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秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

神田線 平成史

2021-02-23 17:44:06 | 秋田市営バス
2019年秋で廃止された、秋田市の秋田駅西口と土崎駅前を、外旭川地区を経由して結ぶ路線バス「神田土崎線」。
秋田駅と外旭川の間は、「神田旭野(団地)線」が多数走っているので、実質的にこの時の廃止とは、外旭川病院前~土崎駅の区間をバスが走らなくなること。「神田土崎線」という「路線」扱いするべきなのか、神田線の1つの「系統」扱いするべきなのか難しいところ。
個人的には、「神田線」と大きくくくるべきであって、土崎線は系統レベルかとは思う。しかし、1954年の運行開始時は、この系統しかなかったはずであり、元祖で本家の神田線という意味では、軽視したくもない。
2年前に経路や廃止直前のダイヤを記事にしたが、今回は遅ればせながら、記憶と資料が手元にある、昭和末から廃止までの(平成の30年間が中心)歴史を振り返ってみる。

ここでは、元祖神田線である土崎線と、現在の主系統である旭野団地線を主に取り上げる。
そのため、現在はマイタウンバス化された「笹岡線」については触れないことにするが、1988年春から2011年3月まで、神田線の1系統「神田笹岡線」として秋田駅まで来ていた(それ以前とマイタウンバス化後は、外旭川地内~笹岡~土崎方面で運行)。泉外旭川駅開業によって、変化があるのだが、開業後にまた。

略図。赤い線(実線も点線も)が神田土崎線の経路。一方通行や直接関係しない路線・系統は省略

神田線の運行開始は、1954(昭和29)年1月らしい。当時は外旭川村で、同年10月に秋田市に合併されている。当時は、秋田と土崎の直接の行き来には市電があったし、外旭川は農村だったから、外旭川止まりの系統はなく、秋田と土崎(すでに秋田市と合併済み)の2つの町と外旭川を結ぶ路線だったのではないだろうか。
昭和40、50年代になると、外旭川地区の宅地化が進み、対秋田駅方面の需要が増えて、外旭川止まりの系統ができたのだと推測する。
【24日追記】神田線沿線には、秋田大学教育文化学部附属学校(原の町~保戸野八丁)以外には、児童生徒の多くが通学にバスを利用する高校のような学校はない。したがって、乗客に占める沿線在住の住民の割合が高い路線だと思う。そんな性格の路線において、これほどの本数があるのは秋田市では珍しいのではないだろうか。


まずは昭和末以降の(記録でなく)記憶をたどる。
・初代バスロケーションシステムの接近表示器(1981年12月運用開始?)には、土崎行き、卸売市場経由土崎行き、卸売市場行き、さらに八柳二区(現・八柳三丁目)行き、それぞれにランプがあったか。
・1983~1984年頃に見られた方向幕(行き先表示。旧型表示器は内容が異なったので、新しい大型の表示器)は、「神田・土崎」「卸売市場 神田・土崎」「神田・卸売市場」。八柳二区行きなどほかの幕は見たことがなかった。
卸売市場経由の方向幕のイメージ ※書体やバランスは実物と異なる
・その後、1986~1988年辺りになると卸売市場行きに代わって「神田・旭野団地」が登場。バスロケ表示は機器更新まで変更されなかったはず(卸売市場行きのランプで代用?)。
また、それと同時期か少し後、全路線で方向幕の内容を見直したタイミングだと思うが、「神田・土崎」が「神田・土崎駅」に変更。
末期の「神田.土崎駅」(以前の掲載写真の別カット)。休日朝で誰も乗ってない。2002年9月
以前記事にしたように、秋田市営バスでは、同サイズの方向幕でも、文字の区切りや割り付けに少なくとも2種のバリエーションがあった。廃車の流用や途中での交換もあったようで、同じ車でもいつの間にか変わっていることもあった。
これは「神 田・土崎駅」。夕方便なので乗客は多い。2002年8月
土崎発秋田駅行きは、他系統(卸売市場発や旭野団地発)と共用の「神田・秋田駅」。卸売市場経由は土崎駅行きと同様「卸売市場 神田・秋田駅」。ちなみに「天徳寺・秋田駅」も使えなくはないが、基本的に添川線用。

