広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

2代目流木/限定謎看板

2020-06-04 00:00:26 | 秋田の季節・風景
続かないと思っていた以前の記事に、続きがあったのを2題。どちらも秋田市中通で、秋田県庁が関わること。

2018年5月下旬の大雨で旭川が増水し、木の枝が流されて、秋田市中央部の川の中にちらほらと引っかかった。
五丁目橋たもとでは、幹とも言えそうな大きな枝が引っかかり、枯れずに葉を茂らせていた。
(再掲)
国土交通大臣から委託されて川を管理する秋田県では、知っているのか知らないのか放置し続け、冬を越し、2019年春には新しい葉を出していた。
2019年7月末~8月始め頃に、草刈りなどが行われ、その時にやっと撤去されていた

2020年5月中旬に気がついた。
また葉が出た枝が!

水中は枯れ、地上に出た枝は緑の葉
以前より数十センチ上流寄りだし、以前と違ってシダレヤナギのようだから、前回とは別物。
最近は、天候が落ち着いて極端な増水はなかったはず。そう言えば、土手長町通りの街路樹のシダレヤナギの手入れ(県道だからこれも県管理)が行われていた。流木と言うより、道路から落ちたのかも。
2代目ど根性流木となるか? ※その後、2020年7月には枝ごとなくなってしまっていた。

なお、2018年のリンク先の記事で取り上げた、一丁目橋の下に落ちた枯れ木は、まだそのまま。※2020年7月についになくなった



旧・秋田県立秋田東高等学校跡地は、秋田県立図書館分館「あきた文学資料館」と、秋田県立明徳館高等学校のグラウンドと駐車場として使われている。
その駐車場は、場所柄、部外者の無断駐車が多いようで、それを禁ずる看板が設置されているのだが、黒文字の中に不規則に赤文字が混ざる不思議なものだった。
(再掲)

前回取り上げなかったが、こういうのも、
これは平成角ゴシック体の太いやつか
赤文字混在だが、駐車許可証、車、移動、レッカー、手数料、請求が赤で、まだ分かる色分け。
以上2枚は常設。
早春の約1か月間限定で、もう1枚出るのを発見。
でーんとふさぐように置かれた
縦書きで文字が大きい。
HG創英角ポップ体で「ここの駐車場は、確定申告の駐車場ではありません。」

知らないとどうして確定申告が出てくるのか分からないことでしょう。以下の事情。
確定申告期間中は、専用の相談・受付会場が各地に設けられる。秋田市では「秋田県労働会館(フォーラムアキタ)」というのが、毎年会場になる。数年前までは秋田南税務署分の会場で、秋田北税務署分はポートタワーセリオンで行っていたが、現在はフォーラムアキタが南北の合同会場。
そのフォーラムアキタのすぐ裏手が、この駐車場。駐めちゃおうという来場者がいるのは想像が付く。

で、この赤文字がまた不規則。「の車確申車はせ」で意味不明。黒文字を拾っても「ここ駐場は、定告の駐場でありまん。」。
分からなくて気持ち悪い。その気持ち悪さで、薄気味悪く思わせて、無断駐車をやめさせようという魂胆なのだろうか?
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秋田市高陽

2020-06-03 00:39:44 | 秋田の地理
他の市町村でどうなのかよく知らないが、秋田市の地名で住居表示実施済みのところは、「大字」に相当する部分が、各町名の頭に付いている。
千秋矢留町、千秋久保田町、千秋明徳町のように。「丁目」的扱いだが、「仁井田本町○丁目」のように重複するものも一部ある。
接頭語もしくは苗字みたいなもので、これを元に「千秋地区」「仁井田地区」と地域分けをすることが多い。秋田市役所の人口統計でも、「大字別」としてこの基準で集計している。

ちょっとまぎらわしいのが、小学校の通学区名を「○○地区」と呼ぶ時との区別。
大字と同じ名前の小学校も多いが、おそらくそのすべてが大字の範囲と学区域が一致していない。
「保戸野地区」では、大字の保戸野は全域(保戸野千代田町のごく一部だけ例外で泉学区)が保戸野小学区。加えて大字の旭北、千秋、大町の各一部も保戸野小学区。
一方、大字の旭北地区の残りは旭北小学区だから、そこでも一致しなくなる。

