秋田駅の北でJR奥羽本線の東西を結ぶ、秋田県道28号のオーバーパス「手形陸橋」が、ついに片側2車線×2=4車線&両側歩道で全面開通した。
周辺の道路に設置されている看板
これまで何度か取り上げていた(直近は今年5月)ように、1966年(1965年度との報道も)に2車線・歩道は北側のみで開通。1991年に3車線に拡幅(当初はリバーシブルレーン)されていた。
その後、2017年春には、南側に拡幅して車線増設と南側の歩道設置がされたが、北側の橋が老朽化したため、いったん北側を通行止めにしてリニューアル工事が行われていた。
北側橋桁の下。全体にきれいになった
このほど北側の橋が完成し、やっと4車線化と両側の歩道が通れるようになった。
橋の前後の道路と合わせて長さ540メートルで、幅を8メートル拡げて25メートル、総事業費68億6千万円【19日補足・裁判所の建て替えが仮庁舎も含めて60億円。それと比べると高くはないかも…】。1996年着工。2002年3月開通予定だったのが、用地買収などで17年遅れた。最初の開通からは53年か。
11月16日に100人が参加して完成式を挙行。知事や秋田市長も参加し、テープカットとくす玉割りが、開通直前の北側車道部分で行われたようだ。供用開始は、冒頭の看板のように11月17日・日曜日朝5時。
東側「手形山崎町」交差点から。右半分が今回開通
西側「千秋城下町」交差点付近から
2017年に開通した南半分と同一の設計になっており、ほとんど左右(南北)対称。路面のアスファルトの色は、2年しか経っていないものの違っている。
手形陸橋は、秋田市の自動車交通の要衝で、朝夕は渋滞する。
今回の4車線化で、渋滞軽減が期待される話もあるが、実際のところ陸橋の前後は2または3車線のままなので、それほどでもないという声もある。
片側1車線での工事期間中よりは、当然スムーズになっただろうけど。あと、工事中は線形が無理なこともあったのだろうが、逆走車がたまにいた【19日補足・片側2車線と勘違いして、対向車線に入ってしまう】とか。
北側歩道
市街地の手形陸橋は、自転車も、高齢者も通り、小学校の通学路でもあるだけに、南北両側に広い歩道ができたことは喜ばしい。ただ、両側の脇道から出入りする車が怖い場合がある。運転者のモラルではあるが、道路形状が50年以上昔の考え(計画)に基づいていることもあるのかもしれない。改善の余地があるかも。
歩道の路面は、リニューアル前はカラータイル敷きだったが、単純なアスファルト舗装(南側と同じ)になった。今後のメンテナンスも考慮すれば、これで妥当だ。
【2022年10月16日追記】この後、2022年10月に、通学路安全対策事業とかとして、北側歩道の歩行者部分と自転車部分を色分けするカラー舗装工事が行われた(この記事中ほどに写真あり)。南側歩道は無着色のまま。
以下、こまごまと。
両方向とも、陸橋に入って間もない(線路真上よりも手前)辺りの照明の柱に、小さな青くて四角い標識が設置された。いちおう案内標識「方面及び方向」風だけど、正式なものとは若干違うような。
北側・東行き車線「太平↑ 明田→」
南側・西行き車線「中通↑ 保戸野→」
陸橋通過後の交差点での直進・右折に合わせた車線を、早めに示していることになる。右折車に早めに車線変更させることで、直進方向を少しでもスムーズに流すために設置したのだろう。【22日補足・右側車線を漫然と走り続けて直進できなくなる(それによる渋滞や事故)ことの防止の意味もあろう。】
ただ、東行きでは左折して秋田大学方面へ行くことに触れていないのは不親切かもしれないし、太平、明田、保戸野といった地名のチョイスも微妙。間違ってはいないが、よその人には分からないかもしれないし、秋大病院は? 横金線は? 新国道は? と迷わせるかもしれない。
開通直前の手形側
開通直前に、歩道と車道の間の柵の東西末端に、カバーで覆われた物体が設置された。南側でも同様。これは何?
