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「白拍子」「静御前」「祗王」「仏御前」

2024年02月04日 | 歴史
🌸『源氏物語』の時代は恋愛至上主義(7)

『要旨』
 ☆義経の恋人・静御前「白拍子」
 *白拍子は、皆の前で舞を披露する踊り子
 ☆白拍子は、権力者の恋人として歴史に登場した
 *後鳥羽上皇にも亀菊と言うお気に入りの白拍子がいた
 *彼女は、荘園などを受け継ぎ、自分でも十分に財産を得ていた
 ☆ヨーロッパの高級娼婦のような存在だった白拍子
 *鎌倉時代の白拍子には梅毒はなかったので、
 *江戸時代と異なり「穢れれがうつる」等で敬遠されることがなかった
 ☆『平家物語』での平清盛と祗王、仏御前の「三角関係」
 *祗王と仏御前、二人とも白拍子
 *清盛が、最初に気に入っていたのが祗王
 *祗王の斡旋で白拍子仏御前が、清盛と接点を持つ
 *清盛は、まだ若くてかわいらしい仏御前にころりと参ってしまう
 *「祗王を追い出してやる」と祗王を屋敷から追い出す








「白拍子」「静御前」「祗王」「仏御前」
(ネットより画像引用)

義経の恋人・静御前「白拍子」
 ☆白拍子は、皆の前で舞を披露する踊り子
 *現代風に言えば男装の麗人、さながら宝塚のようなもの
 ☆「白拍子」には、様々な階級がある
 *全国津々浦々を回りながら語り伝える歩き巫女のような存在
 *権力者の愛人として、歴史の影に登場することも多かった
 ☆白拍子で有名な人物、源義経の愛人だった静御前
 *最初は義経と一緒に頼朝の追っ手から逃げる旅 をした静御前
 *彼女は途中で「もう一緒に逃げられません」と義経に伝えた
 *二人は道を分かち、静御前は捕まり、頼朝の元へと連れていかれる
 *頼朝は「鶴岡八幡宮での神事で、 一つ舞いをやってくれ」と命じる
 ☆白拍子は、神事の際に舞を披露する神聖な存在でもあった
 *義経への恋心などを聞かされた頼朝
 *頼朝をたしなめたのが、北条政子でした
 *「どうか彼女を罰さないでください」と告げた
 (「吾妻鑑」に記載されている)

白拍子は、権力者の恋人として歴史に登場した
 ☆白拍子は、遊女のような役割を果たすこともあった
 *お客さんには権力者やお金持ちが多かった

 ☆源頼朝の父・義朝が「平治の乱」で敗れ、関東へ落ち延びたとき
 *美濃の青墓宿の土地の支配者が元白拍子だった
 ☆後鳥羽上皇にも亀菊と言うお気に入りの白拍子
 *彼女は、荘園などを受け継ぎ、自分でも十分に財産を得ていた
 ☆白拍子が独自に私財や立場を築く
 *その場所に強い影響力を持つこともあった
 ☆白拍子の中には貴族の妻になる人もいた
 ☆白拍子が売春婦のように軽んじられる存在ならば
 *その子どもを跡取りに据えることはなかったはず
 ☆彼女たちはある一定の社会的地位があった

ヨーロッパの高級娼婦のような存在だった白拍子
 ☆ヨーロッパの社交界で男性側が白拍子に興味を持っても
 *一方的なら、彼女と無理やり関係を持つことはできなかった
 ☆白拍子も「この人のこと、好きだわ」と恋愛感情を持ち
 *お互いの合意が採れた上でょうやく男女の関係になった
 *当時の人にとって、相手の肩書や出自よりも
 *愛し合っているのが重要で、江戸時代の高級遊女などとは違う
 ☆鎌倉時代の白拍子と江戸時代の遊女の大きな違いのひとつ
 *鎌倉時代には性病がなかった
 *江戸時代には梅毒などの性病が存在していた
 *不特定多数の男性と関係を持つ女性を敬遠されること多かった
 ☆江戸時代は、梅毒が蔓延したせいで
 *遊女は病気をもたらす存在だという認識が世の中に浸透した
 ☆鎌倉時代の白拍子には梅毒はなかったので、
 *「穢れれがうつる」などと敬遠されることがなかった

⛳『平家物語』での平清盛と祗王、仏御前の「三角関係」
 ☆大きな年齢差がありながらも、恋人関係に陥る男女が多かった
 *平安時代末期の代表的な例、平清盛と祗王・仏御前
 ☆祗王と仏御前、二人とも白拍子
 *清盛が気に入っていたのが祗王と祗女という姉妹の白拍子
 *清盛が寵愛したのは、姉の祗王
 *年齢差、清盛は五十代、祗王の年齢は十八歳
 ☆清盛と祗王の元に、十六歳の白拍子・仏御前が清盛の元を訪ねてくる
 *仏御前も売れたい一心で、平清盛に「私の歌を聴いて」と懇願した
 *祗王のとりなしで、無事に仏御前は舞を披露することができた
 *清盛はまだ若くてかわいらしい仏御前にころりと参ってしまう
 ☆仏御前に骨抜きになってしまった清盛
 *「祗王を追い出してやる」と祗王を屋敷から追い出す
 *祗王とその妹の祗女は、泣く泣く屋敷を出ていく
 *祗王は実家に帰り、母と妹と共に隠遁生活を送るようになった
                       (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『愛憎の日本史』

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