敬老会や秋の運動会「全市一斉スポーツレクリエーション大会」では、社会福祉協会・体育協会や町内会が関わる関係なのか、小学校区単位(日新小学区では新屋地区、旭南小学校では旭南・茨島地区など、呼称を変えることはある)で行うのが基本のはず。
介護保険の「地域包括支援センター」は、秋田市の場合、各センターが名乗る地域名と担当地域が、けっこうずれている。
ゴミ収集の曜日分けは、大字が基本のようだが、たまに例外もある。
要は事例に応じて、地域分けが違う。


さて、秋田市民に秋田市の大字に基づく○○地区を挙げさせた場合、なかなか出てこない、マイナーな地区があると思う。お住まいやゆかりのある方には申し訳ないですが。
「○○台」のような新興住宅地は、新しいのと、ほんとうに住宅ばかりで部外者が訪れる機会がないから。
あと「川尻」と隣り合って混同しがちな「川元」。川尻のほうが続く○○町の数が多く、小学校名でもあることから、隠れてしまっている。※先日の記事でも触れた通り、1965年の住居表示で川尻から分離したのが、川元の初出。

それから「港北(こうほく)」。「土崎港北(つちざきみなときた)」とは近いが別。
これは港北小学校があるが、小学校の名前だけで地名ではないと思う人がいるだろう。地名としては、港北新町と港北松野町の2つだけだけど、存在する(港北小は1948年創立、地名としては1978年初出なので、小学校ありきの地名ではあるのかもしれない)。
だけど、その2町の通学区は、港北小学区もあるが、飯島小と飯島南小のエリアもある。(中学校も土崎中/飯島中に分かれる)。


そしてもう1つ。港北と同様、続く○○町が2つだけの大字がある。これが本題。
ただ、秋田市民なら、見聞きする機会、訪れることも少なくはない場所かもしれない。1966年にできたので歴史もあるのだけど。
五十音順では、港北の次に来る。


それは「高陽(こうよう)」地区。
といっても、ピンとないかも。

町名は高陽幸町(さいわいちょう)と高陽青柳町(あおやぎちょう)。
高陽幸町のほうが知名度は高いだろう。新国道の交差点名にもなっているし、秋田中央警察署幸町交番があるから。
交番が「高陽交番」などでなく、ピンポイントな命名なのは秋田では珍しい。なお、先日の通り、2021年度中に泉北の新駅近くへ移転する計画があり、名称が変わると思われる。

交番のように「高陽」を外して下の「幸町」だけで呼ばれることもあるが、「青柳町」とはあまり言わない。
金融機関やコンビニなどの店舗名では、高陽もしくは幸町、青柳町を名乗るものはないと思う(マンションなどはある。後述)。その点でも影が薄い。港北では秋田銀行の支店などに使われている。
【3日追記】テレビや新聞で、施設などの所在地を伝える時、「秋田市保戸野の秋田中央郵便局」「秋田市手形の秋田大学」と大字レベルまでのことが多い。記憶も事例もないと思うが、高陽の場合は「秋田市高陽の」と言うだろうか。幸町・青柳町まで言ってしまうかもしれない。

Googleマップに加筆
高陽地区は、秋田市中央部、秋田市役所の裏一帯。上の地図の赤枠内。
地区としては泉、保戸野、旭北、山王、八橋に囲まれ、道路では南辺を旧国道、北辺を八橋大通り、東辺を新国道(新川向~高陽幸町~鉄砲町交差点)に囲まれる。西辺はけやき通りの北側の道(秋田テレビ前)の、1本東隣りの狭い市道。
大ざっぱに縦横500メートル四方といったエリア。東西でほぼ二分され、東側が高陽幸町、西が高陽青柳町。青柳町はほぼ縦長長方形だが、幸町は新国道のカーブに沿って三角形に近い形状。
旧国道を通る路線バス将軍野線(元市営バス)には、高陽幸町、高陽青柳町それぞれバス停がある。

通学区は、全域が旭北小学校・山王中学校。
ただし、場所によっては八橋小、泉小、泉中のほうが近いように思える。特に八橋小は道路横断も少なくて安全そうだけど。
【3日追記】旭北小の学区を地図に示すと、高陽地区だけが北方向の保戸野小学区・八橋小学区に突き出して食いこんでいる配置になる。

