タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

青春のころの山

2014年11月07日 | 山歩きから
私たちは山登りを終えたあとどこかによって「コーヒータイム」という休憩をすることが習慣になっています。

入浴をして帰るということは、特別な場合をのぞいてありません。習慣化されていないということですね。

すでに紹介したように、11月4日に天杉山に登ったあとはいこいの村ひろしまに行きました。広島では名山といってもよい深入山(しんにゅうざん・1152.7m)のふもとにある施設です。

深入山は山と渓谷社の「分県登山ガイド」の「広島県の山」に、、、、、、

「優美な姿の草原の山360度展望が楽しみ」と紹介されているように、いまもむかしも草原の美しさが自慢の山です。その草原を守るために今でも毎年山焼きが行われています。

草原の山といえば、タカ長が山歩きを始めた青春のころには、このちかくに聖山があり、秋には全山ススキの山になっていました。しかし、いまは木が繁りむかしとはまったく違う山になっています。

    

    

この深入山には「いこいの村ひろしま」以外にもいろいろな施設ができ、昔日の面影はありませんが、それでも秋にはススキのある風景を楽しむことが出来ます。

タカ長が若いころはこのあたりには何もなくて「蔵座高原」と呼ばれる、茫洋とした広がりだけがありました。そのほかは何もなし、本当に何もないところでした。

その何もないところがよくて何度も足を運んだこともあります。

    

    

その何もないところにテントを張って滞在したこともあります。安保騒動の真っ最中で、世の中が騒然としていたころのことです。

そのころのタカ長は世の中の流れとは別のところに身をおいて、山の中を流れる風を感じ、雲の流れを見ていたようですね。この山をめぐる道にはキブシの花が咲くところがあり、その花を見に行ったことをいまでも記憶しています。

タカ長にとっては青春の山ですが、最近はほとんど登っていません。いまの仲間たちと登ったのも1回だけです。

いまはアクセスが良くなって、この山だけ登るには時間が余りすぎるというのが主な原因のようです。

    

そのころは深入山に登ったあとは、いまは国道191号線が走っている鞍部におりて、そこから向深入山そして餅の木集落、三段峡と歩いたものです。

餅の木集落に向かう尾根には、春にはフデリンドウなどが咲いていたのをいまでも記憶していますが、今はその道があるのかないのか定かではありません。

    

いまのタカ長たちには上記のようなロングコースを歩く脚力はないのでしょうが、、、、、、、、

これから、、、、、いま以上に脚力が落ちると、この山だけで終日すごすことになるのかも分かりませんね。