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武田じゅうめい 愛と誠と正義

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人には日の丸が足りない

小林多喜二の「蟹工船」

2009年01月02日 | 人生の意味
小林多喜二。
若い人の間で、「蟹工船」が読まれているという。
小林多喜二は非合法の日本共産党員の作家、昭和8年2月20日、東京築地署において特高警察の拷問によって死亡した。29歳。今の日本共産党とは異なり、当時の軍部独裁、警察国家に抵抗して地下運動を行い、プロレタリア革命を目指していた共産主義政党であった。
小林の死は「心臓マヒ」として警察によって処理された。しかし、家族に返された遺体は老母セキの見守る中、友人達によって死亡原因の検証がなされたが、作家であった小林の指は折られ、前歯は折られ、下腹部から太腿にかけて体は青紫色に腫れ上がり、その姿は凄惨そのものであったという。そしてその姿は、友人の画家によって油絵で描き残されている。
小林多喜二は元々、北海道拓殖銀行に勤務していた銀行マンであったが、プロレタリア文学運動に傾倒し、そのことにより銀行を解雇された。そういう時代であった。多喜二の代表作『蟹工船』では、天皇不敬罪、治安維持法違反で牢屋に入れられたが、釈放後は官憲の目を逃れ地下生活に入る。
昭和8年2月20日、共産党に潜入していた公安スパイの計略により、多喜二は特高に逮捕され、東京築地署において拷問を受け死亡。
杉並に住んでいた多喜二の母セキは、読み書きができなかったが、長男の多喜二が牢獄に入れられていた頃、文通をする為に字を覚え、多喜二の死後、次のように思いを書き残した。
「ああ、またこの2月がきた
ほんとうにこの2月という月が
いやな月 こえをいっぱいに
なきたい
ああ、でもラチオですこしたすかる
ああ、なみだがでる
めがねがくもる」

さて、昨秋、派遣ユニオンが渋谷神山町の麻生太郎の豪邸を見る会を主催した。渋谷警察署の警備課長と打ち合わせをした後、渋谷センター街を歩いていた時、警察の公安2課によって派遣ユニオンの3人が不当逮捕された(検察は不起訴処分)。権力は、民衆を辱め、陥れ、権力のカーテンに隠れ傲慢にほくそ笑む。しかし醜悪な権力の仮面は民衆の素手によって剥がされ、断罪され、その責めを受けることになる。
(ムラマサ、弱い者いじめは許さぬ)
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