完成式には、「橋名板の文字を揮毫した」という市立明徳小学校の児童2名も招かれていた。それが設置されたのが、
ここだった
川に架かる大きめの橋でよくある「親柱」だ。シンプルだけど大きな石で、最近の橋にしては豪華。
今の感覚ではオーバーパスとしてとらえてしまうが、「手形陸『橋』」の名の通り、手形陸橋も橋であって、その流儀にのっとった表示がされているのか。(だから、この記事を久しぶりに「橋」カテゴリとしました)
橋名板は、上の写真の「手形陸橋」が北側西端。北側東端が、
「てがたりっきょう」
南側東端が、
「令和元年十一月完成」
南側西端は「奥羽本線」。
2人のうち6年生の人が「手形陸橋」と「奥羽本線」、4年生の人が「てがたりっきょう」と「令和元年十一月完成」を書いたとのこと。
ある意味安心したのが、「令」の下を、楷書の原則通りに「マ」で書いてくれていること。時流に乗って「卩」でなくてよかった!
それぞれの橋名板の下に、小さく横長に、石の色が変わっている部分がある。ここに揮毫した人の名前でも表示するのかもしれない。【追記・11月29日現在変わらず】
さて、4枚の橋名板の配置のこと。全国的には、道路の起点から見て左側に漢字の橋名…などと、どの位置にどの橋名板を取り付けるか、慣習的に決まっているところが多いそうだ。
手形陸橋の場合は、その原則とはひらがなと完成年月の位置が入れ替わっている。これでは、南側を通る人の視点では「手形陸橋」も「てがたりっきょう」も読めないわけで、絶対の規則ではないとはいえ少々おかしい。
試しに他の秋田県道の橋をストリートビューで確認してみたら、他の橋も原則どおりではない(法則なし?)。秋田県庁ではそれでいいことになっているのかな。
こんな立派な親柱を設置するくらいなら、車からもはっきり分かるように、白地に青文字・英語併記の案内標識(秋田大橋とかにあるヤツ)も設置してはどうでしょう。
親柱の写真で分かる通り、親柱の側面にはモノクロのイラストが描かれた板が張り付けられている。
すべての親柱に、車道向きと歩道向きの裏表に設置されており、東側と西側で内容が異なる。【2020年1月10日訂正・イラストの図柄の違いについては、この記事冒頭参照】
いずれも「贈 (株)板橋組・(株)沢木組」とのプレートがあり、施工業者(線路の真上以外の部分)からの贈り物ということのようだ。
西側
左上から時計回りに、千秋公園の「与次郎伝説」がモチーフと思われるキツネと飛脚、「千秋花火」と思われる打ち上げ花火、太平山三吉神社の梵天(ぼんでん)、秋田新幹線E6系と思われる鉄道車両の正面、千秋公園のものと思われるハス。
東側
稲穂、竿燈、秋田蕗、太平山と5弁の花。
ケチを付けるようで申し訳ないが、いくつか指摘させてもらう。【2020年1月10日訂正・東西については勘違いしていたので、一部訂正します。しかし、それでもなお方角と図柄の違和感は残ります。】
まず、どうして西側に梵天、東側に竿燈なのだろう。それぞれの行事の会場からすれば、逆であるべきだ。千秋公園関係は千秋公園側の西に集めているのに。とすれば、秋田蕗もどちらかといえば西が近い。
細かい点では、東側の花が何の花か不明。
秋田蕗といっしょにいる女性と思われる人物の服装がヘン。秋田蕗は「かすり」姿で刈り取りをするのが定着していて、それがモチーフっぽいが、これでは七分袖Vネックの上に、肩紐の太いエプロン姿のようだ。あとフキの葉の縁や葉脈が、ちょっとキモチワルイ(こんなふうに描かれる場合もあるが、個人的には違うと思う)。
西側。エリアなかいち完成後、にわかにもてはやされるようになった与次郎伝説は、キツネが飛脚として活躍した話。この絵では、キツネと人間の飛脚が描かれている。
なかいちのマスコットキャラクターでは、キツネがそのまま飛脚になっているからそういう話かと思いこんでいた。でも、これを見れば、キツネが人間に化けた上で飛脚になったってことなの?(そのほうが、バレにくくて自然ではあるか)
E6系の真正面とは、描きにくく伝わりにくい難しい題材だ。どうして側面にしなかったのか。ハスの葉も葉脈がキモチワルイ。
