27
すっかり忘れていましたが、2023年度末に鐘楼が新しくなってましたね。
ぱっと見、以前とさほど変わらない鐘楼です。除夜の鐘は、再び手動対応になるのではないでしょうか。
返信する
大晦日 (FMEN)
2024-11-28 23:55:15
一般の鐘撞きが復活と秋田市役所のxで発表されました。
返信する

コメントを投稿