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聖地に残る怖い信仰(11)(宗像大社沖ノ島)

2021年01月16日 | 聖地
🌸聖地に残る怖い信仰(11)(宗像大社沖ノ島)

神と神との誓約で生まれた祭神
 ☆玄界灘の海上に沖ノ島は位置する
 ☆神が宿る地で、日本有数の聖地島全体が神域
 ☆一般人の立ち入りは、現在では一切禁止
 ☆神職は、交代制で上陸する
 *人の出入りが途絶えた、絶海の孤島である
 *島が宗像大社の境内なので、神職の常駐が許されている
 ☆宗像大社とは
 *辺津宮、大島の中津宮、沖ノ島の沖津宮の3宮で構成される
 *「宗像三神」と呼ばれ三柱の女神が主祭神

黒田藩を襲った怪異現象
 ☆沖ノ島の掟(島を管理する神職も厳守している)
 *島のすべては神の所有物で、小枝1本さえも持ち出せない
 *島で見聞きしたことは口外できない事など
 ☆掟を破ったものには、不幸が襲うという
 ☆貝原益軒の記した書籍によると
 *キリシタン大名の長政は、日本古来の信仰を軽視した
 *九州の大名・黒田長政が島から織機を持ち帰る
 ☆長政の行動が不穏な出来事を引き起こす
 *織機は毎夜ひとりでに振動し、城中の家臣は怯えた
 *領内が、雷雨に襲われるなどの異変が多発
 *長政は織機を沖ノ島に返却した
 ☆沖ノ島への畏れが見て取れる

⛳古代海運の要所だった
 ☆沖ノ島が厳しく隔離された要因
 *23カ所の祭祀場跡と、約8万点もの奉納品が発見された
 *ほとんどが大陸・半島由来の品々である
 *歴史的価値が非常に高く、数万点の出土品は国宝に指定された
 *沖ノ島は「海の正倉院」と呼ばれる
 ☆沖ノ島は、大陸交流の中継地
 *沖ノ島はは、ヤマト王権や九州の最族から重視されていた
 *祭祀場は、航海の安全祈願のために機能していた
 ☆沖ノ島は、4世紀から9世紀の約500年間
 *海上交通の要衝として重視された
 *それが、沖ノ島が聖地となったのでは
 ☆沖ノ島、世界遺産登録されたとき
 *宗像大社は改めて人の出入りを禁上した
                   (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『本当は怖い日本の聖地』



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