そして梵天。「安全祈願」とあえて文字を入れてあるのは、手形陸橋の安全祈願と掛けてあるのか。
梵天の飾りと本体のバランスや細部がけっこう違うような気もするが、以前の北側歩道路面には、鏡餅のような似ても似つかない不格好な梵天が描かれていたのを思えば…
長くなったので、今回はここまで。手形陸橋北側歩道といえば欠かせない(?)らせん階段のことなど続く。
周辺の道路に設置されている看板
これまで何度か取り上げていた(直近は今年5月)ように、1966年(1965年度との報道も)に2車線・歩道は北側のみで開通。1991年に3車線に拡幅(当初はリバーシブルレーン)されていた。
その後、2017年春には、南側に拡幅して車線増設と南側の歩道設置がされたが、北側の橋が老朽化したため、いったん北側を通行止めにしてリニューアル工事が行われていた。
北側橋桁の下。全体にきれいになった
このほど北側の橋が完成し、やっと4車線化と両側の歩道が通れるようになった。
橋の前後の道路と合わせて長さ540メートルで、幅を8メートル拡げて25メートル、総事業費68億6千万円【19日補足・裁判所の建て替えが仮庁舎も含めて60億円。それと比べると高くはないかも…】。1996年着工。2002年3月開通予定だったのが、用地買収などで17年遅れた。最初の開通からは53年か。
11月16日に100人が参加して完成式を挙行。知事や秋田市長も参加し、テープカットとくす玉割りが、開通直前の北側車道部分で行われたようだ。供用開始は、冒頭の看板のように11月17日・日曜日朝5時。
東側「手形山崎町」交差点から。右半分が今回開通
西側「千秋城下町」交差点付近から
2017年に開通した南半分と同一の設計になっており、ほとんど左右(南北)対称。路面のアスファルトの色は、2年しか経っていないものの違っている。
手形陸橋は、秋田市の自動車交通の要衝で、朝夕は渋滞する。
今回の4車線化で、渋滞軽減が期待される話もあるが、実際のところ陸橋の前後は2または3車線のままなので、それほどでもないという声もある。
片側1車線での工事期間中よりは、当然スムーズになっただろうけど。あと、工事中は線形が無理なこともあったのだろうが、逆走車がたまにいた【19日補足・片側2車線と勘違いして、対向車線に入ってしまう】とか。
北側歩道
市街地の手形陸橋は、自転車も、高齢者も通り、小学校の通学路でもあるだけに、南北両側に広い歩道ができたことは喜ばしい。ただ、両側の脇道から出入りする車が怖い場合がある。運転者のモラルではあるが、道路形状が50年以上昔の考え(計画)に基づいていることもあるのかもしれない。改善の余地があるかも。
歩道の路面は、リニューアル前はカラータイル敷きだったが、単純なアスファルト舗装(南側と同じ)になった。今後のメンテナンスも考慮すれば、これで妥当だ。
【2022年10月16日追記】この後、2022年10月に、通学路安全対策事業とかとして、北側歩道の歩行者部分と自転車部分を色分けするカラー舗装工事が行われた(この記事中ほどに写真あり)。南側歩道は無着色のまま。
以下、こまごまと。
両方向とも、陸橋に入って間もない(線路真上よりも手前)辺りの照明の柱に、小さな青くて四角い標識が設置された。いちおう案内標識「方面及び方向」風だけど、正式なものとは若干違うような。
北側・東行き車線「太平↑ 明田→」
南側・西行き車線「中通↑ 保戸野→」
陸橋通過後の交差点での直進・右折に合わせた車線を、早めに示していることになる。右折車に早めに車線変更させることで、直進方向を少しでもスムーズに流すために設置したのだろう。【22日補足・右側車線を漫然と走り続けて直進できなくなる(それによる渋滞や事故)ことの防止の意味もあろう。】
ただ、東行きでは左折して秋田大学方面へ行くことに触れていないのは不親切かもしれないし、太平、明田、保戸野といった地名のチョイスも微妙。間違ってはいないが、よその人には分からないかもしれないし、秋大病院は? 横金線は? 新国道は? と迷わせるかもしれない。
開通直前の手形側
開通直前に、歩道と車道の間の柵の東西末端に、カバーで覆われた物体が設置された。南側でも同様。これは何?