・卸売市場止まりがなくなって、旭野団地止まりに代わった後も、土崎線には、卸売市場を経由する便が存続。
曜日などによっては、卸売市場に代わって旭野団地を経由する便もあり、その方向幕は「神田・土崎駅」「神田・秋田駅」で代用(「旭野経由」とかの紙掲出?)。
そしていつの間にか、卸売市場経由が消滅。

・いつの間にか、土崎線は激減し、2019年秋に完全廃止。

そんな流れと記憶するが、細かくは覚えていない。神田線は身近な路線ではあったが、どこ行きでも変わらない環境だったこともあって。
秋田市中央卸売市場は1975年開設。※現在は花き部門のみ存続し、青果・水産は2012年に秋田市公設地方卸売市場に転換。
旭野団地行きと言うが、実際にはその次の「外旭川市営住宅前」が起終点(2017年からは団地内を周回し回転地終点)。外旭川市営住宅は1981年に最初の棟が完成。
卸売市場周辺には、今もさほど住宅はないので、1980年代にたくさんバスが乗り入れる(折り返し便と経由便)必要はなかった気もする。時間帯によっては市場へ通勤する人はいたかもしれないけれど。1980年代中頃では、市営住宅の道路や周辺整備がバスが入れる状態でなく、とりあえず秋田市役所内で融通が利く、卸売市場を折り返し・待機場所として使ったのかも。【24日追記・当時は、今ある広い道路多くが未整備で、ルートやバス停位置も今と若干異なったので、卸売市場で乗降して田んぼの中(?)を突っ切るのが、市営住宅への近道という意味もあったかも。】
卸売市場も市営住宅もなかった頃は、秋田駅~土崎駅の路線は、どこにも立ち寄らず、直行していたのだと思う。


今度は、昭和末以降の時刻表から、上記の記憶を裏付けるべく、神田線の変遷を拾ってみる。
【3月2日コメントの情報から追記】1987年4月
・系統図(路線図)に「卸売市場前」と「旭野団地」が表記。起終点なのか途中経由地なのか等詳細は不明だが、この時点で旭野団地へバスが乗り入れていた。(以上追記)

1988(昭和63)年3月29日改正
※当時は平日/休日ダイヤが同じで、一部便を休日運休とする形式。
・昼前~夜は曜日問わず同じ本数運行。日曜祝日運休となるのはわずかで、秋田駅発は朝1本、秋田駅行きは朝6本(うち1本は土曜も運休)だけ。秋田駅発では土曜日のみ13時00分発が増便。
・土崎着発のうち、秋田駅発10時10分、土崎駅発14時55分の上下1本だけ旭野団地経由、ほかは卸売市場経由。=無経由の土崎線はない。

昼間は土崎駅着発毎時1本、旭野団地着発毎時2本が基本。=卸売市場止まり、八柳二区止まりはない
昼間の秋田駅発は、土崎行き毎時10分、旭野団地行き毎時30分、50分発で統一(ほかに添川線が毎時40分、笹岡線などイレギュラー便も)。=神田線だけできれいに20分間隔。

・冊子時刻表で途中バス停も出ているので「神田」における平日朝の秋田駅行きは、
6時28、53。7時03、13、18、23、35、36、45、53。8時05、25、45、58。
→現行(2020年秋改正)の八幡田二丁目では、6時47。7時07、17、27、42。8時00、17。=半減しているが、秋田市内全体で見れば、現状では多い方でしょう。

・自衛隊入口始発秋田駅行き便(旭野団地経由せず)あり。7時25分(日祝運休)と7時43分(毎日)の2本。市場入口始発7時40分(日祝運休)もあるが、後述の野村始発の注記漏れかも?
→一方通行の関係で、上り便のみ新国道の自衛隊入口を通る。土崎駅発も毎時1本あったわけで、新国道経由駅行きと誤乗する人はいなかっただろうか。駅までは神田線では遠回りで運賃も高くなる。


