慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

『少年期後期』『青年期』『壮年期前期』

2024年09月24日 | 人生訓
🌸人生のシステム2

⛳「花失せたり」(少年期後期「17・8歳」の頃)
 ☆人生の第1の難関がやってくる頃と、世阿弥は言う
 *その意味は、ただ能の役者だけのことではない
 *どこにも通用する普遍性のあることを、世阿弥は言う
 ☆第1の難関の理由は「声変わり」の時期である
 *今までの人気は失せる、体から少年の愛らしさは消える
 *少年は、そこで失望を味わうだろう。どうしたらいいのか。
 ☆人が笑おうとも、そんなことは気にしなくて良いと世阿弥は言う
 *自分の声の限界のなかで無理をせず、声を出す稽古が必要と
 ☆才能があると思われていた少年
 *自分の生理である声変わりにぶつかって、絶望する
 *その時こそ、人生の境目であると世阿弥は言う
 *そこでこそ、能を捨てない意思が必要なのだ
 ☆限界のうちで進歩がない時
 *じっと耐えることが必要である
 *そこで絶望したり、止めてしまえば
 *自分の生理を超えていくことができなくなる
 *無理をせず稽古をつづけることで
 *1つの嵐が過ぎ去るのを待っしかないのだ

⛳「初心と申すはこのころのことなり」(青年期「24・5歳)の頃)
 ☆声変わりも乗り越えて、声も体も一人前に具わってくる
 *若々しく、張り切って上手に見える
 *すわ、上手が出てきた、と人々も褒めそやす
 *時代の名人を相手にしても
 *その新人の珍しさから勝つことさえある
 *珍しいもの、新しいものに世間は敏感である
 ☆名人とはいえ、 いつも見慣れている能である
 *そんな見慣れている能よりは
 *新人の張り切った能や若さの美しさに観客はほればれとする
 ☆この新人がまるで本当に名人に勝ったと思って
 *達人であるかのように思い込み
 *自分勝手な考えをさも偉そうにいったり
 *天才でもあるかのように振舞うのは
 *「あさましき事なり」と世阿弥と言っている
 *世阿弥は、この頃こそ「初心」の時であると言う
 ☆はじめて、自分の芸とまっすぐにぶつかる時である
 *その時に、自分を天才であると思ったりすれば
 *そこで能は進歩をやめる
 *その時こそ、先輩や名人をたずねて
 *よくよく教えをこわないといけない
 ☆「時分」とは、その時かぎりという意味である
 *「まことの花」ではない
 *「時分の花」を、「まことの花」と思ってしまう心が
 *本当の花へといたる道を閉ざすのだと世阿弥はいう
 ☆新しさに頼って、 いつまでも同じことをやっていれば
 *「時分の花」は消え失せる
 *「まことの花」にしていくための準備は
 *「時分の花」が色あせぬうちにするのが必要

⛳「上がるは34・5歳までのころ」(壮年期前期)
 ☆世阿弥は多少の自負もまじえていっているのだろうが
 *この年頃で天下の評判をとらなければ
 *「まことの花」とはいえないといっている
 ☆「上がるは34・5歳までのころ、下がるは40歳以来なり」
 *上手になるのは、34歳か35歳まで
 *40歳を過ぎれば、ただ落ちていくばかりである
 ☆世阿弥は、 35歳くらいで頂点をきわめなければ
 *能をきわめることはできないと言っている
 ☆35歳頃の顔にはまだ跛はない。生気があふれている
 *脂ぎっていない。体力もある。
 *その年頃で頂点をきわめなければ
 *それからは容貌も、体力もだんだん衰えてくる
 ☆世阿弥は、 この年齢の頃に、これまでの人生を振り返り
 *今後の進むべき道を考えよと言っている
 *34・5歳で、人間のポジションは決まってくる
                      (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世阿弥の言葉』




『少年期後期』『青年期』『壮年期前期』
(ネットより画像引用)

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