慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

内村鑑三 1(キリストに生きた武士)

2022年03月05日 | 宗教

🌸内村鑑三 1(キリストに生きた武士)


「我いかに生くべきか」

 ☆内村鑑三の『後世への最大遺物』は小冊子

 *「我々は人生を通じこの世に何を残していけるのか」のテーマについての講話本

 *宗教者の講話であるこのような演題の小冊子

 *明治という時代の日本人の生真面目さに心打たれる

 ☆内村は「我いかに生くべきか」を自らに問いかける

 *自己の存在の証を生涯に残そうとして、何が出来るのかを吟味していく

 *不朽の名声?巨万の富?教育的事業?万人に読まれる作品?

 *それは、万人に可能な「最大遺物」ではないとしている

 ☆優れた才能がなくても、金も地位もなくとも、学問がなくとも、

 ☆「人生」という元手があれば、誰にでも遺しうる生涯

 *「あの人はああやって真摯に生きた」という記憶そのもの

 *「勇ましい高尚なる生涯」と

 

新渡戸稲造が「母」なら、内村鑑三は「父」である

 ☆我々は内村鑑三の生き方そのものの中に壮烈な「高尚なる人生」を見る

 *昭和初期の日本人の多くは内村の代表作を読んだ

 ☆寛容で包容力あふれる新渡戸、峻厳で妥協を許さぬ存在感を放つ内村鑑三

 ☆クラーク精神を継承してキリスト教に帰依し同じく米国への留学を体験しながら

 *二人の人生は余りにも異なる

 

内村の米国留学と日本再発見

 ☆内村鑑三にとり米国生活は、米国に幻減し、日本を再発見する契機となった

 ☆米国で内村鑑三はクラーク博士と面談している

 *「青年よ、大志を抱け」の言葉とともに北海道を去った伝説の人物クラーク

 ☆内村はクラークの印象、「彼ハ宗教家タル以上二軍人ナリ」

 *偉大な宣教者のイメージからはかけ離れたクラークの姿を見た

 ☆この時期のクラークは、詐欺事件に巻き込まれ訴訟沙汰の最中であった

 ☆クラークの教育者としての名声は地に堕ち

 *俗臭漂う投機家として「失意の境遇」にあったクラークに会った

 ☆内村はコネチカツト州ハートフォードの神学校に進む

 *「牧師」の資格を取得しての帰国という希望が存在していたのでは

 *内村は神学校に失望し、4ヵ月で自主退学、帰国の途についた

 ☆内村の職業的「神学者」や「神学」に対する、失望が導いた結論だった

 ☆内村の形式主義を拒否し、内実のみを純粋に求める選択であり

 *後に「無教会派」運動の中心に立つ内村鑑三の萌芽でもあった

 

「手ぶらの帰国」

 ☆内村鑑三の米国留学についての感想

 *「手ぶらの帰国」という興味深い表現をしている

 *科学、医学、哲学、神学等一枚の卒業証書も余の鞄の中にはなかった

 *両親への贈物として其を以て両親を喜ばすことは出来なかった

 *免許も資格もない裸一貫の帰国だった

 ☆内村の米国留学が無意味だったということはない

 *内村は二つの「J」のために生きる決意を固めての帰国であった

 *JPPAN,JESUS(キリスト)

                         (敬称略)                                     
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内村鑑三 1(キリストに生きた武士)
(ネットより画像引用)
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生物はなぜ誕生したのか3(偶然・奇跡・必然性)

2022年03月05日 | 生物

🌸生物はなぜ誕生したのか3(偶然・奇跡・必然性)

 

早く生き物になりたい

 ☆46億年前のできたての地球表面は、高温でドロドロと溶けていた

 *その後何億年という時間の経過とともに徐々に冷えてきた

 ☆核酸、タンパク質などの細胞の材料となる有機物

 *燃えてなくなることもなく蓄積してきた

 *その中には、RNAとくっついて自己複製を助けたり分解を防いだりする

 *働きを持つものも出てきて、「サポーター」を得たRNAがより生き残った

 ☆RNAとタンパク質がドロドロした塊(液滴)を作る

 *材料と密着した生産効率の良い自己複製マシーンになった

 *「偶然の出会い作戦」から、周りに必要なものを集める「濃縮作戦」に変わった

 *「作っては分解して作り変えるリサイクル」が加速しました

 ☆より安定に自己複製するためには

 *RNAとタンパク質や材料が、常に一緒にいることが必要

 *多くの化学反応から、偶然に「袋」に包まれた液滴が登場した

 *袋の中であれば、安定した環境で自己複製でき、有利で、「囲い込み作戦」です

 ☆効率良く自己複製する「有機物」の袋

 *お互い集合と分散を繰り返し、徐々に効率良く自己複製する袋が増えて支配的となる

 *最初の細胞の原型になっていった

 ☆袋に入ったRNA、自らアミノ酸を繋ぎ合わせてタンパク質を作る

 *リボソームのような装置に変貌した

 ☆リボソームとは、生物の細胞の中に存在し

 *RNAの配列情報からアミノ酸を繋げてタンパク質を作る装置

 *地球上の全ての生物が持っている重要な器官

 

生物の必須アイテム、リボソーム

 ☆現在のリボソームは、巨大な複合体で、反応の中心を担うのはRNAです

 ☆リボソームタンパク質は、RNA同士が離れないように接着剤のようにくっ付いている

 *主にタンパク質合成の開始と終結を調整する

 *そこに、伝令RNA(mRNA)の遺伝情報を写し取った長いRNA分子がやってくる

 *別の運搬RNA(tRNA)がmRNAの指定するアミノ酸を運んできて

 *それらをrRNAが繋ぎ合わせてタンパク質を合成する

 ☆リボソームによるタンパク質合成のメカニズムが完備されて「細胞」の誕生となる

 ☆細胞の必須アイテムであるリボソームのタンパク質合成反応にDNAは登場しない

 *反応性がより高いRNAが仕切っていた時代が最初にあった

 ☆生命の歴史でいうと

 *その後、RNAよりも安定なDNAが遺伝物質として使われるようになった

 ☆RNAとDNAは、材料となる糖の種類が違うだけで構造的にはほぼ同じ

 ☆細胞誕生までの過程で、こんなに都合のいいことが起こってきた

 

化学反応が頻発する可能性に満ちた原始の地球

 ☆何億年という長い時間をかけて

 *低い確率、というか偶然、というか奇跡、が積み重なりました

 ☆何よりも生産性と保存性の高いものが生き残る「正のスパイラル」

 *限られた空間で常に起こり続けることで

 *偶然が必然となり、生命が誕生した

                         (敬称略)                                     
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第二次大戦後、小国連合でASEANが成立した(1)

2022年03月05日 | 地政学

🌸第二次大戦後、小国連合でASEANが成立した(1)

 

東南アジア、海のシルクロードとして繁栄した

 ☆東南アジアには、地域大国は存在しない

 *人口や面積ではインドネシアが突出している

 *しかし強い存在感を持って地域を主導する立場に立っていない

 ☆東南アジアは、小国の集まり

 ☆東南アジアの地理的位置を見ると

 *古代より文明が発展していたインド・中東・中国との中間点に位置している

 *島嶼部や大陸の沿岸部は、東西をつなぐ「海のシルクロード」として栄えた

 *モンスーンを利用した帆船が海を行き交い、主要な港には港市国家が成立した

 ☆13世紀以降、交易の主役を担っていたのはイスラーム商人

 *東南アジアの島嶼部に、今もイスラーム教徒が多い

 ☆東南アジアは、交易の中継地ではなく、香辛料などの産品の供給地だった

 ☆16世紀その香辛料に注目した西欧列強による東南アジアヘの進出が始まる

 *彼らはイスラーム商人と激しく争いながら、徐々に主導権を握っていった

 ☆19世紀末までにタイを除いた東南アジアの全地域、西欧列強の植民地となる

 

ハンディを背負った中での東南アジアの独立

 ☆東南アジアは、戦後独立国として二つの課題に直面した

 ☆一つ目の課題

 *植民地時代、西欧列強は民族の居住地を考慮することなく

 *自分たちの都合で統治領域を確定したので、多民族国家となった

 *多くの国々で民族対立や分離独立運動が発生し

 *国家と国民の統合に多大な努力が必要となった

 ☆二つ目の課題

 *植民地時代に形成された単一商品作物のみに頼るモノカルチャー経済

 *モノカルチャー経済からの脱却だった

 *一部の国は、工業化を推進し、高経済成長を実現した

 *十分な工業化を達成できず、停が続く国も多かった

                         (敬称略)                                     
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(『新地政学』記事より画像引用)
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