秋田市では2001年まで「秋田市ガス局(秋田市営ガス)」があり、東部ガスと供給範囲をすみ分けていた(関連記事)。
中央地区では、市役所より北かつ新国道より西が、市ガスエリアだったので、高陽地区も該当する。ただ、例外的に新国道に沿ったほんの一部だけは、西側でも東部ガスエリアだった部分があったそうなので、もしかしたら高陽幸町の一部はそうだったかもしれない。


個人的な印象では「高陽地区」として単独でとらえるには狭いエリア。
小学校の学区の結びつきを基準にすれば、旭北地区(上記の通り、地名は旭北でも保戸野小学区の所もある)に含めればいいのだろうか。それとも山王地区(地名は山王でも川尻小学区の所もある【下の8日の補足参照】)だろうか。【3日補足・隣合うといっても、保戸野や八橋とひとくくりにするには違和感があると思う。】ちょっと宙ぶらりんな地名。
【山王地区の言い回しが分かりづらかったので8日補足】旭北小は山王中の隣にあり(したがって所在地は山王)、旭北小学区全域が山王中学区。そのため、学区と地名を関連付けて、山王地区は全域が旭北小学区と勘違いしそうになる。実際には、山王地区の一部は川尻小学区なので、旭北小学校区だからという理由で高陽を山王地区に含めるのは前提から間違っていることになる。

「高陽」は1966年に新たにできた地名で、それ以前は住居表示前の(大字)保戸野と(大字)八橋の各一部、さらに「花立町」だった。花立町は、その時に高陽幸町と山王二丁目になって消滅。
実は秋田市で地名以外では、それ以前に「高陽」が存在した。

秋田市立高陽中学校である。
終戦後、新制中学校が開校した時、秋田市中央部では現在より学校が分散して設置されたらしい。それが1953年になって統合されて現在に至る。
泰平中、久保田中、手形中というのが再編されて秋田南中と秋田東中になり、高陽中と成和中が統合されて山王中になった。

つまり、現在の山王中学校の前身の1つとして、ごく短期間だけ高陽中が存在した。
所在地は、現在の山王中学校の場所だったそうだ。
※ネット上では、成和中など他校も含めて、所在地や学区はおろか、存在した事実すらほとんど記録がない。山王中公式サイトの沿革にも、統合した事実のみ記載。教育委員会や図書館で調べれば分かるが、秋田市民でも知らない人が多い歴史かもしれない。【3日補足・当時の生徒だった人も、いずれ減っていくことになる。明治開校の小学校ならともかく、100年に満たないのに歴史に埋もれるのは早すぎる。】※その後、成和中の場所が分かった! 泰平中、久保田中、手形中についても。

そんなわけで、秋田市で「高陽」といえば、この地名とかつての中学校名以外には見当たらない。高陽中学校の由来も分からない。

「角川日本地名大辞典」で、高陽幸町、高陽青柳町を調べてみると、
「旧高陽中学校の通学区であり、この地域の一部を幸町と呼んでいたことによる」「旧高陽中学校の通学区であり、この地域の一部を青柳町と呼んでいたことによる」
とあった。

なるほど。エリアの一部の通称を小字相当とし、大字相当部分は、少し離れているけれどなじみがある高陽中学校の名をもらったということか。【3日補足・当時なら高陽中の記憶が多くの人にあっただろうし、「高陽」の普遍的で前向きなイメージも好都合・好印象だったのだろう。】
なくなった【3日追記・しかも多くの人の記憶からも記録からもほぼ消えてしまった】学校の名が、所在地ではない地名としてよみがえって残るとは、なかなか変わった地名だと思う。

ちなみに地名辞典では、地名としての秋田市山王は「官庁街団地として通称名の山王地区をそのまま継承して命名」としている。日吉八幡神社の通称が由来ということになるが、ここも地名より先に山王中学校ができているので、その影響も受けていると思う。港北もそんな感じだし、秋田市は学校名が地名に先行する傾向があるのかも。


さて、電柱などに取り付けられた「街区表示板」。
過去の記事のように、秋田市でも時期によっていくつかのバリエーションがある。
高陽地区では、時期的には昔の広告入りのものがあってもおかしくないが、見当たらず。標準的な(最新ではない)、カクカクした書体にふりがな付きがほとんど。
高陽幸町
4文字の町名って秋田市では少ないし、「さいわい」と4文字ふりがなも特徴的。

