🌸憂国の国際人新渡戸稲造1(武士道)
⛳本質は「偉大な教育者」
☆新渡戸稲造の「願わくはわれ太平洋の橋とならん」という言葉
*クラーク博士の「青年よ、大志を抱け」の応答歌だった
☆新渡戸稲造が札幌農学校に入学した時、クラーク博士が札幌を去っていた
☆札幌農学校は、クラークのキリスト教による感化の影響は学園に満ち浴れていた
*新渡戸も入学一カ月で「イエスを信ずる者の誓約」に署名した
*翌年、新渡戸は内村鑑三らとともに、宣教師から洗礼を受けている
☆新渡戸は理路整然として学者風であった
*内村は烈火のように熱のある説教で人をうつものがあった
*新渡戸稲造は、アメリカヘの私費留学を果たした
☆新渡戸稲造は多彩な顔を持っている
*宗教家、教育者、農学者、知的国際人、ベストセラー本の著作者など
*驚くほどの行動力で時代を駆けぬけた「知の巨人」であった
*彼の人生の本質は、偉大な教育者であった
⛳新渡戸稲造の「武士道』に込められた思い
☆新渡戸の名著『武士道』が米国で出版された時代
*内村鑑三の『代表的日本人』岡倉天心の『東洋の理想』『日本の覚醒』『茶の本』
*相次いで英文で世界に向けて発信されている
☆明治維新から30年が経過し
*国際社会の中に先頭を切って入っていつた日本人の中から、
*「日本人とは」「日本とは」という真剣な問いかけが湧き起こり
*各々の独自の考察から作品が創りだされた
☆新渡戸が『武士道』を執筆する契機
*新渡戸、西洋の学者に「日本には宗教教育はないのですか」と質問され
*「ありません」と答えたが
*「どうやって道徳教育を授けるのですか」と問い詰められ
*答えに窮した体験だったとされる
☆新渡戸は、日本人の中に宿る価値基準の基底「武士道」の影響を見出していった
*彼が自らの価値基軸の深層にあるものを「武士道」として抽出した
*現代を生きる我々の価値も「武士道」の継承の中にあることに気づかされる
⛳『武士道』
☆「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」等の武士道の中核をなす価値
*日本人の行動選択を支える美学を形成してきたことが説得的に解説されている
☆それは実際の日本人の「ある姿」よりも「あるべき姿」を
*自分自身をも含めた日本人の行動規範として提示しようとした
☆新渡戸は、『武士道』の結びに於いて述べている
*「不死鳥はみずからの灰の中から甦る」、武士道が制度は滅んでも
*武士道人生を豊かにする徳目として生きていくことを語っている
☆『武士道』は思いもかけぬ歴史的役割を演ずる
*日露戦争ヘの米国の支援を働きかけるために渡米した金子堅太郎
*ルーズベルト大統領に進呈したのが『武士道』であった
*この本をルーズベルトは熟読し、『日本国民の徳性」を理解した
*日露戦争の講和仲介者としてルーズベルトが動きだす心証となった
(新渡戸の『武士道』を通じた日本理解が影響を与えた)
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください