秋田大学医学部附属病院近くへ行った時のこと。秋田駅方面へバスで帰るため、病院内のバス停から乗車しようと向かったが、時間の読みを誤って、間に合わないかもしれないのに気付いた。
乗ろうとするバスは、手形山団地線。大学病院前の次のバス停が近いので、そちらへ向かったら、余裕で間に合った。(東口行きや三吉神社入口・赤沼経由西口行きだと、次のバス停がもっと遠いので、絶望的な状況だった。)
手形山団地線の大学病院前の次のバス停と言えば、医学部敷地の西側、マックスバリュ広面店などがある「広面ショッピングセンター」の裏手北東にある、あのバス停。
秋大糠塚(しゅうだい ぬかづか)…あれっ?!
「秋大糠塚官舎前」だったのが「秋大糠塚宿舎前」に変わっている! 「官」→「宿」の変更。
ここは以前から指摘していた。「バス停名の由来となる施設等の名称が変更されたのに、バス停名はいつまでも変わらないバス停」の1つだった。
「秋大糠塚官舎」とは、秋田大学の「糠塚官舎」からの命名。秋田市交通局(秋田市営バス)時代、1988年3月の冊子時刻表ですでにこの名称だった。
「官舎」とは職員住宅のこと。かつての国立大学の多く(すべて?)では、一般的な呼称だった。郵政省(現・郵政アパート)や国鉄(現・JR社宅)でもそうだったが、電電公社では電々アパート(関連記事)と呼んでいたのかな。
【19日追記】コメントで教えていただいたように、「国家公務員宿舎法」というのがあり、国立大学時代でも厳密には「宿舎」が正しかったようだ。しかし、内部では「官舎」と呼ぶのが一般的であり、“公式な通称”のようになっていたのだろうか。
手形山団地線は2004年春に、市営バスから中央交通へ移管。
それと同じ時、国立大学は国立大学法人化された(全国の国立大学一斉)。
国立大学法人は「官」ではないということで、「教官」が「教員」になるなど名称が変更されたものがあり、官舎も「宿舎」となった。糠塚官舎も、糠塚宿舎となった。※2004年4月付で改称されたかどうかは不明。
バス停名称も変更しないといけないが、ずっと官舎のままだった。
そもそも官舎→宿舎の名称変更は、大々的に発表されたわけではないし、どちらでも意味は通用する。他の変わらぬバス停と比べれば、小さい問題ではある。
中央交通さんも、路線移管の最終段階にさしかかり多忙で、そこまで頭も手も回らなかったのかもしれない。
もし気付いたのならば、他のバス停の名称を変更する時に、ついでに変えることはできたかもしれないが、10年、15年とそのままだった。
糠塚官舎前のバス停表示板は、上下とも市営バス時代末期に設置された、透明シールにパソコン印字・ローマ字入りのものが、中央交通移管後も使われていた。
移管後、下り側は板が変形してしまい、2016年春頃に台座ごと新しくされた。背が低く表示板が大きい「頭でっかちタイプ(関連記事)」、太いスーラの書体なのに、ローマ字表記がない変則版。もちろん「官舎」のまま。
(再掲)交換直後の下り側
(再掲)右の上り側も変形していたが長らく交換されず使用継続
その後、上り側も新しくされた。Googleストリートビューによれば2018年7月から2019年9月の間の交換。
こちらは台座は中古品のようで、それに新しい支柱と表示板を組み合わせた感じ。表示板は太いスーラで、ローマ字ありの標準版。その段階でも「官舎」だった。
向かいの下り側も「宿舎」に変わったのか? 渡って近くで見たいけれど、バスを乗り過ごすのもイヤなのでズームで。
下り側も「秋大糠塚宿舎前」になり、ローマ字も入った。板自体は頭でっかちのまま。
上下とも太いスーラ・ローマ字入りで、地に反射素材を使った標準仕様で更新されていた。
上り側
上り側では下に以前の文字が透けていて、「官舎」時代の表示板をそのまま使っていることが分かる。おそらく下りも、そうだろう。
ということは、いったん取り外して持ち帰って修正加工するのではなく、現地で作業したのだろう。そう考えると、丁寧な仕事ぶりだ。中央交通の人がやるのか、専門業者に委託するのか。
当然、車内放送や、液晶式運賃表示器の表示も更新されているのだろう【21日追記・放送も表示も対応していた】。【14日補足】公式サイトの時刻検索も対応済み。
それにしてもいつの間に「官舎」が「宿舎」に?
中央交通発行の路線図を見ると、2019年10月版では官舎、2020年10月版で宿舎になっていた。
2020年秋には新国道側の「山王十字路」が「山王三丁目」に改称されていた。表示板の修正方法も同じだし、おそらくそのタイミングでの名称変更だろう。
山王三丁目への変更は、羽後交通は告知したが、中央交通では告知なし。これは法令の定めと一致せず、問題だと思う。
官舎→宿舎程度であれば、告知なしでも問題ないレベルだと思う(東北運輸局が知ったらどう判断するか知りませんが)。
そして、16年半引っ張ってきて、どうしてこのタイミングで変えたのか。今になって、秋田大学側から要望が出たのだろうか。変えないよりは、どこかで変えたほうが良かったとは思いますが。
そんなわけで、変わらぬバス停名もだいぶ少なくなってきた。代表格の「交通公社前」も2018年に川反入口になった。
残るは「長崎屋バスターミナル」。
ただし、ドン・キホーテ秋田店を長崎屋が運営しているので間違いではないという理屈もあるが、一般客はそんなこと知らないし、表に長崎屋の名が出ていないのだから、やはりおかしいと思う。長崎屋でなくなったのが2009年で10年を越えた。
あとは将軍野線の終点「市民生協入口(市民生協前の表記もまれにある)」。
秋田市民生協は2008年に「コープあきた」に改称していて、これも10年超。
この2つは、起終点や主要経由地なので、変更が大変ではありそう。でも、今後、長崎屋や市民生協を知らないバス利用者が、どんどん増えていくことは確実な中、このままなのも良くないと思いますよ。
乗ろうとするバスは、手形山団地線。大学病院前の次のバス停が近いので、そちらへ向かったら、余裕で間に合った。(東口行きや三吉神社入口・赤沼経由西口行きだと、次のバス停がもっと遠いので、絶望的な状況だった。)
手形山団地線の大学病院前の次のバス停と言えば、医学部敷地の西側、マックスバリュ広面店などがある「広面ショッピングセンター」の裏手北東にある、あのバス停。
秋大糠塚(しゅうだい ぬかづか)…あれっ?!
「秋大糠塚官舎前」だったのが「秋大糠塚宿舎前」に変わっている! 「官」→「宿」の変更。
ここは以前から指摘していた。「バス停名の由来となる施設等の名称が変更されたのに、バス停名はいつまでも変わらないバス停」の1つだった。
「秋大糠塚官舎」とは、秋田大学の「糠塚官舎」からの命名。秋田市交通局(秋田市営バス)時代、1988年3月の冊子時刻表ですでにこの名称だった。
「官舎」とは職員住宅のこと。かつての国立大学の多く(すべて?)では、一般的な呼称だった。郵政省(現・郵政アパート)や国鉄(現・JR社宅)でもそうだったが、電電公社では電々アパート(関連記事)と呼んでいたのかな。
【19日追記】コメントで教えていただいたように、「国家公務員宿舎法」というのがあり、国立大学時代でも厳密には「宿舎」が正しかったようだ。しかし、内部では「官舎」と呼ぶのが一般的であり、“公式な通称”のようになっていたのだろうか。
手形山団地線は2004年春に、市営バスから中央交通へ移管。
それと同じ時、国立大学は国立大学法人化された(全国の国立大学一斉)。
国立大学法人は「官」ではないということで、「教官」が「教員」になるなど名称が変更されたものがあり、官舎も「宿舎」となった。糠塚官舎も、糠塚宿舎となった。※2004年4月付で改称されたかどうかは不明。
バス停名称も変更しないといけないが、ずっと官舎のままだった。
そもそも官舎→宿舎の名称変更は、大々的に発表されたわけではないし、どちらでも意味は通用する。他の変わらぬバス停と比べれば、小さい問題ではある。
中央交通さんも、路線移管の最終段階にさしかかり多忙で、そこまで頭も手も回らなかったのかもしれない。
もし気付いたのならば、他のバス停の名称を変更する時に、ついでに変えることはできたかもしれないが、10年、15年とそのままだった。
糠塚官舎前のバス停表示板は、上下とも市営バス時代末期に設置された、透明シールにパソコン印字・ローマ字入りのものが、中央交通移管後も使われていた。
移管後、下り側は板が変形してしまい、2016年春頃に台座ごと新しくされた。背が低く表示板が大きい「頭でっかちタイプ(関連記事)」、太いスーラの書体なのに、ローマ字表記がない変則版。もちろん「官舎」のまま。
(再掲)交換直後の下り側
(再掲)右の上り側も変形していたが長らく交換されず使用継続
その後、上り側も新しくされた。Googleストリートビューによれば2018年7月から2019年9月の間の交換。
こちらは台座は中古品のようで、それに新しい支柱と表示板を組み合わせた感じ。表示板は太いスーラで、ローマ字ありの標準版。その段階でも「官舎」だった。
向かいの下り側も「宿舎」に変わったのか? 渡って近くで見たいけれど、バスを乗り過ごすのもイヤなのでズームで。
下り側も「秋大糠塚宿舎前」になり、ローマ字も入った。板自体は頭でっかちのまま。
上下とも太いスーラ・ローマ字入りで、地に反射素材を使った標準仕様で更新されていた。
上り側
上り側では下に以前の文字が透けていて、「官舎」時代の表示板をそのまま使っていることが分かる。おそらく下りも、そうだろう。
ということは、いったん取り外して持ち帰って修正加工するのではなく、現地で作業したのだろう。そう考えると、丁寧な仕事ぶりだ。中央交通の人がやるのか、専門業者に委託するのか。
当然、車内放送や、液晶式運賃表示器の表示も更新されている
それにしてもいつの間に「官舎」が「宿舎」に?
中央交通発行の路線図を見ると、2019年10月版では官舎、2020年10月版で宿舎になっていた。
2020年秋には新国道側の「山王十字路」が「山王三丁目」に改称されていた。表示板の修正方法も同じだし、おそらくそのタイミングでの名称変更だろう。
山王三丁目への変更は、羽後交通は告知したが、中央交通では告知なし。これは法令の定めと一致せず、問題だと思う。
官舎→宿舎程度であれば、告知なしでも問題ないレベルだと思う(東北運輸局が知ったらどう判断するか知りませんが)。
そして、16年半引っ張ってきて、どうしてこのタイミングで変えたのか。今になって、秋田大学側から要望が出たのだろうか。変えないよりは、どこかで変えたほうが良かったとは思いますが。
そんなわけで、変わらぬバス停名もだいぶ少なくなってきた。代表格の「交通公社前」も2018年に川反入口になった。
残るは「長崎屋バスターミナル」。
ただし、ドン・キホーテ秋田店を長崎屋が運営しているので間違いではないという理屈もあるが、一般客はそんなこと知らないし、表に長崎屋の名が出ていないのだから、やはりおかしいと思う。長崎屋でなくなったのが2009年で10年を越えた。
あとは将軍野線の終点「市民生協入口(市民生協前の表記もまれにある)」。
秋田市民生協は2008年に「コープあきた」に改称していて、これも10年超。
この2つは、起終点や主要経由地なので、変更が大変ではありそう。でも、今後、長崎屋や市民生協を知らないバス利用者が、どんどん増えていくことは確実な中、このままなのも良くないと思いますよ。
実際現地から抗議が来た話がなく、日産サニーあたりはたぶん立地側が言って変えられた可能性が高そう。
あと、牛島橋とか秋操駅とかもそうかも。
でました秋田市的ネーミングセンスwというのよりよほどマシなのが嬉しいのか悲しいのか。
いまだにサティとか農協ビルとか言う市民性もあるかも。
名前を使われたほうが構わなければいいのかもしれませんが、本心はどうなのやら。
最近の「なんとか何丁目」方式では、一見さんにも覚えづらく、ベストの命名ではないとも感じます。
例えば、バス停付近の店や民家の協力を得て、軒先を改造して貸してもらうような形も、できなくはないでしょう。
免許センターという方向幕がある路線も、免許センター前から2つ先が終点だったりするので、方向幕に出る終点のバス停名が厄介な気がします(市民生協も同じ理屈になりますが)。
路線の延長により、途中バス停にするのが無難なんだろうな、という気がします、この辺に関しては。
長崎屋バスターミナルは、また別の話。
また、次のダイヤ改編で、楢山大回り線が路線廃止、途中経由地の一部は新路線の路線経路で分割、その代わり、秋田駅西口発の附属小・中学のスクールバス的な運用の新規路線を設定された方が良いと思います。
それから、卸町経由の新屋・西部SC行きは、現在のイオン秋田中央店経由に加えて、新たに明田地下道入口・築地北町・築山小学校前・楢山愛宕下を通過後、嘗ての茨島・牛島環状線の主要ルートだった牛島駅前と牛島西一丁目(回生会病院入口)を通過、新道路を進み、卸町四丁目から現行経路へ復帰するルートも新設した方が良いと思います。
方向幕は『築山小学校・愛宕下橋 新屋・西部SC』ならび『牛島駅・愛宕下橋 秋田駅西口』の方が良いと思います。
一方の、茨島環状線は、西口からのルートを、現在の木内前・有楽町・イオン秋田中央店・卸町五丁目経由から、西口を左折し、築地下丁・築山小学校前などを経由し、嘗ての茨島・牛島環状線のルートだった牛島駅前・牛島西一丁目(回生会病院入口)おたかのばし経由を復活させ、その後は現行ルートで運行する経路に変更された方が良いと思いました。
公務員住宅は宿舎法という法律があり、正式名称は宿舎になります。官舎は俗称ですね。
どんなに古い木造戸建てタイプでも最新のタワーマンションタイプでも同じです。
国家公務員用の場合、国家公務員宿舎〇〇住宅などと書きます。
ちなみに自治体はこれが当てはまらないようで秋田県庁は県公舎と表記しています。
子供の頃市内の(かなり古い)宿舎に住んでいて、学校に出す住所欄に◇◇宿舎と書いていました。
ドンキホーテバスターミナル
ドンキホーテ秋田店バスターミナル
中交ホリデイスクエアバスターミナル
旭北バスターミナル
ただし、詮索しなければいけないレベルでない程度に。
宿舎や公舎だとこの辺りがグレーになる気も。
一方で、移転するかもしれない名称も付けづらいですしね。
でも、ケヤキ通りとかは分からない。
路線に関しては、割山回転地から雄物大橋経由で西部SCに行く路線にしてもいいのではないかと思います。
あれは有りそうな気がしますけど、豊町以降の経路の殆どが、現行の新屋西線(県庁市役所経由、栗田町経由も含む)のルートと重複していると思います。
もし実現しそうだとすれば、南浜回転地を通過後、雄物大橋を通過し、秋田南バイパスを南下後、浜田立体交差点を下って、新屋日吉町の大通りに入って、以降は栗田町経由と同じ経路で、西部サービスセンターへ行くルートとかでは無いでしょうか。
また、新屋線の新経路として、西口から、明田地下道入口・築地北町・築地下丁・築山小学校前・楢山愛宕下・牛島東三丁目・牛島駅前・牛島西一丁目(回生会病院入口)・卸町三丁目(ソユー前)を通過後、山二スタンドの交差点から現行経路に入って、以降は卸町四丁目・卸町五丁目・茨島七丁目・美術大学前を経由して、西部サービスセンターに行くルートもあって欲しいなと思います。