以降は冊子でなく、大判1枚もので、始発バス停の時刻のみ掲載。
1988年12月21日改正
・「神田線」として一括掲載。上りの始発は「旭野団地発」を掲載しているが、土崎駅始発は当然土崎駅の初時刻だろうから、まぎらわしい。
・昼間の基本の秋田駅発時刻が変更。土崎行き毎時00分、旭野団地行き毎時15分、45分(添川線30分)に。
→土崎行きが毎正時(00分)発なのは、それが元祖神田線だからこそのステイタスだと思っていたけど、昔からというわけではなかったのか。でも、これが大幅減便時まで定着することになる(休日は次改正から)。神田線としては15分の次が30分空いてしまうが、添川線と合わせて天徳寺前まではきれいに15分間隔かつ覚えやすいダイヤで、とても便利だった。
【23日追記・以下、秋田駅『行き』の時刻については取り上げませんが、秋田駅発のような等間隔のダイヤではなかった。】

・前改正で市場入口始発かのように記載されていた便は、「野村」始発7時38分(日祝運休)に。
→野村バス停の場所が不明。当時は外旭川アンパスはまだなく、バスが通れる道といえば帝石踏切の道路くらい?
いずれにせよ、外旭川から秋田市街地への登校・出勤需要が旺盛だったようだ。
【24日追記・野村バス停について、コメントの情報などから補足】当時の地図や冊子時刻表によれば、やはり帝石踏切の反対(新国道)側に「野村」、さらにこちら側に「堂ノ前」バス停があって、八柳二区につながっていた。これらは、堂の沢県庁線(当時は駅~県庁~面影橋~堂の沢~自動車会館前~八柳二区~神田~斎場前~八幡田。後に自動車会館発着に短縮)が使っていたバス停。
堂の沢線で野村の1つ手前は、新国道の日産サニー前(現・日産サティオ前)だったようだ。つまり、野村始発神田線は、帝石踏切の通りの全バス停から神田経由で駅までの輸送を担っていたことになる。新国道経由では少し遠い人たちへのきめ細かい配慮だったようだ。(以上追記)


1989年4月4日改正
・ここから平日/休日ダイヤを分離した2本立てに。ただし土曜日は平日扱い。
休日ダイヤでは、旭野団地止まりは毎時1本に。土崎駅着発は平日と同じ毎時1本(自衛隊入口始発1本もあり)。
・日曜祝日の昼間は10分土崎、(添川線30分)、50分旭野に。
神田線全体として平日毎時3本、休日毎時2本に。休日の旭野団地系統がほぼ半減。天徳寺前まで20分間隔、神田線としては10分の後は40分空く。休日ダイヤはこれが定着。
 
1990年12月15日改正
・時刻表が土崎線と旭野団地線に分割。表記は「神田線(土崎駅前)」「神田線(旭野団地)」。
→分離時期が思ったより早かった。自衛隊入口、野村始発便は旭野団地欄に。旭野団地は経由しないのだから、土崎欄のほうが良かったのでは?

・土崎線の休日は、卸売市場経由に代わって全便旭野団地経由に。
→前年に旭野団地止まりが半減された代替ということか。

・平日に旭野団地(外旭川市営住宅)17時20分始発 卸売市場経由秋田駅行き設定。
→通勤帰宅の足?


1992年4月1日改正
・時刻表表記が「卸売市場経由神田線(土崎駅前)」に。
→基本的は卸売市場経由ということなのだろうけど、土日は通らない。

1992年12月15日改正
・時刻表表記が「神田旭野線」「卸売市場経由神田土崎線」に。
→「旭野団地」という言葉自体、由来がよく分からないが、さらに略して「旭野」にする違和感。これも思ったより早い時期。


1993年4月1日改正
・土曜日も休日ダイヤ適用に。
ただし、土崎線は土曜日は1往復が旭野団地経由、残りは卸売市場経由という、平日並みの扱い。日曜祝日は全便旭野団地経由。
旭野団地止まりは、駅発毎時20分が土曜日のみ運行。土曜日の駅発は土崎10分、旭野20分、(添川30分)、旭野50分とアンバランス。
自衛隊入口、野村始発、旭野団地始発卸売市場経由は、土曜日も平日と同じく運行。
→公立学校は第2土曜だけ休み(1995年から第4土曜も)だったし、まだ土曜は完全な休日ではなかったようだ。

1993年12月15日改正
・自衛隊入口、野村始発便に「旭野団地は経由しません」の注記。以降、あったりなかったり。

※この間目立った変化なし※

1996年3月28日改正
卸売市場経由がなくなる。
・表記も「神田土崎線」だけとなって経由地の表記なし。直通になったのか?
・野村始発が廃止。自衛隊入口始発は平日と土曜2本、日曜祝日1本のまま存続。

