慶喜

心意気
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「井伊直弼」「安政の大獄」「桜田門外の変」「開国」

2024年02月25日 | 歴史
🌸独断で日本の開国を決めた井伊直弼
 
⛳「桜田門外の変」
 ☆井伊直弼、出動の途中で浪人に襲われ
 *登城のため午前9時頃に駕籠に乗って屋敷を出た大老・井伊直弼
 *江戸城桜田門外において浪士の一団の襲撃を受ける
 *駕籠から引きずり出された直弼は首を一刀両断に叩き落とされた
 *暗殺したのは、水戸藩を中心とした18人の脱藩浪人たちだった
 *大老は江戸幕府の最高責任者、現在の総理大臣のようなもの
 ☆直弼は独断で、日本の開国を推し進めた、冷酷非情な独裁者だった
 *自分の政策に異を唱える者は容赦なく弾圧した

⛳黒船の対応で対立を深めた直弼と徳川斉昭
 ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に来航、開国を迫った
 ☆日本にはかってない激震が走った
 *彦根藩主直弼は有力大名として、戦っても勝ち目はない
 (交易を行って海外進出すべしと開国、非戦を主張した)
 *開国に、真っ向から反対したのが、水戸藩の前藩主・徳川斉昭
 ☆直弼の意見が通り、日本は開国へと踏み切る
 ☆又2人は将軍の後継者問題で対立を深めていく

⛳井伊直弼、後継者争いの一方で恐怖政治を開始

 ☆将軍徳川家定は病弱で奇行も多く、跡継ぎとなる子供もいなかった
 ☆次の将軍を決めておくことが必要だった
 *直弼が紀州藩主の徳川慶福を推した
 *斉昭は自分の息子である一橋慶喜を推した
 ☆幕府は慶福を擁立する南紀派と慶喜を担ぐ一橋派に分かれた
 *開国か攘夷かという問題も絡んで両者は激しく対立する
 ☆直弼は強権を発動し、反対派を一掃する恐怖政治を断行する

井伊直弼、勝手に条約を締結してしまう
 ☆直弼は大老に就任した
 *次期将軍を紀州の慶福、のちの徳川家茂に決定した
 *
慶福はなんと当時10歳にも満たない子供だった
 *慶喜は、英明な若者として周囲にも期待された人物
 *直弼は「英明さなどより血筋の近さが大事」と主張した
 ☆少年の家茂は直弼の意見には素直に従った
 *直弼にとってこれ以上に都合のいいことはない
 ☆開国問題に対しても直弼は豪腕をふるう
 *直弼は天皇の許可を得ずに、勝手に条約を締結してしまった
 ☆直弼の個人プレーに反対派も黙ってはいなかった
 *朝廷に対して直弼よりも水戸藩を信任するように働きかけた
 *結果、天皇は直弼より斉昭を認めた
 *直弼が激怒したのはいうまでもない
 *直弼は、朝廷に働きかけた水戸藩士、朝廷の最高幹部
 *次々と捕えて厳罰に処していくのだ
 *これが世にいう「安政の大獄」の始まり
 *幕末の思想家である吉田松陰や橋本左内らも処刑された
 *弾圧で死刑となった者8人、投獄・左遷された者は100人以上
 ☆徳川政権で、直弼に逆らえる者など誰もいなかった
 *桜田門外の変は「安政の大獄」の翌年に起こった
 ☆「井伊の赤鬼」とまで呼ばれた直弼の死後、幕府の権威は失墜する
 *世の中は、暗殺など暴力で政治を変えようという動きが広がっていく
 *直弼の意に反して、幕末の動乱は加速していく
                       (敬称略)
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⛳出典、『日本史の黒幕』
 
「井伊直弼」「安政の大獄」「桜田門外の変」「開国」
(『日本史の黒幕』記事より画像引用)

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