高陽青柳町 標準版

高陽青柳町 ふりがななし、書体も普通のゴシック体に近い
そして、
普通っぽいけれど
まず漢字はカクカクしていない古いタイプなのに、ふりがながある。しかも、
「あおやなぎちょう」!
ふりがなを間違っている。
他には見つけられなかった。表示板はまとめて作るものだと思うが、間違いに気づいて交換したものの、もれたのだろうか。

高陽幸町のショッピングモールの近く。
「駐車禁止」
狭い道路を渡った向かいにマンションがあって、そのマンションの駐車場には買い物客は駐めるなという、ショッピングモール設置と思われる看板。
マンションの名称に注目。「アビタシオン」はフランス語で「住居」の意味で「中高層の分譲住宅の名称に用いる語。」だそう(goo辞書・デジタル大辞泉より)で、とりあえず合っている。
「高揚」?!
もちろん、正しくは「ほくとアビタシオン高陽」。
2008年のオープン時からあった看板。看板を作る時に間違え、設置前もしくは設置直後に気が付いたようで、当時は上に「高陽」とシール貼りしていた。
それが経年で取れてしまって、もう5年以上だと思うが、そのままになっている。秋田市の会社じゃないから、間違えたのは仕方ないけれど。


全国的には、広島にはかつて「高陽町(こうようちょう)」という自治体が存在した(昔訪れた玖村駅辺りだ!)。今は広島市に編入されて、地名としては消滅しているが、「高陽ニュータウン」などがあり、通称として高陽町が現役らしい。広島市立高陽中学校、県立高陽高等学校、県立高陽東高等学校なども存在する。
以上、日光モータースレア標識と矛盾した交通規制と合わせて、高陽3部作でした。
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ランララジンジン/旧局舎

2020-06-01 00:40:02 | 秋田の季節・風景
今日は「電波の日」だそうで多少関連した話題を。
「ランララジンジン、オホホホ」に覚えがあるでしょうか? 秋田県民は知っている人が多いと思う。

(ラジオを聞かないのでごく最近は知らないけれど【1日追記・今も流れているとのこと】)秋田放送(ABS)のラジオで時々流れる男女のコーラスの歌の歌詞。
ラジオをほとんど聞かない僕でも覚えている。少なくとも昭和末期には流れていて、番組と番組の間など、CMの穴埋めのように使われていたと思う。
この曲は、ABSのオリジナルソングだと思っていた。

ところが最近、ネットをさまよっていて、そうではないことを知った!
某所で1970年代というエフエム大阪(1970年開局)の放送の録音を聞くことができ、その中で流れていた。
FM局だからステレオで、ABSで流れていたものより長いが、ABSで流れていたのと同一と思われる箇所があるので、この音源から抜き出したのだろう(もしかしたらABSでもフルバージョンが流れていたのかもしれない)。
前奏~後奏も合わせて、ジャスト60秒。
歌詞を記させてもらう。
男女)ランララジンジン オホホホ(4回繰り返し)

女)ランランラジオは歌い出す
男)ジンジンラジオに泣けてくる
女)オホホホラジオと笑い出す
男女)ラジオラジオ

女)ランララジンジン オホホホ
男)ラジオワー(?)
女)ランララジンジン オホホホ
男)ラジオルー(?)
女)ランララジンジン オホホホ
男)ラジオ
女)ランララジンジン オホホホ
男)ラージオラー

ABSで聞き覚えがあるのは、最後の「ランララジンジンオホホホ」を繰り返す女声に、男声が「ラジオ」と合いの手を入れるような部分。【1日補足・そこだけだど「ランララジンジンオホホホ」が意味不明だったが、それより前の部分を聞けば、由来が明確になるのだった。】
FM大阪のものは、冒頭に4月21日の「放送広告の日」の告知ナレーションが重なっていた。なお、1993年からは「民放の日」になった。

ABSオリジナルでないことは確定した。そう言えば「ABS」とも「秋田」ともひとことも言っていない。
では、この歌の正体は?
FM大阪で「放送広告の日」告知と重ねたのは、同局の独自の判断かもしれない。でも、FM局で流れたということは、周波数帯を問わず(民放)ラジオ局共通のキャンペーンソングだったのだろうか。
JASRACの登録を当たってみたが、なさそう。
ツイッターを検索してみると、ごくわずかにヒット。秋田の人と栃木の人ばかり。【1日追記・たまに「リンリン」とか「オオオオオ」と聞き違え? 覚え違え? ている人もおられる。】
栃木放送(AM局)でも流していた(いる?)そうだ。秋田でも栃木でも、それぞれの局のオリジナル曲だと思いこんでいる人がほとんど。
一方、それ以外の土地では一切投稿がなかった。
個人的にはなかなかインパクトのある歌だと思うから、今は放送されないとしても、思い出に残っていたり、ふと頭に浮かぶ人もいそうなものなのに。広くは放送されなかった曲なのか?

