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藤沢周平著 「長門守の陰謀」

2022年03月15日 14時36分17秒 | 読書記

図書館から借りていた、藤沢周平著 「長門守の陰謀」(立風書房)を 読み終えた。本書には、表題の「長門守の陰」の他、「夢ぞ見し」「春の雪」「夕べの光」「遠い少女の、短編時代小説5篇が収録されている。女性達の視線が深い市井物、下級武士物4篇、荘内藩に纏わる武家物1篇だが、いずれも短編にも拘らず、藤沢周平ならではの味わいの有る作品ばかりだ。エッセイ風の、「あとがき」にかえて、でも、作者の人物像がうかがえ、興味深い。


読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう爺さん、読んだことの有る本を、うっかりまた借りてくるような失態を繰り返さないためにも、その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に 書き留め置くことにしている。


「夢ぞ見し」
主な登場人物・昌江、小寺甚兵衛、新之助、溝江啓四郎(繁之助・藩主)
イケメン好みの昌江が、兄新之助からすすめられて結婚した相手小寺甚兵衛は、どうみても冴えない男だった。禄高低い、帰りが遅い、無口、取り柄無し、不満だらけだったが、そこに美男子溝江啓四郎が同宿することになり・・・、そわそわ、うきうきする昌江、・・・ところが・・、実は・・、
家の中に入っても、まだ思い出し笑いをした。・・・・、それは、昌江がいま、十分しあわせな証拠かもしれなかった。

「春の雪」
主な登場人物・みさ、おたね、安蔵、徳蔵、作次郎、茂太、
みさと作次郎と茂太は、幼い頃一緒に遊んだ仲だった。みさは美人、作次郎は頭の切れ、人柄も抜群、茂太は、のろ、ぐず、泣き虫、それぞれ別れ別れになったが、紆余曲折の後、同じ材木屋橋本に勤めるようになったが・・・・、みさと作次郎、みさと茂太、女心が動く・・・、
「女って、不思議だな」、むしろ快活な口調でそう言うと、作次郎は手を上げて、じゃと言って背を向けた。・・・、「茂ちゃんとも、もうこれっきり会わないわ。なぜだか、わかるでしょ?」・・・雪はゆるやかに、しかしきれめなくみさのまわりに振り続けていた。・・・、

「夕べの光」
主な登場人物・おりん、幸助、六蔵(大家)、柳吉、新蔵、喜平(岡っ引き)、
おりんは、2回結婚しているが、共に夫と死別、前夫の連れ子幸助を育てることに必死で働いてきたが、幸助は、生みの親で無いことを誰かに吹き込まれ、万引等非行に走り、苦労が絶えないでいる。大家の六蔵の紹介で、表店の若旦那柳吉との縁談が持ち込まれるが・・・、
「幸助を背負って、夕ばえに照らされた田圃道を歩きながら、おりんはそう思った」
情景が、浮かんでくるラストシーンである。

「遠い少女」
主な登場人物・鶴蔵、おなみ、おこん、おまつ、音次(岡っ引き)、徳次郎、篠崎良助(南町奉行所定町廻り同心)、深見清左衛門、
12歳で小間物屋才賀屋に奉公した鶴蔵は、真面目一筋で働き、37歳で店を持ち、妻と子供もいる。45歳になり自らの人生を振り返り出した、そんな時、幼い頃、寺小屋で、1、2を争った美貌の少女が、近くのいかがわしい店で働いていることを知り、心が揺れる。迷った末、再会するが・・・・。25両・・・・、
「鶴蔵が言った時、襖の向こうで咳払いの音がして、旦那、そいつは考えものですぜ」・・・・、「もう一度遠い昔の少女の面影をさがしたが、見えなかった」

「長門守の陰謀」
主な登場人物・酒井長門守忠重(さかいながとのかみただしげ)、酒井九八郎忠広、高力喜兵衛(こうりききへい)、千賀主水(ちがもんど)、荘内藩藩主・酒井宮内大輔忠勝(さかいくないたゆうただかつ)、酒井摂津守忠当(さかいせっつのかみただまさ)、伊豆守松平信綱、
史実に有った、荘内藩最大の危機、藩内抗争、酒井長門守重忠の陰謀事件をドキュメンタリー風に描いた作品。物語の最後には、暴虐の限りを尽くした重忠が、孤立無援となり、4代藩主忠当からは義絶され、国を離れ、寂しく下総国市川村で老いて70歳を迎え、寂しく風景を眺める場面が有るが、藤沢周平ならではの美しい描写がある。そして、ある嵐の夜、二人の人影が忠重の家に近づいてきた。「何者だ!」・・・、その夜、長門守事件最後の幕が降りたという筋書きになっている。


「あとがき」にかえて 藤沢周平 (抜粋)

(前略)・・散歩には、疲れた足腰をのばすという効用のほかに、仕事部屋で鬱屈した気分を、戸外に、解きはなつ意味もあるので、言い方はおかしいが、バスで散歩に行っても悪いことはあるまい、と思う。しかし駅前まで行ってしまうと、やはり時間がかかる。そこで、やむを得ず家の近くを歩きまわることにとどめる。歩き回っても、べつに面白いところがあるわけではない。(中略)・・・、途中にある本屋をのぞき、レストランでコーヒーをのんで帰るだけである。(中略)・・・、小さな喫茶店は、私には人間関係が少しうるさく感じられるのである。よく見掛けることだが、こういうところには必ず常連といった人がいて、店の人と親しそうに話したり笑ったりしている。しかし、私が喫茶店に入るのは、コーヒーを飲みながら、ぼんやりと考えごとをするような時間が好きなためで、お喋りをしに行くわけではない。そこで黙ってコーヒーを飲んでいると、小さな喫茶店だと、時々、私だけが浮いた感じになる。すると、そういう私を気の毒に思うらしく、女主人が声をかけてきたりする。これもうっとうしいことである。などと書いていると、私も、結構うるさいのだな、という気がしてくる。かなり度しがたい偏屈な人間なので、こういう人は、レストランの隅で、小さくなってコーヒーでも飲ませてもらうしかないのである。(後略)

 


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