たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

惚れて通えば 千里も一里 逢えずに帰れば また千里

2021年11月05日 13時44分26秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

相互フォロワー登録しているある方のブログ拝見していて、すっかり脳裏から消え去っていた言葉、「都々逸」(どどいつ)を見掛け、記憶が炙り出されてきた。昭和20年代~30年代、まだラジオしか無かった時代、電波が極めて届きにくく、NHKラジオ第1放送、1局が辛うじて聞けた北陸の山村で幼少期を過ごしたが、特に夕食後の団欒時等には、茶箪笥の上に鎮座した中古ラジオの前に家族が集まり、ほとんど毎日、番組を楽しみにしていたものだった。とっさに思い浮かぶ番組だけでも、「三つの歌」「お父さんはお人好し」「私は誰でしょう」「とんち教室」、「民謡を訪ねて」等々。「浪曲」「落語」「漫才」「漫談」等も多かったが、その中に、時々「都々逸」も有ったような気がする。子供のこととて、意味も分からず、面白くもなんともなかったが、元々東京人だった祖母が、寄席物、特に「浪曲」が大好きで、よく聞いており、なんとなく聞いている内に、サワリや断片的一部を覚えてしまったりしたものも有った。「都々逸」に関しては、節回し?や雰囲気程度しか記憶に残っていないが、懐かしさは有る。
今更になってネットで調べてみると
「都々逸」とは、江戸時代末期に初代・都々逸坊扇歌という寄席芸人によって大成された七・七・七・五調の俗曲のことで、元来、三味線と共に歌われ、男女の恋を歌ったものが多かったのだそうだ。昭和時代中期頃までは、寄席の前座や合間に歌われたりしたようだが、時代が変わり、「浪曲」と同様、すたれてしまったということになる。ただ、唄物から離れて、文芸形式としての都々逸は、現在でも、新聞紙上等に作品が紹介されているようだ。この際、「都々逸」の有名な作品例をいくつか、書き留め置こうと思っているところだ。


都々逸作品例その2 
「惚れて通えば 千里も一里 逢えずに帰れば また千里」(作者不詳)


惚れた相手(恋人や好きな人)のところへ行くには、
例え千里の道のりも、一里程に短く感じるものだという歌。
自分の好きな人のために、自分が好きにすることは
どんな苦労も苦にならないという意味合いがある。


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2 コメント

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愉快ですね~♪ (越後美人)
2021-11-05 14:02:46
川柳もいいですが、都都逸の方がお洒落ですね。
またのご紹介を楽しみにしていますね(^_-)-☆
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越後美人さん、こんばんは、 (takezii)
2021-11-05 17:02:28
粋で、お洒落で、ユーモア有り、しかも真髄をつく、言葉遊び、「都々逸」も、日本独特の文化のひとつでしょうね。思わず、「いいね」と言ってしまいたくなります。私も、今回初めて、調べて見た類で、目から鱗・・・になっているところなんです。なんとなく、聞いたこと有るような「都々逸」、チョイスして、書き留めようと思っているところです。コメントいただき有難うございます。
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