※1997年の時刻表は保存していないので不明※

1998年11月1日改正
・旭野団地止まりの土曜日のみ運行の毎時20分発が廃止。土曜も日曜祝日と同本数に。
→公立学校はまだ隔週土曜休みだった(2002年から毎週)。供給過剰だったのか。
・自衛隊入口始発は平日と土曜の1本だけに。
 
2000年4月1日改正
・秋田組合総合病院(現・秋田厚生医療センター)移転に対応。
土崎線が大幅減便。平日は朝と夕各1往復の計2往復、土日は朝1往復。
旭野団地線は土崎線分をある程度増発、一部を病院延長(当時は市営住宅には入らず、旭野団地通過後直行)。
平日昼間も毎時2本(駅発15分、45分)となる時間ができる。土日は毎時20分が復活し、旭野団地までは改正前とほぼ同本数。
→病院移転だけでなく、利用実態と中央交通移管を見据えた、適正化やリストラの意味もあったのだろう。

・自衛隊入口始発の土曜廃止。平日のみに。

※この間時刻表保存なし。以降保存なし多し※

2005年4月改正
市営バスから秋田中央交通へ路線移管。
この時点(移管初年度は市営バス時代を踏襲することになっていたはず)では、秋田駅~土崎駅(笹岡線除く)は、秋田駅発平日2本(7時00分、17時00分)、土日1本(7時05分)、土崎駅発平日3本(7時50分、14時30分、18時00分)、土日1本(7時45分)。ほかに自衛隊入口発平日7時35分(土崎線の欄に記載)。
→いつの間にか平日土崎駅発14時台が増便されている。廃止前に新国道で見たかけた時はほぼ誰も乗っていなかった。附属小学校の帰宅用としては使われていたはずだが、別に旭野団地発でも構わないのに。
旭野団地線(組合病院行き含む)は、平日毎時2~3本、休日毎時2本程度。

※以降旭野団地の本数やバイパス経由については省略※

2009年4月改正
・2005年とほぼ同じ。自衛隊入口始発も存続(この後いつ廃止かは不明)。

2011年春の次の改正~2014年3月の前の改正の間
・土崎線 平日夕方の1往復廃止

2014年3月
・土崎線 土日廃止

2016年9月
・土崎駅発14時35分廃止。朝の1往復のみに

2019年9月
完全廃止。

神田土崎線廃止により、ほそぼそと続いていた、外旭川と土崎を結ぶ公共交通機関がなくなってしまった。外旭川は、秋田市の地域分けでは、土崎を中心とする「北部」地域になるのに。秋田市役所などのある山王へもバスの便はない。(線路を越えて新国道へ出れば、土崎も山王も行くことはできますが。)
そして来月、泉外旭川駅が開業。外旭川と土崎を鉄道で行き来できるようになる。秋田駅へも早く、(市民の高齢者以外は)安く行くことができる。通学を中心とした神田線の利用動向がどう変わり、それが数年後のバスダイヤや外旭川の町にどう影響するだろうか。さらには、イオンタウンやサッカースタジアム計画も。

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12 コメント

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Unknown (FMEN)
2021-02-23 22:21:40
この路線は何回かのりました。
主に市営末期。
「野村」ですが、1993のバス路線を辿れる古地図を見ると泉のコナカ近くから市場へ行く通りで、コスモスや郵便センターの先にある踏切手前にあるみたいです。
そのあと「堂の前」がわかばのあたりにあり、右折して神田に戻るのでしょうか。
昔は堂の沢油田線に使われていたとココで見ましたが、どうやら神田でも使われていたようです。
ちなみに全便が天徳寺通りのバイパスへ行かず、市場入口の交番からマルハン裏通りに入り、ローソンの交差点を突っ切りのようでした。
八柳2区もナイスやアキオン前でなくマルハン〜銀行裏の100円販売機あたり。
(つまり病院前btやナイス前は通らない、市場行きは多分右折してから出直し)
ローソン交差点はアンパスでずたずたに切られたため北向きと西向きはつながりが複雑になり、もう当時のままはむりです。
当時はガソスタになっていました。また2001までマルハン近くにすたみな太郎がありました。
その後、病院方面に旭野行きは別れ、いかない方は草生津橋までいきます。
鳥屋場は橋寄りで旭野線はよらないことになります。
あとはもうおなじみなルートです。
我も知らぬ世界がこの記事と古地図でわかりました。
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堂の沢線との関係 (taic02)
2021-02-24 21:03:54
調べてくださり、ありがとうございます。野村はやはり踏切の反対側でしたか。
堂の沢線のことを忘れていました。改めて1988年の冊子時刻表で同線のバス停を見ると、
自動車会館前-日産サニー前-寺内三千刈-野村-堂ノ前-八柳二区 でした。
今の日産サティオの所で一瞬だけ新国道に出て、帝石踏切の道路へ出ていたようです。