改めて歌を聞いたら、アニメ「山ねずみロッキーチャック」の主題歌に、雰囲気や男声コーラスがちょっと似ていると思った。年代はほぼ重なりそうな1973年の作品で、「ミッチーとチャタラーズ」が歌っている(正体は堀江美都子さんと杉並児童合唱団のOB3人だそう)。
【1日追記】八木山ベニーランドのCMソングも、どことなく似ている気がする。同時代だろうし、「ヤンヤンヤヤ」と音を繰り返しているし、曲調もどこか???

多少は古臭いけれど、今、流しても悪くないのではないだろうか。あるいはアレンジ・再録音して。



ついでなので、4月に秋田駅前に移転した秋田放送の、山王七丁目の旧局舎の現状。
当初は「ラジオ東北」というラジオ局で、大町にあった秋田魁新報社にあり、テレビ放送を始めた1960年3月25日に山王に移転(当時は住居表示実施前だったから違う地名だったはず)。社名は1961年に秋田放送に改称。
60年間山王にいて、建物は増築されているが、全面的な改築はされなかったようだ。ラジオ東北時代からの建物も残っていることになる。
山王大通りに面する車庫の壁の表示もボロボロ
4~5月中に何度か通ってみたが、曜日を問わずいつも何らかの作業がされていた。中の物を出しているようだが、今のところ外観は稼働時と変わっていない。
山王大通りに面した駐車場の奥にある横長の2階建ての建物が、1960年当時からある建物のようだ。その左側に玄関がある。その上付近の番組宣伝の看板は、3月以前のまま。
真向かいの「文化会館・八橋球場前」上りバス停付近から
旧局舎にはアンテナが2本ある。
赤白のが前からあって、やや奥にあるグレーのは地デジ化で設置されたはず。
アンテナが重なる位置

新旧アンテナ
紅白塗装は昔は高さ60メートル以上の煙突などで義務付けられていたかと思ったが、これはそんなに高くないのでは?
グレーのほうは北東向き・八橋球場方向の面に、縦書きで「ABS」のロゴ。まだ古くはないであろうアンテナだけど、移設するわけにもいかないでしょうからね。
新局舎にも似た雰囲気のアンテナが設置されたが、それにはロゴは入らなかった。

敷地の東辺には、細い市道がある。そちらへ。

正面の建物の裏・北側には、広い駐車場と3階建て(?)の建物。壁面には薄れた赤で「ABS」。こちらにも玄関があって、ひさしには筆文字で「秋田放送」。
この建物は後で建て増しされたようで、過去の航空写真を調べると、1975年にはまだなく雑然とした場所だったのが、1979年には工事中もしくは完成していた。

ところでグレーのアンテナ。これまで生え際を意識しておらず、赤白や新局舎のように建物の上に立っているかと思ったら、
増築部分との接続部の地面から生えていた
考えてみれば、こんな大きくて重いものを既存の建物の上には立てられないか。

山王大通り向かい側(北西)から
旧局舎の向こうのベージュ色の建物は秋田市文化会館。
2021年度中に県民会館跡地の新施設ができれば、廃止されることになっている。数年後には、ABS跡とともに風景が変わっていることだろうが、それぞれどう使うのだろうか。
間のガストなどに立ち退きいただき、ABS跡地と一体的にとらえれば、新たな活用法があったりするのかも。【跡地の活用については、下記リンクの続きの記事末尾参照

【1日追記】新局舎移転後も、ランララジンジンは流れているそうだが、時報の音は変わったそうだ。以前はカウントダウンが鳩時計のような音だった【13日補足・ニッポン放送とABSと、全国で2局だけが使っていた音とのこと】のが、普通になった。

旧社屋解体の様子
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