広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

神田土崎線・補足

2019-11-25 00:15:48 | 秋田市営バス
2019年9月で廃止された、秋田市の路線バス「神田土崎線」(廃止区間としては外旭川病院前~土崎駅前)。
前回までは、廃止時点での秋田中央交通による運行形態を紹介した。今回は補足など。

●上下分岐点
前々回の将軍野南四丁目~将軍野郵便局前/護国神社裏参道 間の上下経路の分岐点。別アングルの写真を2つ。
下りの一方通行区間に入ってすぐの地点から振り返って。上りは右から来て奥へ右折
やはり中型バスが通るとは信じられない狭さ。

上の分岐点から新国道方向。上りが奥から左へ
奥に信号機付き交差点が2つある。いちばん奥が新国道の「高清水公園」交差点でそこを左折してこの道に入る。
手前の交差点より手前左側のポストがある所が将軍野郵便局。ここにはバス停がない。


●鳥屋場の補助標識
旭野団地系統と分岐した直後、外旭川病院前~鳥谷場 間の道路標識の不思議。
地理院地図をモノクロ化して加筆。赤い線が土崎線ルート
病院前を左折して200メートルほど南北方向の住宅街の道を走る。その区間に、より小さい道と交わる、2つの小さな十字路交差点(上の地図のCとB)があるのだが、そこにこんな道路標識が設置されている。
Cの交差点。少し右にカーブした先が病院前交差点
「指定方向外進行禁止」の道路標識に、「大型等 路線バスを除く」の補助標識。
Bの交差点も含めて、両方向に同じセットで設置されている。【27日補足】「大型等」は2007年の法改正でできた区分なので、その後に設置(更新)されていることになる。

大型自動車は狭い道へ右左折できない規制。ただし、路線バスなら曲がっていいことになっている。
現在はそのようなルートの路線バスは存在しない。
こういう特例が適用されるからには、設定当時にはそのような実態があって、なくなった今もそれが解除されずに残っているのかと思ってしまう。そうだとしても、2つの交差点で連続してそうなっているというのは、ちょっと考えにくい。また、小さい道に入ったところで、その先のルートが考えづらい。昔もこのルートのバスはなかったと思われる。
どうして存在しない路線バスが、曲がれるようになっているのだろう。

そして、踏切方向へ右折する、地図Aの交差点には「左折のみ」の指定方向外進行禁止に「路線バス マイクロを除く」。
ここでは、神田線が特例で右折できていたことになるが、マイクロも対象となる。

○補足・鳥屋場バス停
上の地図には「旧ルート」を示しておいた。
旧道経由の記事で触れ、またコメントもいただいたように、昭和末~平成初期辺りまでは、外旭川病院周辺の道路が未整備かつ外旭川アンパスもなかったため、まっすぐに通ることができ、かつそうするしかなく、卸売市場入口通過後、鳥屋場までがこのルートをであった。
バス停は土崎線は、卸売市場入口-八柳二区(現・八柳三丁目)-鳥谷場の順。
旭野団地線は、地図Aの交差点を右折し、旭野団地方面へ向かっていた。右折してすぐのところに、土崎線用とは別に鳥谷場バス停が置かれていたとのこと。


●市電との関係は?
調べればもう少し分かるかもしれないが、分からないのが、神田線と秋田市電との関係。どちらも秋田市交通局が運行していて、特に上下で経路が異なる区間では、その上下線の間のごく近い距離を並行していた。さらに新国道経由のバスも並行していた。

歴史的には、神田線の運行が始まった1954年には、すでに市電は走っていた。市電は1965年末で運行終了。
新国道経由については、もともとは秋田中央交通がバスを運行しており、市営バスはその後で参入。結局は2社のバスが市電と競合し、市電廃止を助長してしまったと認識している。(秋田市交通局にとっては、中央交通と自らの市電との間でジレンマだったのだろう。)

神田線と市電は、バス停で向山~港中央四丁目(当時は別名称だったものもある)、電停(現在の類似名称のバス停とは無関係)では八柳~将軍野~自衛隊前~竜神通~土崎(終点)辺りで競合していたと思われる。
自衛隊通りから北方向の「自衛隊前」電停跡。左の広い歩道がホームの名残り
上の写真では、1本左が新国道・自衛隊入口交差点、1本右が一方通行のセブン-イレブンの交差点。
当時の交通事情から想像した、推測や疑問。
・昔は、神田線は上下で経路が分かれていなかったのではないか。つまり一方通行区間が対面通行で、上りも新国道に出ていなかったのではないか。【27日補足・新国道のバス停間隔・数が下り側とそろっていないし、誤乗のおそれや(憶測だけど)当時の路線免許認可などからそんな気がした。】
・神田線と市電との乗り継ぎなどは?
市電と神田線を乗り継ぐ人は、経路からしてあまりいなかったかもしれない。乗り継ぐにしても、どの停留所でも100メートルくらいは歩かないといけなかったし、乗り継ぎ割引制度などもなかったかも。※市電廃止直後は、市電の定期券で市営バス新国道経由に乗車できたと聞いた気がする。
市電が運行できなくなった時、振り替えで神田線に乗れたりはしたか。
振り替え制度はなくても、裏技的に、市電や新国道経由のバスが走れなかったり、混雑したりした場合、神田線に乗って土崎駅~向山もしくは秋田駅~向山以遠~土崎駅を行き来する人はいなかったか。

●市営バス時代 2002年4月のバス停
(再掲)向山上り側
17年前は、
左側のビスがサビているのは変わらず
事業者名が変わり、板が変形し、色があせ、「MA」がはがれた。

鳥屋場は、廃止時点では、上りが市営バス末期設置のワープロ印字ローマ字入り透明シール、下りは移管直後に中央交通が設置したJTCウインRであった。
2002年は、
たぶん上り

たぶん下り
当時でサビが浮いていた、手書きだった。筆跡が似ているから、同時に作られたのか【27日補足・「鳥」の右側3つの点の向きは違う】。
上り側はその後、移管前に更新されたことになる。

旭野団地系統の外旭川市営住宅前(後にJTCウインRに【下の追記参照】)も、この当時は同じような手書きだったから、鳥屋場といっしょに設置された可能性がある。外旭川市営住宅ができたのは1981年、旭野団地系統はその1985年前後に運行が始まったはずだから、その時か。
【25日追記】市営住宅前は、現在は上りが透明パソコンシール、下りがJTCウインRと、鳥谷場と同じ関係。市営バス末期に、乗る(降りるのでなく)客が多い側だけ、リニューアルしておいたのか。

なお、鳥屋場の位置は、廃止時点は上下が向き合っていた。しかし2012年10月や2017年8月のGoogleストリートビューで確認すると、上り側が1軒ほど踏切寄り(手前側)の空き地(駐車場?)の所にあった。40キロ制限の標識がついた電柱も、ほぼ同じ位置で移設されていた。※今は空き地に何か建ったの可能性があるが未確認。

この後は、ここ30年ほどの神田線のダイヤの変遷を、まとめてみたい
2002年9月撮影。市営バス276号車による下り神田土崎線
コメント (4)
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