完成式には、「橋名板の文字を揮毫した」という市立明徳小学校の児童2名も招かれていた。それが設置されたのが、
ここだった
川に架かる大きめの橋でよくある「親柱」だ。シンプルだけど大きな石で、最近の橋にしては豪華。
今の感覚ではオーバーパスとしてとらえてしまうが、「手形陸『橋』」の名の通り、手形陸橋も橋であって、その流儀にのっとった表示がされているのか。(だから、この記事を久しぶりに「橋」カテゴリとしました)
橋名板は、上の写真の「手形陸橋」が北側西端。北側東端が、
「てがたりっきょう」
南側東端が、
「令和元年十一月完成」
南側西端は「奥羽本線」。
2人のうち6年生の人が「手形陸橋」と「奥羽本線」、4年生の人が「てがたりっきょう」と「令和元年十一月完成」を書いたとのこと。
ある意味安心したのが、「令」の下を、楷書の原則通りに「マ」で書いてくれていること。時流に乗って「卩」でなくてよかった!
それぞれの橋名板の下に、小さく横長に、石の色が変わっている部分がある。ここに揮毫した人の名前でも表示するのかもしれない。【追記・11月29日現在変わらず】
さて、4枚の橋名板の配置のこと。全国的には、道路の起点から見て左側に漢字の橋名…などと、どの位置にどの橋名板を取り付けるか、慣習的に決まっているところが多いそうだ。
手形陸橋の場合は、その原則とはひらがなと完成年月の位置が入れ替わっている。これでは、南側を通る人の視点では「手形陸橋」も「てがたりっきょう」も読めないわけで、絶対の規則ではないとはいえ少々おかしい。
試しに他の秋田県道の橋をストリートビューで確認してみたら、他の橋も原則どおりではない(法則なし?)。秋田県庁ではそれでいいことになっているのかな。
こんな立派な親柱を設置するくらいなら、車からもはっきり分かるように、白地に青文字・英語併記の案内標識(秋田大橋とかにあるヤツ)も設置してはどうでしょう。
親柱の写真で分かる通り、親柱の側面にはモノクロのイラストが描かれた板が張り付けられている。
すべての親柱に、車道向きと歩道向きの裏表に設置されており、
いずれも「贈 (株)板橋組・(株)沢木組」とのプレートがあり、施工業者(線路の真上以外の部分)からの贈り物ということのようだ。
左上から時計回りに、千秋公園の「与次郎伝説」がモチーフと思われるキツネと飛脚、「千秋花火」と思われる打ち上げ花火、太平山三吉神社の梵天(ぼんでん)、秋田新幹線E6系と思われる鉄道車両の正面、千秋公園のものと思われるハス。
稲穂、竿燈、秋田蕗、太平山と5弁の花。
ケチを付けるようで申し訳ないが、いくつか指摘させてもらう。【2020年1月10日訂正・東西については勘違いしていたので、一部訂正します。しかし、それでもなお方角と図柄の違和感は残ります。】
まず、どうして
細かい点では、東側の花が何の花か不明。
秋田蕗といっしょにいる女性と思われる人物の服装がヘン。秋田蕗は「かすり」姿で刈り取りをするのが定着していて、それがモチーフっぽいが、これでは七分袖Vネックの上に、肩紐の太いエプロン姿のようだ。あとフキの葉の縁や葉脈が、ちょっとキモチワルイ(こんなふうに描かれる場合もあるが、個人的には違うと思う)。
西側。エリアなかいち完成後、にわかにもてはやされるようになった与次郎伝説は、キツネが飛脚として活躍した話。この絵では、キツネと人間の飛脚が描かれている。
なかいちのマスコットキャラクターでは、キツネがそのまま飛脚になっているからそういう話かと思いこんでいた。でも、これを見れば、キツネが人間に化けた上で飛脚になったってことなの?(そのほうが、バレにくくて自然ではあるか)
E6系の真正面とは、描きにくく伝わりにくい難しい題材だ。どうして側面にしなかったのか。ハスの葉も葉脈がキモチワルイ。
そして梵天。「安全祈願」とあえて文字を入れてあるのは、手形陸橋の安全祈願と掛けてあるのか。
梵天の飾りと本体のバランスや細部がけっこう違うような気もするが、以前の北側歩道路面には、鏡餅のような似ても似つかない不格好な梵天が描かれていたのを思えば…
長くなったので、今回はここまで。手形陸橋北側歩道といえば欠かせない(?)らせん階段のことなど続く。