昔は、市場入口から先は、今より線路寄りを通っていたことになります。
そのため、旭野団地に入らない、無経由や卸売市場経由だと、市営住宅方面と最寄りバス停の間は多少歩く必要があったのでしょう。道路がなかったのでそれしかなかったわけですが、それが曜日や時代によって経由地が変わった原因だったのかもしれません。

奥羽本線の反対側は、市電の線路が通っていたことになりますが、その名残りも消えてしまっていることでしょう。
返信する
Unknown (FMEN)
2021-02-24 22:26:50
いまでは裏道イメージが強い交番→ローソンまでの道ですが、昔は本幹線がそれで県道指定されていたんですよね。
アンパスが無く、貧弱な地下道や向山の狭路しか周りになかったときは三千刈の縦道を使わないと新国道から外旭川に出られず。
ナイス前の道もなかったため必ずローソン(当時はガソスタ?)に出ることに。
ローソンの近くに棒だけになった吊り標識の残骸がありますが、「←土崎 市場→」とかいうのがあったのでしょう。
外旭川は平成初期まで交通困難地だったことになるんでしょうか。
そうなれば神田線が基幹路線となり、道が県道になるのもわかります。
県道とは一蓮托生なのか工業高校近くをのぞきずっと神田線は仲良くくっつきます。
水口改良があり県道が変わると水口を通らなくなり、ナイスで終るようになると草生津橋方面にいく土崎線が消えました。
仁井田から来る13号、市場の案内が新国道に通じる茨島でなくなぜか一本手前の古川添(くしくもまるごと市場前)に立ってますが、これは新国道は複雑だから通町から県道をトレースしてくださいという意味だったのかも。
これだけでいろんな考察ができます。

しかし、毎日卸売市場を経由したりここまでな案内したりしてますが、市民はこうまで卸売市場に行きますか?
旧築地→豊洲の場外みたいなのはなく、市民市場のような機能がなく、市場祭でもなきゃ仲卸が朝にしか行かない場所。
私も遠足で見学しただけ。マグロのマイナス40度冷凍室に入りました。
逆に場外みたいなのがあればいまの神田線はどうなったのやら。
市電や地下鉄があれば。
そもそもなんで海から遠い場所に卸売市場があったのか?

長々と書いちゃいました。
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外旭川の道路事情 (taic02)
2021-02-25 00:08:31
保戸野の原の町~八丁も同様ですが、“ついこの間”まで、今では信じられないような道路状況だったのだと思えてしまいます。
外旭川は、貨物駅前後の線路のアンダーパスも、外旭川アンパス以外は狭いまま。新しいアンダーパス建設で、やっと改善されるはずです。
昭和30年代くらいまでは問題ないにしても、車と人口が増えた昭和末期では、危険と渋滞で大変だったのかも。道路も駅も、もっと早くできていたら…
人口減のこれからは、さらなる安全を目指して道路を整備していくべきか、もう現状のままでいいのか、難しいところです。

1980年代の卸売市場止まり神田線は、道路状況による運行の都合があったかもしれません。その後、1996年まで、平日は1時間に1本も卸売市場にバスが入っていたのは、たしかに不可解です。
卸売市場は、アンパスと北インターができた今では、物流上はいい立地でしょう。それらができる20年前にそれを見越して、場所を決めたのか?
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Unknown (FMEN)
2021-02-25 00:56:09
NHKや大野線やくらた跡地並みに大ネタにしてしまってすいません。
市場の位置が海沿いに限るは東京築地や豊洲ばかりにとらわれてました。
個人的には秋田港のセリオン南の漁港あたり、と思っても野菜や花を考えるとですね。
さらに突き詰めたら福島盛岡山形あたりの卸売市場は更に内陸やんけ!となりました。
アンパスどころか当時は横金線すらなかったんですよね、そういえば。
水道山から大松沢→秋高を経てじゃないと内陸からの道にはならない。
サッカー場が出来たら、もしかしたらバス停復活もあるんでしょうか…

そしてもうお気づきかもしれませんが90年代後半に神田スクール線(神田経由経法大線)が土崎から旭野に変わって、しかも片道に。
土崎駅始発だと新国道のロスタイムが長くなるから?でしょうか。
ちなみに中央高校の生徒の帰宅便としてはあまり使えません。ソースは自分。
冬に土崎駅から巻き付きバス停の自衛隊入口までには使えましたが、自衛隊入口からだとかなり運賃取られます。
旭野からで当時は350円。新国道線や将軍野線で320円、秋操駅で240円でしたし、土崎線が来たから乗ったことありましたが400円近く払いました。(つまり、自衛隊入口発の運賃がそれ)
これが無きゃ、中央高校の帰宅便や新国道スクール線の補完で土崎線や神田スクール線が重宝したのではないんでしょうか。
返信する
スプロール現象? (taic02)
2021-02-25 23:36:29
外旭川は、田んぼが豊富で土地には困らなかったでしょう。だけどそれなら、仁井田でも今の日赤~ノースアジア大辺りでも飯島でも良かったはず。当時の道路状況で、よく外旭川に決められたなと、改めて思います。北インターも1997年にやっと開通でした。
「スプロール現象」に定義されるのかは分かりませんが、それに近い感じもします。

神田経法大方面は、やはり運賃と時間でしょう。土崎からならJRで秋田まで出て、バスに乗り換えたほうが早いし安いし、本数が多い。1987年までは飯島に交通局北営業所があったので、当初は土崎発のほうが車両のやり繰りがしやすかったような事情もあるかもしれません。
今は新国道や寺内経由も、土崎駅始発便が少しできましたが、当時は駅前乗り入れは神田線が唯一かつ1時間ごと。土崎駅とジャスコ~中央高校辺りの短距離利用も想定していたのでしょうかね。
中央高校は昔は、寺内県庁経由、寺内通町経由は今より多く、下校時間は中央高校前始発新国道経由なんてのもあったと思います。外旭川~泉・保戸野方面在住の生徒ぐらいしか、レギュラーの神田線ユーザーはいなかったでしょうね。
返信する
更なるダイヤ改編はいつ頃か。 (編地 耕部、)
2021-03-01 16:53:44
2021年3月13日にいよいよ泉外旭川駅が開業されますが、神田線の歴史に新たな動きがありそうです。
泉外旭川駅の外旭川口への乗り入れるダイヤが一部の時間帯で出てきそうですが、未だに秋田中央交通(株)の公式ウェブサイト上にダイヤ改正の情報が掲載されていません。もしかして、今年の10月までお預けなんでしょうか?
返信する
法令上は (taic02)
2021-03-01 20:19:57
いちおう1週間前までに周知すればいいことになってますので、まだ分かりません。
泉側は乗り入れがほぼ確定のようですが、外旭川側(マイタウンバスを除く)はどうなるんでしょうね。開業まで2週間。
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Unknown (suzudada)
2021-03-02 07:50:56
おはようございます。
秋田市営バス運行系統図『昭和62年4月』
を持ってました。
https://twitter.com/suzudada_akita/status/1093831588561862656?s=09
八橋方面の路線の存在は知りませんでしたが路線図を見て八幡田も気になりました。
返信する
こんばんは (taic02)
2021-03-02 22:58:24
貴重な資料をありがとうございます。
この系統図、見覚えがあります。卸売市場の人物のイラストなど懐かしい。広報あきたとともに全戸配布されたのかもしません。
細かい系統が区別されていないが惜しいですが、1987年ですでに旭野団地には乗り入れていたことになりますね。

神田線から離れますが、新屋西線の今の県営住宅経由が「新屋団地」で行き止まりになっていたり、新屋線が栗田神社前を経由(ラッシュ時の西中~美大付近の渋滞回避?)していたり、いろいろと興味深いです。
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